IoT」タグアーカイブ

中国式QRコード決済について(5):自ら存在意義を抹殺する中国デジタル社会報告書

「QRガー」に関連して、重大な欠陥のある報告書を見つけてしまった。極めて価値のある内容であるのに、冒頭の第1章で自らその価値を台無しにするという「自殺」報告書だ。

どうして中国テクノロジーを称揚したい方々の先入観はここまで強いのか。

最初に断っておくと、筆者は10年来の中国ガジェット好きである。届いた翌日に電源が入らなくなるクオリティの中華タブレットを数枚購入したことがある。

スマートフォンは、7~8年前、Huawei製でも数時間で交換式バッテリーが切れてしまうような代物だったころから始まり、ZTE製も使ったことがある。最近は劇的にコストパフォーマンスが高くなり、ここ数年、Xiaomi、OnePlus製しか使っていない。

中国SNSはWeiboと百度貼吧を10年以上使っており、WeChat Payも現地ネット決済のために便利に利用している。

したがって中国のIT産業について普通の日本人ほど偏見は持っていないつもりだ。

問題の報告書へのリンクがある、報告書の筆者の方自身のブログ記事を貼っておく。

「報告書『中国14億人の社会実装―「軽いIoT」が創るデジタル社会』が刊行されました。」 (Aseiito.net 2019/04/09)

リンク先にある報告書『中国14億人の社会実装―「軽いIoT」が創るデジタル社会』(伊藤亜聖・高口康太)が、冒頭にあげた重大な欠陥のある報告書である。

(わが母校の東京大学も目先の利益に直結する研究に偏向し、基礎研究の質を軽視し始めたか)

あえて「重大な欠陥」と強い表現をつかった理由は、報告書全体の議論の前提となる導入部分に深刻なミスリードと統計の意図的な読み替えがあり、報告書全体の価値を台無しにしているからだ。

その重大な欠陥はp.27にある。

図表2、横軸に国レベルの一人当たりGDP、縦軸に「過去1年間に携帯電話またはインターネットを通じた金融機関口座にアクセスした人の比率」をとったチャートだ。

この図表2を元にして「先進国のほうがIT技術を利用した金融機関利用が普及してるといえる。おおむねベースラインの傾向としては、デジタルエコノミーも経済発展水準と相関するのである」

何の説明もなくインターネットを通じた金融機関利用が、デジタルエコノミーの決定要因であるとされている。あまりに乱暴な議論だ。

しかも「インターネットを通じた金融機関口座へのアクセス」にはPC、スマートフォンなど、複数の手段があるにもかかわらず、図表2で見事に「モバイルバンキングの普及比率」にすり替えられている。

論文ではない報告書とはいえひどすぎるミスリードだ。

なぜ日本が高いGDPのわりに「過去1年間に携帯電話またはインターネットを通じた金融機関口座にアクセスした人の比率」が低いのか、妥当な原因に本当に思い当たらないのだろうか。

一つは、言うまでもなく日本が異常に現金決済に執着する社会であること。それはこのブログの一つ前の記事を参照頂きたい

かつ、都市部ではATMがあらゆる場所に設置されているからだ。

あらゆる場所にATMを設置できる主な理由は治安が良いからだ。治安が良いということは、治安の悪い国よりも相対的に現金の管理コストを抑える要因にもなっている。

警察庁の平成29年版犯罪白書で、強盗の発生率(人口10万人当たり発生件数)は2014年で米国101.1、英国81.8、フランス177.9、ドイツ56.4に対し、日本は2.4。先進国の中でも異常なほど低い。窃盗の発生率も他の4か国のおおむね5分の1以下だ。

ATMが普及する前も、日本の金融機関の経営は極めて「非効率」で、支店が全国津々浦々あり、現金の出し入れができた。銀行のない地域は郵便局がカバーしていた。

ウィキペディアによれば、1970年代に金融機関がクローズドなネットワークで相互接続され、平日日中の即日送金を実現した日本は世界最先端の金融情報技術を誇っていた。

さらに街角のクレジットカード端末にATM機能が備わり、コンビニエンスストアにもATMが設置された。

コンビニエンスストアの店舗そのものが過当競争になるほど増えたため、ますます現金の出し入れが手軽になっている。通勤・通学のついでにいつでも金融機関のATM相当の現金の取扱ができる。

一方、インターネットを経由したネットバンキングやモバイルバンキングについては、不正アクセスやマルウェアによる被害を防止するため巨額のセキュリティ投資が、ユーザには見えないところで行われており、日々「進化」するサイバー攻撃に対応するコストは年々上昇している。

強盗の発生率が極めて低い日本であっても、電話やインターネットを悪用した物理的接触のない犯罪の発生率は高止まりするだろう。

日本における強盗による現金被害金額は2016年で4.0億円だが、特殊詐欺(いわゆるオレオレ詐欺)の同年の被害金額は406.3億円と100倍にのぼる。

強盗のような「体力」犯ではなく、通信網を利用する「知能」犯は、日本の物理的な治安の良さをやすやすと乗り越えてしまう。

日本でインターネットバンキングやモバイルバンキングの必要性が低いのは、こういったさまざまな社会的・文化的要素が理由になっているのであって、決して日本のデジタル化が遅れているわけではない。

これらの要素をすべて無視して、日本のデジタル化の遅れだけに言及するのは、日本でデジタル化の技術開発に取り組んでいるすべての人々に対する侮辱だ。

この報告書はさらに次の図表3にも「モバイルバンキング」というミスリードを確信犯的に持ち込んでいる。

それどころか最終的に次のように書いている。

「日本のデジタル化を議論する際に度々言及されるのは高齢化による影響であるが、比較的近い高齢化水準にあるスイスやデンマークではデジタル化が進んでいる。日本のデジタル化の遅れを人口構造のせいにできないのである」

高齢化とモバイルバンキングの普及率に相関関係がないという事実は、「高齢化しているからモバイルバンキングの普及率が低い」という因果関係を肯定も否定もしない。

図表2においても同じ誤りを犯している。日本と中国だけに注目するという恣意的なサンプリングを行いつつ、経済発展水準とデジタル化に負の相関関係があるという事実で、「経済発展水準が高いからデジタル化する」という因果関係を否定している。相関関係は因果関係を肯定も否定もしない。

相関関係は因果関係ではない。統計学の基礎さえ理解していない人は統計数値を使わない方が良い。

以上、p.29前半部分まででこの報告書の筆者にデジタル化一般について議論をするだけの正確な認識や客観的な思考能力がないことが明白になった。

これらの箇所に見られる報告書の筆者の無意識の”Japanophobia”は、p.29の後半に思わず漏れ出てしまっている。

「技術的に可能なことが、経済的・社会的な要因によって社会への導入が遅れる現象」

これは明らかに日本を指している。

日本はGDPが高いのにデジタル化が遅れていてダメ、中国はGDPが低いのにデジタル化が進んでいてすごい!という稚拙な論評に陥っている。

意図的かどうかは別として、この長い報告書の冒頭、第1章の段階で日本人の神経を逆なですることに成功している。

中国のモバイル決済賛美者の皆さんはこのようなフォーマルな報告書でさえ、モバイル決済に話をつなげるための強引なミスリードをし、わざわざ日本人の神経を逆なでするような議論の組み立てをする。

だからこそ自分で自分の首を絞めているのだが、そのことを「中国屋」のみなさんはいつになったら自覚し、改められるのだろうか。

じっさいにはこの報告書の残りの部分は非常に参考になる具体的な記述が満載である。

シャオミ大好きで、シャオミのバックパックまで中国から取り寄せて使っている筆者にとって、じっくり楽しみたい非常に充実した報告書になっている。

しかしこの報告書は第1章だけで普通の日本人読者を拒絶している。この冒頭の議論にイラっとする日本人は読まなくて良いと言わんばかりに、報告書の残りの部分の価値を自ら抹殺している。

非常にもったいない。もったいなさすぎる。