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上原美優さんの自殺は貧困家庭の社会的疎外の問題

上原美優さんの『10人兄弟貧乏アイドル☆』(ポプラ社)を読んだ。なんだかやりきれない気持ちだけが残る本だった。

先日書いた記事「上原美優さんの自殺の原因を推測する」の誤りを訂正しつつ、感想を書きたい。
結論から言えば、上原美優さんの自殺は、先日書いたような、彼女のタレントとしての「売り」と個人の現実とのギャップなどではない。もっと社会的な問題だ。
よくテレビで大家族のドキュメント番組を放送している。個人的には全く興味がないので見ないが、先進国である日本でたくさん子供をもつことは、当の子供たちにとって幸せだろうか。
以下、上原さんのご家族に失礼なのは承知で書かせていただく。
発展途上国の家族がたくさん子供をもつのは、次のような点で合理的な選択だ。
(1)伝染病や政情不安などで、乳幼児の死亡率が高いこと。
(2)子供が多いほど、将来の家族の収入が増えること。 などなど
いっぽう日本のような先進諸国では、子供が社会に出たあと、一定の収入を得るために求められる教育水準が高い。わかりやすく言えば、学歴がなければ良い仕事につくのが難しいということだ。
もちろんこれはあくまで一般論で、学歴がなくても努力して成功する方は少数だがいらっしゃる。
ただ、将来の家族の収入を増やすには、たくさん子供を持つよりも、少ない子供にたくさん教育費をかける方が合理的なのが、先進国の社会だ。
上原美優さんは10人兄弟の末っ子だが、本書を読むと、子だくさんの結果、家庭が貧しいという理由だけで、日本社会ではさまざまな不利益をうけることがわかる。
本人が書いているように、家族の中にいる限りは不幸だと感じることはない。しかし家族から離れて自立するにつれ、周囲の平均的な経済レベルの家庭との格差によって、さまざまな不利益をうける。
本書はいわば、貧乏な家庭がいまの日本社会でいかに社会的制裁をうけるか。その悲劇的なケーススタディになっている。読み進めるのがかなりつらい。
たとえば上原美優さん、というより本名の藤崎睦美さんは、中学校3年生の時点で、子供にとっていちばん大切な「学校」という共同体から追放されてしまう。(なぜ中学3年生だったのかは、本書をお読みいただきたい)
それまでは彼女自身の努力で成績も良かったが、中学3年生以降は不登校になる。高校に入ると、楽しい高校生活を送る同級生たちを、世間のイメージそのままに「女子高生」とひとくくりにして、憎悪さえ抱くようになる。
その結果、いわゆる「不良少女」になり、グループどうしの敵対関係から、仕返しとして性暴力をうけるなど、心身ともに大きな傷をうける。
本書の最後の4分の1ほどは、その後の急激な「転落」の手記になっている。
本の最後には、とってつけたようにタレント上原美優として、「いまは幸せです!」という前向きな言葉や、家族への感謝が書かれている。
しかし実際には藤崎家全体の問題は、いまだ解決されていないように見える。
本書の最後の方に、彼女が芸能界に入った後の、人生で2度目の自殺未遂について詳細な記述がある。この自殺未遂の直接の原因は、うつ病と経済的な困窮だ。
うつ病の方は、上京してから運命的な出会いをした彼氏との別れが直接の引き金になっている。
その別れの原因は、藤崎家の経済的困窮(詳細は本書を参照)のため、彼女が一時的に所属事務所をやめ、キャバ嬢の仕事をせざるを得なくなったことにある。
つまり彼女は、彼女個人の問題ではなく、藤崎家全体の貧困によって一時的に芸能活動をやめざるを得ず、それによって恋人という精神的な支えを失い、うつ病になり、自殺未遂におよんだ。
そして彼女がキャバ嬢として働かざるを得ない原因となった、藤崎家の借金は、藤崎家の知り合いの保証人になった結果だ。つまり、貧困家庭どうしの貧困の連鎖なのである。
貧困家庭が、一般的な経済水準の家庭からなる共同体から疎外されているがゆえに、貧困家庭がさらに別の貧困家庭をさらに困窮におとしいれる。このような構図があるのだ。
多額の債務を背負ったとき、違法な取立てについて、消費生活センターに相談するなどの知識がなかったこと。また、そういうアドバイスをしてくれる知人が周囲にいなかったこと。これも貧困家庭が疎外されていることを示している。
上原美優さんは自分の貧乏をネタにしていたわけだが、本書を読むかぎり貧困家庭にとって、貧乏そのものより、社会から仲間はずれにされることの方が致命的であることがわかる。
上原美優さん自身、本書の最後の方で自分のことをバカだと卑下している。おそらく一時期、いちばん大切なはずの母親を憎んだことへの自責の念もあるのだろう。
ただ、じっさいには藤崎家全体の教育水準の低さと、その結果による経済水準の低さがもたらした悲劇であって、彼女個人の問題ではない。
彼女だけでなく、藤崎家の人たちが、それぞれに自分の問題を自分の責任だと考えているとすれば、それこそまさに貧困家庭が社会的に孤立した結果の悲劇である。
せめて藤崎家が適切な専門家に相談できるよう、誰かが外部から支援の手を差し伸べていれば、今回の上原美優さんの自殺は防げたかもしれない。
別の言い方をすれば、藤崎家を支援するのに必要だったのは、上原美優というタレントを「貧乏アイドル」としてもっと売れるようにすることではなく、藤崎家の10人兄弟のうちの誰かに、行政などの支援を得るための知識や情報を与えることだった。
世の中には無知で孤立した人間を騙して、金銭を搾り取ろうという狡猾な人間はたくさんいる。
そういう人間の犠牲にならない知識や情報を仕入れるルートを確保しなければ、かりに上原美優さんが今回の自殺も未遂に終わっていたとしても、芸能界を引退したあと幸福な結婚生活を送ることも難しいままになる。
上原美優さんが亡くなったあとの藤崎家にも、社会的孤立と経済的困窮の問題が残ったままになる。
40年前の日本なら藤崎家のように極端に貧しい家庭であっても、そういう家庭どうしが助けあう共同体が、まだ残っていたかもしれない。
ところがいまの日本では、貧困家庭は社会から孤立し、社会を生き抜いていくための知識や情報も遮断されるのだ。
上原美優さんの自殺は、地域共同体が崩壊した後の日本社会の、一つの悲しい帰結だ。グラビアアイドルが個人的な悩みから自殺した、というだけでは済まされない問題をふくんでいる。

上原美優さんの自殺の原因を推測する

今日最も重要なニュースの一つは、上原美優さん(本名:藤崎睦美さん)の自殺だろう。まずはご冥福をお祈りする。
以下、筆者の単なる推測なので、事実であるかのように転載、ツイートするのは控えて頂きたい。
自殺の直接の原因は、おそらく昨年2010/03/29にお母様が心筋梗塞で亡くなったことを引き金とするうつ病だと考えられる。

今日のニュースで流れていた過去のインタビュー映像でも、彼女は、テレビに出演するときはいつも母が見てくれていると思うからこそ頑張れた、という意味のことを話していた。
10人兄弟の末娘である自分に、実はさまざまなかたちで、周囲の友人たちより年上の母親が自分を愛してくれていたのを、上京してから知ったというから、その母親を失った喪失感は想像するにあまりある。しかも、彼女は仕事で母親の最後を看取ることができなかったらしい。
母親がいなくなったことが、彼女に決定的なうつ病を引き起こしたとすれば、その背景にあったのは、事務所の方針と彼女の考え方のズレが埋められないほど大きくなってきたことではないか。
「貧乏アイドル」としてブレイクした当初、事務所は上原美優さんの過去の貧乏生活のうち、テレビで「ネタ」にできる無難な部分だけを売りにしたのだろう。
上原美優さん自身も、名前が売れて実家の生活を助けられるのなら、自分の過去の貧乏生活をネタにするくらい、それまでやっていたキャバクラ嬢の仕事などに比べれば何でもないと思ったに違いない。
しかし、貧乏アイドルとしてテレビ出演の機会が増え、それなりの収入を得るようになると、貧乏を売りにしながら、現実には豊かな生活を送れる自分の二面性に矛盾を感じるようになったはずだ。
2009/05出版の自叙伝は、たしかに事務所に合意した上での執筆だったのだろう。
ただ、今日のニュースで流れていた出版時の会見によれば、高校時代に性暴力をうけたと思われる体験や、2007年の睡眠薬の大量服薬による自殺未遂など、もはや単なる「ネタ」ですまされない重い事実については、事務所の反対を押し切って出版にふみ切ったという。
事務所はあくまで「ネタ」になる限りで、彼女自身のタレントとしてのイメージをこわさない限りで、彼女が公に過去を語ることは許したが、彼女自身が一人の女性として過去を告白するところまで行くのは、本当は何としてもやめさせたかったのではないか。
少なくとも事務所としては、ブレイクしたばかりの段階で、まだそうするには早過ぎると考えたのではないか。
それでも上原美優さんが、自分の過去の暗い側面についても執筆し、出版することを押し切ったのは、そう決意させるほどまで、貧乏アイドルという「売り」と実生活の豊かさの開きが大きくなりすぎていたのだろう。
さらに、上原美優さんが、自分の貧乏というマイナス面を売りにすることに対して、ブレイクした後、いまふり返れば急速に自分を責めるようになったのは、もともと彼女の自己評価が低かったことが原因になっていると思われる。
彼女の自己評価を不当に低くしたのは、子供のころ貧乏だったことよりも、それに起因する学校でのいじめと、性暴力の被害らしき体験だろう。女性が性暴力をうけてなお生き延びることの困難さを痛感させられる。
デビュー前から自己評価が低かった彼女が、自分の暗い過去のうち無難な「貧乏」という部分で社会に認められ、その部分を生活するための手段として利用するようになった。
良い意味でも悪い意味でも、自分のアイデンティティーである「貧乏」という過去を、生活の手段にすることに、上原美優さんが自責の念を抱くようになるのは、時間の問題だったといえる。
そして、その自分で自分をだますような、自分を責めざるをえないような芸能活動の唯一の支えであり、理由づけだった母親を、彼女は失ってしまった。
その結果、根が真面目だったに違いない上原美優さんは、無難な部分だけでなく、自分でさえも忘れたい過去も含めた、まるごと一人の人間として、芸能活動をしなければ、自分自身や母親に申し訳ないと思うようになる。
それでも現実のタレント活動では、つねに明るくさわやかなイメージを売らなければいけない。
お母さまが亡くなったことで、自己欺瞞的なタレント活動の唯一の支えを失ったと同時に、芸能界という表の顔と、ある意味で陰惨な自分の過去の落差を、ますます強く感じざるをえなくなった。
上原美優さんは、もしかすると、このまま芸能活動を続けても、そのギャップは広がる一方だろうと、絶望したのかもしれない。
かといって、自分にはシリアスな女優として活躍するほどの力もない。同じ事務所からはつぎつぎと新しい女性アイドルが出てくることで、もともと「貧乏」というマイナスイメージを逆手にとっていた自分は埋もれてしまうかもしれない。
最愛の母親を失った結果のうつ傾向が、上原美優さんが将来を悲観する気持ちに拍車をかけてしまったのかもしれない。
ふつうの会社員なら、しばらく休養をとることでまた仕事を続けられるだろうが、彼女のような、歌手でも役者でもない、バラエティータレントが活動を休止すれば、芸能人としては致命的だ。
せめて、芸能人をやめて故郷に帰る決断をするだけのエネルギーが、彼女に残っていたらと悔やまれる。故郷に帰っても、貧乏を売りにした元芸能人ということで、周囲に白い目で見られるのではというところまで悲観していたのだろうか。
何ともやりきれないニュースだ。
*2011/05/18 この記事について訂正の記事を書きました。
>>「上原美優さんの自殺は貧困家庭の社会的疎外の問題」

『全国こども電話相談室・リアル』を初めて聞いた

今朝いつもより起床時間が遅かったので、偶然TBSラジオの『全国こども電話相談室』を聞いたのだが、愕然とした。
『全国こども電話相談室』と言えば、「お姉さん」が司会で、各界の著名人が「先生」として登場し、子供たちからの微笑ましい疑問に苦笑しながら答えるといった、日曜日の朝にふさわしい、ほのぼのした番組、という印象しかなかった。
周知のことかもしれないが、いまは『全国こども電話相談室・リアル』という題名になり、子供たちからのいじめや家庭の事情など、極めて深刻な悩みの相談にのる内容に変わっていたのだ。
いやぁ、正直いって、かなりショックだった。
こういう番組はドリアン助川が司会者をやっていた『正義のラジオ!ジャンベルジャン』のように深夜時間帯にやるものだという先入観があった。
『全国こども電話相談室・リアル』は自殺念慮をもつ子どもからの匿名メールにも対応し、「アフター」という名前で、一度相談にのった子どものその後の経過までフォローする。
『正義のラジオ!ジャンベルジャン』に比べれば、子どもへの対応がパッケージ化されているが、相談内容の深刻さは変わらない。
こういう番組が日曜日の朝に放送できるほど、子どもの抱えるストレスや自殺念慮が、いわば「市民権」を得てしまっていることがショックだった。
学校でいじめを受けたり、日常生活で「ストレス」を受けて、死にたいと思う子どもが存在することが、いたって普通の社会になったということだ。
そして番組の中で、相談をよせた子どもにくり返し言われるのが、「できることを、できる範囲で、でもあきらめない」というフレーズ。まるで、うつ病患者に対するカウンセリングだ。
単純に「がんばれ」とは決して言わない。逆に、問題解決のために何かやらなきゃいけないと、子どもたちが自分を追い詰めないように、細心の注意をはらいながら番組は進行する。
「がんばれ」と言われると、自動的に追い詰められてしまうような社会を生きなきゃいけない今の子どもたちは、端的に不幸だ。
同時に、学校の先生にも親にも打ち明けられず、ラジオ番組に匿名でメールを送ることでしか救われない子どもたちの閉塞感も、何て不幸なことだろう。
この『全国こども電話相談室・リアル』を聞きながら、ふと思い出したのが東京都の青少年保護育成条例だ。
あの条例は、子どもの健全な育成と、子どもがポルノで性的搾取をうけないようにすることが目的だったはずだ。
しかし、『全国こども電話相談室・リアル』のような番組を聞いて、本当に子どもを健全に育てたいなら、先にやるべきことがあるだろ!と思った。
ポルノで性的搾取をうける子どもがいるとすれば、子どもをそうしたものに出演させることを許すような環境に、先ず問題をさがすべきだ。
そういう環境を作り出しているのは、義務教育の硬直的なしくみや、育児中の親を孤立させる状況などかもしれない。
子どもがポルノを見て「不健全」に育つ心配をするより、子どもが学校でいじめられたり、親から不適切な育児をされたりして「不健全」に育つ心配をする方が、明らかに子どもの「健全」な育成に有効なはずではないか。
都知事のように、自分の価値観は絶対に正しいと勘違いしている独善的な大人が、公的な組織の重要な地位を占めているからこそ、子どもにとって非常に生きづらい社会ができているのではないのか。
『全国こども電話相談室・リアル』という番組を製作している方々には、頭がさがる思いだ。この番組を通じて一人でも多くの子どもが、自暴自棄になったり自殺したりすることを思いとどまってくれれば良い。
ただ、石原慎太郎のように、子どものためと言いながら、公的権力を私物化して、個人的な価値観を市民に押しつけるような大人が子どもを「支配」する限り、救われない子どもたちは増えつづけるだろう。

中国のネット自殺事件の記事翻訳:男子大学生の遺書

中国で個人的に注目したいニュースがあった。ネットではいちばん早い報道、2010/10/22 06:38付けの杭州網のニュース(新聞『都市快報』の転載)を翻訳してみた。(誤訳があればご指摘お願い致します)
僕の感想は改めて書くことにする。他人事とは思えない、中国の1990年代生まれの若者の考え方を感じ取って頂ければと思う。最後には自殺を既遂した藩君の遺書が掲載されている。
なお「QQ群」というのは、中国で有名なQQというチャットソフトのグループ・チャット機能で、テーマ別にユーザが自らチャットルームを開設し、他のユーザも自由に参加できるサービスのことだ。
「二人の若者がQQ群で約束して自殺 死亡した若者の両親が監督不足で騰訊を訴える」(2010/10/22 06:38)
QQを通じて2人の若者が自殺を合意。炭を燃やして一酸化炭素中毒自殺をはかるも、1人は未遂、1人は死亡した。
死亡した若者の両親が、未遂の若者と、QQを運営する騰訊を相手に、28万元(約340万円)賠償金を求める訴訟を起こした。
弁護士は両親に対し、類似の裁判は前例がなく、関連法規も不明確なため、勝訴の確率は低く、賠償金を一銭も得られず、訴訟費用だけを負担するおそれもあると強調。
しかし両親は、お金のためではなく、まだ生きている子供たちのためとして、訴訟を断行。彼らは訴状の中で「子供たちを救って!!!」と述べている。
昨日午前(2010/10/21午前)麗水市蓮都裁判所は、本件を新しいタイプの民事案件として審理した。
法廷弁論1 合意自殺
原告
22歳の張君は「死亡QQ群」(チャットソフト上のチャットグループの名称)に携帯電話番号とともに、自殺の誘いを発信。
2010/06/22、上海の大学に通う20歳の藩君はこれを見て、張君に連絡、列車で張君の住む麗水に行き、2010/06/24麗水の某ホテルで木炭を燃やして自殺をはかる。
張君は苦痛に耐えかねて自殺行為を途中で放棄し、一人ホテルを出た。
原告弁護人は法廷で、藩君が事前に自殺念慮を持っていたことを否認しなかった。藩君がQQ群で自殺したいと書き、自殺方法について話し合ったのは、単なる空論ではなかった。しかし、張君は自分の電話番号を書き留め、方法を具体化し、明らかに主導的に行動した。
張君の誘いを受けなければ、藩君は一人で麗水に行っても、自殺用の木炭を買う場所、皿、アルコールなどの工具を自分で買う方法を知らず、そもそも自殺できなかったはずだ。
被告
被告弁護人は、藩君の方が更に主導的だったと述べた。
藩君は自ら張君に電話をかけ、張君に上海まで来て自殺しようと誘ったが、張君が「遠くて費用がかかり過ぎる」と拒否されたため、自ら麗水に行った。
麗水へ行く途中、張君に何度もショートメールを送ったが、張君は多くを語らず、ただ「駅で待ってる」と言っただけだが、藩君は自殺の準備の状況を張君に質問しつづけていた。
藩君は麗水に着いた後、二人でチェックインし、二人でスーパーマーケットに自殺用具を買いに行った。二人は決して主従関係になかった。
しかも藩君のQQチャット記録によれば、藩君は2010/06/08に既に自殺念慮を持ち始めていることが分かり、しかも多くのQQ群で自殺の誘いを発信している。2010/06/23、藩君はQQ上のハンドルネームを「亢龍有悔」から「向往冥界」に変更し、自殺願望を強く表現している。彼は張君と偶然出会ったに過ぎず、彼の自殺念慮の方が、張君より大きかった。
法廷弁論2 相手の自殺行為を阻止したか否か
被告
張君は午後5時頃ホテルの部屋を出て、夜8~9時頃まで、ずっと藩君とショートメールで連絡をとり続けた。部屋を出る前、張君は水をかけて皿の木炭を消火し、藩君をトイレから引きずりだそうとした。
藩君が送信した最後のショートメールは次のとおり。「聞いて。8時前に木炭とアルコールを持って来なければ、警察に通報する、お金がないし、耳鳴りがする、生きることも死ぬこともできない、見てて」
このショートメッセージを読んで、張君は、当時ホテルの部屋の中のアルコールと木炭が不足しており、藩君の自殺の可能性はもうなくなったと思った。
かつ当日夜10時52分、張君は藩君に電話するが誰も出ず、すぐにホテルのフロントに電話し、人が自殺した可能性があると告げた。
ホテル従業員が部屋に着くと、部屋は外から施錠され、トイレの隙間がテープで目張りされているのを発見し、張君が部屋を出た後、藩君が二度目の目張りをし、二度目の自殺行為に及んだと説明した。
原告
同じく最後のショートメッセージについて、原告弁護人も、藩君の自殺の決心がやはり堅かったことが分かると解釈した。
藩君が何度も電話をし、ショートメールで張君に部屋に帰って一緒に自殺を続けるよう要求した。張君はホテルを出て2時間後、既に自殺の意思がなく、藩君の自殺を阻止するつもりだったが、藩君の自殺を防止する有効な措置をまだ取れなかった。
最終的に藩君の自殺を成功させた道具は、木炭、アルコール等で、すべて張君と藩君が一緒に購入したものだ。
藩君は張君の幇助の下、自殺に成功した。
法廷弁論3 騰訊に「監督不足」の責任があるか否か
被告
昨日騰訊から出廷したのは、同社法務部の社員2名。
彼らは次のように語った。QQはリアルタイムのポイント・トゥー・ポイント・チャットソフトで、現在約5億ユーザと、膨大な量の情報を有し、当社にコントロール能力はなく、ユーザが発信したメッセージをリアルタイムに審査することは難しい。かつ、違法な情報についてのみ、遮断する義務を有する。
「自殺」という言葉は、ニュートラルな言葉であり、あらゆる刑事事件やテレビドラマに出てくるため、遮断することはできない。
原告
原告弁護人は、公開QQ群は誰でも参加でき、ポイント・トゥー・ポイントとは言えず、騰訊はQQ群サービス開始後、危険で有害な情報をコントロールする能力も義務も有する。彼らはコストをかけてコントロールの任務を強化しなかっただけである。
弁護人の主張
合意自殺の蔓延を防止する法規を整備すべき
昨日(2010/10/21)の審理には、張君も藩君の両親も出廷しなかった。
張君が出廷しなかったのは、精神的に非常に不安定であり、その後すぐに再度自殺未遂したためだ。
実際、藩君と合意自殺する前、張君は一人で二度自殺未遂している。うち一回は母親に見つかって阻止された。
昨日(2010/10/21)、都市快報の記者が張君の母親に連絡したところ、しばしの沈黙の後、泣きながら語った。「今は天にすがっても、地にすがっても、誰も助けてくれないんです。分かりますか?」
藩君の実母と継父はメディアを避けている。原告弁護人によれば、原告の家庭状況は比較的裕福なため、今回の訴訟の勝敗は、金銭のためではないとのこと。藩君の父親は、張君の誘いがなければ、自分の子は死ぬことはなかったと、ずっと思っている。我が子のことなので、彼らはネットのあちこちを調べ、ネット上に「合意自殺」の情報が非常に多いことに気づいている。
張君の両親のために、原告弁護人は今回の訴訟を通じて、社会と法曹界に以下のように主張することを決心した。
「現在ネット上で流行している「合意自殺」は、日本や韓国などで既に法律が整備されている。我々がこの勢力の蔓延を許せば、何人の子どもがさらに死んでいくか分からない。藩君が亡くなる一か月前にも、麗水では2人の子どもが合意自殺で亡くなっている!」
1990年代以降生まれ世代の自殺の軌跡
藩君は自殺する前、上海海事大学法学部一年生で、家庭環境は良く、外見も良かった。
このような世間の目には快適な生活を送っている子どもが、なぜ死にたいという決意を堅くしてしまうのか?
彼を産んだ両親は離婚したが、継父との関係は良好だった。継父は自分の実子より藩君に良くしていたという。藩君の遺書も継父にあてて、彼の惜しみない愛に対する感謝が書かれていた。
彼の両親の心の中では、彼は良い子であり、自分の子どもが以前から自殺念慮を持っているなどと思いもしなかった。
彼は一体なぜ自殺したいと思ったのか?藩君はもう答えられない。
しかし、彼は遺書を残し、人生最後の日に、合意自殺をした張君と少しおしゃべりもした……
張君の供述
ホテルの部屋に戻った後、僕らは火の着いた木炭の皿をトイレに運び入れ、透明なテープでトイレの目張りをした後、トイレで食事しながらしゃべって、死の時が来るのを待ちました。
彼が自殺したいと思った原因は、僕と同じで、自分が取るに足りないものに思えたことです。
彼は言いました。もともと中学の時、彼女がいたけれど、その後別れた。彼女は同済大学に合格し、彼も同済大学と交通大学を目指していたけれど、どちらも不合格で、自分が彼女に釣り合わないと思った。彼は失語症ぎみで、人とあまり仲良くできないと言っていました……
でもしばらくすると、僕は呼吸困難になって、喉が熱くて苦しくなり、頭が激しくズキズキして、それでトイレのドアを開けて言ったんです、「僕らは自殺しちゃいけない、体がもたない」って。
彼は首を横に振って、便器にもたれたまま同意しませんでした。僕は彼をトイレから部屋の床の上に引きずり出して、皿の中で燃えている木炭を水をかけて消しました。
彼は僕に言いました。「なぜ僕を助け出すんだ、僕に死ぬ権利をくれないのか」と。
僕は言いました。「君は大都市に生活して、良い学校に通い、外見も良い、良いことじゃないか。僕も出てこられた。君を死なせたくない」
でも彼は言ったんです。「それなら生きて帰るがいいさ、もう会えないだろう」
僕が彼になぜ会えないのかと尋ねると、彼は言いました。彼は学校から一日しか休みをもらっていない。今帰っても、金曜日も講義に出なければ、教授たちに分かってしまう。僕は、じゃあなぜ最初から週末にしなかったんだと言いました。すると彼は、週末は内に帰らなきゃいけないからだ、と言いました。
およそ半時間経つと、彼は私にもう一度死なせてくれと言い、僕は恐くなって、逃げ出しました。
木炭とアルコールを持ってきて欲しいという、彼のショートメッセージを受信しましたが、僕は戻りませんでした。その後、彼は僕に電話してきて、ショートメッセージを受信したか聞いてきました。僕は話をしませんでした。彼は「僕を一生恨むといい」と言ったまま電話を切りました。
僕はその時、警察に通報することを全く考えつきませんでした。電話で彼を励ませばいいと思っていました。
藩君の遺書
「母さん、本当にごめんなさい。混乱させてしまうけれど、でもこれ以上生きても、本当に重荷なんです。母さん父さんの献身と期待に釣り合いません。上海に行って、甘やかされることに慣れてしまって、昔の鋭気を無くしてしまいました。
J(以前の彼女と推測される)、ありがとう。僕は本当に君の重荷になりたくない。僕のことは忘れな。高校のとき、僕が交通大学への”突撃”を選んで以来、僕は君に釣り合わなくなってしまった。
Lおじさん、あなたをお父さんと呼ばなかった僕を許してください。あなたの無償の愛に感謝しています。でも、あなたは本当に僕にはもったいなすぎました。
藩家のみなさん、ごめんなさい。僕はついに自立することができず、結果的に逃げることを選びました。小さい頃から大きくなるまで、僕の教育に対して、一つ一つアドバイスをくれました。僕はまともな価値観も持てないまま、自分がもう子供に戻れないことを知るだけでした。その結果、大叔母さんの後を追う決心をしました。仕方ありません。僕の頭の中にもずっと、あの大叔母さんのような陰鬱な考えがあるんです。
人生は実際にはペテンで、最後の最後に、一番重要なことが、全ていちばんどうでもいいことに変わってしまい、何もかもがなし崩しのこの時代に、僕は自分の価値観も見出せず、自分の信仰も見出せず、魂も失い、ただの腰抜けになってしまいました。これでは前途は暗澹たるものになる運命と決まっているんです。」

「新型うつ」に「未熟」という形容詞をつけたニュースに納得

今朝のニュースでNHKが「新型うつ」に「未熟」という形容詞をつけたのは、なるほどと思った。
大学以下の学校が「就職予備校」化しつつある今の世の中、企業が社員の「精神的な未成熟」(それが何を意味するかは別として)の面倒まで見なければいけないのは避けられないからだ。
日本の高度経済成長期が一段落して、「いい会社に就職するには、いい大学に」という考え方が日本社会にすっかり定着した。
そしていい大学に入るための、いい高校・中学に入るため、さらにいい小学校・幼稚園に入るための「お受験」が、マスコミによって社会的現象にまで増幅されたのは1980年代。
このあたりで、子供の教育はすべて「いい会社に入るため」になってしまい、教育のその他の面は二の次という価値観が確立されたと思われる。
一方、核家族化が定着した家庭内で育児をするのは、相変わらず母親であって、父親は育児に参加する時間的余裕などない。育児において母親が孤立し、子供の「精神的な成熟」は家庭と学校で押しつけ合いになる。
そこへ「グローバル化」を口実に、実質はアングロサクソン的価値観を日本社会に無理やり接ぎ木する新自由主義路線で、セーフティーネットのない、むき出しの成果主義が企業に導入された。
その結果、子供の「精神的な成熟」のような、一銭の金にもならないことは、家庭と学校と企業がお互いに押しつけ合う。
企業は単に株主向けのリップサービスとして、職場の多様性(ダイバーシティ)を叫ぶだけ。有休取得率や育児休暇取得率は、ほぼ横ばい。女性の管理職登用率も先進国中で最低レベル。
したがって、リストラで人員が減り、さらに多忙になった父親が、育児をかえりみる時間などない。育児を一人でかかえる母親も、頼りにできる地域コミュニティはない。
学校は学校で、新自由主義の自己責任の哲学のあおりを受け、教師に対する評価が露骨に「減点方式」になり、教育現場は逆に「事なかれ主義」が強化される。
大学も、ごく少数の高偏差値大学を除いては、少子化によって大学全入時代となり、卒業生がどれだけ良い就職をしたかで選別されるようになる。その結果、大学は「就職予備校」と化す。
さて、こうした社会で、子供が「精神的な成熟」をするチャンスが一体どこにあるだろうか。
さらに突っ込んで考えれば、いったい今の社会で「精神的な成熟」とは何を意味しているのか。
結局、いまの社会で「精神的な成熟」とは、職場の空気になじみ、突出した個性を持たず、長時間のサービス残業にも耐え、サプライチェーンの中で発注元が発注先を強烈なコスト削減圧力で公然といじめる、そういうサラリーマン社会に適用することを意味しているのではないか。
個人的に、こんなもの「精神的な成熟」とはとても呼べないと思う。人間の存在価値が経済効率だけにあるというのは、多様性もクソもない、極めて偏った価値観だからだ。
こういう意味での「精神的な成熟」ができない人間を、「甘えだ」と非難するのは、今の社会の価値観を何も考えず追認しているだけだ。
ただ、百歩譲って経済効率至上主義に滅私奉公するのが「精神的な成熟」とされるのは、仕方ないと認めたとしても、最終的に企業が「新型うつ」のようなかたちで、若者の「精神的な未成熟」のツケを払わされるのは、自業自得である。
もともと子供の教育環境を、「いい会社に入る」という目的に収斂させてしまったのは、企業が社員の採用時に学歴で足切りを続けてきたことと、バブル崩壊後、新卒社員の人材育成を企業間で押し付け合い、即戦力のキャリア採用にシフトした結果だ。
言い方をかえれば、企業が経済効率性の追求だけを考えていればいいと開き直っている限り、逆に、企業は「新型うつ」などのかたちで、そのツケを払わされ続けることになる。
これは、典型的な合成の誤謬だろう。
それでも企業が、「『新型うつ』社員は職場の士気を下げるので困る」などと、経済効率性の追求をしつづけるなら、サラリーマン社会からはじき出された人々は、最終的に生活保護に頼り、結局、国民が税金のかたちでそのツケを払うことになる。
生活保護に頼らざるをえない人口の増加は、国内需要を長期低迷させ、企業業績も低迷される。やはり自業自得だ。
なので、「新型うつは単なる甘えだ」とほざく人々は、自分がこの問題と無関係な安全地帯にいるという幻想を抱いているだけだ。
こうした人々の非難の声が強くなればなるほど、呼び名は「新型うつ」でも何でもいいのだが、とにかく現状のサラリーマン社会に適応できない人々は増えつづけ、結局、生活保護などのかたちで、社会で養わざるを得なくなる。
こういう状態は、社会全体の自業自得、マッチポンプ状態であり、「新型うつ」患者に石を投げても何の解決にもならないことは明らかだ。
ただ、この問題を解決する「劇薬」は存在する。それは僕が以前からこの「愛と苦悩の日記」に書いているような、「自殺(尊厳死)の制度化」だ。
社会が現状を変えようという意思を持たず、自己正当化を続けるなら、そこからはじき出された人々に、生活保護だけでなく、物理的に社会から退場する選択肢を与えるべきである。それが「自殺(尊厳死)の制度化」だ。
そうすれば、「新型うつ」の人々も、病気で苦しむことに「ムダ」な時間を費やすことなく、さっさとあの世に行くことができる。
「新型うつ」の人々や、電車に飛び込んで自殺する人々に対して、「いい迷惑だ!」と石を投げる社会は、そうした人々を送り込む「収容所」や「ガス室」を望んでいる社会だということを、認めるべきではないか。
そんな社会が、果たして「良い社会」と言えるのかどうかは、はなはだ疑問だが。