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日本のGDPR十分性、欧州データ保護会議の意見を受けた欧州議会の厳しい決議

恥ずかしながら下記の方のツイートで気づいたのだが、欧州データ保護会議(EDPB)の意見に対して、2018/12/12にすでに欧州議会(European Parliament)で決議がなされていたようだ。その内容がかなり厳しかったので、確認しておく。

日本の十分性認定については、EDPBの意見書をうけて欧州議会(European Parliament)で2018/12/11に、日欧間のEPA、経済的パートナーシップ合意、戦略的パートナシップ合意の決議とともに議論された。

こちらが2018/12/11の議事

議事のうちEPAについては、こちらにあるように2018/12/12に採択されている

日本のGDPR十分性認定については、こちらの文書が採択されている

この文書の結論として、日本のデータ保護の法的枠組みが、欧州のデータ保護の法的枠組みと本質的に同等な十分な保護レベルにあることを示すために、2018/12/05に欧州データ保護会議(EDPB)が指摘した点も含めて、欧州委員会(EC)にさらなるエビデンスと説明を要求している。

要するに、日本のGDPR十分性認定の手続きは、EPAとは別のテーマとして、まだ欧州委員会、欧州議会の間でまだ続くということだ。

エビデンスと説明が不十分だと言っているだけなので、却下されることはないと思われるが、この採択文書の第24項では、こちらの「THE UNTOLD STORY OF JAPAN’S SECRET SPY AGENCY」(The Intercept 2018/05/19)という記事が触れている、NHKの報道、『日本の諜報 スクープ 最高機密ファイル』(NHKスペシャル 2018/05/19初回放送)に対する懸念が含まれていたりする。

日本のGDPR十分性認定の草案に、無差別な大規模監視のことが言及さえされておらず、この大規模監視が欧州司法裁判所の過去の判例の基準を満たさないことについて「seriously worried」非常に懸念していると書かれている。

その他、この採択文書は相当数の論点にふれており、どうやら日本の十分性認定が採択されるまでの道のりは長そうだ。

GDPRの日本の十分性認定、欧州データ保護会議(EDPB)が欧州委員会(EU)に追加改善要請

2018/12/05にEDPB(欧州データ保護会議)が欧州議会から諮問をうけていた日本の十分性認定決定の草案についての意見を採択した。

‘European Data Protection Board – Fifth Plenary session: EU-Japan draft adequacy decision, DPIA lists (DK, HR, LU, and SI), and guidelines on accreditation’ (European Data Protection Board 2018/12/05)

全体が婉曲な表現で一回読んだだけでは理解しづらいが、「相当数の懸念が残っている(a number of concerns remain)」ためすんなり承認とはならなかったようだ。

以下、日本語試訳する。

EDPBメンバーはEDPBが2018年9月に欧州委員会から受領していた、EU~日本の十分性決定草案についての意見を採択した。EDPBは欧州委員会から入手した文書をもとに評価をおこなった。

EDPBの重要な目的は、日本の枠組みにおける個人データ保護の十分性のレベルについて、欧州委員会が十分な保証があることを確認しているかを評価することだ。

EDPBは欧州委員会と日本の個人情報保護委員会が、日本と欧州の法的枠組みを収れんさせるべく行った努力を歓迎する。2つの枠組みの間のいくつかの差異を橋渡しするために、「補完的ルール」を定めることで改善された点については、非常に重要であり、受け入れることができる。

しかしながら、欧州委員会の十分性草案と日本の個人情報保護枠組みについて、その後注意深く分析し、相当数の懸念が残っていることに気づいた。EUから日本に移転された個人情報の保護のライフサイクル全体などである。

EDPBは欧州委員会に対して、EDPBの求める明確な説明に対応するとともに、提起された問題点についてより踏み込んだ証拠と説明を提出するよう、また、実効性をもって実施されるかを注意深く監視するように勧めた。

EDPBはEU~日本の十分性決定が最高度の重要性をもつと考えている。GDPR実施後の最初の十分性決定として、これが前例になるためだ。

最初の1文「The Board Members adopted an opinion on the EU-Japan draft adequacy decision」が紛らわしいが、十分性決定(十分性認定)の草稿を採択した、のではなく、草稿に関する意見を採択しただけだ。

EDPB(欧州データ保護会議)が欧州委員会に対して正式な意見を提出しただけのことで、十分性決定の草稿そのものを採択したわけではない。

EDPBは、「相当数の懸念(a number of concerns)」があるとし、それについて欧州委員会に「より踏み込んだ証拠(further evidence)」や説明を求めている。とくに指摘事項になっているのは、EUから日本に移転された個人データのライフサイクル全体(throught their whole life cycle)での保護である。

EDPBは十分性認定の草稿を却下したわけではないが、日本側に追加対応を求めていることになる。

中国と日本の言論の自由の差は程度の差でしかない

ツイッターで風刺ツイートをした中国大陸の女性が、一年間の強制労働を命じられたという報道があった。
情報源の英国BBC中国語ニュースはこちら「中国女推友推特一句話被判労教(中国の女性ツイッター利用者がひとことのツイートで労働教育の判決)」(2010/11/18 14:54 GMT)
ITmedia Newsのページはこちら「風刺ツイートをRTした中国の女性、強制労働命じられる」(2010/11/19 19:12 JST)
僕がこのニュースを知ったKinbricks Nowのページはこちら「中国政府のツイッター弾圧=たった5文字のつぶやきで1年間の勾留」(2010/11/20)
当然、英国や日本の報道では、この中国人女性がいくら中国大陸の反日デモをはやし立てるようなツイートをしたからといって、それだけで一年間の労働教育の判決を下した中国政府の決定は非人道的だ、という主旨になる。
たぶん、ほとんどの欧米人や日本人は、そういう主旨でこの報道を解釈すると思う。
僕も確かに中国司法当局の判決は不当に重すぎると考え、いつも中国大陸から敏感詞というプロキシーサイト経由でツイッターに入って来ている、中国人のネット友達に、「ツイッターでツイートするときは、注意してね~」と、あえて軽いノリで、上記の英国BBCの中国語ニュースのページのURLを教えてあげた。
すると返ってきた3つの返信が、3つとも全く予想に反する内容だったので、驚いてしまった。
彼らは3人とも、この女性を、冗談にも反日デモに参加した「憤青」、つまり日本で言えば極右・極左思想の若者を扇動したのだから、彼女も「憤青」と同じく、反社会的人物だと解釈していたのだ。
なので、彼女が労働教育の刑に処せられたのは当然であり、僕たちは彼女のような反社会的なことを、ツイッターで軽々しくつぶやかないように注意するよ、アドバイスありがとう、という意味の返信をしてきたのである。
同じ中国人女性歌手のファンどうしとして、今までおたがいに理解し合っていると思いこんで、ツイッターや、中国のマイクロブログ「新浪微博」で楽しくやりとりしてきたけれど、こんなところで根本的な見解の相違に出会うとは思いもしなかった。
中国大陸で、普通の市民生活を送っている普通の中国人にとって、反日デモを冗談にもあおるような発言をするのは、端的に反社会的行為なのであって、そんな発言は言論の自由の行使と見なされないのだ。
もちろん上述の中国人女性は、ツイッターで中国語にしてたった5文字、「憤青たちよ、やっちゃえ!」(Kinbricksさんの上記引用ページから)とつぶやいだだけで、実際にデモの破壊的行為に参加した訳ではない。
なので、欧米や日本の基準からすれば、彼女を勾留した中国政府の決定は、明らかに言論の自由に反する。
しかし、中国大陸で普通に生活している中国人からすると、たった5文字のツイートであっても、日本で言えば極左団体が皇居にお手製のロケット弾を打ち込んだくらいの破壊的行為に見え、かつ、そのように見てしまう自分たちの判断基準に何の疑問も持っていないのだ。
これを中国政府による、社会秩序を維持するための一種の「洗脳」教育の見事な成果と見るのはたやすい。
しかし、言論の自由が、まったく自由のない状態から完全な自由まで、仮にさまざまな段階があるものだとすれば、日本人もこういう普通の中国人の反応に、「だから中国っていう国はダメなんだ」と無条件に非難できる立場にあるかは微妙だ。
というのは、日本における言論の自由の度合いが、果たして世界に誇れるほど自由かと言えば、決してそうではないからである。
記者クラブ制度などがその最たるものだが、普通の日本人の情報リテラシーは欧米ほど高くはないので、メディアがきれいに枝葉を剪定して送り出す情報を、いとも簡単にうのみにしてしまう。
大多数の日本人が、マスメディアが右と言えば右へ向かうし、左と言えば左へ向かう。関東圏ではみのもんた、関西圏ではやしきたかじんなどといった、声の大きなタレントを、良識派の言論人として、いとも簡単に受け入れてしまう。
こういう普通の日本人と、反日デモをはやし立てた女性を当たり前のように反社会的と見なす普通の中国人の間には、程度の差しかない。
たしかに日本では、政府が明示的に一年間の労働教育のような言論弾圧をすることはない。
しかし、草の根的に、地域コミュニティーや、学校内・職場内のコミュニティーから、「いじめ」や「肩たたき」などによって、事実上はじきだされる。
そうした「村八分」的な私刑(リンチ)や、「自粛」という名の暗黙の了解による言論弾圧の伝統が、日本にはれっきとして存在する。
つまり、異質な言論に対する弾圧が、中国では公権力によって明示的に行われるが、日本では多数派の暗黙の空気によって行われる。
極端な逆説をあえて言おう。
言論弾圧が起こったとき、中国なら「中国政府が悪い!」と明確に中国政府を指させるだけ、まだましだ。犯人がはっきりしているから。
ところが日本では、「村八分」や「自粛」による言論弾圧が起こったとき、誰を指させばよいか分からない分、中国の言論弾圧より始末が悪い。
…という具合に、あえて「日本に本当に言論の自由なんて存在するのか?」と疑ってみることで、普通の中国人のこのニュースに対する反応も理解することができる。
僕ら日本人は、ヤクザまがいの恫喝で、無実の人間を犯罪者に仕立て上げる技術を駆使する警察が、治安を守っている国に住んでいることを忘れてはいけない。
中国と日本の言論の自由の差は、単に程度の差でしかなく、日本では言論の自由が完全に保証されている、などという考えは、おめでたい幻想に過ぎない。

イランのサキネさんの死刑に日本人や中国人は反対する資格があるか?

死刑のお話。日本人が他国の死刑執行について意見する資格があるのか、ということについて。
中国のTwitter(ツイッター)にあたるマイクロブログサービス「新浪微博」で、中国の有名女性歌手・女優をフォローしていると、ときどき同じニュースに別の人が同時に意見するので面白い。
実際には彼女らが同一人物をフォローしているだけなのだが、ついさっきも、イランで姦通罪で石打ちによる死刑を宣告されている、サキネという女性を助けようという署名活動を、レネ・リウ(劉若英)と小S(徐熙娣)の二人が同時に訴えていた。
ただ、この署名活動のウェブページはフランス発で、フランスではすでに死刑が廃止されている。レネ・リウと小Sの活動の本拠地である台湾は、日本と同様、死刑制度が存在している。
現に台湾では、死刑反対論の法相が、世論の批判をあび、総統からも見放されて辞任に追い込まれるということが、つい最近、2010/03に起こっている。
「死刑反対論の台湾法相が辞任 世論から批判」(朝日新聞)
日本でも最近、政権交代後に初めて2名の死刑囚の死刑が執行された。
ここからは僕個人の意見だが、姦通罪が死刑に価するかどうかは、純粋に各国の文化、価値観の問題である。イランはたまたまイスラムの宗教国家で、国家制度がイスラム教の考え方を基礎にして作られているのだろう。
死刑の手段の残虐性も、各国の文化や価値観による相対的なものだ。首まで地面に埋めて石で頭を叩く死刑と、日本で行われている絞首刑と、米国で主流となっているらしい薬物注射による死刑の、どれが最も残虐か、などと問うことはほぼ無意味だ。最終的には殺すのだから。
そうした各国の文化や価値観にまで、他国の国民が口を突っ込む資格はない。
しかし、今回のイランの件では、フランスはサキネさんの死刑に反対する資格がある。何故ならフランスは死刑制度そのものをすでに廃止しているからだ。
別の言い方をすれば、フランス政府やフランス国民は、イスラム教の考え方や価値観を批判することなく、イランに死刑制度が存在すること自体を批判することができるし、そのようにイスラムの考え方を批判せず、死刑制度の存在自体を問題にする方法で批判すべきである。
死刑制度が存在する中国・台湾や日本の国民は、残念ながらイランのサキネさんの石打による死刑について、個人として死刑廃止論者でない限り、反対することは出来ないはずだ。
僕は個人として死刑廃止論者なので、もちろんサキネさんの死刑にも反対する。同時に日本政府も一刻も早く死刑を廃止すべきだと考える。
僕が死刑廃止論者である理由は、死刑は一度執行したら取り返しのつかない刑罰なので、国家が国民を裁く司法において、国家が決して持ってはいけない「過剰な」権力だと考えるからだ。
今回の件についても、レネ・リウと小Sに、「中国・台湾の死刑制度についてはどう思いますか」と聞いてみたい気がする。
でも実際にそんなことを中国大陸にサーバーのある新浪微博でつぶやこうものなら、僕の新浪微博アカウントが知らない間にどうなってしまうか、予測もつかないので、やめておくことにする(汗)。
(※追記:あっ、ビビアン・スーも、フィッシュ・リョンも、イランのサキネさんの死刑反対署名を呼びかけた。。。汗)

alanとワールドカップについて考えたこと

alanの中国人ファンには書くなと言われたのだが、日本には言論の自由があるので書かせてもらう。
ご承知のように、昨日2010/06/19オランダ・日本戦があり、日本が惜敗した。僕個人はワールドカップに興味がない。ただ、オリンピックしかり、国際的スポーツイベントと国家主義は切っても切れない関係にある。
幸か不幸か中国チームはワールドカップに参加しておらず、中華圏の人々はどのチームを応援するのも自由だ。
先月、中国語2ndアルバム『蘭色~Love Moon Light~』の宣伝で中国へ帰国したとき、alanは中国最大の動画投稿サイトの一つ「優酷」の世界杯特別番組『大話世界杯』の取材をうけた。
そして「好きなチームは?」と質問されて、「オランダがとても好きだ」と明言している。僕はネイティブスピードの中国語は聞き取れないが、この動画を見れば、alanがオランダチーム大好きであることは分かる。
「大話世界杯第七期:掲秘明星的心水之隊」
ところが、僕はこのインタビューを知らなかった。
これに関連して、僕は中国の検索サイト「百度」のalan掲示板のalanファンの皆さんに謝罪しなければならないことがある。
僕は昨日の晩、いつものように「百度」のalan掲示板を読んでいて、alanファンのほぼ全員がオランダを応援しているのを知った。
alanが日本の芸能界でブレイクすべく地道に努力しているのに、やはりalanファンたちは中国人として、過去の歴史から、日本の応援はできないのだ。僕はてっきりそう思った。
しかし実はalan本人が、一人の中国人の女の子として、素朴にオランダチームのファンだとインタビューで答え、それで中国のalanファンはオランダを応援していただけのことで、別に反日感情からオランダを応援していたわけではなかったのだ。
昨晩のツイッターでは、こうした事情を知らない日本人のalanファンは、alanが日本を応援している前提で、alanやエイベックスのスタッフといっしょにツイッターで盛り上がっていた。
僕は、alanは日本人ではないのだから、オランダチームのファンなら、別にオランダを応援しても問題ないと思う。でも彼女は日本人ファンたちに気をつかって、昨日のツイッターでの「お祭り」で、自分がオランダのファンであることを一言もつぶやかなかった。
もしこれが、来日中の米国人女性新人歌手だったらどうか。「私はオランダを応援するわ」と言っても、日本人は何の文句も言わないだろう。
しかし、alanは中国人が日本で「私はオランダを応援する」と言うと、愛国心と反日感情からそう言っているのだと誤解されることを、既に知っている。だからわざと言わなかった。
ここまで一人の中国人女子に気を遣わせるほど、日本は同調圧力に満ち満ちた、多様性を許さない社会ということなのだろうか。
もっとも同調圧力や多様性を許さない空気は、中国人に限らず、日本人どうしのつぶし合いにも効果を発揮するけれど。