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冨高辰一郎『なぜうつ病の人が増えたのか』を読んだ

冨高辰一郎著『なぜうつ病の人が増えたのか』(幻冬舎ルネッサンス新書)を読んだ。

この本の主題は、製薬会社が先進諸国でSSRIの販売促進のために、うつ病の啓発活動を行うと、その後かならずその国のうつ病患者が激増するという不思議な現象だ。
といっても、上野玲氏のように、「だからうつ病は薬では治らない」という、せっかちな結論を出しているわけではない。もちろんSSRIという薬自体が、実はうつ病の原因だったというトンデモ都市伝説を書いているわけでもない。
製薬会社と広告会社が組んで、うつ病という病気の存在が社会に広く知られるようになり、さらに早期受診を促すことで、うつ病治療の間口が広がり、結果として、うつ病と診断される人数が激増した。それだけのことである。
精神科の専門医である筆者の冨高氏は、製薬会社によるSSRI販促キャンペーンと啓発活動を良しとはしないし、すべてのうつ病患者にSSRIを一律に処方することにも否定的だ。
しかし、一定の場合にはSSRIを処方する意味はあり、かつ、これだけうつ病の社会的認知が広まった日本で、いま本当に必要なのはうつ病患者の社会復帰の支援のための体制整備だと主張している。
富高氏の製薬会社批判は、じっさいに本書をじっくりお読みいただくとして、僕は冨高氏が触れていない論点に触れてみたい。
本書によれば、それまで横ばいだった日本の抗うつ薬市場が、急速に拡大し始めるのは1999年以降であり、これはGSK社のうつ病啓発キャンペーンの開始時期と重なる。
ところで、日本の自殺者数が3万人を超えたのは、ご承知のように1997年度末、つまり1998年3月以降だ。
GSK社によるうつ病啓発キャンペーンによって、うつ病市場が急激に拡大し始める前に、日本の自殺者数の急増が起こっていた。
深読みすると、GSK社が欧米先進諸国でのうつ病啓発キャンペーンの成功経験を活かし、日本市場へ乗り込もうと考えていたとすれば、日本の自殺者急増は「絶好のタイミング」だったに違いない。
何が言いたいかと言えば、以前この「愛と苦悩の日記」にも書いたが、その国の社会が何を病気と見なすかは、純粋に科学的・客観的な基準で決まるのではなく、その社会固有の恣意的な基準で決まるということだ。
以前にも書いた、極端な例を考えてみよう。
栄養状態がきわめて悪く、伝染病で毎年何万という人々が亡くなっているような発展途上国では、先進諸国基準でのうつ病は「病気」たりえない。したがって、仮に抗うつ薬が今の1/1000の値段であっても、全く売れないだろう、ということだ。
なぜ先進諸国でうつ病が「病気」と見なされるのか。それは「健康」な人に求められる仕事の難易度や、仕事の処理の速さ、メンタルな強さのレベルが、発展途上国に比べて高いからと言える。
なので、発展途上国なら許されるレベルの、気分の落ち込みや、仕事の能率の低下であっても、先進諸国の一般的な職場では許されず、治療の必要な「病気」と見なされる、ということが起こる。
日本におけるGSK社のうつ病啓発活動が成功し、抗うつ薬の売上が急上昇したのは、GSK社の戦略と日本市場の需要が一致したからであって、GSK社の啓発活動を、金儲け主義だと一方的に非難するのは、見当違いもはなはだしい。
先進国における労働者に要求される、ストレス耐性のレベルが下がらない限り、おそらく抗うつ薬の市場は拡大し続けるだろうし、いま急激な経済成長をとげている新興国は、製薬会社によって有望な抗うつ薬の新しい市場になるだろう。
たとえ抗うつ薬の効果の大半が偽薬効果であろうが、先進諸国ではうつ病治療そのものにまで効率性と速度が求められているのだから、うつ病患者が抗うつ薬に頼るのは、社会がうつ病患者に強制している選択と言える。

何が「病気」で何が「健康」かは社会の要求水準による

ふと思ったのだが、上野玲氏の「うつは薬では治らない」という主張には、2つの政治的文脈がありそうだ。
一つは、社会的権威である医師が病名をつけることで、逆に、患者が差別されるおそれがあるという考え方。
もう一つは、薄毛や禁煙まで健康保険を適用して医者が治療する流れに対して、単なる金儲け主義じゃないかと非難する考え方。
まず前者の考え方は、国家の権威による管理・支配からの弱者の解放という、いかにも左翼的な図式だ。個人的に大学生の頃かじったフランス哲学で言えば、J・P・サルトルやミシェル・フーコーなどをイデオロギー的に解釈した考え方。
例えば、ハンセン病患者が長らく隔離政策によってうけてきた差別などと同様、精神病患者を精神病と診断し、病院に隔離すること自体が差別であり、そうした権威による精神病患者の支配から、患者の主体性と自由を回復しなければならない、という考え方である。
たぶん、上野玲氏が執拗にうつ病患者の主体性にこだわるのは、うつ病患者は医師による管理という美名の下に実は差別されていて、うつ病患者の主体性と自由を奪還しなければならないという、やや時代錯誤な左翼的動機が背後にあるのではないか。
このような左翼的な考え方が、僕らの生きている現代社会では、もはや通用しないことは言うまでもない。
なぜなら、患者の主体性や自由をうんぬんする以前に、そもそも日本の近代社会が、西欧のように個人の主体性や自由を基礎に作り上げられたものではないからだ。
逆に、日本社会は、被差別者が権威に頼ることで解放されるという筋書きが、良くも悪くも成立してしまう社会だと言える。
そのために、一貫して維持されてきたのが天皇制で、占領軍もこの究極の権威を利用しなければ、戦後日本の占領政策が成り立たないことを知っていた。
なので、日本のうつ病患者が社会的な偏見から解放されるには、残念ながら医師による診断という権威に頼る方法がもっとも有効であり、社会的な説得力を持つことに違いはない。
こうした日本社会の権威主義体質を変えようというのは、最終的には天皇制の廃止に行き着く議論であり、無謀な試みだ。
上野玲氏のうつ病に対する極端な考え方が、やや滑稽に見えるのは、時代錯誤の左翼的「革命」観を思わせるからだろう。
さて、もう一つの政治的文脈は、医者の金儲け主義批判である。
肩こりや薄毛は市販薬で対応するのが当たり前で、「病気」などではないというのが今までの常識だった。
ところが、薄毛については、テレビCMなどで数年前から大々的に「お医者さんに相談だ!」と、「病気」と見なして医師にかかろうというキャンペーンが展開されている。
禁煙も自助努力でやるのが当たり前だったが、今やニコチン中毒という「病気」と見なして医者にかかろう、ということになりつつある。
これらは日本医師会が親切心でやっているわけではなく、市場規模が大きくて「おいしい商売」なので、新たな収入源にすべく展開しているキャンペーンだろう。
さて、禁煙や薄毛と同じ理屈が、うつ病にも適用できるだろうか。
医師が金儲けのために、うつ病の概念を恣意的に拡大して「新型うつ」などというものをでっち上げたのだ、と主張することに、意味はあるだろうか。
この問題は、そもそも「病気とは何か?」という問いに行きつく。
時代とともに、何が病気で何が病気でないかは変わっていく。今まで病気とされなかった状態が病気とされる場合もあれば、病気とされていた状態が病気ではなかったとされる場合もある。
さらに生活の質(quality of life)の向上も、医療が担うべき仕事の一つだという考え方まで出て来ている。
一つ言えるのは、病気そのものを単独で定義することはできない、ということだ。ある社会で何が病気であるかは、その社会が要求する「健康」の水準によって決まる。
例えばソマリアで「新型うつ」や喫煙の害の啓蒙活動をするのは、ほぼ無意味だし、優先順位が違うだろう。
現代の日本社会が「新型うつ」を病気と見なし、治療することを要求しているという大きな文脈がれっきとして存在する。
この社会的文脈を無視して、問題を個人のレベルに引きずり下ろし、「新型うつは病気ではなく個人の甘えだ」とか「うつ病の患者は治療を薬だけに頼るべきでない」などと主張したところで、社会的に意味のある発言にならないのである。

「新型うつ」を批判する某フリー・ジャーナリストU氏の「甘え」(1)

以前この「愛と苦悩の日記」で、自らうつ病患者として、うつ病についての著書を多数書いているフリージャーナリストのU氏を徹底批判した。
その時のやりとりの不毛さと、その後U氏がTwitter(ツイッター)で、女性看護師を医師の性玩具呼ばわりするという、明らかに議論の展開のさせ方として不適切なセンセーショナリズムを見て、まともに批判する価値のない著者だと分かった。なので、あえて名前は出さず、イニシャルだけで書くことにする。
日本社会のうつ病観に対するU氏の批判の要旨は、「うつ病患者を社会全体が甘やかすことは、かえってうつ病患者の治療への主体性を損なう」というものだ。
にもかかわらずU氏は、僕のU氏の著作に対する批判に、「あなたみたいに高学歴ではないので理解できません」と書き残して逃げ去った。これを、うつ病患者の「甘え」「無責任」と言わずして何と言おうか。
ただ、今日、氏の最新著書と、少し以前の著書を書店で立ち読みして、やはりU氏はうつ病の本の書き手としてふさわしくないと確信した。
新著でU氏は、前著よりもいっそう激しく香山リカのうつ病についての著書を批判している。そして香山リカはうつ病患者を甘やかす社会の後押しをすることで、かえってうつ病患者が自主的に治る機会を奪っている、と。
U氏は新著で、「新型うつ」と呼ばれるうつ病は、単なる甘え・逃避だとバッサリ切り捨てる。「新型うつ」の患者とされている人々を、会社や病院はうつ病患者として扱う必要は全くないと言い切っている。
しかし、少し以前の著書で、U氏と精神科医が対談している中で、U氏は自身のうつ病の病歴を告白しているが、それを読むと、「俺はうつ病でありながらこれだけ頑張ってるんだから、世の中の全てのうつ病患者も同じくらい頑張るべきだ」としか読めない。
そしてU氏の「社会はうつ病患者を甘やかすな。うつ病患者は社会に甘えるな」という批判は、単に、U氏個人がクリアできているレベル、例えば「他人との約束をドタキャンしない」などを、勝手に他のうつ病患者に押し付けているだけだ、ということが分かる。
少し以前の著書で、U氏は飛行機の搭乗中にパニック障害の発作を起こし、客室乗務員に水を頼んだのに、ミネラルウォーターを売りつけようとしたことに激怒している。(実際にはその客室乗務員は、急病人のために別に用意されている水をすすめているのだが、何故かU氏はそれを断っている)
そしてあろうことか、U氏はコップ一杯の水を断られただけのことで、その後もネチネチと航空会社にクレームをつけ続け、最後は航空会社を監督しているお役所に、航空会社の指導を依頼することまでやっている。
普通に考えれば、U氏はかなり悪質なクレーマーである。そして、ここまで悪質なクレーマーになってしまう理由は、おそらくU氏がうつ病患者だからだ。
つまり、U氏は自分がうつ病患者であることに「甘えて」、たったコップ一杯の水を出さなかったくらいのことで、航空会社や監督官庁まで巻き込んで大騒ぎしたのだ。
どうやらU氏自身の基準によれば、これは「うつ病患者の社会に対する甘え」のうちには入らず、パニック障害患者ゆえの、やむを得ない状況ということになるらしい。
しかし、このようにU氏個人の価値観で、どこまでが「甘え」にならず、どこからが「甘え」になるのか、勝手に線引きされたのでは、他のうつ病患者はたまったものではない。
はっきり言って、他のうつ病患者はU氏に対して、「あんたみたいな、単なる一うつ病患者に、うつ病患者全員の、甘えと甘えでない行動の境界線を決めてもらいたくないよ!!」と言いたくなるだろう。
ところがU氏は、自分が勝手に引いた線を、世の中のすべてのうつ病患者に押し付けている自覚が全くない。こうした、個人的見解を勝手に社会全体に拡大解釈してしまうことに対する無自覚は、ジャーナリストとして致命的だ。
やはりU氏の言説や著書は、全くうつ病論として存在価値はないと言わざるを得ない。U氏は自分の能力の限界を認識し、あくまで個人史として、自分のうつ病の病歴を語る書き方に変えるべきだ。
ただ、おそらくこの文章についても、U氏は「あなたのような高学歴でないので理解できませんでした」と、自分の学歴に「甘え」て逃げていくのだろう。
うつ病を口実にした「甘え」は許されないが、低学歴を口実にした「甘え」は許されるとでも言うのだろうか。
U氏が、うつ病に「甘え」ることは許されず、自ら治療する意思を持たなければいけないと主張するなら、低学歴に「甘え」ることなく、自ら論理的思考力を磨く努力をされたらどうなのか。
自分の都合のいい部分については、他者(うつ病に「甘え」ているうつ病患者)を容赦なく批判し、自分に都合の悪い部分については、自分で「甘え」てしまっている。
全く、どうしようもない書き手である。

加藤忠史『うつ病の脳科学』(幻冬舎新書)を読んだ

加藤忠史著『うつ病の脳科学』(幻冬舎新書)を読んだ。

以前この「愛と苦悩の日記」では、上野玲氏の書いた『うつは薬では治らない』(文春新書)を批判した。
>>「上野玲『うつは薬では治らない』(文春新書)の主張に疑問(1)」
>>「上野玲『うつは薬では治らない』(文春新書)の主張に疑問(2)」
本書『うつ病の脳科学』は、精神科医・脳科学研究者が、自己批判もふくめて、うつ病をとりまく日本の状況を冷静に論じていて、これこそ読む価値のある「うつ病本」だと感じた。
以前ここで批判した『うつは薬では治らない』で、上野玲氏は、抗うつ剤SSRIを、製薬会社と医者が金儲けのために結託した薬だと批判していた。
しかし本書で加藤忠史氏は、なぜ精神科医がSSRIを「使わざるを得ない」のかについて、医学的観点から、うつ病をめぐる社会状況まで、明快に説明している。
やはり『うつは薬では治らない』を書いた上野玲氏は、単なる一患者でしかなく、自分の病歴を、勝手にすべてのうつ病患者に当てはめてしまっている、と言わざるを得ない。
日本では「がん」に比べて、精神疾患についての病理学的な研究が進んでいない実情があり、その背後には、研究者数の絶対的不足があるという。
そしてその一因には、何と1960年代の東大紛争の影響が、東京大学精神科に30年にわたって残りつづけていた事実があるというから驚きだ。(詳細は本書をお読み頂きたい)
もちろん国の研究予算配分も原因の一つとのこと。いまや精神疾患は、国民がふつうの社会生活を送れなくなる病気の第一位(「がん」は死因の第一位)となっている。
にもかかわらず、米国のスタンレー・ブレインバンクなどの取り組みと比べると、日本の精神疾患の病理学的研究の予算は、あまりに少なすぎるとのこと。
そうしたさまざまな背景がある結果として、現時点で、うつ病治療にはSSRIが当面の最善策になっている。
そんな中で、上野玲氏のような論客がSSRIを批判すれば、また東大紛争の時代の反精神医学的な思想に逆戻りしてしまう。
つまり、「精神病というものは存在しない。精神病は、弱者を抑圧するために社会が作り出したシステムだ」(本書p.208)という思想だ。
うつ病患者たち自身が精神医学に対して不信感をもち、「うつは薬では治らない」といった反精神医学的なことを主張するからこそ、日本では「うつ病」の病理学的な研究が進まず、ますます臨床現場の精神科医は、現時点のとりあえずの最善策として、SSRIに頼らざるをえなくなる。
社会全体を考えたとき、日本では、このようにうつ病患者自身が、うつ病研究の足を引っ張ってしまっているのだ。
もちろん薬がうつ病治療のすべてではないが、だからと言って、より副作用の多い古い薬にもどったり、薬という選択肢を捨ててしまうのは、ますます日本のうつ病患者の社会復帰を難しくするだけだろう。
加藤忠史の本書『うつ病の脳科学』を読むと、このように日本のうつ病患者が、いわば「自分で自分の首を絞めている」状況も透けて見えてくる。
本書の大半は、脳科学の見地からのうつ病の病因について専門的な内容になっており、最新医学がうつ病に対して、何ができて、何ができないのか、客観的な理解を得られる。
今うつ病で苦しんでいる患者さんにとっても、「自分で自分の首を絞める」ようなことにならないための、必読の書といえる。

上野玲氏(『うつは薬では治らない』著者)自ら「患者化」している件

上野玲氏は、ツイッターで捨てぜりふを残し、逃亡したままだ。まさに著書『うつは薬では治らない』(文春新書)で上野玲氏が批判している「患者化」を自ら実行されている。

(※なお、上野玲氏のツイッターはこちら)
本書で上野玲氏が言う「患者化」とは、自分がうつ病患者であることを言い訳にして、いろいろな責任から逃れること。
前回も書いたように、上野玲氏は僕の『うつは薬では治らない』に対する批判を、読んだ上でならまだ分かるけれども、「読みません」と堂々と宣言して逃げ出した。同業者から見れば、風上にもおけない人物だろう。
くり返しになるが、僕は上野玲氏の「患者化」の考え方に反対だ。
うつ病の患者は、逆に、いろいろな責任からのがれて、十分な休養を取らなければ軽快せず、いたずらに症状を長引かせるだけである。
一般の会社員だと、最悪の場合、就業規則で決められた休職期間を超えてしまい、自己都合退職あつかいさせられ、失業する。
これは、自殺へつながりかねない最悪のシナリオだが、上野玲氏はあろうことか、こういうシナリオをうつ病患者にすすめているのである。
もう一つ、上野玲氏の物書きとしての致命的な欠点は、僕に対して「東大卒しか誇れるものがないという現実にご同情申し上げます」をいう捨てぜりふを、ツイッターに残して、逃げ出した点。
つまり、上野玲氏は、高学歴の人間に対して、明らかに冷静な評価ができない物書きであるというボロを出してしまっている。
そこで思い出すのが、『うつは薬では治らない』の中のSSRI批判だ。上野玲氏は、SSRIという新しい抗うつ薬は、医者と製薬会社が結託して金儲けをしているだけだ。うつ病患者に、まずSSRIを処方するのは間違いだと批判している。
ところで、SSRIを発売している大手製薬会社の会社員も、医者も、どちらも高学歴の人間だ。僕の通っていた6年一貫の進学校の同窓生には、医者がたくさんいる。
上野玲氏のSSRI批判は、僕のような高学歴の人間に対する、単なる個人的なうらみつらみの吐き出しだと取られても仕方ないだろう。僕に対する上野玲氏のツイッター上での捨てぜりふが、その何よりの証拠だ。
ところで、僕には東大卒以外にも誇れるものはいくつもある。というより、単なる平社員である僕にとって、東大卒なんて二十年前の思い出にすぎない。
その頃は話せたフランス語も全く話せない。その頃は理解できた本も、今では全く理解できない。現時点の僕にとって、東大卒など誇りにも何もならない。
逆に、例えば、この「愛と苦悩の日記」に一定数の固定ファンがいらっしゃること。
大学時代には勉強しようとも思わなかった中国語を勉強したおかげで、中国の百度の掲示板上で、中国大陸のネット友達と、中国語で交流できること。
第一興商の「全日本カラオケグランプリ」関西大会に出場できたことなど、下らないことも含めて、ささやだけれど誇れるものがいくつもある。
そんな僕に向かって、「東大卒しか誇れるものがないという現実にご同情申し上げます」という評価しか下せない上野玲氏は、高学歴の人間に対する偏見にみちみちている。
したがって、あらためて上野玲氏『うつは薬では治らない』は、読む価値のない本だと言える。
※関連記事:
「上野玲『うつは薬では治らない』(文春新書)は読む価値ナシ(1)」
「上野玲『うつは薬では治らない』(文春新書)は読む価値ナシ(2)」
「上野玲氏(『うつは薬では治らない』の著者)からの驚くべき返信」
何が「病気」で何が「健康」かは社会の要求水準による
「新型うつ」を批判する某フリー・ジャーナリストU氏の「甘え」(1)
「新型うつ」を批判する某フリー・ジャーナリストU氏の「甘え」(2)