月別アーカイブ: 2014年11月

「地方の小さな町が住民のマイカーを禁止して路線バスに乗り換えさせつつ路線バスの運営会社の社員はマイカーに乗り続けるとしたら」問題

地方の小さな町の路線バスの経済性について考えてみよう(いきなりか)。

地方の小さな町なので、それぞれの世帯はすでにマイカーを持っている。大家族はバンなど大きめの車、お金持ちはベンツ、子育て中の各家族は軽のミニバンなど。

要はそれぞれの世帯に合った車を持っているとする。

そこへ地方自治体が路線バスを運営しようとするとしよう。その理由は、各世帯が別々にマイカーを維持するよりも、路線バスの方が経済的というものだ。

地方自治体は外部の世界とは独立して経済活動を営んでいると仮定して、自治体の外へ出かけるときには車は使えないとしよう。

それぞれの世帯が出かけたい時間にできるだけ合わせようとすると、バスの運行本数を増やす必要があり、運営コストが高くなる。

路線バスの運営コストの低減を優先させれば、できるだけ運転する便数を減らして、その時間に強制的に合わせて、各世帯に活動してもらうようにすればいい。

ただし、ここからがポイントなのだが、路線バスを運営している会社の社員は、その自治体の中でマイカーを乗り回してもいい。自分の世帯にぴったりのマイカーを買って、好きなときに出かけられると仮定する。

そんな地方の小さな町の各世帯に、マイカーをやめて路線バスに乗ってくれと説得するには、どういう方法があるか、という問題。

「自治体全体として経費節減になるから」というのは確かにそうだけれど、各世帯の住民から「あなたたちはマイカーを持ってるじゃないか」と反論されたらどう説得するか。

「仕方ないので運行する本数を増やしてあげるよ」と言いたいところだが、すると運営コストが上がってしまうので元も子もない。

なかなか難しい問題。

というより、普通はこんな無茶な要求に納得する世帯は出てこない。「まずはあなたたちがマイカーをやめるべきだ」という意見がまっとうすぎるから。

じつはこの問題、難しくもなんともなくて、この自治体の大きさ次第。路線バスの運用コストは低減するにも限界がある。

世帯数が多ければ多いほど、路線バスの運行本数を増やしても、協力してくれる世帯数の割合が低くても、採算がとれる。

規模の経済を生かせないサイズの自治体で、各世帯のマイカーを路線バスに集約し、しかも路線バスの運用会社の社員はマイカーを使っているという状況では、よほど路線バスの運用会社が強権発動しなければいけない。

まあ、ちょっと考えれば当たり前のことだ。何の予定もない祝日は、こういう当たり前のことを考えるのにぴったりな日。

※追記:ではこの地方自治体は、何もせずに手をこまぬいている他に何ができるのか。お分かりだろうか。

その解答の一つは、各世帯のマイカー所有は認めるが、車種を統一し、そのメーカーの販売店と値引き交渉をするというものだ。

そして地方自治体はその車種にあったタイヤなどの消耗パーツを集中購入して、やはり値引き交渉する。そうすれば町全体として、マイカーの維持コストを低減できる。

車種を統一するが、マイカーの利用は認めるというやり方で、自治体の人口規模によっては最適なコストを実現できるはずだ。

Nexus 7(2012)にAndroid 5.0(Lollipop)を入れた後キャッシュを削除する正しい手順

Nexus 7(2012)版に自動でAndroid 5.0 (Lollipop)更新の通知が届いたけれど、更新した後、端末の動作が全体的に遅くなる件、キャッシュをクリアすれば改善する場合があるという日本語記事をいくつか見つけたのだが、その方法を完全に正しく書いてある(訳してある)記事が見当たらなかった。

なのでこちらのGoogle Groupにある英語の原文を、正しく日本語に訳してみる。


まず本体の電源を落とす。

1) 本体横の電源ボタンと音量下げボタンを同時に押し続ける。
2) 画面の上部に大きな矢印が出てくるので、電源ボタンと音量下げボタンを放す。
3) 音量下げボタンを何度かくり返し押すと、その矢印にRecoveryの文字が現れるので、そこで電源ボタンをタップする。
4) しばらく待つとドロイド君が仰向けになって寝転がっていて、お腹がひらいて赤い三角にびっくりマークが出ている絵が現れる。
5) そこで電源ボタンを押したままにしつつ、音量「上げ」ボタンを1回タップしてから、電源ボタンを放す
6) すると画面の左上にいくつかの選択項目が現れる。
7) 音量下げボタンを何度か押して、cache partition(キャッシュパーティション)をeraseする、またはwipeする、というメニューを選び(反転させ)、電源ボタンをタップする。
8) 画面左下にいくつか状態を表すメッセージが表示されるので、じっくり待つ。場合によっては10~15分かかる。


メッセージにcache partitionのwipeが終わった、と現れたら、音量下げボタンを何度か押して、画面左上の選択項目のうち「reboot system now」を選び(反転させ)、電源ボタンをタップする。

すると端末がふつうに再起動する。

以上。ちなみに筆者の場合は、少しだけ速くなったかなぁ、という程度で、劇的な改善にはならなかった。

運用設計の手抜きがもたらす悪循環に気づかない管理職のお話し

いつもながら友人のグチにお付き合い頂けるとすれば、今回はシステム運用のお話。まあ、今回のグチには一理あると思うので、ぜひご一読を。


新しい情報システムを導入するとき、本番稼働するまでのプロジェクト体制や導入手順は一生懸命考えるのだが、本稼働した後の運用設計をサボっていることが多すぎるという件。

たしかにプロジェクトというのは期間を決めて、大量のリソースを一気に投入するものなので、期限どおりに終わらないと直近のコスト増の要因になる。

なので短期的な費用に気を取られがちな管理者たちは、本番稼働の納期を厳守しようとするあまり、本番稼働後の運用がいかに費用がかからない効率的なものになっているかの設計を、おそろかにしがちだという。

その結果、プロジェクトとしてはほぼ納期内に完了し、無事本番稼働を迎え、プロジェクト関係者は評価されるのだが、運用設計がおそろかになった部分はすべて、運用部隊の負荷増として、運用部隊に責任が押し付けられる。

そのようなプロジェクトが複数つづくと、運用設計が悪いせいで、運用部隊の負荷が増える一方になる。

管理職たちは、もともと運用の効率化に関心がなく、プロジェクトという社内で目立つ活動を期限どおりに終わらせることに関心が向くので、運用負荷が増えて、運用部隊の動きが悪くなると、それを運用部隊のせいにする。

たとえば、運用部隊はやらなくていいことまでやろうとしているとか、そもそも運用部隊の業務の進め方の効率が悪い等々。

しかし実際には、そもそも運用設計を真剣にやっておらず、そのツケを運用部隊にまわしているだけなのだ。

それどころか、本番稼働後に見つかったシステム設計上の問題の「尻ぬぐい」さえ、運用部隊に丸投げしてしまう。するとますます運用部隊の負荷が増える一方になる。

結果、運用部隊が自らの業務を改善する時間的、人員的な余裕さえなくなった場合、運用部隊は慢性的に仕事が回らない状態になる。

運用設計の重要性をわかっていない管理職たちは、これを運用部隊の問題として解決しようとする。たとえば人を追加するとか、新たな運用ツールを導入するとか、最悪の場合は「そもそもあいつらの作業効率が悪いだけだ」と考えて何の対策もとらない。

運用部隊にツケを回しつづけると、確実の情報システムの稼働状況が悪化し、利用者部門にじっさいの影響が出てくる。

同じような不具合が何度も発生するとか、使えるんだけれど動作がものすごく遅いとか、利用者が問題解決までに何日も待たされる等々。

そういった利用者部門の不満は、情報システム部門の管理者たちの気づかないうちに、「声なき声」として少しずつ蓄積されていき、情報システム部門全体に対する悪評につながる。

表立って文句を言ってくれれば、情報システム部門としては逆にありがたいのだが、最悪のケースは利用者部門が情報システム部門に対して「あきらめ」の気持ちを持ち始めることだ。

情報システム部門に何を言っても仕方ないので、自分たちで何とかしよう。

システムの利用者部門がそう思い始めると、社内の情報システムの統治(ガバナンス)自体の危機になる。

利用者部門の面従腹背は、次に新しいシステムを導入するプロジェクトを立ち上げたとき、十分に利用者部門の協力が得られないという現象となってあらわれる。

十分に利用者部門の協力が得られないと、今度は導入プロジェクト自体の品質が下がり、納期までに完了しなかったり、ますます運用設計に無関心になったりする。

こうして情報システムの導入と運用について、「悪循環」が始まる。

最初に運用設計をきっちりやっておけば良かったのに、運用設計をおそろかにしたせいで、利用者部門の声にならない不満を引き起こし、次の新しいプロジェクトの成果物の品質が下がり、さらに運用部隊の負荷が増え、さらに利用者部門の不満を大きくし…といった悪循環だ。

このように考えると、運用設計をしっかりやって、運用部隊の負荷を下げることがいかに重要かが分かるだ。

ところが、情報システム部門の管理職の中には、自分たちのやっている仕事全体がぐるぐると循環するPDCAサイクルになっているという自覚のない人が意外に多い。

そのため、プロジェクトをやりきったその都度の達成感と評価だけで、次の仕事に取り掛かってしまうことが多い。


以上が友人のグチの内容だ。まあ、一般の民間企業の管理職に、そこまでの頭の良さや賢明さを求めること自体、ムリな話だと筆者は思う。

定時後の飲み会や、休日のゴルフに労力をムダに費やすという、「ザ・昭和」の仕事のやり方に何の疑問ももたない管理職に、頭の良さや賢明さを期待するだけムダというものだ。

所詮サラリーマンなんてそんなレベルである。

例の友人のによれば、もうツッコミを入れる気力もないとのことです

例の友人(といってもネットでからんでるだけだが)はまだいろいろ問題を抱えているらしく、以下、友人の「言い分」の要約。本当に友人の意見が正しいのかは微妙。


最近は何かを提言すれば、無視されるか反対されるかなので、何も言う気がしなくなっている。

しかも、無視するにしても反対するにしても、その根拠が合理性に欠ける。

いや、無視する側、反対する側は、自分たちは十分に合理的だと思っているのだが、こちらから見るとその理論は穴だらけで、反論する気力さえなくなるほどグダグダなのだ。

今まで複数回転職して、とある会社では責任者の立場にもなったことのある僕が、会社全体の資源配分やリスク管理、企業統治(ガバナンス)の視点から物を考えず、自分の担当業務の枠内だけで物を考えるだろうか。

ただ、僕に決定的に欠けているのは、コミュニケーション能力だけだ。いわゆる「声の大きさ」や「人付き合い」。

結局のところ典型的な日本企業の多くは、合理性や法(ルール)によって統治(ガバナンス)が成り立つのではなく、人の顔によって統治されているのが実情だ。

意見の中身に合理性があるかどうかではなく、その意見を誰が言ったかによって、無視されたり採用されたりされる。

にもかかわらず、無視したり採用したりする側は、自分たちは合理性にもとづいて判断したのだと言い張る。人を見て判断はしていないと言い張る。

自分たちが何を根拠に判断を下しているのかさえ自覚できないのだとすれば、企業統治(ガバナンス)の統治する側の病状としては末期的だ。

その組織が成立の経緯からして、統治(ガバナンス)の根拠を「人」ではなく「法」に置いているなら、誰かの意見をその合理性ではなく発言者で判断しておきながら、いや、自分たちは合理性で判断していると勘違いするのも、まだ治療の見込みがある。

しかし、そもそもその組織が統治(ガバナンス)の根拠を「人」に置いている場合、たとえば組織のトップが創業者だったり、世襲だったり、社内の業務が属人的である場合には、治癒の見込みはない。

そもそも自分の組織のトップが、集団による意思決定で決まる組織で働いたことのない人間に、「人治」ではなく「法治」の組織がどんなものか、分かるはずがない。

治癒の見込みがない末期症状なら、「人治」をやっておきながら「法治」だと言い張る自己欺瞞は少なくともやめるべきだろう。

あきらかに「人治」でありながら「法治」だと言いはる自己欺瞞からは、組織の中に混乱しか生まれない。統治する側に一貫性(integrity)がないからだ。Aと言いながらBをやっている人の言葉を、他の組織を知っている社員が、どうして信じられるだろうか。

数年後にどうなっているか、見てみなくてもほぼ予測できる。おそらく依然として「人治」でありながら「法治」と言い張っているだろう。


いつもながら悲観的すぎる。合理的に考えすぎると、世の中について悲観的になるのは必然的な帰結だ。

まったく。

コンサルの苦言は聞くのに、中途採用者の苦言は聞き流す日本企業の体質

企業が即戦力として中途採用者を採用する目的はいったい何なのだろうかと考えこんでしまう。

中途採用者を完全に自分の企業の組織文化に染め上げてしまう目的なら、中途採用するのではなく新卒社員をていねいに育てればいいだけの話だ。

単に手が足りないなら、派遣社員や業務委託をすればいい。

あえて経験者を正社員として採用するのは、自社の組織文化を客観的に評価して、改善すべきところの意見を出してもらい、かつ、正社員としてそれを実行してもらうためではないのか。

にもかかわらず、日本企業は往々にして、経験者をいったん正社員として採用してしまうと、もう「第三者の視点」を期待しないきらいがある。むしろ「第三者の視点」であれこれ文句をつけると、例によって「協調性がない」という幼稚園児みたいな理由で組織から排除されてしまう。

そしてわざわざ高い費用をかけて外部のコンサルや委託先業者を使い、初めて「第三者の視点」で社内の問題点を指摘してもらうという壮大な費用のムダづかいをしている。

転職歴が他人より多い僕が、外部のコンサルや委託先業者の出してきた「御社の課題」を見ると、僕がとっくに気づいて指摘している項目がたくさん見つかる。

なぜ僕が指摘しても改めようとせず、外部のコンサルや委託先業者に指摘されて初めて改めようと思うのか。それは単純に、生え抜き社員の無駄なプライドのせいだろうと考えている。

生え抜き社員は、すでに正社員になった中途採用者を無意識のうちに下に見ており、自分が「愛する」会社についてとやかく言われたくないという感情的反応が先行するのだろう。

外部のコンサルや委託先業者は、費用をかけている分、効果を出さなければいけないという、経営層への負い目があるので、指摘された問題点を真剣に考える。

日本企業の組織文化が高度成長期の文化から抜けだせず、停滞しているとすれば、その大きな原因の一つは社歴の長い「生え抜き社員」の無駄なプライドである。