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『日本が世界一「貧しい」国である件について』の谷本真由美女史と、日本でくすぶっているホワイトカラーは同じことをしているに過ぎない件

「めいろま」こと谷本真由美女史の『日本が世界一「貧しい」国である件について』ほか、谷本真由美女史のいろいろな書き物について、もう少しつっこんで書いてみる。
女史のワイヤレスワイヤニュースの「ロンドン電波事情」も、毎回楽しみに拝読しているので、みなさんこちらもご参照を。

さて、もう少しつっこんで書きたかったこととは、谷本真由美女史が日本社会を動かしている「原理」のようなものよりもましだと、くり返し主張している、欧米型の自由主義についてだ。
谷本女史が肯定的に評価している自由主義は、リベラルからリバタリアニズムまで、かなり幅広いが、日本社会に根強く残っている「結果の平等」(反対語は機会の平等)や「同調圧力」の否定、という点で一貫している。
重要な点は、自由主義が無条件に正しく、結果の平等や同調圧力が無条件に誤りだということはない、という点だ。
社会に存在するあらゆる価値は相対的であり、そのうちどれかが絶対的に正しいという主張は、その主張が自由主義を標榜している場合には、なおさら自己矛盾となる。
北朝鮮の将軍様のおっしゃることも、そう簡単に無条件に誤りだと断定することはできない。
もちろん谷本女史はバカではないので、欧米型の自由主義が無条件に正しいなどと思っていないはずだ。ではなぜ彼女は欧米型の自由主義を持ち上げるのか。
そうしないと自分の生活が危うくなるからだ。
一つ前の記事で書いたように、仮に日本が欧米型の自由主義を完全に取り入れることに成功すれば、いま日本で中流の生活レベルにあるホワイトカラーの大半は、解雇されて非正規雇用の生活に転落することは間違いない。
日本のホワイトカラーの大半が、欧米基準で言えばきわめて業務効率が悪く、基礎的な能力もスキルも低く、実質的に「社内失業」状態にあるからだ。これは僕自身も含めて、である。
なぜ失業せずにすんでいるのかと言えば、司法判断の積み重ねによって、正社員の解雇が非常に難しく、正社員という地位が既得権益になっているからだ。公務員のみなさんはなおさらそうである。
一方、谷本女史はロンドンで何の問題もなく生活できる「エリート」として、自由主義という既得権益を享受している。
海外でホワイトカラーとして生活できる程度に「エリート」である人物にとって、自由主義は自分の生活水準を守るために必要な社会制度である。
仮にイギリスが日本のように結果の平等主義になり、同調圧力の強い社会に変わってしまったら、谷本女史の生活水準は確実に下がるし、「ウザい」人物として解雇部屋送りになるかもしれない。
だからこそ谷本女史は日本から逃げて、イギリスに生活拠点を置くしかなかった。そうしなければ生活できないからだ。
それと同じ理由で、僕を含めた、彼女のような「エリート」ではない凡人は、日本に残るしかない。そうしなければ生活できないからだ。
イギリスと日本のどちらが、将来、国民国家としてよりましな経済状態になるかは誰にもわからない。
しかし、自由主義社会の「エリート」である谷本女史と、自由主義社会の凡人である多くの日本人は、「自分の生活を守るために特定の価値観を受け入れている」という意味で、まったく同じである。
たまたまその価値観が、谷本女史は欧米型の自由主義であり、日本で働いているホワイトカラーが結果の平等や同調圧力の許容である、というだけの違いである。
形式的には、谷本女史と日本でくすぶっているホワイトカラーの行動に、差異はない。
ともに自分の生活を守るために、特定の価値観を持ち上げたり許容したりしている。
言ってしまえば、それだけのことなのだ。
もし谷本女史が社会変革を志す者であれば、日本国内で結果の平等や同調圧力と戦う道を選ぶだろう。しかし彼女は自分にとって過ごしやすい場所を生活の拠点に選んでいる。
日本に住んでいるホワイトカラーも、形式的にはそれとまったく同じことをしているに過ぎない。自由主義の荒波の中では、自分の生活水準を維持できないことを知っているので、自分にとって過ごしやすい場所を生活の拠点に選んでいる。

谷本真由美『日本が世界一「貧しい」国である件について』を、日本人が安心して読める理由

「めいろま」こと谷本真由美女史の『日本が世界一「貧しい」国である件について』をKindle版で読んでいる。
他にもワイヤレスワイヤニュースの「ロンドン電波事情」も、毎回楽しみに拝読している。

僕は、外資系の経営陣が乗り込んできた日本の大企業で勤務した経験があるので、谷本女史のいう、欧米企業と日本企業の仕事のスタイルの根本的な違いを、身をもって体験している。
たとえば、その外資から乗り込んできた当時の僕の上司は、「他人の電話はとるな」と命令して、日本人社員を唖然とさせていた。日本人会社員は、隣の部署であっても、かかってきた電話をとるのは当たり前と思っていたからだ。
しかし、自分の担当業務でない電話をとっても、伝言しかできない。伝言のために自分の業務を中断させるのは、会社全体として業務効率を下げるだけ。だから「他人の電話はとるな」となる。きわめて合理的だ。
結局、僕の勤務していた日本企業は、とある事情で外資の方が愛想をつかして資本を引き上げ、またもとどおりの「純・日本企業」に戻ってしまったので、僕は転職した。
ただし、その後勤務した企業はどれも「ザ・日本企業」で、外資系への転職には失敗している。僕自身、英語はできるけれど、外資系が採用したくなるような能力はない、ということだ。
そうした経験から、谷本女史の意見には全面的に賛成するが、日本社会が欧米の合理性を体現して、山本七平の言う「空気」の支配から脱するのは、ムリである。ぜったいにできっこない。
谷本女史がロンドンを拠点に、欧米の合理的な社会を享受できているのは、結局のところ彼女が極めて有能なエリートだからだ。日本の会社員のうち、彼女ほど能力のある人間は、2割もいないかもしれない。
万が一、日本社会が欧米のように合理的で「低コンテクスト」な社会に変わることに成功すれば、生産性の低い多くの日本人会社員は、首を切られて失業する。
そして、ケン・ローチの映画に出てくるような、イギリス労働者階級の貧しくつつましい生活に転落する。もちろん、そんな生活にもそこそこの幸せはあるだろう。
ただ、そんなことになるくらいなら、「空気」が支配し、同調圧力の強い、毎年3万人が自殺するような社会の方が「ましだ」と、ほとんどの日本人は思っている。これも一種の経済合理性のある思考だ。
だから、日本は絶対に変わらない。変わらないからこそ、谷本女史の著書やエッセーを、完全な「他人事」として安心して楽しむことができる。
たぶん日本が本当に変化の必要性を感じたとき、すでに国全体の経済規模が縮小して、手遅れになっているだろう。あるいは、一発逆転をねらって、どこかの国に戦争を仕掛けているかもしれない。