月別アーカイブ: 2013年6月

埋没費用をわかっていない人間は意思決定すべきでない

埋没費用(または埋没原価)を正しく理解していない人間は、本来、会社組織で意思決定する立場になってはいけない。
しかし、ほとんどの日本企業の、ほとんどの会社員は、たぶん埋没費用を正しく理解していない。「もったいない」という「精神論」だけで、誤った意思決定をすることが多い。
まずウィキペディアでお勉強。映画を見に行った例で、わかりやすく説明されている。
埋没費用(ウィキペディア)
ある時点で意思決定するにあたり、複数の選択肢のうち、どれを選んでも取り戻せない費用が埋没費用である。
しかし、ほとんどの会社員はこれを理解せず、「精神論」で意思決定してしまう。
例えばこんな具合に。
「今までこれだけ費用をかけたんだし、みんな頑張って仕事したんだから、そう簡単に方向を変えるわけにはいかないでしょ」
要するに「もったいない」と考えて、誤った意思決定をする。
本当は、今までかけた費用や、今までみんな頑張って仕事をした人件費は、埋没費用であり、取り戻せないお金だ。
埋没費用を「もったいない」と思うことが意思決定の誤り、ということは、下記のページにもある。
埋没費用 – サンクコスト(sawazaki communication network)
別のホームページにある埋没費用の説明を見てみる。こちらは競馬のレースのたとえ。
埋没原価とは(N’s spirit 投資学研究室)
最後に、かなりマニアックなのは、ニコニコ大百科の解説。
埋没費用(ニコニコ大百科)
6,000円で買ったゲームがあまりにつまらなかった場合、という例で説明されている。ゲーマーなら身にしみて分かるかもしれないが…。
この、埋没費用を「もったいない」と勘違いすることによる意思決定の誤りは、日本の会社員がやらかす、いろいろな意思決定の間違いの一つにすぎない。
まあでも日本の会社組織では、一般的に言って、合理的な判断力よりも、人付き合いの良さや声の大きさなど、合理性とは無関係なところで、出世するかどうかが決まる。
つまり、日本の会社組織で出世して、意思決定をする立場になった人々は、往々にして合理的な判断力が弱い。
この現実は僕一人が頑張ったくらいで変えようがないし、たぶん今後も数十年変わらないだろう。
もはや円安に依存した労働集約型の、日本の製造業の牽引力は失われている。
だから、本来は合理的な判断力による経営へ変わらなければいけないのだが、日本の会社組織はおかしなほど「昭和」のままである。
そして「昭和」的組織のまま、世界市場の東の端で、少しずつ埋没していくのであった。

復興庁参事官の「暴言」を非難してスッキリする国民の愚かさ

復興庁の参事官がツイッターで暴言を書き込んでいた問題。この参事官を処分して問題が解決したと思うなら、国民は彼が言ったとおり知性が欠如している。
根本的な問題は、復興庁に他省庁に対する指示命令権が与えられていないことだ。
そして、この復興庁という制度を作った官僚たちは、わざと、そうしている。
大震災からの復興のためであっても、既存の省庁は既得権益を手放したくない。だが当時の民主党政府は国民から何らかの対応をせまられている。
そこで既存省庁は、なんの権限もなく、単に被災地住民と既存省庁の調整役、メッセンジャー・ボーイとして「復興庁」という体裁だけを整えた。
各省庁が自分の組織の本物のエリートを、そんなところに送り込むはずがない。問題の参事官も「船橋市副市長」という経歴からして、おそらく総務省ではBクラスだったはずだ。
この参事官の言う「ゲーム」とは、復興庁そのものが、最初から世論をあざむくためのハリボテで、彼自身がその「コマ」に過ぎないことを意味している。
本来なら、国民はこの参事官を引きずり出して、復興庁の内部事情をメディアなどで「告発」させるべきなのだ。
復興庁がなぜ機能しないのか、その内部事情を明らかにする絶好のチャンスだからだ。
そうすれば「ゲーム」の本当のプレーヤーが分かるはずだが、残念ながら日本国民の大半は、それほど頭が良くない。おそらくこの参事官の「トカゲのしっぽ切り」をして終わりだろう。
だから国民は、いつまでたっても霞ヶ関のエリート官僚にもてあそばれるままなのだ。この参事官の言うとおり知性が欠如しているから、いつも問題の本質にたどりつけない。
今回もたぶん、そうなるだろう。

気が狂っているのは、きっと僕の方なのだろう

20年近くサラリーマンをやっていても、まだ慣れないことがある。
傲慢な考え方で反感を買うのを承知のうえで書かせて頂ければ、「本気でそんなに頭が悪いんですか?冗談ですよね」と心の中でつぶやきたくなるような言動が、会社組織の中ではたくさん見られる。
「えっ?本当ですか?それって本気で言ってるんですか?明らかにおかしいですよね」と言いたくなるようなことが、平然と、しかも何度も飽きずにくり返される。
もちろん今ではもう、一般的な会社員の知的水準が、僕の大学時代の同窓生と比べて絶望的に低いという「事実」については、あきらめている。
ただ、いくらあきらめていても、過去に勤めてきた複数の日本企業で、同じように非合理的な言動をする会社員を、何度もくり返し見ると、さすがに「気が狂っているのは僕の方なのだろうか?」とさえ思ってしまうのだ。
くり返しになるが、この文章は、読者のみなさんの反感を買うのを承知の上で書かせて頂いている。
一般的な会社員の知的水準は、僕から見ると絶望的に低い。抽象的思考能力が弱すぎるし、ほとんどの会社員は、自分の思考をメタレベルに移行させることができない。
具体的には以下のようなことだ。
「そんなこと説明してもらわなくても、とっくに知っていますよ」ということを、僕が分かっていないかのように、ていねいに説明して下さる。
これは、相手の知的水準を、自分の知的水準を基準にして測るので、相手の知的水準が自分より非常に高い場合、その事実を認識できていないケースだ。
もう一つの具体例。
一年前には「君の考え方は話にならない」という態度を見せていたのに、一年後にはそのその同じ人物が、僕の考えていた方向へ物事を進めている。
これは、現時点で入手できる情報から、どれくらい先まで複数の選択肢を想定できるか、将棋でいう「何手先まで読めるか」の能力の違いだ。
三手先しか読めない人から見て、十手先まで読める人の言っていることは「話にならない」と思えるのは当然だ。
また別の具体例。
社員どうしが無用な腹の探り合いをして、いたずらに業務効率を落としている場合がある。
おたがいに直接質問すればよいことを、あえて別の社員を介して探り合うという、まったく無意味な手間(コミュニケーション・コスト)をかけている。
別の例で言えば、上司の言っている支離滅裂なことを、部下が「きっと論理的な考えや、隠された意図があるに違いない」と、そのウラの意味を読み取ることに腐心しているケースなど。
最後の具体例は、もっともバカげたものだ。
中学生や高校生が連れ立って学校のトイレに行くように、いちいち集団で行動するという現象。
これらの行動は、僕が今まで勤務してきたどの日本企業でも見られることで、少なくとも僕が会社員を続けてきたこの二十年弱、まったく変化がない。
なので、僕はこの文章で、特定の日本企業を非難しているわけではない。むしろ典型的な日本企業のほぼすべてを非難している。
異常にコストのかかるコミュニケーションや、中学生並みの集団行動、おしなべて水準の低い論理的・抽象的思考能力は、おそらくほとんどの日本企業に共通の特徴だと思われる。
複数の日本企業の組織風土がここまで似通っていると、最初に書いたように、むしろ僕の方が気が狂っているのではないかという錯覚におちいる。
いずれにせよ、若いころはまだ以上のようなことについて、反論や指摘をする気力もあった。
しかし、今は指摘しても絶対に直らないことが分かっているので、最近では周囲でくり広げられる愚行を、黙って興味深く観察することにしている。
何らかの救いがあるとすれば、一年か二年ほど経った後、僕がとっくに分かっていた誤りを、ようやく当人たちが気づいて自己修正する、その程度には知性が残っているということだ。
定時後には何かと理由をつけて飲みに行き、泥酔して正体をなくし、週末にまでゴルフなどで職場の人間と顔を合わせる。
そんな典型的なサラリーマン生活を続けていれば、自分の知性を磨くことなどできるはずがない。
こうした日本の会社員が、年齢とともに知性を鈍らせ、より単純で動物的な人間になっていくのは、ある意味当然だ。
いやいや。やっぱり頭がおかしいのは、僕の方なのだろう。
むしろ僕の方が、気が狂っているに違いない。