月別アーカイブ: 2012年9月

ITProのBYOD関連記事に見る日経BP社の著しい劣化

日経BP社の記事の劣化は、目に余るものがある。下記の日経ITProの記事のヒドさは目も当てられない。
『公私混同のススメ~今どきのBYOD クラウドが生むBYOD新潮流』 (2012/09/24 日経ITPro)
「中堅カード会社で営業部長を務める近藤進氏」が、BYOD(=私物情報端末の業務利用)どころか、個人で登録したGoogleカレンダーやEvernoteを、私物スマートフォン経由で業務に活用している状況を、全面的に肯定する記事だ。
たとえばITMediaの下記のBYOD関連記事と比較すると、日経BPの上記の記事の「異常さ」が際立つ。
『BYODを危険にしない「3つの戦略」「4種のツール」』 (2012/09/24 ITMedia TechTarget Japan)
日経BP社は「中堅カード会社の営業部長」の情報リテラシーになぜ100%の信頼をおいているのか、まったく理解不能である。
たとえば日経BP社は、この「中堅カード会社の営業部長」が、会社に無断でクラウドにアップロードした社内データの公開範囲の設定をうっかり間違えて、昔ながらのありふれた個人情報漏えい事故を起こすリスクがゼロだと、なぜ無条件に前提しているのか。
仮にそういう事故が起これば、この営業部長は確実に懲戒処分になる。
法的に見れば、この営業部長が個人で登録したクラウドサービスに、会社に無断で社内の機密情報をアップロードしている時点で、すでに善管義務に違反している可能性が高い。
そういう人物を、日経BP社のこの記事は、「クラウドが生むBYOD新潮流」の最先端を行っている人物であるかのように紹介しているのだ。
もっと分かりやすい別の事例でたとえれば、こうなる。
会社からコーポレートカードを渡されていて、出張にかかわる経費はすべてそのクレジットカードで精算する決まりになっている「中堅カード会社の営業部長」がいたとする。
しかしこの営業部長は、経費を個人のクレジットカードで支払い、会社に対してはそのつど現金立替払い申請で精算をしている。なぜかというと、そうすれば個人のクレジットカードにポイントがたまり、たまったポイントを商品券にかえたり、個人の買い物の割引に利用できるからだ。
この営業部長は、民間カード会社のポイントサービスを最大限に活用し、私物カードの業務利用の「新潮流」を切りひらいている……。
さて、皆さんはこういう記事を読めば、さすがに「この営業部長はなんという公私混同をしているんだ」とお思いになるだろう。
最初に示したBYOD(=私物情報端末の業務利用)の記事は、ほぼ、会社の経費で個人のクレジットカードのポイントを稼ぐことを奨励する記事と同程度に、善管義務を破ることをすすめているに等しい。
個人のスマートフォン経由、個人で登録したクラウドサービスに、社内のデータファイルや業務上の予定を登録していいなら、取引先とのメールのやりとりにも社内メールを使わなければいけない理由はなくなる。
オフィスにいる間はいざ知らず、自宅に帰れば、個人のPCと個人のメールアドレスでどんどん業務をすればいい。
日経BP社がBYODの記事で主張しているのは、こういうことである。
つまり、「何でもあり」の状態こそ正しいのであって、それに対して、情報システム部門が、従業員に会社の情報資産の善管義務を果たさせるべく、さまざまなルールを守らせようとするのは、業務効率の阻害要因でしかない、と主張している。
これは、まともな組織人にあるまじき荒唐無稽な主張である。
情報セキュリティというのは、別に従業員を「性悪説」で管理することだけを目的にしているわけではない。逆に従業員を、過失によるリスクから保護する目的もある。
従業員の情報リテラシーや、情報管理能力には個人差がある。その個人差のために、組織の側も、従業員の側も、過失であろうと故意であろうと、「実害」を被らないために、リスク管理というものは存在する。
情報セキュリティは、たしかに業務効率をあるていど悪化させる。しかし、その代わり従業員が「うっかりミス」で懲戒処分をくらうことがないように、従業員を保護する側面もある。もちろん会社自体を保護する側面もある。
リスク管理と業務効率は常に相反するものであり、最小限のリスク管理で最大の業務効率を実現する方法を考えることこそ経営ではないのか。
それは、費用と利益が常に相反するものであり、最小限の費用で最大の利益をあげる方法を考えることが経営であるのと同じことだ。
経営上の課題は、常に相反する複数の要素間で、どのように最適解を求めるかである。
しかし、日経BP社の一連の「BYOD(=私物情報端末の業務利用)」キャンペーンは、社内の情報漏えいリスクを管理する部門を「悪者」にし、現場の従業員を「正義」とする単純な図式を作っている。そうすることで、経営上の課題を不当に単純化している。
はっきり言って日経BP社の一連のBYODキャンペーンを張っている記者たちは、単なるアホである。
情報セキュリティやスマートデバイス活用以前の、企業にとってのリスク管理、さらには経営課題というものの本質をまったく理解していない。つまり、組織内には絶対悪も絶対善もなく、相反する利害から最適解を見つけ出す必要があるということを、全く理解していない。
というより、同じ「ITPro」というウェブサイトの中で、一方では、BYODの公私混同を礼賛しておきながら、他方では、情報セキュリティ関連の製品やサービスを熱心に紹介していること自体、完全に矛盾している。
どうやら日経BP社の記者たちには「ベンダーの犬」に堕しているようだ。
各企業のまともな経営者たちや管理職、情報システム部門は、日経BP社の書くIT関連記事は、所詮どこかのIT関連企業を儲けさせるための広告記事でしかないことを理解した上で、その部分を大幅に割り引いて読むべきだろう。
昔は日経BP社は良識ある出版社だと思っていた。
しかし最近のこの劣化ぶりを見ると、まだGIGAZINEやガジェット通信で紹介される、ふつうの市民の多様な意見にふれるほうが、よほど組織内での意思決定に有益だ。

SNH48の一期生最終選抜がこの日中情勢のなか今週末開催

日中関係が尖閣諸島国有化によって悪化し、民間レベルの交流活動も次々キャンセルされているこの状況で、SNH48も何もないと思うが、その後のSNH48の状況を見てみたい。
(※文中の写真はSNH48公式サイトにアップされている中国大陸各地でのオーディションの模様の写真)
SNH48とはAKB48のプロデューサ・秋元康氏が、中国大陸で現在第一期生のオーディションを行なっているアイドルグループだ。その他のAKB48クローンのアイドルグループと同様、上海の地名にちなんで「SNH48」と名付けられている。
SNH48の公式サイトはこちら(中国語)
2012/09/21時点で、第一期生のオーディションへの応募は締め切られており、応募者数は38,066名、書類審査を通過した1,000名について地区ごとにオーディションが行われ、10月中旬の上海で最終選抜が行われるようだ。
杭州地区予選受付けの模様
成都、杭州、広州、北京の予選はすでに終わっており、成都は21名、杭州は19名、広州は18名、北京は14名の合計72名が、上海での最終選考に進んでいる。(こちらの中国ツイッター「新浪微博」のツイートを参照
杭州地区予選、参加者が面接前にお祈り中
なお、SNH48メンバーへの応募資格は16~22歳という年齢制限がついている。
応募者総数38,066名が多いか少ないかだが、中国大陸の若年層人口は日本のざっくり10倍と考えていいので、日本でいえば3,800名が応募したことになる。中国大陸でのAKB48人気の水準は、この程度ということになる。
心の中でお祈り、次は私の番号?
応募者が少なかったことを裏付けるように、SNH48公式サイトではすでにメンバーの「通年募集」が告知されている。結局、期限を定めたメンバー募集では、一定のレベルを満たす応募者が十分な人数集まらなかったというこだろう。
全国各地から来た応募者、一次面接受付の様子
応募者が少ない原因の一つは、中国大陸のコアなAKB48ファンの年齢層が16歳より低いことがあるかもしれない。
また、16歳以上になるとすでに過酷な大学入試の受験準備が始まっており、アイドルで生計を立てようなどと言っている場合ではないシビアな現実もあるだろう。
結果発表会場
それに中国の場合は、そもそも両親が日本発のアイドルグループのオーディションに参加することを許すか、という大きな障害がある。
今回の応募者のほとんどが、おそらくはすでに大学生になっていて、比較的時間や経済的な余裕がある女子たちではないかと思われる。必然的に応募者数が少なくなるわけだ。
こうした大学生のお姉さんたちを、同じ中国大陸の小中学生の女子が応援するという図式は、中国大陸でも成り立つが、中国大陸の巨大な音楽市場の中では、きわめてマイナーになることは間違いない。
そして2012/09/21現在、SNH48の中国ツイッター(新浪微博)の公式アカウントがフォロワーに呼びかけているのは、SNH48の劇場名の募集である。劇場名を公募して何の意味があるのか分からないが、何とかSNH48を盛り上げようと必死な様子はわかる。
それでも中国ツイッターのSNH48の公式アカウントのフォロワー数は、たったの24,147人である。同じく中国の若者人口は日本の10倍ルールを適用すれば、日本なら2,400人程度と悲惨な数だ。
しかもSNH48の第一期メンバーへの応募者数より少ない。メンバーの応募者数よりフォロワーが少ないとは一体どういうことか。理解に苦しむ。
一次面接通過者がメディアとオフィシャルの取材中
いずれにせよこの週末2012/09/22~09/23が一期生メンバーの上海での最終選抜らしい。この日中情勢の中で、SNH48が出だしからどれだけ大コケするか。中国のネット芸能メディアがSNH48をどのように扱うか、あるいは完全に無視するか、見ものである。

iPhone5記事をヘイトスピーチでたたく悪趣味なAppleファン

Apple製品を非難されると、過剰反応するAppleファンは少なくないが、下記のブログの筆者もその一人のようだ。
『この人は何が言いたいのだろうか?w』 (2012/09/12 small G)
このブログ記事を知ったのは、ガジェット通信に転載されていたからである。
この「small G」というブログの筆者だが、マイナビの単なる職業記者に対して、「嫌韓」の文脈にまで踏み込んでiPhone5擁護論戦を張ることで、逆にAppleファンの「痛さ」を露呈している。
まず「small G」というブログの筆者が叩いているのはマイナビニュースの記事を読んでみよう。
『「iPhone 5」は事前情報通りのスペックに – はたしてライバルスマートフォンと比べて高機能なのか』 (2012/09/13 マイナビニュース)
確かにiPhone5とAndroidスマートフォンを性能だけで比較することに全く意味はない。その点でこの記事は駄文に違いないが、この種の駄文がないIT系ニュースサイトなど存在するだろうか。
単にこの記事の筆者「Nakano Yayoi」氏が、単なる売文を稼業とする職業記者だというだけのことだ。同じような職業記者をかかえているニュースサイトは世の中に山ほどある。
それは、この「Nakano Yayoi」氏が書いた別のマイナビニュースの記事を読めば分る。例えば下記の記事だ。
『ユーザー調査結果から考える「iPhone」の人気の秘訣』 (2012/07/31 マイナビニュース)
こちらの記事は、先ほどの記事とは正反対の内容になっている。
つまり「マイナビニュースでは、同誌会員を対象に、携帯電話・スマートフォンに関するアンケートを実施。本アンケートでもやはりiPhoneが人気であることがわかった」という書き出しになっている。
そしてアンケート結果がグラフで定量的に示され、最後は「現在のスマートフォンブームを牽引するiPhone。その人気は今後も続きそうだ」と締めくくられている。
「Nakano Yayoi」氏の署名によるこの2つの記事は、たった1か月半しか離れていないが、両者を見比べれば、この「Nakano Yayoi」という記者が純然たる職業記者であるということは明白だ。
同じ「Nakano Yayoi」氏署名の記事で、iPhoneに好意的な記事は他にもある。
『実質負担0円での購入も可能に!! ソフトバンクのキャンペーンでiPad/iPhoneを賢く入手』 (2012/06/29 マイナビニュース)
『この春が替え時? 「iPhone 4S」の機能・サービスを改めてチェック!!』 (2012/02/24 マイナビニュース)
マイナビニュースのような情報サイトにもなれば、このような職業記者を抱えて、とにかく毎日一定量の記事を出し続けることが、広告収入で事業を続けるために必要である。
「small G」の筆者は「Nakano Yayoi」氏を叩くブログ記事の中で、何度もAppleの収益率の高さに触れているが、マイナビニュースも営利事業であり、一定割合の駄文を混ぜてでも、広告収入を稼がなければいけないことが分からないはずがない。
マイナビニュースのようなニュースサイトに掲載される記事の価値は、それ以上でも以下でもない。
そうした記事の一つが、たまたまiPhone5についての駄文だからといって、「small G」の筆者は、いちいちそれに噛み付き、このマイナビの記者に対して韓国サムスンの回し者ではないかという、何の根拠もない嫌疑までかけ、韓国に対するヘイトスピーチにまで及んでいる。
いわく「ギャラクシーという猿真似電話」、「サムスンから金でも貰ったか?」、「要するに韓国目線だったのかな?」等々。見苦しいこと極まりない。
Apple製品を愛する人々は、この「small G」の筆者のように、たかが職業記者の駄文に対して、韓国に対する差別的発言をおりまぜつつ、魚拓まで残すという、きわめて趣味の悪い攻撃をするようなAppleファンの存在を恥じるべきだ。

自らの「いじめ」に無自覚な大人たちの罪

いじめとは、強い者が弱い者におこなうことだ、という間違った考えはもうやめよう。いじめとは、同じ程度に弱い者どうしが、特定の人物を排除して集団を作ることで、自らの身を守る行為である。
学校でいじめ問題が起こったとき、いじめの犯人を探し出して、最近話題になっているように強制的に出席停止にしたところで、学校に残った集団の中で、また誰かが排除され、仲間の集団が形成される。そうやって子供たちは、集団の中で保身をはかる。
いじめに対する唯一の解決策は、以前ここにも書いたように、集団の構成員を固定化せず、一つの集団から別の集団にいつでも移動できるようにすることだ。
クラス制や学区制はやめる必要がある。
クラス制をやめて、例えば科目ごとに生徒たちが教室を移動するようにする。給食も、例えば直前に座っていた教室でそのまま食べるなど、学校の中で子供たちがつねにシャッフルされるようにする必要がある。
そして、特定の住所に住んでいるからと言って、通う小学校や中学校が一つに決められるという、子供にとって何のメリットもない制度はやめ、少なくとも3、4校から選べるようにすべきだろう。
構成員の流動性をあらかじめ上げておけば、そもそも、集団を形成してその中で自分の身を守る、ということが不可能になる。
特定の人物を排除するためには、その前提として、関係する人々が、ある固定された集団に所属している必要がある。「排除」が意味を持つのは、まず最初にある集団が存在し、その集団の構成員から外される、という場合に限る。
最初から固定された集団が存在しなければ、「排除」という行為が成立しなくなり、少なくとも集団に帰属することで自らの身を守るという方法でのいじめはなくなる。
数十年前に比べて、小中学校のいじめが仮にひどくなっているとすれば、昔は子供たちや、その親たちが、校区にしばられない交流をもつことができる、地域のコミュニティーがまだ残っていたからだろう。
つまり、学校という単位よりも大きな集団が存在したために、いじめがあまり過激にならずに済んでいた、ということだ。
ただ、学校でのいじめがなくなっても、社会人になってからの「集団への帰属による自己保身」はなくならない。
子供たちと違って、大人は生計を立てる必要があるので、いま働いている職場からかんたんに離れるわけにはいかない。したがって「排除」による「いじめ」が作動しやすい条件になる。
大人たちは、じぶんたちのやっていることを子供と同じレベルの行為だと認めたがらないので、「いじめ」ではなく「ハラスメント」というかっこいい名前で呼ぶが、やっていることは子供の「いじめ」と何ら変わらない。
ただ、大人社会のハラスメントは、嫌がらせを行う方が強者、被害を受ける方が弱者という図式で考えられがちだが、これも間違っている。
嫌がらせを行う方は、当然のことだが、その組織に入った瞬間から強者であったわけではなく、強者に成り上がった人物である。その強者に成り上がる過程の一つひとつに、実は、広い意味でのハラスメントが行われている。
組織に入りたての人間は、その組織の中では弱い立場にある。自らの立場を強化するには、組織の中の適切な集団に帰属する必要がある。この時点ですでに「排除」の方法による自己保身が作動している。
それは、社内の同好会であったり、ゴルフ仲間だったり、毎日昼食をいっしょに食べに行く仲間であったり、飲み友達であったり、表面上はごくありふれた「人付き合い」のかたちをとるが、実質的には組織内で特定の人々を排除し、「出世」するための集団形成という機能を持っている。
やっていることは、子供の「いじめ」と本質的に違いはない。
子供の場合は、あまりに素直すぎるので、「排除」の行為が直接的な暴力や、身体的ないやがらせなど、それこそ「子供っぽい」形で現れるが、大人は頭がいいので、多くの場合は無言の同調圧力、精神的に追いつめるなどの方法で、特定の人々の「排除」を行う。
重要なのは、ほとんどの大人が、こうした「人付き合い」を、大人社会では重要なことであり、むしろ望ましいことだと考えて疑わない点である。
子供のいじめ問題をとりあげるテレビ番組が、よく「大人がしっかりしなければ」「大人が子供たちをよく見てあげなければ」と、まるで大人社会が「いじめ」の構造から自由であるかのように語っているが、これはまったくの誤りである。
むしろ大人社会は、集団の同調圧力と、その結果、特定の人々を排除する行為を、「人付き合い」として肯定している。そんな大人たちが、子供たちのいじめの構造的な原因になっている、「集団への帰属による自己保身」を解消できるはずがない。
大人たちは、まさに自分たちが日々、特定の集団に所属することで、自分の身を守るのに汲々としているのだから。
大人社会の「いじめ」は組織の間でも起こる。
典型的なのは発注元企業の社員による、発注先企業の社員に対する、法律にはふれない程度の高圧的な態度。どちらも自分の属する組織の中では、実は弱い立場にある人々であり、一人ひとりは「いい人」である。
ところが、自分の組織で弱い立場であるがゆえに、かえって「自分が所属している組織の利益のため」という口実のもとに、相手の組織の構成員に、ときには無理な要求を突きつけたり、精神的になじるような言葉をくり返したりする。
「自社の利益のため」という立派な口実があるので、大人たちは自分が行なっている「いじめ」を完全に正当化することができる。したがって、ほとんどの大人たちは、日々、自分自身が「いじめ」を行なっているという自覚さえない。
そういう自分の行なっている「いじめ」、つまり「集団への帰属による自己保身」に無自覚な大人たちが、同じ構造で起こっている子供たちの間の「いじめ」を解決できるはずがない。
学校制度を実務レベルで成り立たせている教育現場や、教育委員会などの組織が、同じように「集団への帰属による自己保身」に汲々としている大人たちで構成されているとすれば、子供たちの間のいじめの解決など、望むべくもないのだ。
まずは大人たちが、自ら日々おこなっている「いじめ」を自覚し、その「いじめ」を、自分の所属する集団の利益のためだ、などという口実で正当化していることに気づく必要がある。
ただ、僕は個人的に、日本の大人たちが「組織のため」という口実で「いじめ=集団への帰属による自己保身」を日常的に続けることを、そう簡単にやめるとは思えない。そんな希望を持つほど、僕はおめでたい人間ではない。
なのでせめて、そういう現実に絶望した人間が、安寧な死を選べるような制度を整えてはどうだろうか。
自覚のない大人に自覚を持たせることに膨大な労力をつぎ込むくらいなら、この社会から自らの意思で退場したい人たちは安らかに退場できるようにする方がいいかもしれない。
そうすれば、何十年かたった後、いつの間にか自分たちの社会を動かすのに十分な数の人間がいなくなっていることに気づき、そのとき初めて、自分の「いじめ」に無自覚な大人たちが危機感を持つだろう。
そうでもしなければ、大人たちは目を覚まさないのではないかと思う。

ACME社とはどこのどういう会社か?

よくマイクロソフトなど海外のITベンダーの管理者向けマニュアルを読んでいると、会社名としてAcme Corporationというのが出てくる。僕は今まで何かの略語なのだろうと思っていたら、ちゃんと英語版Wikipediaに解説があった。
Acme Corporation
もとは米国ワーナー・ブラザーズのアニメ『ロードランナーとコヨーテ』(1948年開始)に登場する架空の会社名で、その後、他の米国のアニメでもよく使われるようになったという。たとえば下記のエピソードの3分48秒にも、ACME社製のダイナマイトが登場する。

「acme」という単語自体は古代ギリシア語起源の「絶頂」という意味がちゃんとある。たぶん女性より男性の方が知っている割合が多い外来語だろう。
なぜ『ロードランナーとコヨーテ』にこのACMEという社名が使われるようになったのかと言えば、上記のウィキペディアによると、もともとACMEという会社は実在し、1920年代の米国ではそこそこ人気のある社名だったらしい。その理由はABC順の電話帳の最初の方に掲載されるからだという。
『ロードランナーとコヨーテ』に登場する架空のACME社はコングロマリットで、実にさまざまな製品を発売しているらしく、主にロードランナーに対していろいろないらずらを仕掛けるコヨーテの方がACME社製品を小道具として使うことが多いらしい。
『ロードランナーとコヨーテ』以外に架空の社名として登場した例は、米国のテレビドラマ『アイ・ラブ・ルーシー』(1951~1957年)。それからもっと以前、1920年代にバスター・キートンのサイレント映画や、ハロルド・ロイドの映画にも登場したらしい。
一見つまらない事にも、けっこう長い歴史があるんだなぁと思った。この記事自体つまらなくて申し訳ない。