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alan、活動の中心を中国に移す、について敢えてゴシップ的に

どうでもいい人にとってはどうでもいい話だが、エイベックス所属、中国四川省美人谷出身の女性歌手alanが、2011/07/31に東京・人見記念講堂で3rdコンサートを行った後、活動の中心を日本から中国に移すとのこと。

alan本人がTwitter(ツイッター)とアメブロで発表した。
その後の情報によれば、中国でのavex Chinaとのマネジメント契約は打ち切られ、現地の芸能事務所に移籍するらしい。レコード会社は日中とも変わらずエイベックスのままとのこと。
詳細は、alanが来月中国へ帰国し、しばらく休養をとったあと、中国での発表となるらしい。
日本のalanファンとして気になるのは、日本でのエイベックスとのマネジメント契約がどうなるか、ということだろう。
中国で別事務所に移籍するのに、日本でエイベックスがalanのマネジメントを続けるとは考えづらい。日本ではマネジメント事務所に所属せず、純然たる「外国人タレント」として活動する可能性もある。
2011/07/04から07/14まで、中国ツイッター「新浪微博」で、中国側でalanの活動をコーディネートしていた、いわゆるavex ChinaのA&Rである中山邦夫氏が、alanのPV制作を、回想するツイートを連続投稿していた。これが実はalanがavex Chinaを去ることをほのめかしていた、というわけだ。
中山邦夫氏の一連のツイート(新浪微博より)
「なつかしいPVメイキング-1」
「なつかしいPVメイキング-2」
「なつかしいPVメイキング-3」
「なつかしいPVメイキング-4」
「なつかしいPVメイキング-5」
「なつかしいPVメイキング-6」
また、alanのプロデューサである菊池一仁氏が、最近クラブDJとしての活動も始めたことは、日本で彼女の楽曲をプロデュースする仕事の予定が、今後入っていないことを暗に示していたのかもしれない。
以前からこの「愛と苦悩の日記」に書いてきたように、そもそもエイベックスは、中国人の彼女を日本で売り出すために、体系的な日本語教育や、日本社会への適応教育など、十分な準備をしなかった。
この点は、ローラ・チャン(中国・杭州出身)の所属事務所が、本格的なデビュー前の彼女を日本語学校に通わせ、日本のホストファミリー宅にホームステイさせていたことと比べるとはっきりする。
楽曲のクオリティと歌手の実力さえあれば、日本人歌手と同じようなプロモーションをすれば売れると楽観していたふしがある。じっさいには、日本のマスメディアの扱いは、中国人タレントといわゆる韓流スターとではまったく違う。
先日、エイベックスは韓国のYGエンターテインメント社との共同レーベル「YGEX」を設立したが、ユニバーサル所属の少女時代やKARAがこれだけブレイクした後では、やや遅すぎる。
エイベックスはかつてS.E.Sや天上智喜といった韓国人女性グループを日本で売り出しているが、どちらも鳴かず飛ばずで、BoAが唯一の外国人女性歌手の成功例と言って良い。
ただ、BoAの成功にしても、男性グループ東方神起の成功にしても、日本で売り出すためのアーティストとしてのマネジメントの基礎は、韓国のSMエンタに依存していた。エイベックスはノウハウを持っていなかった。
その意味で、alanの3年半にわたる日本での活動が、映画『レッド・クリフ PartII』主題歌『久遠の河』の1曲以外に、大きな実を結ばなかったのは、エイベックスが外国人歌手のマネジメントについて、S.E.Sや天上智喜、東方神起のケースから、何も学ばなかったことを示している。
エイベックスがalanを、タレント・マネジメントも含めて担当し、日本で売り出そうとしたのは、明らかに実力を超えた無謀な試みだったと言わざるを得ない。
なので、活動の中心を中国に移すというのは、エイベックスのマネジメントに、不満を抱いていたかもしれない、中国のalanファンにとっては朗報だろう。
ただ、中国のalanファンたちは、どうやら菊池一仁氏の作曲したクオリティの高いJ-POPを、alanが歌えなくなるおそれがある点だけは、かなり残念に思っている。
ところで、日本で小さな成果しかあげられなかったalanが、中国大陸を中心に活動するのは、決して平坦な道とは言えない。それはalanが中国語アルバム『蘭色』をリリースしたときのことを思い出せば分かる。
alanは初の中国語オリジナルアルバム『蘭色』をリリースしたとき、しばらく中国大陸でプロモーション活動をしていた。
彼女がビビアン・スーと同じように、日本で有名になってから帰国して活動する「逆輸入」を狙っているのではないかと、中国で軽く非難された経緯がある。
「alanはビビアン・スーの模倣を否定:日本デビューは”逆輸入”ではない」
百度の掲示板サービス「貼吧」の「oricon板」のスレッド
ビビアン・スーは台湾出身なので、何か問題を起こすと大陸でバッシングされるのは仕方ないが、alanも漢族ではなく、チベット族という少数民族だ。
また、ビビアン・スーに比べて日本での知名度、成功度がはるかに低いことから、帰国後、大陸で本格的に活動を始めるとき、ある程度のバッシングを受けると思われる。
さらに、よくよく考えてみると、alanの方からavex Chinaとのマネジメント契約解除と、活動の中心を日本から中国へ移すことを、日本のエイベックスに申し出る理由が見当たらない。
性格的には負けず嫌いで頑固なalanが、自分から日本市場での「負け」を認めるなどということは考えづらい。
あくまで個人的な推測だが、今回の件はエイベックスが、中国人歌手を日本でプロモーションするのは事業として成り立たないと判断し、alanを切ったのではないか。
もちろんalanを取り巻く日本人スタッフたちは、日本で活動を続けるべく経営陣と掛け合ったに違いないが、現実的に成果が出ておらず、このような結論になったのかもしれない。
このことと、エイベックスが韓国のYGエンターテインメントと共同レーベルを設立した時期が合致するのも、おそらく偶然ではない。日本市場では中国人アーティストがブレイクする可能性はないと、エイベックスの経営陣は判断したに違いない。
それにしても悔やまれるのは、エイベックスの中国人タレント・マネジメントの準備不足だ。
alan本人に全く責任がないとは言わないが、日本で彼女を本当にブレイクさせたかったのなら、無理にでも日本語学校に通わせたり、日本文化に適応させたりする努力をすべきだった。
ただ、先日2011/07/10のニコニコ生放送「alanと一緒に過去のライブを見よう!DVD視聴会」の最後で、alanが大泣きして悔しさをにじませていたのは、alanが自分の責任も感じていたからではないか。
自分は精一杯の努力をしたのにブレイクしなかった、という認識なら、alanはどこかで必ず間接的にエイベックスに対する怒りを吐露するはずなので。
以上、下らないことをつらつら書いてきたが、alanが活動の中心を中国に移すことになっても、どこのスポーツ新聞も、週刊誌も取り上げないので、あえてスポーツ新聞の芸能欄的な「下品さ」も含めつつ書いてみた。
ゴシップはタレントがブレイクするために必要なものであって、芸能界はきっと、清く正しく美しくだけで人気がでるほど、なまやさしい世界ではないはずなので。

JOIN ALIVEの鬼束ちひろを又聞きでレビュー

鬼束ちひろが、2011/07/24の「JOIN ALIVE 2011」(北海道・岩見沢)のステージで3年ぶりにライブをしたが、その様子がかなりブッ飛んでいたらしい。
こちら「豆柴・楓パパ」さんのTwitterを参照。
また「Listen.jp」の下記の記事を参照のこと。
『夏フェス会場騒然、鬼束ちひろ“クレオパトラ姿”でタンバリンを叩きつけ熱唱』(2011/07/25 Listen.jp)
以下、「豆柴・楓パパさん」の関連ツイートを引用させて頂きつつ、5月に彼女の渋谷の個展会場で、鬼束ちひろ本人に会って、小一時間、ファンの皆さんと雑談したときの彼女の様子をふまえて、コメントしたい。
その時の様子は、この「愛と苦悩の日記」の「鬼束ちひろにキスマークをつけられた件」(2011/05/14)に書いた。
なお「豆柴・楓パパ」さんのツイートは、一般の観客の方の反応としてはきわめて普通で、僕としては批判する意図はまったくないことを、最初に記しておく。
■見かけ上の攻撃性は自己防衛
「そして鬼束事件①ピアノとチェロのみのセットを見たときは美しいライブを期待したのですが(涙)なんとなくアカペラの1曲目から声にキレがなくロングトーンでも声がひっくり返ったり、様子がおかしく感じました。エジプト風衣装は「多少の演出」と思っていたのです・・・ #joinalive11」
原文はこちら
1曲目は4thアルバム『DOROTHY』収録の1曲目「A WHITE WHALE IN MY QUIET DREAM」だったようだ。
「美しいライブ」とあるが、鬼束ちひろについて、かつての「癒し系歌姫」的なイメージはもうない。Aラインのロングドレスで登場、などという期待はもってのほかだ。
最新アルバム『剣と楓』を聴くとわかるように、今の彼女にとって『月光』や『蛍』のラインの曲は、たくさんある作風のうちの一つの選択肢でしかない。

ライブでの歌唱が安定していないのは、ブランクがあったせいだろう。その状態でステージに上がるのが、プロとしてふさわしいかといえば、ノーだが、今回のライブの結果は、彼女自身が引き受けることだ。
声質も確かに以前とくらべて変化している。
年齢のせいと、あとは、昔のように極度のストレスからパニック障害になるほど多忙ではなく、スケジュールに余裕のある生活で、毎日声を出しているわけではないことからだろう。
彼女はデビュー当時から、ボイストレーナーに発声の訓練をうけることを拒否しているので、こうなるのは必然的な帰結だ。
エジプト風衣装という部分は、最近の彼女のファッション傾向を知らなかった観客には、かなり刺激が強かっただろうが、演出でも何でもなく、彼女の普段着より少し派手だっただけと思われる。
ファッションを含めて、最近の鬼束ちひろの見かけ上の「攻撃性」は、彼女が緊張状態にあるときの、自己防衛と考えていい。
個展会場での様子もそうだが、女性マネージャーと2人きりで話しているときや、一人で資料を読んでいるときなど、対人関係の緊張がないときは、きわめてふつうだ。
むしろ、僕の帰りぎわ、彼女が個展に来てくれたことに対して、ていねいにお礼をしてくれた様子は、ファンのこちらが恐縮するほどだった。
今年出版されたエッセー集『月の破片』を読むとわかるように、対人関係、とくにステージなど大人数を前にしたときの、鬼束ちひろの緊張症は、2ndアルバムのころからかなり重いようだ。
■『月光』のころの彼女はあやつり人形
「鬼束事件②2曲目は比較的よかったのですが、振り付けが自己満足の状態で演出として観客に伝わっていません。『おや?』この辺から衣装自体にも不穏なものを感じました。演奏終了後の奇声で大半の観客が凍り出しました・・・ #joinalive11」
原文はこちら
この曲は「豆柴・楓パパ」さんのツイートから『青い鳥』だろうと思ったが、Listen.jpの記事によれば、やはりそうらしい。

自己満足の状態の振り付けは、『X』(2009/05/20発売のシングル)のPVですでに見られ、『帰り路をなくして』(2009/07/22発売のシングル)のPVでも見られる。
もちろん『青い鳥』(2011/04/06発売のシングル)のPVにもあるので、昔からのファンにとっては、特に奇異なものではない。
ケイト・ブッシュがリンゼイ・ケンプに薫陶をうけたのと違って、鬼束ちひろの舞踏は我流で、バレエや日本舞踊などの基礎もないので、ヘンに見えるのは仕方ないだろう。
彼女のそういった経緯を知らない観客に、彼女の舞踏で何も伝わらないのは、ある意味、当然かもしれない。
『月光』時代の、一般受けするようにガチガチに演出された鬼束ちひろと、今のセルフプロデュースの鬼束ちひろは、全く別のアーティストというべきかもしれない。
「奇声」については、実際にどういった声だったかを聞けば、かなり的確に理由づけをする自信はある。
じゃあ岩見沢に行けばよかったじゃないか、と言われそうだが、僕はパニック障害で飛行機に乗れず、北海道では日帰りできないので仕方ない。
■鬼束ちひろとパニック障害
「鬼束事件③そして問題の3曲目。何やら必死に床のセットリストをいじり出す、どうやら歌詞だった模様。そして土下座状態で床にタンバリンを叩きつけながら歌う・・・最後は息切れとも喘ぎ声ともつかぬ声で終了。 #joinalive11」
原文はこちら
この3曲目はListen.jpの記事によれば「BORDERLINE」らしい。3rdアルバム『SUGAR HIGH』(2002/12/11発売)の最後に収録されている曲だ。
なるほど、「BORDERLINE」なら、タンバリンを床に叩きつけて、最後は喘ぎ声になるのもうなずける。最後のリフレインは、2002年当時の彼女でさえ絶叫でしている。そういう曲なので仕方ない。
また、鬼束ちひろはシンガー・ソングライターなので、英語の詞を含めて、歌詞を部分的に間違えることはあっても、歌詞カードを見なければ歌えないということはない。
なので、セットリストをいじり出すという行動は、もしかすると、パニック障害の「予期不安」のせいではないか。彼女が二度と味わいたくない、ステージ上での恐ろしい体験だ(詳細は彼女のエッセー『月の破片』を参照のこと)。

同じ公の場所でも、渋谷の個展の会場で僕が直接話した鬼束ちひろは、自分のファンとスタッフに囲まれ、そうした不安におちいらずにすむ。
しかしJOIN ALIVEは初めての会場で、最近の鬼束ちひろを知らない大勢の観客を前にして、この3曲目あたりで彼女は「予期不安」におそわれたのかもしれない。
仮にそうだとすると、手元にある物をもてあそんだり、身近にいる誰かとおしゃべりするなど、何とか発作にならないように気を紛らす必要がある。
演奏を続けつつ予期不安をおさめるには、セットリストをいじったり、タンバリンを舞台に叩きつけるなどの激しい動作で、注意を分散させるしかない。
パニック障害の予期不安から発作への流れを、何度も経験している僕としては、その不安は察するに余りある。死んでしまうのではないかという、かなりつらい状況だ。
「鬼束事件④4曲目はカバー曲らしいけど、なぜか黒人系を意識したと思われるダミ声で歌う・・・デス声に聴こえたのは私ぐらいか?気になったのは神経質にリストをいじる仕草。なんか精神的なコンディションが悪かったのでは?そう思いました。 #joinalive11」
原文はこちら
4曲目はListen.jpによれば、The Guess Whoのカバーで「American Woman」とのこと。レニー・クラビッツもカバーしているようだ。
ダミ声の件は、最新アルバム『剣と楓』の「NEW AGE STRANGER」というエレクトロポップで彼女が試みているような、今までの透明感のあるボーカルとは違う発声のことと思われる。
シングル『青い鳥』のカップリングになっている、アコースティック・アレンジの同曲の方が、その発声法がよく聴きとれる。
なのでダミ声についても、鬼束ちひろのファンにとっては経験済み。とくに目新しさはなかったに違いない。
それより気になるのは、神経質にセットリストをいじりつづける仕草で、上述のように、パニック障害の予期不安をごまかし、気を紛らせるための行動と考えると、説明がつく。
■自信過剰と自信喪失のはげしい落差
「鬼束事件⑤結局ラストになった持ち歌『Beautiful Fighter』直前のMCでは開口一番『おまえらはマゾだ!』う~ん・・・ホルモンでさえもう少し品があった気がする。しかもコード進行を把握しておらずグダグダに終わる。ヒット曲は大事な商品のはずだが? #joinalive11」
原文はこちら
彼女が仮にパニック発作寸前だったとすれば、とてもMCなどできる状態ではない。MCの内容が支離滅裂でもムリもない。
別に頭がおかしくなったわけではなく、とにかく不安感を紛らすために、何かをしゃべり続けないと、その場に立っていることさえできない。そんな状況だったとも考えられる。
そして、ギターのコード進行を把握していなかった件。鬼束ちひろは子供のころエレクトーンを習っているが、クラシック・ピアノの教育は受けていない。作曲にはピアノではなく電子キーボードを使う。
ましてギターは、5thアルバム『DOROTHY』以降に始めたばかり。いわば「三十の手習い」で、単純なカッティングで何とかコードは弾けます、というレベルに違いない。
今回のJOIN ALIVEでは、彼女としては新しい自分を見せるために、あえてギターに挑戦したのだろう。ファン・サービスのつもりだったのかもしれない。
公の場では自信たっぷりで堂々としているかのような言行を見せながら、ある部分で極めて自己評価が低いことは、『月の破片』を読むとよく分かる。
そんな彼女が今回のライブのために、一人の部屋で『Beautiful Fighter』のコードを練習している姿を想像すると、ファンとしては泣けてくる。
しかも、仮に本当にパニック障害の予期不安があったとすれば、この曲の頃には、すでに不安感は耐えがたいレベルに達していたと思われる。MCにも増して、ギターを弾く余裕など全くなかっただろう。
■あくまでしらふだが、コカコーラ依存
「鬼束事件⑥なぜかコーラを給水?スポンサーでもないのにラベル貼りっぱなし。そのあげく歌詞orセットを神経質に片付ける。突如メンバー紹介をしてピアニストにナゾのポーズを決める???そして遂に奇声一番でリストを放り投げ退場。 #joinalive11」
原文はこちら
コーラの件だが、鬼束ちひろファンなら知っているように、デビュー当時からのステージドリンクだ。ノンカロリーではなく、がっつり糖分入りのコカコーラしか飲まない。なので3rdアルバムのタイトルは『SUGAR HIGH』。
レコーディング中もコカコーラを飲み、いくらコーラを飲んでもげっぷが出ないのは、ファンにはよく知られた話。
昔のステージではコカコーラのラベルを隠していることもあったが、JOIN ALIVEのスポンサーが寛容だったということではないか。
鬼束ちひろはよく誤解されるような、アルコールや薬物の中毒はない。鬼束一家は全員お酒が飲めない体質であることは『月の破片』に詳述されている。

また、彼女はタバコも吸わない。僕もタバコを吸わないので、喫煙者のとなりに座れば、とくに女性の場合は髪の毛から煙の匂いがするのですぐ分かる。
渋谷の個展会場で、僕は彼女のとなり50センチくらいの距離にずっと座っていたし、ハグもしてもらったが、彼女からタバコの匂いはまったくしなかった。
彼女は2002年ごろ、『月光』がブレイクした後の超過密スケジュールのため、不眠症になり、今でも不眠症の薬を飲んでいる。仮にアルコールや薬物に依存していれば、睡眠導入剤との副作用で、とっくに体を壊しているはずだ。
『月の破片』で本人も書いているように、鬼束ちひろはとにかく体は丈夫らしい。例の殴打事件でも、医者が驚くほどケガの回復が早かったという。
さて、神経質に歌詞やセットリストを片付けた後、突然のメンバー紹介、ナゾのポーズでの退場。これらも、予期不安が耐えがたいレベルになっていたと仮定すれば納得がいく。
ともかく一刻も早くステージを降りないと、ステージ上で倒れてしまうかもしれない。そんな状態で、メンバー紹介の段取りだけは何とか消化した、といったところだろう。
ナゾのポーズについては、ステージを去るときの照れかくしみたいなもので、これもライブ終わりの彼女の昔からのおちゃめなクセだ。
昔のライブをDVDで見ると、満面の笑みで客席に向かってピース!みたいな感じだが、最近のファッションの変化に、仮に予期不安が重なっていたとすれば、かなり奇妙なポーズになっていただろう。
■レコーディング中心の活動がみんなハッピー?
「鬼束事件⑦その後、観客は取り残された感じで「え・・・え~~」とあぜん。ステージの入れ替えが始まり終了したことを知りました。 #joinalive11」
原文はこちら
今回のJOIN ALIVEの観客のうち、鬼束ちひろの1stアルバムから最新アルバム『剣と楓』まで聴いているファン以外の人たちは、『月光』や『眩暈』のころの彼女の印象しかないだろう。
その頃と比較すれば、ただでさえ10歳も年を重ねているし、ファッションも言行も奇抜だし、ただ言葉を失うしかないのは当然だ。
ただ、最近の彼女の様子を知っていたファンにとって、JOIN ALIVEのステージは7割方は納得できるものだったに違いない。
残りの3割は何かと言えば、秋冬に予定されている2,000人キャパの会場でのライブへの不安だ。
個人的にいちばん心配なのは、今回のJOIN ALIVEのステージで、彼女が舞台上で初めてパニック障害の発作を体験した時のことを、追体験してしまったのではないか、ということだ。
鬼束ちひろは、4thアルバム『LAS VEGAS』の後も約2年間、表立った活動を休止したが、30歳という年齢から、自分には音楽しか生きる道がないことを覚悟している。このあたりも『月の破片』参照。
スタジオ中心の活動なら、舞台の不安を味わうこともなく、自分の好きな作詞・作曲に没頭できる。父親が社長になっている個人事務所のナポレオンレコーズに移籍しており、プロデュースも自分の思うままにできる。
その意味で、5thアルバム『DOROTHY』の制作以降、ここしばらくは、デビュー以来初めてと言っていい、ほぼストレスのない音楽活動をしていたと言える。

ちなみに、例の殴打事件が、鬼束ちひろの音楽性の本質にほとんど影響していないことは、『月の破片』を読むと分かる。むしろ彼女の生活にとっては、宮崎県の実家にいる両親と、妹1人、弟1人の家族以外に、親しい人間関係を作れないことの方が、本質的な問題のようだ。
そんなふうに、ここ2年間ほどはスタジオ中心の平穏な音楽活動をしていた鬼束ちひろが、今回、久しぶりに舞台に上がってみて、予想以上に不安感や恐怖感が強くて自分でも驚いたのではないか。
その結果、パニック発作ギリギリのところまで追いつめられ、ほぼ余裕のない想定外の展開になってしまった、というのが真相のような気がする。これは飽くまで個人的な推測にすぎないが。
今ごろ彼女は、他人に対しては平静をよそおいつつ、不眠症を悪化させているかもしれないし、宮崎の母親に電話をかけまくっているかもしれない。
今回のJOIN ALIVEの前に、お気に入りのニューヨークへ旅行していたのも、何とかステージを乗り切るのための充電を、という一心だったのかもしれない。
個人的には、鬼束ちひろはレコーディング中心で活動するのが、本人にとっても、ファンにとっても結局はハッピーなのではないかと思う。ライブをするなら、キャパの小さいライブハウスだけにしてはどうか。
彼女は『月の破片』の中で、今も自分を応援してくれるファンを大事にしたいという思いを新たにしている。表立ってそれを口にするときは「聴きたくない人は聴かなくていい」なんて、突き放した言葉づかいになってしまうが。
そんなファンとの交流は、何ならUSTREAMやニコニコ生放送など、コストのかからないネット放送で、身近なスタッフを司会に、リラックスしてできる状態でやってはどうか。
渋谷の小さなCAFEで、鬼束ちひろ本人と小一時間、楽しく過ごした僕としては、その方が望ましい姿のような気がする。

えっと、今ごろ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観た理由

えっと、今晩TSUTAYAで借りたDVDで初めて『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観た。

上映2年たった今ごろ観ているのは、上映当時、ちょうど体調が悪くなり始めたころだったからだ。今になってやっと観る気になったのは、それだけ回復してきたということかもしれない。
一年前は、一人でカラオケに行って、アニメ映像付きで『魂のルフラン』を歌うだけでも、あやうく予期不安からパニック発作に移りそうになったくらいなので。
はぁ、しかし再構築版のヱヴァがこういう物語だったのなら、もう少し早く観てもよかったかもしれない。まさかここまでポジティヴな結末になっていたとは。
これで電気グルーヴでもBGMになっていようなものなら、「エウレカセブンか!」とツッコミを入れたくなるほどだ。しかも、もろに綾波、シンジ、アスカの三角関係。逆に期待を裏切られた感じがしないでもない。

林原めぐみが、わざと下手くそに歌っている『今日の日はさようなら』や『翼をください』といい。
このブログ「愛と苦悩の日記」を始めるきっかけになった、もともとの親サイト「think or die」の、そのまた元のサイト「水のテマティック」で注目した、例の、エレベーター内で綾波レイとアスカが無言のままの固定カメラのカット。
『破』ではずっと短くなっているし、アスカがエレベーターを降りるときの対話は、驚くべきことに綾波レイのシンジへの恋心の告白になっているという始末。
エヴァって、もっと観客の感情移入を突き放すような演出が基調だった気がするのだが、庵野秀明も年をとったということだろうか。
宮台真司が公開当時、この『新劇場版:破』に何かコメントしていたかどうか知らないが、『魔法少女まどか☆マギカ』の結末にコミュニタリアニズムの「近接性」の考え方を援用して論じるなら、この『破』のラストこそまさに「近接性」以外の何ものでもない。
綾波が碇シンジの母親のダミーだとすれば、時間をさかのぼって母親を助けていることになるわけで、鹿目まどかが時間をさかのぼって(?)暁美ほむらを助けているのと同型だ。
再構築されたエヴァが、すでに「セカイ系」の物語の基礎に「近接性」を挿入していたのなら、『魔法少女まどか☆マギカ』は大震災後の世界の「近接性」の重要性を告げるアニメでも何でもないことになる。
それを証拠に、『破』に登場する第8の使徒を、零号機、初号機、2号機が協力して殲滅した後、第三東京市が使徒の死骸(?)の赤い津波に呑まれていく様子が、ほぼ人間の視点の高さで非常にリアルに描写されているじゃないか。
もっと言えば、最後の第10の使徒が初号機を捕食するシーン、頭からガブリといくシーケンス、『魔法少女まどか☆マギカ』で、巴マミがお菓子の魔女シャルロッテに喰われるシーケンスと似ていないか。

たぶん、これらは単なる偶然の一致で、スタジオ・ジブリを除く日本のアニメーションの世界は、意外に狭いもんですよ、というだけのことかもしれない。
宮台真司のコミュニタリアニズムへの「転向」にしても、そもそもは彼の実存を反映しているだけと、僕は考えている。結婚して子供を持てば、誰だって「近接性」がシステムの動因だと考えたくなるものだ。
1960年生まれの庵野秀明も年をとって2002年に安野モヨコと結婚してと、そんなふうに実存とそこから生み出される作品の、密接な並行関係を考えると、結局、人間ってそんなもんですか、とひとりごとを言いたくなる。
ちなみに宮台真司は1959年生まれらしい。庵野秀明と全く同じ世代ではないか。
そういう風に考えてみると、20歳を過ぎて『新世紀エヴァンゲリオン』に出会って、自分自身の中のサラリーマン社会に適応できない部分を正当化する作業を、「水のテマティック」から始まって、「think or die」、つづいて「愛と苦悩の日記」からTwitterへ、その間ごていねいにも、パニック障害やうつ病まで発症して、「厨二病」的に続けている一人の観客は、完全にバカを見ているというわけだ。
どうやらサードインパクトは、カヲル君とロンギヌスの槍の登場で免れたようだが、『新劇場版:急』が公開されるころには、薬に依存せずにサラリーマン社会に適応できていることを望みたい。
ヱヴァンゲリヲンのレビューなのか何なのか、よくわからない文章になった。

パロマ工業社長が有罪で、東京電力社長が無事退職の不条理

パロマ工業の湯沸かし器事故で、東京地裁が元社長と元品質管理部長に有罪判決を下したことをご記憶だろうか。
『パロマ工業元社長に有罪 「不正改造、放置」 湯沸かし器事故で東京地裁判決』(2010/08/06 朝日新聞)
民事訴訟で賠償請求されたのではなく、業務上過失致死傷罪の刑事事件でトップが裁かれたのだ。
ただ、当時もパロマ工業の元社長に刑事責任まで問うのは、やや行き過ぎではないか、という意見はあったようだ。
というのは、パロマ工業と修理業者には全く資本関係がなかった。修理業者がたまたまパロマ工業の製品をあつかっていた、というだけの関係だ。
さらに、修理業者がガスを自動的に止める安全装置をバイパスする不正改造をしたきっかけにも、議論の余地がある。
湯沸かし器が古くなり、火がつきにくくなったため、安全装置が「正常に」機能してお湯が出なくなった。にもかかわらず、それを使っていた消費者が故障だと勘違いして、修理業者を呼んだところから始まっている。
そして呼ばれた修理業者が応急処置として、安全装置をバイパスし、お湯が出るようにした。これを「不正」改造と言えるのか。仮に「不正」改造だとしても、そのように改造できる作りになっていたことが、パロマ工業の刑事責任にまでなるのか。
例えば、原付バイクのリミッターを切って、制限速度オーバーで交通事故が起きた、という例はいくらでもあると思うのだが、バイクメーカーの社長が刑事責任を問われた話は聞いたことがない。
執行猶予付きではあるが、有罪の求刑をうけたパロマ工業の元社長と元品質管理部長は、控訴することもできた。だが、企業イメージの悪化を避けるために、あえて控訴せず、有罪判決をのんだという。
ところで、なぜこのパロマ工業の事件を思い出したのかといえば、もちろん東京電力との比較だ。
東京電力は地震発生の数日後には、福島第一原子力発電所の圧力容器内で、核燃料が溶融している可能性を認識し、それによって水素爆発など、より大きな事故を予想できる状態にあった。
しかしその事故を避けるための情報開示をせず、結果として福島県だけでなく、他府県のさまざまな事業者の業務を妨害した。
これだけで、東京電力の経営陣に対して、偽計業務妨害罪の刑事責任を十分に問うことができる。
なのに、パロマ工業の一酸化炭素中毒事故のときは、よってたかってパロマ工業を非難し、同社の経営者を前科者にまで仕立て上げたマスコミが、なぜ今回の福島第一原発の事故では、東京電力の経営陣を偽計業務妨害罪にさえ問わないのか。
偽計業務妨害罪といえば、京都大学などで携帯電話を使ってヤフー!質問箱に試験問題を送信した、あの学生くんと同じ、言ってみればとても軽い罪だ。
マスコミの、パロマ工業の事故の扱いと、東京電力の事故の扱いには、明らかに差がありすぎる。
しかも最近では、マスコミは原発事故がもっぱら民主党政府の責任であるかのように喧伝しはじめ、いつの間にか東京電力を非難するトーンは落ちつつある。
とくに産経新聞は、政府の失策のために、東京電力だけでなく、各電力会社が定期点検の完了した原子力発電所を再稼動できず、日本の製造業全体が業務を妨害されている、と言わんばかりの調子で、非難の矛先を政府にばかり向けている。例えば次の記事のように。
『菅首相の「脱原発」宣言 企業活動、国民生活への影響無視』(2011/07/13 22:55 MSN産経ニュース)
たぶんマスコミの政府への非難は、菅首相が退陣するまで強くなりつづけ、東京電力への非難はだんだんと弱まっていくだろう。

まさに元のもくあみ。東京電力の経営状況は悪化しても、その他の電力会社は、各地のマスコミにとって大手スポンサーであることに違いない。この点がパロマ工業と電力会社の最大の違いだ。
コンプライアンスとは単に法律を守ればいいというだけではなく、企業が社会に対する責任(CSR:Company Social Responsibility)を果たすことも含む、という考え方がある。
しかしその「社会」が、特定の企業に有利な情報を流し、かつ、多くの国民がそれを信用してしまうような「社会」なら、そもそも企業の社会的責任などに意味があるだろうか。そこに正義はあるだろうか。
そう考えると、僕らはとっても理不尽な社会に住んでいるなぁと、実感せざるを得ない。

日中合作アニメ『チベット犬物語』は日本で成功しない

今日(2011/07/15)から、中国全土で日中合作アニメ長編映画『チベット犬物語』(原題『藏獒多吉』)が劇場公開される。日本でも年内に公開されるらしい。
エイベックス所属の中国人女性歌手、alanが主題歌を担当、登場人物の一人、メイドラム役の声優も担当している。
新作映画を紹介する中国のテレビ番組を見て、『チベット犬物語』がどういった映画なのか、だいたい分かってしまったので、日本公開を待たずにレビューするという思い切ったことをしてみたい。
物語については、以前から中国の各種サイトで紹介されている内容のとおり。今は初老になった男性が、子供の頃、父親の仕事の関係で生活したチベット自治区で出会った、チベット犬との思い出を回想するというもの。
チベット自治区の美しい大自然が、精緻な背景画で再現され、人間とチベット犬の強い絆、悪を具現した巨大な怪獣との戦い、自然と共存しつつ暮らすチベット族の生活などが、感動的に描かれる。
主人公は子供時代の語り手である、ティエンジン。そして、あまりデフォルメなく、リアルに描かれたチベット犬、ドルジ。
ドルジが巨大怪獣と戦うシーンや、ドルジがティエンジンを雪崩から救い出すシーンなど、スピード感のあるアクションシーンも豊富なようだ。
『チベット犬物語』の物語や演出、作画を見ると、日本でこの作品を観るとすれば、ジブリアニメのファン層と重なるだろう。問題はジブリアニメのファン層が、日中合作のアニメを観ようという気になるかどうかだ。
ジブリアニメのファン層は、コアなアニメファンというより、ファミリー層が多いと思われる。
宮崎駿自身は完全な左翼だとしても、『チベット犬物語』は、ある程度、中国とチベット自治区についての予備知識がないと「的確に」鑑賞できないと思われる。
中国人の観客にとって、チベットはエキゾチックな魅力があるかもしれないが、日本人にとって、経済成長いちじるしい中国と、ダライ・ラマと仏教のイメージが強いチベットは全く別物だ。
ふつうの日本人は、国家としてのチベットと、中国のチベット自治区の区別など関心がない。逆に関心がある人は、中国政府はチベットを弾圧する悪者という「FREE TIBET」の立場をとる人がほとんどだ。坂本龍一もふくめて。
日本の一般的なファミリー層が、チベットに強い関心があるとは思えないので、残念ながらジブリアニメのファン層が『チベット犬物語』を観ようという気にはならないだろう。
しかも『チベット犬物語』には、コアなアニメファンを惹きつける要素が一つもない。
「萌え」な少女もツンデレ少女も登場しないし、クールでかっこいいお兄さんも登場しない。もちろん腐女子の喜ぶボーイズ・ラブ要素もないし、逆に百合の要素もない。
過去に背負ったトラウマを引きずる少年や少女もいないし、超能力に突然めざめる少年や少女もいない。ロボットも当然、登場しない。
一人の少年や少女が地球規模で秩序を変えてしまうような「セカイ系」要素もないし、平々凡々たる日常が延々と続くこともない(適度にハラハラする事件がおこる)。
相手の読みのウラのさらにウラをかくような騙し合いもないし、グロい戦闘描写もない。板野マジックが冴えるような空中戦もないし、パースが極端に歪んだ前衛的な表現があるわけでもない。
いかなる点でも、コアなアニメファンを満足させるだけのものが『チベット犬物語』には全くない。このあたり、オタクを軽蔑している「リア充」の方々には分からないだろうなぁ。
同じ中国製のアニメなら、2011/07/08から中国で公開されている『魁抜』の方が、よほど日本のコアなアニメファンにも理解できる要素がたくさん詰め込まれている。
中国国産アニメ『魁抜』(YouTube)
あるいは、こちらは自主制作だが中国製アニメ『カンフー料理娘』も秀逸だ。
中国製 自主制作アニメ『カンフー料理娘』(YouTube)
結論:『チベット犬物語』は日本で公開されても大失敗する。(天津ほどの大都市でも上映館がなく、中国本土でもalanファンなど、特定の層しか観に行かなさそうだし)