月別アーカイブ: 2011年3月

Project Web Access 2007で更新依頼の過去データを削除する方法

Microsoft Project Server 2007について、ネット上に英語でしか存在しないTipsをご紹介。
そもそもMicrosoft Project Serverなる製品を使っている奇特な企業がどれくらいあるのか知らないが…。
プロジェクトメンバーからの作業時間報告を、プロジェクト管理者の方々がProject Web Accessをつかって承認するとき、以下のような手順になる。
(1)Project Web Accessの左はしのメニュー「承認>タスクの更新」をクリック。
(2)「タスクの更新」画面になるので、メニューの「ジャンプ>適用された依頼とエラー」をクリック。
(3)「適用されたタスクの更新依頼とエラー」画面になるので、「承諾済み」が「はい」で、かつ「発行済」が「いいえ」の更新依頼を絞り込み表示し、行頭のチェックボックスにチェックマークを付け、「発行」ボタンをクリック。
ただ、これを毎日くり返していると、「適用されたタスクの更新依頼とエラー」画面に、「承諾済み」が「はい」で、かつ「発行済」も「はい」のゴミデータがどんどんたまっていく。
そのせいで、この画面が開くまでに数十秒もかかるようになり、非常にうざったい。
そこでゴミデータを削除したいのだが、ゴミデータの行頭のチェックボックスにチェックマークを付け、「削除」ボタンをクリックしても、削除されない。
明らかにProject Web Accessのバグだが、Microsoft的には「仕様」なので、仕方がない。
「適用されたタスクの更新依頼とエラー」画面の過去のゴミデータを削除したい方は、以下の方法で削除できる。
ただし、自分が所有者になっているプロジェクトファイルについてだけしか以下の操作はできず、かつ、Project Web Accessのシステム「管理者」権限が必要となる。
(1)該当のプロジェクトをProject Professionalで開く。
(2)そのままの状態で、Internet ExplorerからProject Web Accessを開き、左はしのメニュー「サーバー設定>データベース管理>エンタープライズ オブジェクトの削除」をクリック。
(3)「エンタープライズ オブジェクトの削除画面で、「Project Serverから何を削除しますか?」で「プロジェクト、提案、および作業」を選択。
(4)同画面の「選択したプロジェクトの削除」で「発行済みデータベースのみからプロジェクトを削除する」を選択。これが重要。ここを間違えるとプロジェクトのデータが消失してしまうので、要注意。
(5)同画面の下方のプロジェクト一覧から、ゴミデータを削除したいプロジェクトにチェックマークを付け、画面右上の「削除」ボタンをクリック。
以上で、Project Server上のSQL Server内部の「発行済み」プロジェクト・データベースからのみ、当該プロジェクトの全データが削除される。
削除処理が完了するまでしばらく待つ。削除処理の進捗状況は、Project Web Accessの左はしのメニュー「サーバー設定>キュー>キューの管理」をクリックした、「キュージョブの管理」画面で、こまめに「状態の更新」ボタンをクリックすれば確認できる。
「発行済み」データベースだけから削除される、というのがポイント。「下書き」データベースにはプロジェクトデータは残ったままになるので、
削除処理が完了したら、Project Professionalで開いたままにしていた、該当のプロジェクトファイルの発行処理を行なう。手順は通常の発行と同じく以下のとおり。
(1)メニュー「ファイル(F)>発行(B)」をクリック。「プロジェクトを保存して発行しますか?」の確認メッセージが表示されたら「はい(Y)」をクリック。
(2)保存が終わると「プロジェクトの発行」ダイアログが表示される。「このプロジェクトのワークスペースを作成する(W)」にチェックがついた状態で「発行(P)」ボタンをクリック。
このとき、同じ名前のワークスペースがすでに存在しますと言われたら、別名でワークスペースを作りなおせばいい。
あとは発行処理が完了するまでしばらく待つ。発行処理の進捗状況は、先ほどと同じくProject Web Accessの左はしのメニュー「サーバー設定>キュー>キューの管理」をクリックした、「キュージョブの管理」画面で、こまめに「状態の更新」ボタンをクリックすれば確認できる。
以上を、自分が所有者になっているすべてのプロジェクトファイルについてくり返せば、「適用されたタスクの更新依頼とエラー」画面の過去のゴミデータはきれいさっぱり削除される。
こんなTips、いったい日本で何人の役に立つのだろうか。

「あまりに日本的」な危機対処法と、上杉隆氏の批判の限界

上杉隆氏のインタビューが、『Time Out Tokyo』という雑誌のウェブサイトに掲載されていた。
『上杉隆 緊急インタビュー:根拠なき安全神話にすがるのは「砂の中に頭を入れるダチョウ」と同じ』(タイムアウト東京 2011/03/29)
あえて、上杉隆氏の考え方に反対してみたい。あくまで「あえて」する反対だ。
上杉隆氏の考え方に確実に間違っている点が一つある。それは「日本人はみんな『真実』を知らされた上で、どう行動するか自分で判断したがっている」という点だ。
僕が考えるに、未曾有の大地震を経験した直後のふつうの日本人は、むき出しの「真実」(真実の定義は別として)や、「最悪の可能性」ではなく、一時のなぐさめであっても「安心」できる知らせを聞きたがっている。
僕の考えの前提となっているのは、個々の日本人に情報を与えることと、集団としての日本人に情報を与えることは、根本的に異なるという観点だ。
(*その証拠に、一個人として上杉隆氏の書いたものを読んだ人は、家族・職場・学校でそれを広めるべきかどうか、おそらく悩むはずだ)
その上で、集団としての日本人に情報を与えるときは、むき出しの「真実」や「最悪の可能性」を伝えるより、まずはウソでも感情的な「安心」を与え、「真実」や「最悪の可能性」は小出しにしていく。
その方が、結果、引き起こされるパニックや混乱より、リスクが低くなるという考え方は成り立たないだろうか。
例えば、集団としての日本人に、福島県の放射線レベルが平常時より高い「真実」や、農畜産物・水道水汚染の「可能性」を伝えた結果、なにが起こったか。
福島から避難してきた被災者への差別や、農畜産物のいきすぎた返品、ミネラルウォーターの買い占めなど、パニックの最初の部分がすでに始まってしまった。
これら、いわれのない差別や風評被害など、日本的な集団心理や、同調圧力(=みんな同じでなければいけないという考え方)がもたらす悪い結果を、できるだけ小さくするには、あえて大ウソの「大本営発表」でまず「安心」させる。
こういった、「ウソも方便」的なやり方もあるのではないか。
ふつうの日本人が、個人主義・自己責任にしたがって行動し、メディアの情報を冷静にうけとめ、たとえむき出しの「真実」や「最悪の可能性」を伝えられても、合理的に行動できるなら、上杉隆氏の主張はまったく正しい。
しかし、ふつうの日本人は、「お上」の「大本営発表」を信じて行動することに慣れてしまっている。慣れすぎてしまって、何が大ウソなのか、自分で判断する能力もなくしている。
(*そもそも上杉隆氏の政府・東電批判に嬉々として飛びつくのも、きわめて日本人的反応だ)
しかも、かつてない震災の後で、ただでさえ冷静さを失っているふつうの日本人は、ぼんやりした不安のせいで、輪をかけて感情的な言葉に動かされやすくなっている。
ふつうの日本人が、もともと「お上」の発表など信用せず、あてになるのは自分だけ、自分の身を守れるのは自分だけという考え方なら、上杉隆氏が政府や東京電力のウソをどんどん暴けば、その分だけ合理的で冷静な行動を期待できる。
だが、ふつうの日本人が子供のころからたたき込まれるのは、みんなと仲良くすることや、和を乱さないことだ。「お上」の言うことはあてにならないと、身近な人にはグチを言いつつも、結局は「お上」に決定的に反抗せず、黙々としたがう。
したがった結果、自分が不利益をうけても、行政訴訟などで自分の生活に波風を立てるより、グチを言いつつも、いつもの生活にもどることの方を選ぶ。
そういう大多数のふつうの日本人に、上杉隆氏のような人物がむき出しの「真実」や「最悪の可能性」を暴いて伝えることが、はたしてより良い結果につながるだろうか。
冒頭の記事によれば、枝野長官が「日本の評価と世界の評価は違います」と言ったのに対して、上杉隆氏は「そんなはずはないでしょう、原子力で(苦笑)」と答えたらしい。
たしかに科学としての原子力には、日本も世界もない。だが、避難区域の情報の出し方について、ほんとうに日本も世界もないと言えるだろうか。
同調圧力の強い日本人の集団を前にして、「各自が自分で判断するのを期待して、万人に平等に真実をつたえる」といった欧米式の危機対処法は、少なくとも日本ではベストとは言えないのではないか。
むしろ、「各自の自己判断は期待できないので、一部の人々が犠牲になるのは目をつぶり、あえてウソを伝えて最悪の混乱をふせぎ、結果、より多くの人命が救えればいい」といった対処法が、ベストとは言えないまでも、まだましなのではないか。
今回のような危機が起こった後に、政府や東京電力の無責任なウソを指摘するのは、ある意味かんたんだ。上に書いたような欧米的対処法と日本的対処法の違いが、はっきり現れてツッコミやすいからだ。
ふつうの日本人が、「真実」や「最悪の可能性」の情報をあたえられても冷静に行動するように学習させたいなら、それはむしろ「平時」にやるべきことで、まさに危機が起こっている今やるべきことではない。
上杉隆氏の行動が、今「嫌われている」とすれば、危機に対して日本人がおきまりの反応をしている中で、上杉隆氏の警鐘が「それ、いま言うことか!」とツッコミたくなる、あまりに遅すぎる警鐘だからかもしれない。
(*ほんとうは上杉隆氏は「平時」から一貫して警鐘を鳴らしており、決して遅すぎないのだが)
上杉隆氏の根本的な批判は、このつぎ同じような大災害が起こったときこそ生かされるに違いない。ただ、その頃までには上杉なにがしという人物は忘れられており、今回のように「再発見」されるだろう。

その東電たたき、自分の首を絞めてませんか?

仮定の話をしてもあまり意味はないが、福島原発事故について、自民党政権ならもっとましな対応ができただろうか。
東京電力や原子力安全保安院のトップが別の人たちなら、問題はもっと早く収束していただろうか。
そもそも戦後、原子力の平和利用と称して原子力発電所を推進してきたのは、自民党政権と大手メディア、特に日本の左翼勢力による反原発運動を恐れた読売系列だ。
「だからこそ自民党政権なら原発事故にもっとうまく対処していたはずだ」と考える方は、自民党政権を支持して原発「推進」をもっと叫ぶべきだった。
逆に「自民党政権でも結果は同じだった」と言うなら、いま民主党政権を叩くことにさほど意味はない。明確に原発反対の考えで、他の論点に興味がなければ、次の国政選挙で日本共産党に投票するくらいしか手がない。
東京電力や原子力安全保安院など、いま原発事故にかかわっている組織以外のところに、もっと対処能力に優れた人たちがいるはずだという考え方があるかもしれない。
僕個人はそうではないと思うが、仮にそれが本当だとしても、東京電力や保安院の問題ではない。
適切な人材を最も必要とされる東京電力や保安院などの組織に配置するのを妨げた、日本社会のしくみの問題だ。
その意味で、いま原発事故に対処している政府や東電などの組織を非難しても、今後の問題解決を早めることにつながらない。
せいぜい情報の適時公開がなされるだけで、福島原発の事故処理にあたっている人たちの作業速度が高まるわけではない。
逆に関係者の士気が下がり、それを補うために自衛隊の大量投入でもしなければならない結果になる可能性が高い。
本来、批判すべきなのは、原発をそのような体制で推進させてきた日本の社会のしくみの方だろう。
例えば大手メディアと、その大口スポンサである電力会社の癒着を非難するなら、まず自分自身がその癒着を支えるしくみの外側に立っているかどうかを考えてみるべきだ。
たとえば、今回の原発事故の対応について、大手メディアが報道しない事実をインターネットの草の根メディアが伝えている。
しかし、インターネットを支える無数のサーバーやネットワーク機器は、世界各地のデータセンターで膨大な電力を消費して稼動している。
動画を含む膨大なデジタルデータの配信は、いつでも安心してデータセンターを拡張できるという、電力需要の余裕への依存の上に初めて成り立つ。
(*注釈:データセンターとは、高性能なコンピュータやパソコンを集中管理する大きな倉庫のような場所。
例えば数百万人がアクセスするようなウェブサイトは、少なくとも10台以上の高性能パソコンやネットワーク機器が集まって出来ている。
コンピュータは性能が高くなるほど電力を消費し、熱をもつ。熱を持ったままにしておいたり、湿度が低すぎても高すぎてもコンピュータは故障するので、データセンターの内部は一年中、空調がガンガンに効いている)
ネットメディアで活躍するジャーナリストは、記者クラブという閉鎖的な制度からは自由でも、原子力発電所込みで成り立つ現時点の社会からは自由になれない。
インターネットを毎日駆使することで電力の恩恵をうけながらも、原子力を前提とする現時点の電力政策に、どうすれば説得力のある批判ができるか。もう少し考えた方がいい。
東電の社長が仮病を使っているとか、菅首相は使えないとか、特定の人物や組織をやり玉にあげて個人的にスッキリするのはいいが、今後長期にわたる日本の電力問題には何の役にも立たない。
まず原子力発電所の全廃を目指すなら、一時的な節電努力ではなく、恒久的に電力需要を低減するように、今の日本人の根本から変える必要がある。
これは、「マイ箸」みたいなお気楽な環境保護運動よりも、抜本的な生活改変になるはずだ。
少なくとも、夜昼となくがむしゃらに働くことに生きがいを感じるアングロサクソン型の仕事中毒には無理な相談で、むしろラテン系の、土日は街の商店はお休み、夏休みはたっぷり1か月のバカンスといった生活様式に近くなるはず。
正義を標榜して仮想敵をたたけばたたくほど、それを支えている思想を体現した、いかにも現代人らしい生活様式に、自分がずっぽりとハマっているのを露呈するだけ。
東京電力や政府の失態を非難する人たちの姿が、やや滑稽に見えるのは、そういう理由だろう。

この夏の首都圏大停電は避けられそうにない件(汗)

この夏、確実に電力供給が不足するが、サマータイムやピーク時の電気料金値上げなど、無意味な議論はやめてほしいものだ。
『東日本大震災:夏の電力不足、対策を総動員 営業時間短縮、夏休み分散、サマータイム』(毎日jp)
2011/03/25、経産省の「電力需要緊急対策会議」では、サマータイムの導入を本気で議論していたようだ。
サマータイムを導入すれば、朝の涼しいうちに経済活動が始まって節電になる、なんてことにならないのは、ふつうに生活していればわかる。
だいたい真夏は朝から暑い。サマータイムでラッシュアワーが1時間早まれば、空調を効かせた満員電車が1時間早く走るだけ。何の節電にもならない。
それに、最近の高層ビルは自然換気ができない。熱帯夜明けのオフィスに社員が入れば、あっという間に蒸し風呂になる。やはり1時間早くオフィスに空調が入るだけ。
蒸し風呂状態のオフィスで本当に空調をとめたら、こき使われているひ弱な若手社員や、老体にムチ打っている経営陣の中には、体調をくずす人が出てくる。
そして夜はいつもどおり残業、まだ明るいのに退社できる雰囲気にならず、サマータイムになる前より合計で1時間長くオフィスの空調が入るだけ。
帰りのラッシュはいつもどおりの時間帯。家に帰れば、翌朝早起きしなければいけないので、熱帯夜の中、早く眠るために空調が必須。
サマータイムなんて完全にバカげている。
まだ時差通勤の方が多少の効果はあるだろう。たとえば東京を区よりも細かく割って、それぞれの地区の事業所ごとに勤務時間帯をずらすなど。
ただ国が時差通勤を強制しても、各企業の社員が従うかどうかは全く別問題。企業の間では、金を払う方が受けとる方に対して強権的に振舞うのが「常識」だ。
僕の身近なところでは、情報システムのユーザ企業がその一例(ちなみに筆者が現在勤務しているのもユーザ企業側)。
たとえ時差通勤が強制的に施行されても、ユーザ企業は売り手であるベンダー企業に、朝から電話をかけて「まだ担当者が出社していないとはどういうことですか」となじったり、夕方に電話をかけて「もう帰ったとはどういうことだ」と言う。
同じことが、他の業種の納入先企業と仕入先企業の間でも起こることは間違いない。
したがって、時差通勤も実質的には機能しないだろう。
一部の事業所に週末の休業を平日にふりむけてもらうという策も、夏休みの延長や分散化も、ホワイトカラーについては同じ理由で機能しないと思われる。
あとは、在宅勤務くらいだろうか。事業所と家庭の両方で電力を使わないようにするためだ。
自宅なら何とか自然換気や扇風機でしのげる場所も多いし、通勤ラッシュが緩和されれば大口需要者である鉄道会社の電力消費を抑えることができる。
同時に、個人経営の商店は除いて、都心のオフィス街で会社員しか客のいないコンビニや飲食店チェーンに、国として営業しないよう求めることもできる。
首都圏全体として経済規模が縮小するのをやむを得ないとすれば、電力需要のピークをしのぐ決定打は、在宅勤務しかないように思える。
ただ、日本の大手企業でさえ、在宅勤務は「実験」と称しておそるおそる導入している程度なので、これも機能するかどうかわからない。
ピーク時の電気料金の値上げは論外だ。
家庭も事業所も、活動する以上は必要最低限の電力を使わざるをえない。電気料金の値上げは、電力会社に電力消費が減った分の収入をもたらすだけで、需要者側には全くメリットがない。
さらに、電気料金の値上げは、生活必需品の消費税などの増税と同様、逆進的になり、低所得者層に厳しい施策になってしまう。電力とタバコなどの嗜好品をいっしょにしてはいけない。
与謝野馨・経済財政担当相が値上げの可能性にふれたらしいが、はからずも氏が古典的な経済学を盲信していることを露呈してしまった。
あとは、今朝のテレビ朝日で、各企業が自前で持っている発電設備から供給させる案を説明していたが、これも無理がある。
大規模な装置産業をのぞく、一般の製造業者やその他業種が持っている自前の発電施設に、電力会社同様の安定供給を期待することはできないからだ。
これらのいわば不安定な「非常用」電源を供給量の計算に入れて、ぎりぎりの電力供給をしてしまうと、それこそブラック・アウトの危険性が高まる。
また、実際に発電施設のある場所から、東京電力の送電網を使って送電できる範囲にも限界があり、東京電力管内全般にわたる供給を補えるわけではない。
たぶんテレビ朝日でこの案を語っていたコンサルタントは、送電上の制限についてあまり理解せずに、単に供給能力の数字だけをもとに考えている。
となると、結局は計画停電の適用地域の拡大と時間延長ぐらいしか実質的に効果のある策がなくなってくる。
逆に言えば、ほぼ効果のないサマータイム制を除き、各企業が時差通勤、夏休みの延長や分散化、在宅勤務などを実際に機能させるように協力しないかぎり、停電の拡大しか策がないということだ。
各企業というのは、当然、大企業だけではない。むしろ事業所の中で圧倒的多数を占める中小事業者も含めてである。
個人的には、それができたら日本企業の有給休暇取得率は、とっくの昔に100%に近い数字になっているはず。この夏いきなり今までの働き方を変えろというのは無理だろう。
残念ながら、日本のサラリーマン社会というのは、過去の実績が重視され、昔からの慣習が根強く残る、突然の変化に弱い硬直的な社会だから。

電気料金を上げれば計画停電は不要になる?

東京電力の計画停電について、誰かがツイッターで「電力消費が高い時間帯の電気料金を上げれば、計画停電は不要になる」とつぶやいていた。
公共財の価格が、市場の需要と供給で決まらないというのは、基本の基本だし、ちょっと考えれば、電気料金を上げたって電力需要が自動的に減らないのはすぐに分かる。
たとえば水道料金は、自治体によってかなり差があり、2006年の調査によれば、日本でいちばん安いのが兵庫県赤穂市、高いのが北海道夕張市で、7倍以上の開きがある。
じゃあ、兵庫県赤穂市に住んでいた人が北海道夕張市に引っ越せば、水道を7分の1しか使わなくなるかと言えば、そんなことはない。
電気、ガス、水道などは生活していくのに必ず必要なもので、たとえ価格が7倍になったとしても、使用量は減らせない。
同じように、電力消費が高い時間帯の電気料金を上げても、家庭では多少がんばって節電するだけ。
事業所は、その分企業活動を減らせば固定費が回収できなくなるだけなので、企業活動は維持したまま、コスト増を製品やサービスの価格に転嫁するかどうか悩むだけだ。
こんなこと少し考えれば誰にだって分かると思うのだが、その「少し考える」ことをしない人が実際にいるというのが恐ろしい。