月別アーカイブ: 2010年11月

GALAPAGOS、平野啓一郎の登場でますます不可解な電子書籍端末

今日、ネット新聞の各紙にシャープの電子書籍端末「GALAPAGOS」が2010/12/10に発売されると掲載されていた。
平野啓一郎が新作小説の発表会を「GALAPAGOS」とタイアップで行ったらしい。
素朴な疑問として、平野啓一郎のように特に国民的支持をうけているわけでもない芥川賞作家の読者層と、最先端の電子書籍端末の利用者層が、いったい重なるのだろうか。
タイアップに芥川賞作家という権威を引っ張り出して来ざるをえないところに、このシャープの「GALAPAGOS」の井の中の蛙ぶりが見事に現れている。
「GALAPAGOS」の発売と同時に公刊される平野啓一郎の新作小説は、紙版が1785円、電子版が1470円、差額はたったの315円。
「GALAPAGOS」はモバイルモデルが39,800円、ホームモデルが54,800円。電子版の書籍の方が安いからという理由で、「GALAPAGOS」を買う消費者は、ほとんどいないだろうと断言できる。
コンテンツに価格面でのメリットがないとすると、電子書籍専用端末を購入する意味はないと言っていい。
例えば、電子書籍端末なら、何百冊、何千冊という書物を持ち歩けるという人がいる。
しかし、一度に何百冊、何千冊もの本を持ち歩く必要がある一般人はいない。年間数百冊もの本を購入する人もほとんどいない。
それだけ大量の本を読む必要がある人は、図書館で借りる。本は図書館が管理してくれるので、あとでまた読みたくなれば、図書館に借りに行けばいい。
わざわざ読み終わった本のデータを、電子書籍端末に残しておくような人がいるだろうか。
また、本当に大事で、絶対に内容を失いたくないような本を、電子データの形で蔵書するような「本好き」がいるだろうか。
つまり、それほど活字が好きではない人たちは、必要に応じて、本をたまに買ったり、借りたりするだけで、数千冊の本をデータを携帯できる電子書籍端末のメリットとは無関係な世界に生きている。
他方、活字を愛している人たちは、愛蔵書を電子データのような「はかない」形式で手元に置くことを決して望まないので、そもそも電子書籍端末を買おうとも思わない。
すると、残る電子書籍端末の利用者候補は、辞書や事典などの資料類・リファレンス類を持ち歩きたいという人たちになる。
まず、事典については、一般人の場合、ウィキペディアさえあれば事足りる。ウィキペディアの記述がまゆつばものであっても、一般人のちょっとした調べ物には、ウィキペディアのレベルのいい加減さで十分だ。
ウィキペディアはインターネットを閲覧できさえすればいいので、わざわざ電子書籍専用端末を買う必要は全くない。
事典以外に、紙データにすると膨大な量のリファレンスを持ち歩きたい例としては、各国語辞典がある。
しかし各国語辞典の場合、辞典データ自体のコストが高いので、「どんな本でも読める」電子書籍専用端末を購入する意味がない。電子辞書のようなコンパクトな専用機器で十分だ。
このように考えてみると、どうやら大量のリファレンスを持ち歩きたい人にとっても、「GALAPAGOS」はまったく買う必要性のないぜいたく品になりそうだ。
僕の予想としては、「GALAPAGOS」を購入するのは、新しもの好きのITマニアだけだろう。そしてそれらの人々は、「GALAPAGOS」を「脱獄」して、汎用的なAndroid端末に改造してしまう可能性が高い。
汎用的なAndroid端末に改造してしまえば、「GALAPAGOS」は単なる「ちょっと高めのタブレット型Android端末」になるので、そうなれば購入したいという人はそこそこ出てくるだろう。
しかし、ここまで苦労していろいろ考えなければ利用者層がイメージできないような製品を、いったいなぜシャープは大々的に製造する気になったのか、まったく理解できない。
汎用のAndroid端末を製造して、それに著作権保護機能つきで、電子書籍が読みやすいアプリを提供すれば、十分であって、わざわざ「ほぼ電子書籍の閲覧にしか使えません!」とうたった端末を売る意味がどこにあるのだろうか。
ますますもって不可解である。
*2011/09/15 追記:
僕の予想どおり、このシャープの電子書籍端末「ガラパゴス」は2011/09/15に販売終了が正式アナウンスされた。こちらがシャープの「お知らせ」ページ。もう少し頭を使えばムダな投資をせずにすんだと思うのだが。
>>「シャープの電子書籍端末『ガラパゴス』は完全にバカげている」(2010/09/28)
>>「続・シャープの電子書籍端末『ガラパゴス』は完全にバカげている」(2010/12/14)
>>「SHARP、GALAPAGOSが海外展開するというアホらしさ」(2010/12/31)
>>「SHARP、GALAPAGOSをインドやアフリカの電子教科書に!?」(2011/01/03)
>>「電子書籍なんて、やめてしまえばいい」(2011/01/25)
>>「著作権保護つき電子書籍の普及は、弱者から本を奪う」(2011/02/02)
>>「電子書籍端末って、一体だれが、どこで使うの?」(2011/02/04)

alanの15thシングル『愛は力』は何のために作られたのか?

昨日、alan難波サキが司会をする東京INTER FMの番組『プレスタ』で、alanの第15弾シングル『愛は力』が初めて放送された。

この曲はテレビ東京の2011/01/02放送、新春ワイド時代劇『戦国疾風伝』の主題歌で、この番組の公式サイトにある予告編ムービーに『愛と力』が使われているので、すでにサビだけは聴いていた。
昨日初めて全曲聴いたのだが、J-POPではなくフルオーケストラ伴奏のクラシック路線の楽曲だった。
alanはエイベックスから日本デビューする前、解放軍芸術学院で声楽を学んでいたので、クラシックの唱法をマスターしているのは当然だ。
問題は中国から来た日本を地盤に活躍することを目標としているポップス歌手として、このように多彩な才能を示すのが、はたして適切なマーケティング戦略かどうか、ということだ。
以前にも書いたが、正直言ってalanの日本のポップス業界でのマーケティング戦略は、かなり見当違いだ。
日本のポップス業界を昔から見てきている、僕ら日本人の聴衆は、たとえば森高千里が実力派としてデビューしたが全く市場に受け入れられず、非実力派宣言をしてようやくブレイクした事例などを知っている。
要するに日本のテレビ番組と同じように、日本のエンターテインメント市場で、出し手は受け手より上から目線になってはいけない。実力派であっても最低限、親しみやすさを全面に押し出さなければ、日本市場では決して受け入れられない。
alanについて僕がつねづね不安に感じるのは、もともと成都育ち、北京での学生生活が長いalanは、中国人的なプライドの高さを日本で捨てきれないのではないか、ということだ。
2011/01/01発売の今回のニューシングル『愛は力』のように、日本を代表するテノール歌手の福井敬氏と互角にデュエットするだけの実力を発揮することが、日本市場でalanの地位を有利にすることは決してないだろう。
そもそもエイベックスはこのようなオファーをなぜ受けてしまったのか。中国人ということで、alanはただでさえ普通の日本人聴衆との距離があるのに、ポップス歌手にもかかわらず美しいソプラノの技術を聴かせることで、さらに聴衆との距離は広がるだけだ。
そして日本のクラシック音楽市場において、福井敬氏の活躍するような声楽作品の市場は、器楽曲や管弦楽曲に比べるとさらに小さい。
つまり『愛は力』のような作品が受け入れられる市場規模は、極めて小さく、発売される前からこのalanの第15弾シングルが、過去のalanのシングル作品の中でも最低水準の売上になることは完全に予想できる。
しかしalan自身はこの『愛は力』の完成度に自身を持っており、昨日の放送後もエイベックスの松浦社長から激励の電話を受けたことに嬉々としている。
さて、alanのようなポップス歌手は、いったい誰のために歌をうたうのだろうか。ポップス歌手の歌は、純粋な芸術性のために歌われるのではない。また、歌手自身の満足のために歌われるのでもない。
alanの現状のシングル、アルバムの売上を見ていると、新しい聴衆の開拓がまだまだ必要なレベルであり、今のままでは知る人ぞ知る中国人実力派歌手にとどまる。
まだalanを認知していない、より多くの聴衆に彼女の声を届けるためには、クラシックの声楽作品のようなシングルが訴求しないことは言うまでもない。当然のこととして、より大衆的な作品、よりポップでキャッチーな作品が求められている。
なのに何故、こんなタイアップ作品が制作されるのか、僕には全く理解できない。エイベックスは、alanのリスナーを「ブレイク」と言える水準までに拡大することを、すでにあきらめているとしか思えないのだ。

『がっちりアカデミー!!』がこりずに持ち家と賃貸の比較

見るテレビ番組がなかったので、TBS『がっちりアカデミー!!』という普段見ない番組を見てしまった。
勝間和代出演なので本来なら無視するところだが、少し干され気味なのか、意外にほとんどしゃべらないので気にならなかった。
昨日2010/11/26の番組では、マンション買うときは頭金ゼロでも早く買うのが得か、頭金を貯めてから買うのが得かという、何度も聞いたような比較をやっていた。
持ち家か賃貸かという話になると、持ち家派の論者は常に「自分のものにならない部屋に家賃を払うのは丸損だ」という理屈を持ち出す。
これが完全なナンセンスだということを、いい加減に理解してほしいのだが、テレビ局の番組制作スタッフは、バカな視聴者でもわかるようにバカな番組を作ることしかできない事情があるらしいので仕方ない。
もう一度ここでおさらいしておく。
持ち家を買う頭金を貯めるために、家賃が月10万円の賃貸住宅に10年間住むと、自分のものにならない住宅のために1,200万円も支払うことになる。ならば頭金ゼロでも一刻も早く持ち家を買うべきだ。
…というのが、持ち家派が常に持ち出すナンセンスな議論だ。
頭金なしで持ち家を買うために、例えば3,000万円をフラット35で年2.5%で借りると、総返済額は4,505万円になる。
10年で頭金を500万円貯金できたとすると、借入が2,500万円で済むので、同じフラット35で年2.5%の金利で借りると、3,754万円。
差額は751万円なので、実質的に頭金ゼロで早く購入することによって節約できるのは1,200万円マイナス751万円で約450万円。
『がっちりアカデミー!!』では、頭金ゼロで今すぐ持ち家を購入すると、まるで1,200万円まるごと得するかのように放送していたが、全くの誤りだ。
もちろん、これだけではない。
これはさすがに番組の中で触れていたが、3,000万円を借金するということは、多額の負債を確定させてしまうということだ。
家賃は月単位の負債なので、月10万円を支払えなくなれば、より安い家賃の物件に引越すことができる。
しかし3,000万円を年2.5%で借りた場合、必ず35年にわたって毎月10.8万円を支払わなければならず、支払えなくなれば破産になり、持ち家を手放す必要がある。
毎月可変の家賃を支払うことと、35年間固定の返済金を支払うことは、全く資金ポジションと、それにともなうリスクの大きさが違う。
この点はさすがに勝間和代は正しく把握し、頭金ゼロで持ち家を購入することに反対していた。
この番組には、夫が31歳の夫婦が35年ローンを組む前提で新築物件を見学する場面が出てきたが、66歳まで月12万円を返済できなくなるリスクを考えたことがないのか。
ご夫婦には申し訳ないが、新築物件に目を輝かせる二人が、悪徳商法に見事に洗脳された被害者にしか見えなかった。
長々と書いたが、ひとことでいえば、持ち家が良いか、賃貸が良いかという比較自体がナンセンスなのだ。
まったく最近の情報バラエティーは、頭の良さそうな見かけをしているが、放送内容は完全に痛い。

スマートフォン利用者におすすめの携帯充電池

AndroidやiPhoneなどのスマートフォンをお持ちの皆さん、必携の携帯充電池。実際に使ってみてとっても便利なのでおすすめする。

ソフトバンクHTC Desire IIを買ってみて分かったのは、ふつうの携帯電話に比べると格段に電池のもちが悪いということ。
音楽プレーヤーをかけっぱなしにしたり、ウェブブラウズをずっと続けていると、半日でバッテリー残量が50%を割ってしまう。これでは出張時など、うっかりすると移動中に電池切れ、という状況に簡単になってしまう。
そこで、この充電池があれば、もう半日とまでは行かないが、6~7時間くらいは時間が稼げる。そうすればホテルまでたどり着いて、ホテルでスマートフォンを充電しなおせる。もちろんこの充電池そのものも充電できる。
そんな、「もうあとちょっと」という時間をつなぐのに、この充電池はとっても便利なのだ。
このSANYO(というより今はもうパナソニックの)製品はデザインがシンプルなの点も良い。角の丸みも、手のひらに持った感じが良くて気に入っている。
スマートフォンの愛用者の方、ぜひどうぞ。

児童ポルノ規制に興奮する首長の皆さん

石原都知事も、大阪の橋下知事も、児童ポルノに嫌悪感を抱くのは分かるのだが、その個人的な感情と、条例で規制してよいかどうかは全く別問題だということを、どうしてもっと冷静に考えられないのだろうか。
『児童ポルノ、水着写真も規制…大阪府条例改正へ』(読売オンライン 2010/11/26 17:36)
大阪府青少年問題協議会という団体が橋本知事に提出した答申は、児童ポルノ全般に関して「表現の自由の保証外」と指摘し、「水着姿の子供が過激なポーズを取るなどした写真や映像を新たに『性的虐待の記録』と定義し、製造・販売や所持しないよう努力義務として条例で規定する」よう求めているとのこと。
そして橋下知事は、「『性的虐待の記録』という定義づけには、目からウロコが落ちた」と述べたらしい。
性的虐待の記録という定義がお気に召したのは結構だが、本気でそう考え、本気で子供たちを児童ポルノという性的虐待から守りたいのなら、まずは製造を禁止・処罰する条例を徹底して施行すべきではないのか。
販売・所持を規制しても、製造業者がなくならない限り、児童ポルノが闇ルートで流通し続けるのは目に見えている。
それに、少数の製造業者と、多数の販売業者と、無数の所持者の、いずれを規制するのがもっとも効率的に児童ポルノを根絶できるか、誰が考えても明らかだろう。
児童ポルノの根絶に最も効果的な方法をあえて取らず、最も効果がない単純所持の規制にまでいきなり網を広げるのは、本来の児童ポルノ規制という目的と矛盾している。
石原都知事も橋下知事も、性的な表現物の規制となると、頭に血がのぼって効果のある政策選択ができなくなるようなのだ。
児童ポルノの愛好者が児童ポルノに興奮するのと同じように、首長が児童ポルノの規制に冷静さを失ってどうするのか。
これだけ冷静さを失ったまま表現の規制に手をつけられると、守られるべき表現の自由まで規制されかねない。最も効果的で、表現の自由を不当に制限しない冷静な政策立案を望む。