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alan:中国の雑誌『当代歌壇』インタビュー記事日本語試訳

alanの記事の日本語試訳。本当に急いでざっくりやった試訳ですので、間違いがあればご指摘を。
『当代歌壇』という中国黒龍江省の出版社が発行している雑誌の第475号の記事。オフィシャルブログ(新浪博客)はこちら⇒当代歌壇|潮流音楽第一刊 博客
●欢乐回家
从去年的第一张中文专辑《心的东方》至今,十个月都不到,Alan终究是回来了,回来中国为第二张中文专辑《兰色》做宣传。她发中文专辑和发日文专辑的同步率挺高,都发了两张,都间隔了八、九个月。不过在日本,专辑与专辑之间还间隔了很多张单曲发行,要在中国看见她,就指着她发专辑了。说不定她本人也很期待呢!虽然是自己的国家,但待的时间却不多:“去年的话我加上休息,也总共才回来了35天。”有点儿小抱怨,其实更多的是不舍,所以这次会开心一些,“今年的话就回来了一个多月,一直要待到五月底。“
去年の中国語ファーストアルバム『心的東方』から今まで、十か月弱、alanがついに帰ってきた。中国に帰国したのはセカンドアルバム『蘭色』のプロモーションのため。中国語アルバムと日本語アルバムの発売のシンクロ率は高く、どちらも二枚、どちらも感覚は8、9か月。でも日本ではアルバムとアルバムの間に大奥のシングルも発売しているので、中国で彼女に会うということは、彼女がアルバムを出したことを示している。おそらく彼女自身とても期待しているだろう。母国といっても、滞在時間は多くない。「去年はお休みを含めても、合計でやっと35日でした。」すこし恨みがましそうに話したが、実際それ以上滞在できなかったのが心残りで、だから今回はすこしうれしいとのこと。「今年は1か月以上、5月末までずっと滞在します」
在中国的时间不多,问道Alan关于在中国的人气问题,倒是不怕:”我觉得主要还是时间的问题吧,因为这边是才发了第二张嘛,所以在中国我还算是比较新的。这次之后,可能又会有更多的一部分人认识我。“她说话很有底气,即便是说未知的、预想的事情,也很让人信服,”我觉得吧,什么东西都是有一种巧合,天时地利人和,只要自己努力去做,终究有一天会成功,让更多人认识我。“
中国での時間は多くない、alanに中国での人気の問題について尋ねると、意外にも不安はないとのこと。「重要なのはやっぱり時間の問題でしょ。ここではやっとセカンドアルバムを出したところなので、中国では私はまだ新人といったところ。今回以降、まださらに多くの人達に知ってもらえると思います。」彼女の言葉にはやる気がみなぎっていて、まだ分からない事でも、単なる予想であっても、人を信じさせる力がある。「そうでしょ。どんなものにも縁というものがあって、チャンスと地の利と人とのつながり次第。自分で努力しさえすれば、最後にはある日成功をつかめ、もっと多くの人達に私を知ってもらえる」
”我觉得销量也是对自己的一种肯定,是市场的一种反馈。“而让Alan觉得自己迈向成功的准则之一就是专辑的销量。在中国,无论港台或者内地,因为水分或者买榜等事件的影响,导致销量数字的信服力锐减。而在日本则不会,那是一个很残酷和现实的东西,她还记得刚到日本出单曲时的惨淡成绩,对身处异乡的孩子来说,压力更大。”压力啊,就是公司人太多了,”Alan说着就笑了,她早就习惯乐观积极地面对,“艺人太多,而且大家都非常努力,因为都想有个好成绩嘛。”特别是和在中国比较起来,“在日本跑通告,包括宣传,都非常有规律性,他们有一套独特的对艺人的管理和宣传。所以我觉得和国内相比的话,的确是在日本的压力会更大一些,也会更忙一些。”然后说到这次回来的时间还算充裕,可惜等到五月底回去,又要面对积压了很多的工作,Alan也不自觉地在语气中带了些许的愁苦,不过很快就不见了。
「売上も自分に対する確信になります、市場は一種のフィードバックだから。」alanは自分が成功に邁進しているかの基準の一つをアルバムの売上だと考えている。中国では、もちろん香港、台湾あるいは内地も、売上の増加やランキングなどが影響し、売上枚数の信頼性は激減している。しかし日本ではそうではなく、売上は残酷で現実的なものだ。彼女は日本でシングルを出したばかりの頃の悲惨な成績をまだ覚えていて、外国人にとって、プレッシャーはそれだけ大きいという。「プレッシャーはありますね。会社の人が多すぎるんですよ」とalanは笑いながら言った。彼女は楽観的かつ積極的に現実に立ち向かうことにとっくに慣れている。「アーティストは多すぎるし、それにみんなとっても努力家です。みんないい成績を取りたいと思ってるからですよ。」とくに中国との比較で言えば、「日本でのプロモーションは、宣伝も含めて、とっても規律正しくて、アーティストに対する独特のマネジメントとプロモーション手法を持ってるんです。だから私は中国と比べると確かに日本でのプレッシャーはけっこう大きいですし、けっこう忙しいです。」そして今回の帰国の期間には余裕があるので、5月末に帰国するのが惜しい。またたくさんの仕事が押し寄せてくるからだと、alanの言葉は無意識のうちにいくらか悲しげになったが、それもすぐになくなった。
因为刚刚说过,她是乐观的嘛,让她开心和自信不是件难事。“我觉得在我来说,我和很多歌手不一样的就是,第一,我是在日本出道的华语歌手,第二,就是我的唱片在香港地区和台湾省卖得还蛮好的,所以之前我在香港办的《兰色》签名会也来了很多很多的歌迷,这是让我没有想到的。”说到“很多很多”的时候,她的语气加重了,掩不住的兴奋。
さきほど言ったように、彼女は楽観的なのだ。彼女が楽しそうで自信があるのは難しいことではない。「私について言えば、多くの歌手と違うところは、まず第一に、日本でデビューした中国語歌手ということ。第二に、香港と台湾でのCDの売上がかなり良いこと。だからこのあいだ香港で『蘭色』のサイン会をしたときも、とってもとってもたくさんファンの皆さんが来てくれて、予想外でした。」彼女が「とってもとっても」と言うとき、言葉には力がこもっていて、興奮をおさえきれないようだった。
可是,这个小姑娘是个川妹子,怎么也不会忘记内地这个重要的地方啦。然而让她意外的是,自己在内地的歌迷年龄层居然比较小。“高中生很多吧?”为了求证自己的记忆没错,她还特别问了身边的工作人员,之后变更肯定了:“我记得学生挺多的。”说完又补充道,“反正就各个年龄层,小的也有,那种特别小的,特别年长的也有。”为什么那么多学生?工作人员又替她解释起来:“之前电视台有做过一个关于她(Alan)的特辑,分上下集的。本来孩子想看这种东西,家长都不太让看,怕偶像的东西让孩子看了影响学习。但那个节目反而让很多家长也跟着孩子一起看,觉得像她这么大的女孩这么努力,是给自己孩子一个很好的榜样。”
しかしこの四川省出身の少女が、どうして中国国内の大切な土地のことを忘れるだろうか。ただ彼女にとっても意外だったのは、中国国内のファンの年齢層が低いことだ。「高校生がとても多いですよね?」自分の記憶に間違いがないか確かめるために、彼女はそばにいたスタッフにわざわざ尋ねてから、確かにそうですと言い換えた。「学生もかなり多かったと思います。」そう言い終えてからまた補足した。「どちらにしても各年齢層に、少しずつファンがいます。小さい子もいますし、とっても小さい子もいますし、とっても年配の方もいらっしゃいます。」どうして学生がそんなに多いのですか?スタッフが彼女に変わって解説してくれた。「以前テレビで彼女(alan)について特集がありました。前半、後半に分かれていたのですが、本来子供が見たいと思う番組は、父親が見せたがりません。アイドルものを見ると子供の勉強に影響があると思うからです。でもあの番組は逆に多くの父親が子供といっしょに見ました。彼女のような大きなお姉さんがこんなに努力しているのだということが、自分の子供の良い見本になると思ったのでしょう」
●中日文化交流大使
说到Fans,就顺便问起了她眼中两个国家的审美品位,Alan说日本人喜欢可爱娇小型,嗯,她绝对符合这个标准。反而中国,她有点儿捉摸不透,于是笑着用最笼统的话说,“我不是男孩,我不知道哎。反正一句话,都喜欢美女,管她矮的高的,胖的瘦的,对吧?只要他们心中觉得漂亮的就喜欢。这个我觉得全世界都差不多,哈哈哈。”一举两得,既夸赞了自己漂亮,所以才有这么多Fans,又顺利通过这个问题,但说的的确是真话嘛!
ファンの話になると、彼女の目から見た中国と日本の審美眼の違いの疑問におよんだ。alanが言うには、日本人は可愛くて小さな女の子が好きだという。たしかに、彼女はこの基準にぴったりだ。逆に中国については、彼女はつかみどころがないと言う。そこで彼女は笑いながらお茶を濁した。「私は男性じゃないから分からないわ。どちらにしてもよく言うでしょ、みんな美人が好きだって。背が低くても高くても、ぽっちゃりしててもやせてても。でしょ?男性の心の中では、美人ならそれでいいのよ。これって全世界あまり違わないと思うんだけど、ははは。」一挙両得とはこのこと、自分の美しさを褒めちぎって、だからこんなにファンが多いのだと答え、さらにこの質問をさらりと受け流しながら、的確に真実を話すなんて!
审美品位的不同,她一早就知道,所以才因地制宣地带来了不同的音乐。“因为在日本,唱民俗和通俗结合的音乐可能算是我的一种特色,但是在中国,这样唱的人很多。我只是希望把我在日本学到的那些音乐呈现给大家看,所以会加多一些J-Pop的元素。在日本的话,我就希望把一些中国民俗的元素放进音乐里给日本的观众听。”
中国と日本で審美眼が違うことは、彼女はとっくにわかっていて、だからお国の事情に合わせて違った音楽を持ってきた。「日本では、民族音楽とポップスが融合した音楽が私の一種の特色になってますが、中国ではそういう歌手がとても多いので、日本で学んだ音楽の様子を皆さんに見せたいと思っただけです。だからJ-POPの要素を少し加えることにしました。日本では、逆に中国の民族音楽の要素を音楽に入れて、日本のリスナーに聴いてもらいたいと思ったんです」
其实这次并不是她唯一改变的一次,去年11月,Alan发行的个人第11张单曲《Swear》里已经能很明显听到她改变的痕迹“一种东西唱久了,也会尝试一些新东西,新方向嘛,然后我又可以跟制作人商量商量,他们也很想听我唱一些新的风格啊。以前是一直和日本音乐人合作,那这张毕竟······怎么说呢,日本再优秀的制作人也好,他们也不太了解中国的市场,所以最后我还是和国内的一些老师合作了。”
実は今回が彼女の唯一初めてのスタイルの変化ではない。去年11月、alanは11枚目のシングル『Swear』ですでにスタイルの変化を明らかに示している。「一種類の音楽を長く歌っていたので、新しいもの、新しい方向も試そうということになって、それでプロデューサーさんとよく相談して、彼らも私の新しいスタイルの曲を聴かせたいと思ったんです。以前はずっと日本のミュージシャンとコラボしていましたが、今回のCDは……何ていうか、日本の優秀なプロデューサーも良いんですが、彼らは中国市場をあまり理解していないので、最後には中国国内の先生とコラボしました。」
这就是Alan这次回来待得时间比较久的另一个原因:“这次的制作班底是有日本的,内地的,而主要就是台湾省的音乐人一起合作。”
これもalanが今回帰国して中国に滞在する時間が比較的長いもう一つの原因だった。「今回のプロデュースチームは日本と、中国大陸と、主に台湾のミュージシャンとのコラボなんです」
●美食兰
本来就是想问问她在台湾省待了半个月的时间录音辑,有什么不同于在日本的新鲜事儿,她想想好像也没什么:“就是在台湾省录音的是国语,在日本录的日语吧。”这怎么算?所以她又想了想。不一会儿她忽然想起了什么,“啊”了一声,“而且在台湾省那边,那个录音室附近有很多当地小吃,他们一会儿去给我买一个燃面,一会儿去给我买个莲雾什么的,就经常会有比较多的小吃。”
本来台湾で過ごした半月のレコーディングの時間に、日本とは違う何か新しいことがあったかどうかを聞きたかったのだが、alanは特に何も思いつかないようだった。「台湾でのレコーディングは中国語で、日本でのレコーディング日本語でした。」それで?と尋ねると、彼女は考えに考えて、突然何かを思い出した。「あ!」という一声の後、「それに台湾では、レコーディングスタジオの近くに現地の軽食屋さんがたくさんあって、ちょっと燃麺を買ってきてくれたり、レンウなんかを買ってきてくれたり、いつもけっこうたくさん食べ物がありましたね」
果然还是对吃的东西比较有兴趣啊,这次采访,Alan除了认真拍照和回答问题之外,和工作人员的交流也大多纠结在“吃什么?”“去哪儿玩?”这些问题上。小记可是都“很不小心”地偷听到了的哦!比如问她在台湾省都去哪儿逛,她说到哪儿工作就到哪儿逛,不过之前特别先说了夜市。台湾省的夜市相当出名,出了名的美食就知道Alan不会放过。
やはり食べ物に対してはかなり興味があるようだ。今回のインタビューで、alanはまじめに写真撮影をし、質問に答えている以外の時間は、スタッフとのやりとりで、いつもごたごたするのは「何を食べますか?」「どこへ遊びにいきますか?」という問題。記者の私は「うっかり」盗み聞きしてしまった!例えば彼女は台湾のいろんなところへ遊びに行って、仕事に行った先では必ずぶらぶらしに行ったとか。でもその前に特に夜市のことを話していました。台湾の夜市はとても有名で、美味しいもので有名と分かればalanが放っておかないはずがない。
●创作型
除了吃的东西之外,最能引起Alan兴趣的就是关于她自己作词作曲的事情。《兰色》中的《Nobody Knows But Me》,作词、作曲栏赫然写着Alan的名字,这首出现在她第二张日文专辑中的歌,又由她填上了新的中文词。所以她迫不及待地问小记有没有听:”当然听了,我个人还挺喜欢的。“她听了小记的话便一脸满足地开始诉说这首歌诞生的过程。
食べ物のことを除くと、alanの興味を最も引いているのは自分で作詞作曲をする事とのこと。『蘭色』の『Nobody Knows But Me』の作詞、作曲欄にalanの名前を見つけて驚いたが、この曲は彼女の日本語セカンドアルバムの曲に、新たに中国語の歌詞を付け加えたもの。だから彼女は記者の私にこの曲を聴いたかどうか、質問したくて仕方なかったようだった。「当然聴きましたよ。個人的にはとってもお気に入りです。」と答えると、彼女は記者の私に満足気な顔でこの曲の誕生秘話を話してくれた。
”那天其实也没什么特别的事情,就像平常一样赶通告,特别忙啦,那天好像是······回家很晚,有时候就是在赶通告的时候情绪很低落,就想赶快结束所有通告,然后回家才发现,好像也没什么意思啊,一个人呆在这里,可能想聊天但又浸有人陪我说话,躺在床上失眠又睡不着。那时候脑子里正好有个旋律,钢琴就在手边,那就弹了一下,把旋律录下来了,也没有花多少时间,可能也就只是十多分钟,就完了。”问她想不想以后多尝试一下,“如果真的喜欢,我可能会多尝试去作。不过刚开始没什么自信嘛,有点怕。不过我觉得写歌词比作曲难。”
「あの日は実際、特に変わったことはありませんでした。いつもと同じようにプロモーションをして、特に忙しくて、あの日はたしか……帰宅が遅くて、ときどきプロモーションの時は気持ちが落ち込んで、早く全部終わらないかなと思ったりして、家に帰って初めて、何の意味もないような気がしてることに気づいて、一人でぼーっとして、おしゃべりしたいとか、誰かとじっくり話したりできればなあと思ったりして、ベッドの上で眠ろうとしても眠れなくて。そのとき頭の中にちょうどメロディーが思い浮かんで、ピアノが手元にあったので、すぐに弾いてみて、メロディーを録音したんです。そんなに時間はかかりませんでした。10分ちょっとしかかからずに、終わりました。」彼女に今後も作詞作曲をしてみたいかと質問すると、「もしそうなら喜んでやりますし、たくさん作詞作曲できると思ってます。でも始めたばかりで自信が全然なくて、少し心配です。でも作曲より作詞の方が難しいですね。」
后来,因为看了她一月份日本首次演唱会视频而兴奋不已的小记还特别问了她什么时候能回来中国开一场,也好让本人感受一下现场气氛嘛!“还要继续再多做一些准备,我相信将来一定会在北京啊、成都啊或者上海开一场演唱会,我觉得这个理想是一定要实现的。”她说得很坚定,于是小记放心了。
その後、1月に行われた彼女の日本でのファーストコンサートの映像を見て興奮をおさえきれなかった記者の私は、いつごろ中国でコンサートを開いてくれるかを特に質問してみた。私自身ライブの雰囲気を楽しみたいと思ったからです!「まだたくさん準備しなきゃいけないことがありますが、将来きっと北京や、成都や、上海でコンサートができると信じています。この理想は必ず実現したいと思っていまs。」彼女はしっかりと話してくれたので、記者の私も安心した。
末了,她还不忘补上一句:“今年七月份日本又要开三场,在大阪和东京,东京还是连续两天。”这让小记真是好生嫉妒日本的歌迷啊!
最後に、彼女は忘れず一言付け加えた。「今年の7月に日本でまた3回コンサートを行います。大阪と、東京で、東京は連続二日間です。」これを聞いて記者の私は日本のファンが本当にうらやましい!

鬼束ちひろシングル初動売上げを調べてみた

鬼束ちひろのシングルの初動がどれくらい落ちているのか調べてみたくなったので、オリコンシングル週間チャートで調べてみた。初登場順位、初登場時の売上枚数、200位圏内に何週間入っていたかの3つの数字だ。

『everyhome』2007/06/11初登場9位、18,836枚 6週間。
『蛍』2008/08/18初登場11位、10,133枚 7週間。
『陽炎』2009/09/14初登場13位、5,067枚 4週間。
うむむ。『everyhome』の初動って2万枚も売れたんだ。今やアルバム『DOROTHY』の通算が2万枚だからかなりの違い。本人のメディア露出がないので、やむを得ない。まぁ鬼束ちひろ様、体に負担をかけないように、無理せず気長にやって下さい。

鬼束ちひろの方が良かったのでは?劇場版『TRICK』主題歌

鬼束ちひろが、2010/05/08公開の劇場版『TRICK 霊能力者バトルロイヤル』の主題歌で復活するかと思ったら、新人・熊谷育美になってがっかり。

2010/05/05発売シングル『月恋歌』の惨憺たるオリコン・シングルチャートのアクションを参考までに。
2010/05/17付け 26位 2,095枚
2010/05/24付け 49位 1,801枚
2010/05/31付け 50位 1,388枚
ついでに映画そのものの興行成績も。
2010/05/17付け 2位
2010/05/24付け 2位
2010/05/31付け 3位
この間1位はずっと『アリス・イン・ワンダーランド』(2010/04/17公開)。要はたまたま黄金週間明けの公開映画に、有力なライバルがなかっただけ。
右のサウンドトラック『トリック 10th』も2010/05/17付け144位、05/24付け214位と全然ダメ。
6月に入ったらそろそろ映画の上映も終わり。『TRICK』関係者の皆様、やはり鬼束ちひろの方が話題性としても最善の選択だったのでは?
月恋歌 - EP - 熊谷育美月恋歌 – EP – 熊谷育美

口蹄疫問題:政府に頼らず封じ込めに成功した、えびの市

宮崎県の口蹄疫問題。「ここまで感染が拡大したのは、政府の初動が遅かったせいだ」というのがウソである証拠が、もう一つあるようだ。今朝のNHKニュースで知った。
それは宮崎県えびの市が、今のところ口蹄疫の封じ込めに成功している事実だ。
宮崎県での時系列での口蹄疫発生事例は、先日来ご紹介している農水省の下記PDFファイルで確認できる。
「宮崎県における口蹄疫の発生事例の防疫措置の状況」
また宮崎県ウェブサイトの下記のページでも確認できる。
「口蹄疫に関する情報提供>これまでのプレスリリース」
これら資料によれば、えびの市で最初の発生事例は通算9例目、2010/04/28の肉用牛275頭。
それまで沿岸部の都農町、川南町に限られていた感染が、突然、えびの市に飛び火したことを、東国原知事も県の防疫対策本部会議で重くうけとめている。
「口蹄疫えびのに飛び火 知事、防疫徹底を指示」(九州読売新聞 2010/04/29)
この後、川南町とえびの市の口蹄疫の拡大は、対照的な展開を見せる。
川南町が豚への感染拡大をきっかけに、爆発的に口蹄疫が広がった。
対して、えびの市では、22例目の豚320頭(2010/05/05)、68例目の肉用牛29頭(2010/05/11)、83例目の肉用牛46頭(2010/05/13)、これを最後に感染拡大の阻止に成功している。
今朝のNHKニュースによれば、これはえびの市長が「家畜伝染病予防法」にもとづき、市長独自の権限で予算も確保し、徹底的な感染拡大措置を講じたからとのことだ。
わかりやすく言えば、えびの市長と市民の皆さんは、政府に泣きつくことなく、何と自力で口蹄疫の拡大を食い止めることに成功したのである。
えびの市が口蹄疫拡大に成功した2010/05/13、東国原知事は残念なことに、えびの市の努力と正反対のことをしでかしている。
口蹄疫の拡大阻止よりも、「宮崎牛」ブランドの死守を優先し、「家畜伝染病予防法」の例外措置を政府に無理やり押し通して、「宮崎牛」の種牛を西都市に移動させてしまった。
そのせいで、8日後の2010/05/21、西都市の肉用牛で口蹄疫の感染が確認され、以降、西都市の肉用牛にも口蹄疫を拡散させてしまった。西都市では、2010/05/23にも肉用牛165頭の感染が確認されている。
ところが2010/05/13、東国原知事が「家畜伝染病予防法」に反して種牛を移動する例外措置を、政府に無理やり認めさせた事実について、マスコミはとんでもない偏向報道し始める。
つまり、「政府が『宮崎牛』の種牛の避難を許可せず、宮崎県の畜産業をつぶそうとした」という報道だ。
これ以降、マスコミの報道は、「宮崎県は政府の被害者」という図式の報道を始めることになる。
ひとつの典型は下記の読売新聞の報道である。
「早く具体策を!国の口蹄疫対処方針に農家怒り」(読売新聞 2010/05/18)
この記事で読売新聞は、えびの市の畜産農家Nさんが、政府の対処方針が抽象的で、「ただ担当者が来るだけでは意味がない。言葉だけでなく具体策を示して実行し、一刻も早く安心させてほしい」と訴えた、と報じている。
しかし、これは上述のNHKのニュースや、事実としてえびの市が口蹄疫の拡大阻止に、宮崎県で唯一成功していることと矛盾する。
この2010/05/18付の読売新聞の記事が出たころ、上述のようにえびの市は自助努力で、すでに口蹄疫の拡大阻止に成功していたのだ。
たしかに畜産農家Nさんにとって、えびの市長の指示にもとづく、読売新聞の報道にある下記のような措置は、精神的に耐えがたいものだったに違いない。
「自宅の敷地に、家族以外は立ち入らないよう注意する看板を立て、隣家とのやり取りも電話で済ませるなど可能な限り人との接触を避けている。毎日数回、牛舎などへ消石灰をまき、起床後はすぐに、牛の体調や食べた餌の量を確認するのが日課になった」(同上の読売新聞 2010/05/18記事より引用)
しかし、えびの市は「家畜伝染病予防法」にしたがって、市長権限でこのように畜産農家のみなさんに、耐えがたい苦痛を強いるような措置を断行した。
それも、政府に頼ることなく、対策を徹底的、かつ、継続して断行したおかげで、2010/05/13以降、感染を1例も出さず、口蹄疫の封じ込めに成功したのである。
素朴な疑問がある。
えびの市では、2010/04/29の最初の口蹄疫発生からすでに、政府に頼らず、法律に定められた市町村長の権限で、徹底した措置を講じることで、封じ込めに成功した。(もちろんその代償として、畜産農家のみなさんに耐えがたい苦痛を強いることになったが)
では、なぜ同じ措置が、川南町などの沿岸部で実施できなかったのだろうか。また、実施できなかったことが、なぜ政府の責任になるのだろうか。
政府を非難することが、畜産農家の皆さんのやり場の無い怒りのはけ口になるのは、ある程度やむを得ない。しかし、口蹄疫拡大の責任まで政府に転嫁するのは、東国原知事の無責任さ以外の何ものでもない。

Outlook 2007でグーグル日本語入力でインライン入力する方法

Windows XP SP3上のMicrosoft Outlook 2007で、ずっとGoogle日本語入力システムのインライン入力ができずに困っていたのだが、2010/03/09にGoogle日本語入力チームが対応策をアップしていた。
無事、マイクロソフトの頭の悪い日本語入力システムから逃れつつ、マイクロソフト・オフィス2007製品群をすべて使うことができるようになった。
「Outlookで直接入力ができない、アンインストールしても直接入力ができない」
(1)Outlook 2007のメニュー「ツール(T)」→「オプション(O)」をクリック。

(2)「オプション」画面で「メール形式」タブを選択、「編集オプション」ボタンをクリック。

(3)「編集オプション」画面で「詳細設定」を選択、「以前のバージョンのIMEモードを使用して上書き入力モードを有効にする」のチェックマークを外す。後は「OK」ボタンをクリックしつつ元へもどり、Outlook 2007自体を再起動する。

これでOutlook 2007でもGoogle日本語入力でインライン入力ができるようになる。