月別アーカイブ: 2010年1月

時効廃止と、日本が戦争犯罪の時効を廃止しないことの矛盾

時効廃止が、戦争中の「人道に対する罪」の追及につながるかもしれないという、興味深いブログ記事を見つけた。下記のリンクの記事だ。
天才たぬき教授の生活「公訴時効の廃止と遡及適用?」
日本が殺人事件の公訴時効を廃止すると、戦争中の「人道に対する罪」の訴追をしろ!という、国際的なプレッシャーが強くなるおそれがあるということだ。

日本は、国連で1968/11/26に採択され、1970/11/11発効した「戦争及び人道に対する罪に対する時効不適用条約」を批准していない。つまり、戦争犯罪はもう時効になっているので裁かない、と決めているのだ。
今回、もしも日本が殺人事件の時効を廃止すると、日本に対する国際的な非難が高まるおそれが出てくる。
「日本は、戦争中に自国が犯した罪は、時効だから裁きませんと言っておきながら、国内の殺人罪の時効はなくすというのは、明らかに矛盾しているだろ!」という具合だ。
「戦争及び人道に対する罪に対する時効不適用条約」を批准している国々からすると、日本はズルい国に見えることになるだろう。
全国犯罪被害者の会「NAVS あすの会」の方々は、こういった国際的な観点もふまえて、殺人事件の時効を廃止するロビイング活動を行っているのだろうかと、疑問に思った。

alan『my life』、日本向けの平凡なアルバム

alan『my life』(2009/11/25発売)を遅ればせながら聴いた。良くも悪くもエイベックスのアーティストになったなぁ、という感じ。

alanのファーストアルバムのタイトルは『Voice of EARTH』だった。そしてセカンドアルバムのタイトルは『my life』。
路線が明らかに変わっている。国境や民族をこえたメッセージ性を持つ音楽から、等身大の若い女性にとっての、愛や感情の動きを歌う音楽へ。マクロからミクロへ。
この路線変更は、alan自身の意向とは考えにくい。たぶんエイベックスと菊池一仁プロデューサの意向だろう。目的は当然、まずalanの知名度を上げるためだ。
ボーカルのスタイルまで変わっている。今までは倍音成分の多い迫力のある地声と、独特の節回し、要はチベット色、そして、美しいビブラートが特徴的だった。
しかし、例えばこのセカンドアルバム『my life』の2曲目「One」のAメロや、4曲目の「見つめていたい」は、力を抜いて、ささやくように歌っている部分が目立つ。
映画『レッド・クリフ』主題歌「久遠の河」や、同名の映画の主題歌「BALLAD~名もなき恋のうた~」を除き、「明日への讃歌」的なイメージは、ほぼ無くなっている。
6曲目「Lost Child」のようなミドルテンポのR&B、9曲目「Call my name」のようなディスコまで出てくると、何の個性もない、単なるエイベックス・アーティストの1人という印象がぬぐえない。
ただ、4曲目の「見つめていたい」のように、ほぼピアノ・アレンジのみで聞かせるバラードや、10曲目の「白い翼」のように、ギターとストリングス・アレンジのミドルテンポ・バラード、そして11曲目の「Nobody knows but me」の間奏のようなオリエンタル色などには、かろうじてalanにしかない個性を聴き取れる。
残念ながら、日本での知名度を上げるために、当面は、alanの表現力の幅を、あえてフルに生かさないということなのだろう。
エイベックスに在籍している限り、いくら作詞に矢井田瞳、古内東子、御徒町凧を動員しても、alanは良くも悪くも、日本向けには、耳ざわりの良いJ-POPシンガーの域を出ないかもしれない。
『my life』を聴く限り、そう感じてしまうような平凡な仕上がりになっている。思わず振り返って耳を傾けてしまうような、ハッとさせるものが、一つもないのだ。いつか、もっと独自性を出せるようになるまで、alanさんには日本で頑張ってほしい。

『思想地図 vol.2』上野千鶴子インタビューが痛快!

『思想地図 vol.2 特集・ジェネレーション』(NHKブックス別巻、編集:東浩紀・北田暁大)をずいぶん前に買っていたのだが、病気で知的な集中力がなくなり、しばらく読めなかった。ようやく読み終わろうとしている。

いちばん面白いのは上野千鶴子(東京大学大学院社会系研究科教授)インタビュー「世代間対立という罠」。聞き手は北田暁大(東京大学大学院情報学環准教授)。
上野千鶴子氏はいつもながら明快で鋭いな回答で、聞き手の北田暁大氏をたじたじにさせている。一言でいえば「団塊ジュニアよ甘えるな!」で、東浩紀や北田暁大など、団塊ジュニアの立論が完全に粉砕されていて、小気味いい。
濱野智史氏の「ニコニコ動画の生成力―メタデータが可能にする新たな創造性」は、議論がミニマルすぎて、ほぼこじつけ。
ニコニコ動画には、元ネタを加工した創作を、さらに加工した二次創作を、さらに加工したN次創作が大量に存在するのに、YouTubeにはN次創作が少ない。
その理由について濱野智史氏は、ニコニコ動画では1つの動画につけられるタグの数が10個に限られており、ときにその10個の枠を利用者がチャットのようにリアルタイムで、次々に内容を変更していく。
それが傍観者としての利用者から見ると、同一の動画に、異なるタグが付いている、つまり、異なる分類がされているように見える。
そのため、本来、タグは、動画を分類・整理することで情報の複雑性を減らす役目をもっているのに、ニコニコ動画では分類を発散させる役目を持つ。
濱野智史氏の議論は、そのことが、N次創作を誘発する基盤(アーキテクチャ)として機能している、という内容だが、まあこじつけもいいところだ。
YouTubeにN次創作が少なく、ニコニコ動画にN次創作が大量にある理由は、一言で説明できる。
もともと同人誌がN次創作であり、ニコニコ動画のヘビーユーザーの大きな部分を、同人誌の制作者や購入者であるアニメ・漫画のコアなファンが占めている。それだけのことだ。
要するに、ニコニコ動画はアニメやコミックの主人公を借用した、パロディ漫画や小説からなる同人誌の、N次創作の伝統を受け継いでいるだけのことだ。
なので濱野智史氏の論文は無視していいが、上野千鶴子のインタビューは痛快なので、これを読むだけでもこの『思想地図 vol.2』を買う価値はある。