月別アーカイブ: 2009年12月

BIGBANGの新人賞「ダブル受賞」に見る日本音楽界の「偏向」

日本レコード大賞と有線放送大賞の話。
僕は別に嫌韓論者ではないので、日本有線大賞の最優秀新人賞にBIGBANGが選ばれ、日本レコード大賞の最優秀新人賞にBIGBANGが選ばれ、日本レコード大賞の候補である優秀作品賞に、w-inds. x G-DRAGON(BIGBANG)と東方神起が入選すること自体は素晴らしいことだと思う。

でも、明らかにアジア圏のアーティストの中で、日本で売り出されるアーティストが韓国アーティストにここまで偏っているのは異常だと感じる。
テレサ・テンが亡くなって以来、日本の音楽賞に生粋の中華圏アーティストがノミネートされることが、まったく無いのはおかしい。
そもそもBIGBANGって、有線大賞とレコード大賞の最優秀新人賞をダブル受賞するほど、今年、日本でブレイクしただろうか?
程度の問題からいえば、BIGBANGと比較して、映画『レッド・クリフ』の日本での興行成績なども含め、その主題歌を歌ったalanが、日本の音楽各賞から完全に無視されているのは、明らかな偏向だ。
はっきり書けば、中華圏ではすでにトップスターだったテレサ・テンが、日本でブレイクするまでに、大きな苦労を強いられたことといい、日本の芸能界・興行界には、中華圏の歌手の受賞を阻止する圧力と、韓国人歌手を強力にバックアップする力が働いているとしか思えない。
いくら韓国に対する偏見がなく、僕自身、BADAのファンであると言っても、BIGBANGが「日本」有線大賞と「日本」レコード大賞の新人賞を、ダブル受賞するのは、明らかに異常事態だ。

パソナキャリアという転職支援会社の見え見えSEO小細工

パソナキャリアという人材紹介会社が、ひどいSEO対策サイトを作っているのを偶然見つけた。かなり内容のあやしい、人材紹介会社のランキングサイトだ。

下記の2つのサイトを見比べて頂きたい。
転職相談.jp
人材紹介会社をランキング クチコミランキング!kuchiran.jp
デザインも同じ。中身も同じ。違うのはドメイン名だけ。しかもどちらのサイトもパソナキャリアという人材紹介会社が1位になっている。
なおかつ、Googleで「人材紹介会社 評判」と入力して検索すると、この2つのサイトのうち、どちらかが、検索結果の最上段の「スポンサーリンク」に登場する。
典型的なSEO対策だ。というより、上記のどちらのサイトも、よく見ると運営会社が同じであり、「サクラ」であることが見え見えだ。
笑ってしまうくらい幼稚な小細工である。
このパソナキャリアという人材紹介会社は、評判を上げることによっぽど苦心しているのだろう。
逆に言えば、本当は評判がそれほど良くないということだ。
それを証拠に、比較的信頼できそうな、皆さんもご存じ「オリコン」の人材紹介会社ランキングを見てみよう。
オリコン「2010年度版 顧客満足度の高い人材紹介会社 ベスト13」
パソナキャリアという会社はなんと11位。下から数えた方が速い。

そしてこのオリコンのページの右端にある「紹介情報の質」「紹介情報の量」「担当者の対応」「紹介情報の鮮度」などなど、項目別のランキングを見ても、パソナキャリアという会社は、ベスト3に全く入っていない。
こういった見え見えのSEO対策をやっている人材紹介会社など、信頼できるはずがない。やり口が余りに稚拙だ。
こんなのは単なる一例に過ぎない。
ビジネスの世界というのは、かくも非人間的なのだ。

NHK朝ドラ『つばさ』総集編で『ウェルかめ』のつまらなさ歴然

NHK朝の連続テレビ小説『つばさ』の総集編を放送していた。うれしいな。

総集編でストーリーが凝縮されているせいもあるが、やはり現在放送中の大阪制作『ウェルかめ』とは、脚本の密度がまったく違う。『ウェルかめ』の脚本はスカスカだ。『つばさ』には濃密なドラマトゥルギーがある。
それに『つばさ』には、吉行和子、高畑淳子、多部未華子の「魅せる芝居」がたっぷり詰まっている。『ウェルかめ』でまともな芝居を見せてくれるのは室井滋らいだ。
これもスカスカの脚本のせい。『ウェルかめ』では石黒賢や坂井真紀、益岡徹のキャスティングが台無しになっている。
首都圏と関西圏の役者の層の厚さの違いも、まともにドラマに出ている。関西圏には所詮、吉本興業や松竹芸能の喜劇役者しかいない。首都圏にはシリアスな芝居がちゃんとできる役者が山ほどいる。
主演女優にしても、多部未華子は、最近まで単なる巨乳グラビアアイドルだった倉科カナには絶対にできない、泣きの芝居がしっかりできる。
前にも書いたが、演出の完成度も全く違う。
ただ単に出来事をダラダラならべただけの『ウェルかめ』と違い、『つばさ』の演出にはテレビドラマとしてまともな構成がある。
『つばさ』の演出には伏線があり、サスペンスがあり、ナンセンスがあり、省略法があり、意味のある小道具の使い方がある。
NHKがいくら懸命に『ウェルかめ』の番宣をしたところで、『つばさ』のドラマとしての完成度には到底およばない。そんな『つばさ』の視聴率が歴代ワースト2だったのは、単に朝ドラの視聴者のレベルが低いからだ。

鬼束ちひろインタビュー『BARFOUT!』2007/11号批評(最終回の続き)

鬼束ちひろの復帰を取り上げた『BARFOUT!』147号(2007/11号)だが、まだアマゾンで3倍の値段で売り出して、利ザヤを稼ごうとしている古書店がいるようだ。

なので「第1特集+front cover story 1『復活の日~RISE, FALL and RETURN!!』」の中から、鬼束ちひろに関する部分で、まだ唯一レビューしていないかったp.030~p.031をとりあげたい。
この部分は、鬼束ちひろの復活をプロデュースした、ユニバーサルミュージックのA&Mレーベル統括プロデューサ、近藤雅信氏のインタビューで、前半が鬼束ちひろ、後半が岡村靖幸の復活劇について書かれている。

barf:鬼束さん、印象はいかがでしたか?
近藤雅信氏:最近出た、ウォルト・ディズニーの生涯を描いた本のタイトルが『創造の狂気』というんですが、このワードは、優れたアーティストはみんな持っているもので。別に彼女は狂人じゃないですけど、ものを作る上で何かを持っている人って感じはすごいしました。そういう人って、今までいっぱい仕事してきたんですが、脈々と、僕の中で、そういうアーティストに惹かれていく、仕事をするというミッションがあるんだと、最近、自覚もしてまして(笑)。
barf:で、04年契約し、移籍第1弾シングル『育つ雑草』がリリースされました。
近藤:その頃は、<A&M>レーベルにいる1アーティスト、という関わり方だったんです。『育つ雑草』ができて、イヴェントにシークレットで出て、あとはプロモーションでいろんなメディアに順次出ていきましょう、というプランだったんですけど、ご存知の通り、そのイヴェント出てから、姿を消してしまったということで。「さて、どうしましょう?」ちおう感じでした。

この部分を読んで、それまでの鬼束ちひろのイメージを大きくくつがえすグランジ・ロック作品の『育つ雑草』に、ユニバーサルとしてちゃんとしたプロモーションのプランがあったことを初めて知った。
もしそのまま各種メディアでプロモーションをやっていたら、今ごろ鬼束ちひろはどんな位置づけのアーティストになっていたんだろうね。

barf:そこからリターンしてくるのは難しいし、なかなかできないことではないでしょうか?
近藤:アーティストって、人から見られることによって自分のエネルギーに転化していくタイプと、見られることによって摩耗していっちゃうタイプと、大きく分けて2つのタイプで。彼女は明らかに後者の方で。デビューして最初から大成功して、失ったものがあるんでしょうね。彼女は「作品を作るというのが、私にとっての治癒だから」って言ってましたけど、そっちの治癒っていう側面と、精神的な治癒という必要があったんじゃないですか。だから、時間が必要だったんですよ。


アーティストと普通の会社員をいっしょにしてはいけないのだが、普通の会社員だって仕事上の原因でうつ病になった場合は、一定の治療期間をとった上で、徐々にリハビリしていき、完全復職するというプログラムがある。
ちょっと必要があって、左の『「うつ」からの職場復帰のポイント』(秀和システム)という、精神科産業医の書いた本を読んでいるのだが、復職プログラム全体も、細かい情報も網羅されていて、とてもよくできた本だ。
ん、ちょっと脱線してしまった。

barf:この沈黙期間、彼女にはどう接しましたか?
近藤:05年の後半の晩夏から、彼女と毎月会うようになって。3回目のミーティングに、彼女がデモ・テープを2曲持って来たんです。「everyhome」と「僕等 バラ色の日々」を。彼女の場合。メロディも歌詞も完全にできた完璧な形で作ってくるんですね。それで「誰とやりたいか?」って話になって、その時彼女の方から出てきたのが小林武史さん。僕もまさに、「小林さんとやりたい」って強く思ってたんで、そこで風景が見えました。で、2曲のデモ・テープを小林さんに聞いていただいたら、興味を持ってくれて。05年末に1回会って、「ちょっとセッションしてみようか?」ってことで06年春に、小林さんのピアノと本人とでセッションをしました。それがもう、素晴らしくて。「うわー」って激しく感情を揺さぶられました。手ごたえを小林さんも本人も感じてくれて。それで「アルバム分作品ができたら、レコーディングやろうか?」って話になりました。だけど、その後、パタッと曲が出来なくなっちゃって。それで、10月に会った時に、「アルバム分の曲をクリスマスまでに作れなければ、一緒に仕事する意味がない」って言いました。そしたら次の日からスイッチが入ったようで、どんどん曲ができてきて。17曲ができたんですよ(笑)。その時はすごい嬉しかったなぁ。「じゃあ、行こう」ということで、年明けに一気に水面下でレコーディングを始めました。

『育つ雑草』が2004年10月27日リリースなので、やはり約1年間、鬼束ちひろは姿を消していた(というより、たぶん宮崎に帰ってた?)ようだ。
鬼束ちひろ本人も、どこかのインタビューで、反抗期はなかったかと問われて、大人になってから親に手を上げたと答えていたので、この頃、実家での両親との葛藤もある程度あったのではないか。
ただ「復職期間」として1年というのは、おそらく鬼束ちひろにとって、妥当な期間だったのだろう。

barf:どんな鬼束さん像をどう作ろうと考えましたか?
近藤:基本に立ち返るってことで。ちゃんとしたメロディを、彼女の言葉でちゃんと歌うっていう。これはヴィジュアルも含めてトータルで。それを彼女と一緒に考えながら一歩一歩進んでいくということですね。
barf:「もっと待とう」とも考えていましたか?
近藤:「やりたい」ことは、表現者の人はドンドン出てくるわけで。出すタイミングとか落としどころ、出し方はこちらの仕事で、翻訳家とか通訳みたいなものですね。世の中と表現者のコーディネーター。だから、そのタイミングは結構大事ですよ。それと表現者の人に余力があるかどうか?エネルギーがちゃんと正面に向いているか?必然がちゃんとあるかどうか?を見定めて、ジャストなタイミングで出すと。

ここから先は岡村靖幸復活劇の話になるので、鬼束ちひろについてはここまでだ。
やりたいことは表現者の方から出てくる。プロデューサーはそれを世の中とつなぐ仕事だ、という部分には、近藤雅信氏のプロデューサーとしての誠実さがにじみ出ていると感じた。
というのは、音楽業界のプロデューサーには、やりたいこともなく、表現者でもない、ただヴィジュアルの良い若者を選んで、いわば無理やりアイドルに仕立て上げるタイプのプロデューサーも存在するからだ。
そういうタイプのプロデューサーは、完全に商業主義的なスタンスであり、「アーティスト」を育てるタイプの近藤雅信氏のようなプロデューサーとは、正反対だと言える。
ユニバーサルに移籍した後、近藤雅信氏のようなプロデューサーに出会えたのは、鬼束ちひろにとって幸運だったと言える。
※なお、鬼束ちひろについてツイッターでつぶやくときのハッシュタグは #onitsuka に決まりました。

平林都の「接遇道」は自殺率の高い社会をつくる

平林都氏についてもう少し書かせて欲しい。『エチカの鏡』に登場したマナー研修講師・接遇研修講師である平林都氏のような存在が、どれだけ世の中をゆがめるか。

先日、近所の大きな郵便局に用事があって出かけた。
大きな郵便局の一階部分って、どうしてどこも天井があんなに高いのか知らないが、その天井に響き渡るほどの怒号が、いきなり聞こえてきた。
「あんたがそうしろっていうから、こっちはその通りにちゃんと書いてきたんでしょうが!何か俺に落ち度があったのか!?...じゃあ、説明のところに最初からそう書いておけよ!」
当然、窓口の郵便局員は、ただただ平謝りである。
郵便局の一階全体に響きわたるほど怒鳴っているのは、普通のスーツ姿にコートを羽織った中年のサラリーマン。オフィス街のど真ん中にある郵便局なので、おそらく近所の企業の男性会社員だろう。
僕だけではなくて、他のお客さんも、ちらちらとこの怒鳴り散らしているサラリーマンを見ていた。
何があったのか知らないが、郵便局員だって人の子なんだから、ミスの一つや二つぐらいするだろう。いったいそのミスが、フロアに怒号を響き渡らせるほどのミスなのか?
ひと一人死ぬくらいのミスなら、それくらい感情的になってもいいだろう。
しかし、耳をダンボにして聞いていると、局員の指示通りに会社で郵便物をまとめて用意してきたのに、窓口で記入漏れを指摘されたようなのだ。それで、「だったら説明書に最初から書いておけ!」と怒鳴っているらしい。
『エチカの鏡』に登場したような接遇研修講師の存在は、こういう「モンスター・カスタマー」や「モンスター・ペアレント」、「クレーマー」のたぐいを、社会に増殖させることに貢献していると、僕は考えている。
責任感をもって仕事をするのは、社会人として当然のことだ。
だが、お客様は神様ではない。人間である。接遇担当社員だって、人間である。
お互いが完璧でない人間として、ときにはミスもする人間として、許し合うような、そういう余裕のある社会を作る必要があると、僕は考えている。
なぜなら、人命にかかわるようなミスは別格として、ただの一つのミスも許さないような社会を作ると、結果的に、お互いのミスの指摘の終わりなき応酬合戦の社会になる。
そうすると、ミスの指摘の応酬合戦に負けた方は、心が病んでいく。大抵そういう人は、いつも言い負かされる立場になってしまうからだ。
世の中には、口の達者な人と、そうでない人がいて、『エチカの鏡』に登場した接遇講師のように「接遇至上主義」の世の中を一生懸命作ってしまうと、必ず口下手な人たちが、つねに言い負かされる立場に追い詰められ、鬱屈した怒りを心にためこむ。
あの郵便局の窓口職員のように。
そしてあの接遇講師が、仮に郵便局の経営者から接遇研修の依頼を受けたら、おそらく、あの郵便局の窓口職員の接遇がなっていないと、叱りつけるに違いない。
すると、世の中の人間は、自分が「客」であるときには暴君となり、自分が「接遇担当」であるときには奴隷になる。
あの郵便局員も、あの日、怒号を受けたうっぷんを、今度は自分が「客」である場面で、思う存分晴らすに違いないのだ。
たぶん読者の皆さんの会社にも、そういう人はいると思う。
納入先業者(ベンダー)に対して、やたらと厳しい人物。ベンダーの作ってきた資料の、ちょっとしたミスをほじくり返して、責め、なじり、嫌味を言い続けるタイプの社員が。
マナー研修講師、接遇研修講師のような人物の存在は、そういう、人々がお互いのミスに思う存分クレームを付け合うような社会を助長するのだ。
一切の妥協を許さない社会、人間が不完全な存在であることを認めない社会、コミュニケーションに一分の隙も余裕もない社会。
そういった、ギスギスした社会を作り出すことに、接遇研修講師のような人は貢献している。
ただでさえ日本のサービス業は、欧米諸国と比べると過剰サービスだと言われている。それをさらに推し進めることが、倫理的に正しいことなのか、マナー研修講師は、一人の人間として、よく考えるべきだ。
僕は、接遇研修講師のやっているような「接遇道」が、日本の社会からますます余裕をなくし、「言われ損」の弱者を大量生産し、その弱者のうちの何パーセントかが、職を失い、うつ病になり、追い詰められ、自殺すると考えている。
『エチカの鏡』に登場した接遇研修講師ご自身は、もちろん勝者である。接遇の勝者だし、所詮は、資本主義社会における「経営」側の立場の人間だ。
そして、「経営」側の立場に立って、「労働者」を「接遇至上主義」に「洗脳」する仕事をしている。
その「洗脳」の現場には、どこかで見たような感動があり、涙があり、達成感があり、充実感があるが、もちろんこれらは、効率よく「洗脳」するための手段にすぎない。
例えば、レニ・リーフェンシュタールの美しいオリンピック映画が、ナチス支配下のドイツ国民に感動を与えたのと同じように。
あの接遇研修講師ご自身は、自分の仕事が、ある人たちにとって非常に生きづらい世の中を作り出していることに、おそらく気づいていない。
あるいは、気づいているにもかかわらず、自分が生活していくためには、追い詰められる「接遇弱者」が、何パーセントか出て来て、生活苦に陥るのも止むを得ないと考えているのだろう。
今の日本に必要なのは、あの接遇研修講師が作り出そうとしているような社会とは、正反対の社会である。
お互いの欠点を許し合い、補い合い、協力し合える余裕のある社会である。
さもないと、日本の社会全体が、お互いの落ち度の突き合い、非難の応酬合戦によって、ムダに疲弊していく。
先進諸国で突出しているサービス業の労働時間も減らないし、有給休暇や育児休暇取得率も上がらない。結果として出生率も上がらないし、自殺率も減らない。
『エチカの鏡』に登場した接遇研修講師・平林都のような人々は、自分がやっている仕事が、マスコミに面白おかしく取り上げられることによる、社会に対する影響力について、考え直すべきである。