月別アーカイブ: 2009年9月

ついに「生しばじゅん」を見た、聴いた!

ちょうど東京出張と日程が合ったので、東京都庁前の広場のイベントで、初めて「生しばじゅん」を見た。
写真や動画で見ていた印象を裏切らない、美しい人だった。
いきなり一曲目が僕の大好きな『椿』だったので、鳥肌もの。
新曲の『Love Letter』は、本人がブログで、「情熱大陸」の夏フェスの炎天下で聴くには長すぎるかも、などと書いていたが、ピアノとギターだけのシンプルな伴奏で聴いても、十分、最後まで聞かせる美しいメロディーで申し分なし。
たしかに、Aメロの後にBメロがあって、さらにつなぎのCメロがあってからサビ、といった、かなり凝った構成の曲だけれど、それだけじっくり柴田節(?)が堪能できるというもの。
『未成年』という選曲は意外だったけれど、YouTubeで柴田淳のシングル全曲カバー計画を完了させている僕にとっては、おなじみの曲。
ただ、声が本調子ではなかったのか、数か所、声が途切れていた。
また、曲中に何度もスタッフに手のひらを上げたり、下げたり、指示を出していたので、返りの音が悪かったのだろうか。かなり歌いづらそうだった。
でも、最後まで何事もなかったかのように歌い通したしば子に拍手!
ステージの柴田淳があまりに美しかったので、ステージ裏で30分ほど「出待ち」をしてしまったが、断念して帰ってきた。
「しば」という文字と、「じゅん」という文字を背中にプリントした男性2人や、その他、若い女の子数名なども、しばじゅんの出待ちをしていたが、彼らは会えたのだろうか?
ちなみにこの東京都主催の「TOKYO MUSIC CIRCLE」というイベントの、2009/09/27の回は、整理券が配布されたが、結局観客は800名ほど(全員立ち見)で、意外に少なかった。
僕の整理券番号は、開演1時間前に到着して696番で、かなり最後の方だったが、ステージまでの距離は30mほどで、まったく問題なし。
ステージと客席の間に、安全のために設けられていた空間が、もう少し狭ければ、もっと近くで見れて良かったのだけれど...。
生きている間に、「なま柴田淳」を見られて本当に良かった。

CACHATTO:安くて管理も楽な携帯から社内メールを読むツール

仕事の関係で、携帯電話から社内メールが読めないかと、いろいろな製品を比較したが、結論として「CACHATTO(カチャット)」になった。
CACHATTOポータルサイト
東レからスピンアウトしたベンチャー企業「いいじゃんネット」社の開発したLinuxベースの製品だ。
ずばり、長所は以下のとおり。
■ファイアウォールに穴を開けなくていい
ファイアウォールに外部から社内へのインバウンドの穴を一切開けなくていい。社内から外部へSSLのポートさえ開いていればよい。
多くの企業は、社内から社外のウェブサイトへ、SSL(https)でのアクセスすることを許可しているはずなので、「CACHATTO」ファイアウォールの設定変更が不要だ。
■社外にデータを置かなくていい
社外のサーバーに社内のメールデータを蓄積する必要がない。携帯電話からの接続先にあたる、「CACHATTO(カチャット)」のアクセスポイントは「いいじゃんネット」社が24時間365日監視しているが、単に携帯電話からのリクエストに応じて、社内メールサーバからデータを受け渡すだけなので、メールデータを蓄積することはない。
■ワンタイムパスワード機能がついている
携帯電話からアクセスするとき、マトリックス式のワンタイムパスワード機能が標準で付いている。わざわざ別にワンタイムパスワードの仕組みを導入する必要がない。
セキュリティレベルが低くても許される企業なら、この機能はOFFにできる。
■携帯電話の端末ID認証ができる
携帯電話の端末ID認証を強制することができる。つまり、ふつうのパソコンのウェブブラウザからの接続を拒否できる。
もっとも、端末ID(製造番号)を偽装するようなソフトをインストールしたり、iモードのエミュレータを使えば、ふつうのパソコンからでも接続できる。
しかし、そういう場合は、ユーザーごとに許可する端末IDの個数を設定できてしまうので便利だ。
つまり、各ユーザーにつき、ある特定の1台の携帯電話からしか接続させない、という設定ができる。
■社内に立てるサーバーは最新パソコン程度の性能で十分
「いいじゃんネット」社の管理するアクセスポイントに対して、社内からSSLで接続するサーバを構築する必要があるのだが、このサーバーに要求される性能は、もちろんユーザー数にもよるけれど、最新のパソコン程度の性能で十分。
保持するデータはユーザーなどの各種設定情報や、テキスト形式のログファイルくらいなので、ディスク容量も最新のパソコン程度で十分。とにかく安く始められるのが良い。
■端末を選ばない
国内で販売されている第三世代の携帯電話なら、全キャリアのほぼ全機種で使える。ブラックベリーのように、端末が限定されることがない。
■英語対応
ログイン画面やメニューがすべて英語対応している。ブラウザの言語設定が英語になっていれば、自動的に英語表示になる。ユーザーごとの設定で、表示言語を日本語・英語のどちらかに固定することもできる。
もちろんメールの中身が英語でない言語の場合、携帯電話端末が英語以外の表示に対応しているかどうかの方が、問題になってくる。
海外拠点での仕様に耐えうるかどうかは、導入時に販売会社とよく相談した方がよい。
以上のように、構築がお手軽で、アクセスポイントのメンテナンスは「いいじゃんネット」にお任せでき、管理も楽。
しかも、設定次第では、セキュリティ・レベルを非常に厳しく設定でき、ISMS等の情報セキュリティ認証取得企業でも安心して導入できる。
ブラックベリーのように、専用端末を購入する必要もなく、社員がすでに持っている携帯電話で使える。
こんな便利でセキュアなしくみ、もっと爆発的に売れてもいいと思うのだが...。

The Doors 『Light My Fire』 at Europe Live

YouTubeで鬼束ちひろによるPatti Smithの『Because The Night』のカバーを見つけたら、そこからPatti SmithのオリジナルにたどりつきPatti SmithがNirvanaの『Smells Like Teen Spirit』をカバーしていたことを知り、しかもそのカバーが凄くて、そういえば鬼束ちひろもテレビ番組でこの曲をカバーしていたなぁと思い、それって、もしかしたらPatti Smithがカバーしたからかなぁと勝手な想像をしながらも、久しぶりにNirvanaのオリジナルの『Smells Like Teen Spirit』を聴いたら、NirvanaがThe Doorsの『The End』をカバーしているのを初めて知って、高校生の頃、The Doorsのアルバム『The Doors』をヘビロテしていたことを懐かしく思い出して、最終的にThe Doorsの『Light My Fire』の10分近くにわたるすごいライブ映像を見つけた。
「歌はいいね」by 渚カヲル。
※2009/09/30追記:残念ながら、The Doorsの『Light My Fire』の10分近くにわたるライブ映像は削除されてしまったようだ。

システムとしての孤独と不安:鬼束ちひろ


Yahoo!オークションで『ROCKIN’ON JAPAN』2002年2月号の鬼束ちひろ20,000字インタビューを買った。
晴海の新築タワーマンションの一室で撮影されたらしい、15ページにわたる彼女の写真は、肩のところがリボン結びになっている、妙にかわいい淡いピンクのタンクトップと、不機嫌な表情のアンバランスさが最高(1枚だけ笑顔あり)。
それはどうでもいいとして、インタビューの中でハッとさせられた部分があった。
インタビュアーの柴那典の「鬼束さんの表現の中心にね、僕、喪失感というものがすごくあると思うんです。孤独とか、寂寞とか、そういうの全部含めた上での」という質問に対する、彼女の回答だ。
このインタビューの前半を読むと、鬼束ちひろが宮崎県の漁村のごく普通の家庭に育ち、三人兄弟の長女として、ひいおばあちゃんや、とりわけ母親の深い愛情に育てられたことがわかる。
高校時代にジュエルを聴き、ミュージシャンとしてのキャリアに踏み出すまでの経歴に、両親の離婚や、陰湿ないじめといった、深刻なトラウマはまったくない。
にもかかわらず、彼女はこう答えている。
「培ったっていうか、ほんと、生まれてきてからずっとそういう気がする。子供の頃とかは気づいてなかったけど。中学時代から薄々感じてたし。なんか違うって。すごく淋しいとか、すごい孤独っていうのを」(p.048)
そして、僕がこのインタビューで、いちばん驚いたフレーズが、彼女の口から出て来ている。
「今になってやっと、これはあたしのシステムなんだろうなと思うんです。それがなくなったら歌も歌えなくなるし、書けなくなるし。もうあたしと、孤独とか不安は表裏一体で、取れることはない気がするんです」(p.049)
システムとしての孤独と不安。さらにこの「システム」という言葉の意味を、鬼束ちひろは敷衍している。
「だから変な話、トラウマとかがあれば、そういうのを自分の中で修復すれば、それはなくなる気がするんですよ。でも、あたしはそんなのがないから。物心ついてない時はそれに気づかなかっただけで、もうずっとついてきてるから。たぶん修復しようがないと思うんです。システムだから」(p.049)
これは人間の本質的な孤独や不安に対する、素晴らしい定義だと、正直、感動した。
何かの原因があって、その結果として孤独や不安があるなら、原因を取り除くことで孤独や不安は解決される。
そういう「始まり」と「終わり」のある、因果論的な孤独観や不安観は、自分には当てはまらないことを、鬼束ちひろはこのインタビューを受けた21歳のころに既に自覚していたのだ。
システムとしての孤独や不安は、これと指させる原因(始まり)と結果(終わり)がなく、孤独が孤独自身を、不安が不安自身を、自律的に維持している。
インタビュアーの柴氏は、鬼束ちひろが「自分で自分をコントロールするのがすごい大変だし」と言うのに対して、「僕は話を聞いてて結構バランス感覚いいなあ(笑)」と答えている。
孤独が孤独へ、不安が不安へとつながっていくシステムは、極端な自己愛と自己嫌悪の間を振動しながらも、システム全体としては一定の状態を保つことができる。
特定のトラウマ体験のような「特異点」が存在せず、システム内部で感情どうしのコミュニケーションが絶えず循環して、流れ続けているからだ。
そしてその孤独と不安のシステムと、そのシステム(鬼束ちひろ)をとりかこむ環境との相互作用として、歌がある。
歌は環境から観察したときの、鬼束ちひろというシステムの表出なのだ。
もしこれが正しいとすると、2004年頃に彼女がオーバードースで自殺未遂を図ったのは、明らかにこのシステムの変質を示している。
自律的な孤独と不安のシステムと、それをとりかこむ環境との相互作用に、歌ではない行為が起こったからだ。
それはおそらく、鬼束ちひろというシステムと、環境との、両方の変化のせいで、システムと環境が「歌」だけで接触面を維持することができなくなったためだろう。
しかし、幸い、鬼束ちひろという孤独と不安のシステムは、少しだけ内部の孤独から孤独へ、不安から不安へのコミュニケーションを変質させることで、環境との間に新たな「歌」の接触面を取り戻すことができた。
それが2007年の『everyhome』あたりからの、鬼束ちひろに違いない。
それにしても、21歳の鬼束ちひろが、特定の原因の存在しない孤独や不安を、自ら「システム」と名指していたとは。
やっぱり鬼束ちひろは「天才」だ。

マスゴミ、マスゴミ、マスゴミ


裁判員制度が始まったら、各マスコミこぞって裁判員制度礼賛。
予想されたことだが、あきれでものも言えない。
裁判員の裁判中の発言を絶賛する、バカな評論家。
批判があるとすれば、せいぜい性犯罪が裁判員裁判の対象になっている点だけ。
これも、そもそも米国の陪審制のように、被告が裁判員裁判か通常の裁判かを選択できる制度を初めから導入していれば避けられた話。
以前に紹介した西野 喜一著『裁判員制度の正体』(講談社現代新書)でも既に指摘されている問題点。
いかにマスコミの記者たちが、裁判員制度について何の勉強もしていないか、レベルの低さが分かる。
高速道路無料化批判や、温室効果ガス1990年比25%削減批判と同じ。
前者については東京一極集中の改善、後者については一極集中発電システムの改善という、どちらも社会全体のグランドデザイン自体を変えようという政策だ。
頭の悪いマスゴミは、こういった社会全体の設計思想そのものを変えようという発想についていけないらしい。テレビニュースの下手な解説は、聞くだけ無駄だ。