月別アーカイブ: 2007年10月

海上自衛隊はソマリア沖に行った方が良いのでは?

読売新聞によれば、日本のタンカーがアフリカのソマリア沖で海賊にのっとられたそうだ。「ソマリア近海では近年、組織化された海賊による船員の誘拐や人質事件が多発している」らしい。
海上自衛隊はインド洋でガソリンスタンドをやるより、ソマリア沖を航行する日本のタンカーの護衛をするほうが、よっぽど自民党の議員のみなさんの言う「国益」にかなっているのでは?
インド洋のガソリンスタンドなど、所詮「米国のケツ舐め」政策の一つに過ぎない。アフガニスタン政情の安定化について、日本が国際社会から期待されているのは、本当にインド洋の給油活動だけだろうか。そんなはずがない。日本政府が情報操作しているのは明らかだ。
日本国民のみなさんも、自民党政府にずいぶんバカにされたものだ。

矢野絢子の優しい歌声がテレビCMから

高知県のライブハウス「歌小屋の2階」を中心に地味な活動を続けている女性シンガーソングライターの矢野絢子だが、個人的に一年以上フォローしていなかったところへ、突然テレビで見たバカボン一家が登場するヨド物置のCMのBGMが、何と2007/09/19発売の四枚目のアルバム「あいのうた」収録の「恋」という曲らしい!
知らぬ間にルックスがずいぶん変わっている。僕が「てろてろ」などの曲にハマっていた頃は、どちらかといえばベリーショートのボーイッシュな髪型だったり、長いときでも日本人形のような髪型だったりしたのだが、新しいアルバムのジャケットでは長い巻き髪になって、メイクもモードっぽく、印象が大きく変わっている。
しかも彼女は来年出産を控えているという。
彼女の曲の中で僕が最も好きな『ニーナ』→矢野絢子 - てろてろ - EP - ニーナ
ちなみに、上述のヨド物置のテレビCM「家族の思い出」篇は、こちらから動画が見られる。ここにもWindows Media Playerを埋め込んでおく。

この日経記者に教育問題を論じる資格なし

今朝の日経新聞の一面「ニッポンの教育」の冒頭に、とんでもない記述があった。要約すると、十六年間にわたって、わいせつ写真を雑誌に投稿し続けた元教頭は、勤務態度に問題がなくても、教員免許を更新させないような制度にすべきだ、という主張である。
この発想は公私混同もはなはだしい。法に触れてない限り、公務員であれ民間企業の会社員であれ、プライベートで何をしようが自由である。
なぜ教員だけ、私生活でいかがわしいことをしているからといって、教員免許を即取り上げるべし!という議論になるのか。
だとすれば、毎週キャバクラ通いをしている民間企業の社員がいたとしたら、その社員も即、解雇すべし!という話になってしまう。明らかにナンセンスな議論だ。
この特集記事を書いた日経新聞の記者は、教師に対して自分が不当に厳しい評価をしていることに気づいていないのだろうか?なぜ教師だけが、私生活まで監視され、解雇の理由にされなければいけないのか?
そもそもこのように、教師という職業を「聖職」視する古くさい考え方こそが、日本の教育改革をはばんでいるのではないのか?
この記事を書いた日経新聞の記者は、知ってか知らずが、学校や教育を聖域視する旧来の発想の片棒を担いでいるのだ。学校や教育を聖域視する発想は、教育改革に抵抗する側の発想と、まったく同じではないか。
こんなことさえ分かっていないような記者に、日本の教育を論じる資格はない。

インド洋の給油活動が国際貢献ではない理由

日本経済新聞は今朝の社説でも、インド洋の給油活動を続けるための立法を急げと、バカの一つ覚えのように繰り返している。
ビデオニュース・ドットコムのマル激トーク・オン・ディマンド第324回を見て、自民党政府の「自衛隊のインド洋での給油活動が重要な国際貢献だ」というのが、かなりバカげた議論だということがだんだんと分かってきた。
アフガニスタンの人々にとって、日本は先進諸国で唯一、アフガニスタンに対する軍事作戦に関係していない国だった。本当なら日本はこれを外交カードとして使い、アフガニスタンの腐敗した警察組織を正常に機能させるなど、安定化のための真の国際貢献をすべきだった。
ところが、今回の安倍首相退任にからむ騒動で、日本がアフガニスタンの対テロ戦争支援のための給油活動をしていることがアフガニスタンにも知られてしまい、日本は重要な外交カードを失った。その結果、アフガニスタンに関しても、米国追従の外交政策しかとれなくなってしまった。
自民党政権は自らそのような結果を招いておきながら、いまさら「給油活動こそ国際貢献だ」といった、歯の浮くような議論を恥ずかしげもなく展開している。
同じようなことは、北朝鮮政策についてもいえる。日本にとって、拉致問題で譲歩することが、唯一かつ非常に強力な外交カードだった。にもかかわらず自民党政府がまったく譲歩しなかったため、ご承知のように、北朝鮮との交渉は今や日本抜きで進められている。
最悪の事態を避けるためには、「悪魔」とも手を結ばなければならないという、外交の常識を無視した日本の「潔癖症」が、かえって自らを国際貢献ができない状況に追いやっている。
そして日本国民も、拉致問題でまったく譲歩しない政府に声援を送る始末。この国民にしてこの政府あり。こと外交に関して日本の「民度」は低すぎて話にならない。
...といったことらしいのだ。なるほどねぇ。

無数の不正の上に成り立っている日本の企業社会

赤福の組織的な賞味期限改ざんや売れ残り製品の再利用は、3年前、すでに内部告発があったようだ。おそらく今回、大きな事件になったのも内部告発によるものだろう。
今日も新たな事実が明らかになり、賞味期限の末尾に「暗号」をつけて、その商品が売れ残りを再包装したものであるなどの状態を手順書にして管理していたそうだ。それでも愚かな社長は、不正は会社ぐるみではなく、経営陣の関与を否定している。
誰がどう考えたって、不正を認識しながら放置している時点で、経営陣の責任は十分問える。にもかかわらず記者会見で、営業の再開こそわれわれの使命だと言い切っていしまう社長の盲目さ加減。
客観的に自分がどう評価されているのかについて、ここまで鈍感な社長だからこそ、平気で組織的な不正を放置できたのだろう。
しかしいわゆる老舗や、オーナー色の強い会社組織が、外部の視点から自分の組織を相対化することはかなり難しいのだろう。そのような組織では、経営陣の権力が業績の維持以外の理由で正当化され、絶対的なものになりがちだ。
そうすると、従業員は経営陣に対して合理的に反論する機会を失い、違法な手段をつかってでも経営陣の指示を実現するしか道がなくなる。何としても利益を出せと言われれば、売れ残りの商品を再利用してしまうのだ。
ただ、不二家、「白い恋人」、赤福は氷山の一角であることを忘れてはいけない。
僕のような凡庸なサラリーマンでさえ、過去に在籍した企業で、組織的な不正の片棒を担いでいたくらいだから(こんなことを書くと「交通事故」を偽装して殺されそうだが)、内部告発のネタを持っていない会社員は、そう多くないはずだ。
日本社会はそういう隠された無数の不正の上に、まあなんとか成り立っているということを忘れてはいけない。