月別アーカイブ: 2006年5月

日本初の長編カラーアニメ『白蛇伝』(1958年)

日本のアニメーションを勉強するなら原点からということで、日本初の長編カラーアニメーション作品『白蛇伝』(東映・1958年)をUSEN+楽天市場のShowtimeで観た。光回線とパソコンがあれば観たいたいていのアニメ作品をいつでもレンタルビデオとほぼ同じ料金で観られる。グーグルどころではない生活の変化である。
明らかにディズニーのアニメーションをお手本に製作された、キャラクターの動きが滑らかで美しい作品だ。『戦闘美少女の精神分析』に取り上げられていた場面も堪能できた。このアニメーション作品は、人間の少年と、白蛇の妖精である少女が困難を乗り越えて恋を成就させるという物語になっている。途中、白蛇の妖精に惑わされていると思い込んだ妖術遣い(太った中年男)が、水晶玉を片手に白蛇の妖精である少女と闘う場面が登場するのだ。
妖術遣いがエイヤッという気合とともに手を突き出すと、水晶玉がぴかりと光る。この光はどうやらセル画の背景から光を透過させているらしい。この作品、冒頭の雷雨のシーンからして既に、この透過光(どなたか正式名称を教えてほしい)の手法が使われている。絵の具の色ではなく、本物の光でフイルムを露光させているのだ。
僕はこの手法は新しいものとばかり思っていたのだが、日本初の長編カラーアニメの冒頭のシーンで登場したので驚いてしまった。そして妖術遣いと少女の戦闘シーンでも、水晶球がぴかりと透過光で光る。それに対して少女は、恋を成就させるためならと全力で戦う。ここでも日本初の長編カラーアニメにして既に、「健気な」戦闘美少女の登場である。
しかも白蛇の妖精であった少女は、妖術をつかう能力を捨て、妖精から人間になることと引き換えに、瀕死の少年の命を救い、ついに人間の少年との恋を実らせる。少年と少女は二人して船に乗って旅立つその空に、七色の虹がかかる、というのがハッピーエンドのラストシーンだ。
待てよ。これってどこかで観たことはないか。人間でない妖精の少女が、妖精であることを捨てることで少年との恋を実らせ、空には七色の虹がかかる。『交響詩篇エウレカセブン』の物語構造とよく似ている。
『交響詩篇エウレカセブン』の最終回では、コーラリアンという生命体である少女エウレカが、「クダンの限界」と呼ばれる破滅から地球を救うために、少年レントンの元を離れて、コーラリアンの中枢神経のような存在(「指令クラスター」と呼ばれる)になる絶対的な孤独を選択する。
ところが少年レントンは、人間とコーラリアンの心の橋渡しをする「船」である巨大人型ロボット「ニルヴァーシュ」に乗って、指令クラスターの内部に突入し、少女エウレカを救い出す。その瞬間、地球は七色の虹に覆われ、地球上のすべてのコーラリアンは地球を去って、もとどおり地球を人間に返し、宇宙の別の世界で行き続けることを選択する。しかし「ニルヴァーシュ」は、少女エウレカだけは人間の少年レントンと地球に残るように言い残す。
もちろん、人間と異生物の恋愛物語は『キングコング』や『美女と野獣』の例を出すまでもなく、幾度となく繰り返されてきたパターンなのだから、『白蛇伝』がどこか『交響詩篇エウレカセブン』と似ていても何の不思議もない。
ただ、こうして書いていて気づいたのだが、今あげた『キングコング』も『美女と野獣』も男性側が異生物だ。日本の民話である『鶴の恩返し』は女性側が異生物。ギリシア・ローマ神話の変身譚には詳しくないので分からないが、
(1)男性側が人間で、女性側が異生物の異性愛。
(2)女性には人間にない特殊な能力がある。
(3)女性が恋愛を成就させるために闘う。
(4)女性が異生物から人間になることで、初めて恋愛が成就する。
この4項目すべてに当てはまる恋愛物語は、実はそう多くないのかもしれない。
話はそれたが、表現手法のレベルで『白蛇伝』が想像をはるかに超えた完成度に達していることにとにかく驚いた。ディズニーの『ファンタジア』と同じくらい驚いた。『鉄腕アトム』をはじめとするテレビシリーズのリミテッドアニメーションは、『白蛇伝』のようなフルアニメーションからの退化では決してなく、限られた予算と時間の中でフルアニメーションにはない独特の表現技法を洗練させていく、まったく別の系列のアニメーションと考えるのが正しいということなのだろう。

東浩紀を読んで梅田望夫氏の根本的な誤りを考える

久しぶりに東浩紀の本を読んだ。『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』(講談社現代新書)だ。斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(ちくま文庫)の文庫版あとがきだったかで触れられていたからだが、しばらくぶりにフランス・ポストモダン思想系列の読書に戻って来たといったところか。
実はジョン・R・サール『マインド―心の哲学』(朝日出版社)を半分ほど読み進めていたのだが、やはりどうも二元論や唯物論を地道に論駁するスタイルがまどろっこしくてついて行けない。決して面白くないわけではないので、続きはまた読みたいのだが、斎藤環や東浩紀など、ポストモダン系の言説の快刀乱麻ぶりと比較すると、どうしても読み続けるのがおっくうになってしまう。年をとったということか。
で、『動物化するポストモダン』でオタク系文化を分析して東浩紀が書いている「データベース型消費」を読み、大発見があった。それは、梅田望夫の『ウェブ進化論』の方法論的な誤りである。しかも致命的な。
梅田望夫の根本的な誤りは、「大きな物語」が失われた後の世界を象徴するインターネットに、なおも「大きな物語」を読み込もうとしている点にあるのだ。グーグルという会社に関する類書も同じ誤りを犯している。まるでグーグルが、梅田氏の言う情報発電所をもって世界を支配しているかのような「大きな物語」を、インターネットという本来は中心のない構造の中に誤って読み取ろうとしている。この点が梅田望夫氏の決定的な誤りである。
おじさん世代が梅田望夫の言説に「すごい!」と反応し、「わかった」つもりになってしまうのは、まさに「大きな物語」を提示しているからである。おじさんたちの生きてきた時代は、戦後の圧倒的なアメリカ文化の存在だったり、冷戦時代の自由主義と共産主義の対立だったり、自分の生きている世界をすっきり説明できる図式があった。東浩紀はこのような図式を、大塚英志の言葉を借りて「大きな物語」と呼んでいる。
しかし、現代の消費生活を見れば、人々の趣味や嗜好は細分化されており、世界政治を見ても、冷戦時代のような西(自由主義諸国)と東(共産主義諸国)、80年代の北(先進国)と南(発展途上国)といった大きなくくりはもはや無効になっている。
そしてそのような現代を象徴するインターネットも、中心がなく、分散化された情報が、恣意的なハイパーリンクで互いに接続されているという点にその本質がある。インターネットは、接続手段という点でも、パソコンからでも携帯電話からでもテレビからでも、いかようにも使えるし、使用目的という点でも、一人ひとりが好き勝手に利用できるし、利用者によってどのようにも使えるものである。
そんなインターネットに対して、グーグルやアフィリエイトプログラムといった特定の企業や機能が、あたかもインターネットの本質を規定しているかのように「大きな物語」を持ち込んでしまっているのが、梅田望夫だったというわけだ。
そうすることで、梅田望夫はインターネットの本質を完全に誤解させることに成功している。そして梅田望夫の本を読んでインターネットがわかったつもりになったおじさんたちは、自分が誤解していることにさえ気づかない。
東浩紀にならって言えば、「大きな物語」がなくなった世界で、麻原彰晃という人物の提示した「大きな物語」に飛びついてしまったオウム真理教の教徒たちと、梅田望夫の提示したインターネットに関する「大きな物語」に飛びついて分かった気になったおじさんたちに、大きな差はないということになる。

FC2無料カウンタ障害でデータの過半が喪失

これまで高機能な点を買って、FC2の無料アクセスカウンターを利用していたが、先日サーバ障害があって、3分の2の過去のアクセス履歴が失われてしまった。それに対してFC2からの謝罪のメールには、「ほとんどのデータを復旧することが出来ました」と誇らしげに書いてあった。
このような謝罪メールは、無料サービスを信頼したあなたが愚かなのだ、という意味にしか読めない。ココログは障害があってもデータがなくなることはなかった。障害が発生してデータの過半が失われるアクセスカウンタ・サービスの、社会的な存在意義とはいったい何だろうか。
FC2の無料サービスを利用している方は、二度と障害が発生しないと確言できない以上、必ず再び障害が発生して、同様の謝罪メール一通で事が済まされることになるので、適切な判断をした方がよい。

『新造人間キャシャーン』第21話の秀逸な演出

『交響詩篇エウレカセブン』では地球の重力圏内での空中戦がほとんどのため、登場人物がスカイダイビングをして、戦闘ロボットの操縦席に飛び込む場面がいくつかある。第2話で、主人公の少年レントンが、少女エウレカのいる戦闘ロボット「ニルヴァーシュ」の操縦席にダイビングして飛び込み、エウレカを抱きしめる場面が、その後の二人の物語のすべての端緒になっている。
そして今日、USENのブロードバンド放送Gyaoで『新造人間キャシャーン』を観ていたら、30年前のこのテレビアニメ作品にも、同じような素晴らしい場面を見つけた。
『新造人間キャシャーン』第21話「ロボット・ハイジャック」。アンドロイドの悪の軍団の攻撃で廃墟となった街から、キャシャーンと上月ルナ(女性キャラクター)は生き残った人々を飛行機で安全な土地へ逃げさせる。その中に瀕死の牧師がいたため、ルナはその牧師に付き添って飛行機に同乗することにし、キャシャーンはエネルギーを回復するために廃墟の街にロボット犬フレンダーと残る。
ところがルナの乗った飛行機はアンドロイド軍団にハイジャックされ、途中の空港に強制着陸させられる。軍団はルナが乗っていることを知ると、キャシャーンの居場所を教えなければ、乗客全員を爆弾で殺害すると脅迫する。
乗客たちは命惜しさに、キャシャーンの居場所を教えるようルナに迫る。しかしエネルギーのないところを襲われれば、キャシャーンの命も危ない。あなた方が助かったのはキャシャーンのおかげではないのかと、ルナは乗客たちに訴えるが、その訴えも虚しい。
多くの乗客の命と、キャシャーンの命のどちらを選ぶのか。その葛藤が、ルナと乗客たちの緊迫した表情の切りかえしで、無音のまま描かれる。無音のまま人物の表情のクローズアップが何度も切りかえしになるシーケンスは、おそらく他の話にはない心理描写ではないか。そこに赤ん坊の泣き声が響き、ルナはついにキャシャーンを裏切って、アンドロイド軍団にその居場所を教えるのだった。
廃墟となった街の、無人の遊園地で体を休めていたキャシャーン。キャシャーンが寝そべっているジェットコースターがゆっくりと動き出す。その動き出す瞬間が、コースターを牽引する滑車のクローズアップで描かれる点も秀逸だ。
アンドロイドの奇襲を何とか切り抜けたキャシャーンは、生き残りのアンドロイドから、ルナが自分を裏切ったことを聞かされる。その言葉を信じられないキャシャーンは、飛行機に変身したロボット犬フレンダーに乗ってルナのいる空港に飛ぶ。
そのころルナは自分の裏切りを悔やみ、自分の命を引き換えにしてもキャシャーンを救って下さいと、静かに神に祈っていた。ところがルナは、空港に降り立ったキャシャーンを銃で殺すよう、アンドロイド軍団に脅迫される。さもなくば飛行機の乗客を全員殺すというのだ。
一歩また一歩と近づいてくるキャシャーンに、ルナは銃口を向ける。キャシャーンの足音だけが響く切りかえしショットで、否応なしに観る者の緊迫感を高める。ルナの心の中の声、「キャシャーン、お願いだから来ないで」。
その叫びが実際の声となってルナの口から発せられたとき、ルナは引き金を引く。しかしその瞬間キャシャーンは身をひるがえし、飛行機の下に仕掛けられた爆弾型ロボットを破壊する。そして次々とアンドロイドたちを倒し、部隊を全滅させる。
再びキャシャーンによって救われた乗客たちは、元の目的地へ飛び立とうと、別の旅客機に乗り込んでいる。キャシャーンはルナの肩に手をかけるが、ルナは意外にも背を向けて、ひとこと「さようなら」とつぶやく。
突然の決別にキャシャーンは驚くが、ルナは涙ながらに言う。
「私の心の中にはキャシャーンだけしかいない。そのあなたを裏切ったあたしを、あたしは許せないのよ。あたしがいればきっとまた、足手まといになるわ」
とても美しい台詞である。
「そんなことはない。ルナ、おれだって君を一瞬うたがった。おれだってそんな自分がゆるせない。でも君といっしょにいたい。おれは君といっしょに戦いたいんだ。ルナ!」
これが愛の告白でなくて何だろうか。しかし、ルナは自責の念を抱えたまま旅客機に乗り込み、キャシャーンの前から飛び立ってしまう。
旅客機の中、体調を回復した牧師は、窓の外に飛行機型のフレンダーに乗るキャシャーンの姿を認め、となりに座っていたルナに語りかける。
「ルナ、私はもう大丈夫だ。さあ行きなさい。キャシャーンのところへ。今行かなければ、一生会えないかもしれないんだ」
ルナはキャシャーンの姿に驚いてつぶやく。「一生...」
「さあ、ルナ!」牧師の言葉に促されて、ルナは駆け出し、客室を出ると、非常用ハッチを開く。眼下に飛行機型のフレンダーに乗るキャシャーンの姿が小さく見える。その瞬間。ルナはハッチから大空に向かってジャンプする。
無音。
ルナの体はスローモーションで回転しながら、キャシャーンのもとへと落ちていく。そこにナレーションがかぶさり、飛び去る旅客機を背景に、キャシャーンがルナを抱きとめる直前のストップモーションで、第21話は終わる。非常に印象的なラストカットである。
今Gyaoで公開されている第20話、第26話などと比較すると、演出の水準が明らかに違う。この第21話の演出は鳥肌が立つほど秀逸なのだ。それもそのはず。この第21話の演出は、富野喜幸、そう、『機動戦士ガンダム』の総監督・富野由悠季の旧名である。

MySQLのINSERT文を高速化する

仕事で「MySQL」を使うことになったのだが、Notes/DominoのLotusScript(Visual Basic互換の言語)のForループの中から、ADODBオブジェクトを使って、ODBC接続でINSERT文をくりかえしMySQLサーバへ発行すると、処理速度が遅いのが気になった。

MySQLのドキュメントで「INSERTクエリの速度」の部分を読むと、「複数ステートメント」を利用すると高速になるという。「INSERT INTO table_a VALUES (1, 23), (2, 24), (3, 25)」のように、値の組を複数指定するINSERT文の書き方だ。
ためしに、かんたんなテーブルを定義して、VBScriptで1000件のデータを、1件ずつ1000回INSERTするのと、2件ずつ500回と、4件ずつ250回と、8件ずつ125回INSERTするのを比べると、37秒、19秒、9秒、4秒という具合に、所要時間が正確に2分の1になっていく。
たった1000件で37秒もかかるのはおかしいと思ったら、初期状態ではトランザクションが自動コミットモードになっていることに気づいた。そこで「SET AUTOCOMMIT=0」で自動コミットでなくして、「START TRANSACTION」「COMMIT」で明示的にトランザクションを開始・終了するようにした。
すると、まったく同じ処理が、2秒、1秒、0秒、0秒になった(VBScriptで1/1000秒単位で実行時間を計測する方法が分からなかったので秒単位になっている)。
MySQLのドキュメントによれば、テキストファイルからデータを読み込む「LOAD DATA」コマンドを使うともっと高速だとあったので、同じくADODBオブジェクトを使ったODBC接続で実行してみると、0秒まで短縮した。
読込み件数を10,000件に増やしても0秒と、VBScriptでは計測不能である。100,000件にしてようやく3秒と、計測可能になった。1件ずつINSERTする処理と比較すると、数百倍の処理速度ということになる。
なお、WindowsクライアントでMySQLの「LOAD DATA」コマンドを実行するときは、行末文字を指定する必要があるようだ。
LOAD DATA INFILE (ファイル名) INTO TABLE (テーブル名) FIELDS TERMINATED BY (データ区切り文字) LINES TERMINATED BY ‘rn’
このように行区切り文字として「’rn’」を指定しないと、「r」が文字データの一部分として読み込まれてしまう。