月別アーカイブ: 2006年2月

転職メルマガにドリアン助川

■毎日キャリアナビという転職サイトから毎週メールマガジンが届くのだが、「明川哲也の俺が聞いちゃる」というコーナーがある。転職サイトによくありがちな実践的な転職相談というよりは、毎回ほとんど人生相談みたいな内容で読むに値しないとやりすごしていた。
ところが先日、ヒマをもてあましてこの相談コーナーをよくよく読んでみると、回答者である「明川哲也」という人物が、元「叫ぶ詩人の会」のドリアン助川であることに気づいて驚いた。僕がまだ名古屋で某大手電機メーカの経理部にいたころ、よく聴いていた深夜AMラジオ番組『ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!』のパーソナリティーだったあのドリアン助川ではないか。
リスナーからのきわめて真面目で重い内容の人生相談に、ドリアン助川が回答するというより、いっしょに悩むというスタンスで、当時の派手な外見とはうらはらに氏の誠実さがにじみでるとても良い番組だったと記憶している。
実はそのドリアン助川改め、明川哲也氏が原稿を書いていたということで、改めて「俺が聞いちゃる」のバックナンバーを読み返してみると、他の転職サイトでは読めない、ブンガク的かつテツガク的な転職相談になっている。さすが『ジャンベルジャン!』のパーソナリティ、その回答は単なる転職テクニックにとどまらず、人間の自意識や生きることの意味そのものにまで踏みこんだ広がりがあり、映画や文学作品など、およそビジネスとは無関係なジャンルからの引用も豊富だ。
そもそも転職というイベントは人生の転機なのだから、転職相談が単なるテクニックの伝授にとどまることの方がおかしいのかもしれない。転職しようと考えている人たちにとって、本当に自分は転職すべきなのかという「Why」の問題は、どうしたら希望どおりの転職ができるのかという「How」の問題よりもはるかに重要なはずなのだ。ところがほとんどの転職サービスは方法論・技術論の疑問には答えてくれても、「なぜ」の問題には答えてくれない。
働くということについて今の40代、50代が「なぜ」の問題を深く考えずにやりすごしてきた結果、いま日本で何が起こっているかは周知のとおりフリータやニートの問題だ。働く意欲の欠如に対して、職業訓練や就業支援など、純粋な技術論で対処することはたしかに効率がいいが、働くことについての「なぜ」というテツガク的な疑問を問わないままでは、おそらく根本的な解決にはならない。
働くことについて技術論の対処両方しか提示できない人たちは、自分たち自身、働くことについて疑問を抱いたことのない人たちに違いない。自分の理想に向かって一直線に突き進んできたようなタイプの人たちが、働くことに「なぜ」という疑問など抱くはずがない。フリータやニートが働くということに関する疑問についていっしょに考えたいと思う人は、むしろ明川哲也氏のような、ブンガク的でテツガク的な人物、つまり、多くの人が当たり前と考えて疑いもしないようなことを疑う能力のある人物なのではないか。

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23)『OH LA!』誌の記事

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)
参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER
―2001/05/23 ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)関連記事。
今週の『OH LA!』掲載のナターシャに関する記事
「ナターシャ・サン=ピエール、フランス語圏の新チャンピオン
『私の大好きなセリーヌ・ディオンと比べてもらえるのはうれしいけれど、彼女の単なるコピーだと思われたくはない』
彼女の輝く青い瞳、フレッシュで澄み切った声、第46回ユーロビジョンを見守る1億2千万人の視聴者を魅了した。ロベール・ゴールドマン(ジャン・ジャックの兄弟)による曲『Je n’ai que mon âme』で、ナターシャ・サン=ピエールはフランスに第4位をもたらした。この数年では思いがけない成績だ。このヌーボー・ブランシュヴィック出身のアカディア(訳注:カナダ南東部のこと)の少女は20歳で輝かしい未来を約束された。ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』でその姿を現し、ガルーのフランス・ツアーの前座を実際にしっかりとつとめた。ナターシャは輝かしいキャリアの始まりを私たちに語ったが、それはもう一人のカナダ女性、セリーヌディオンのことを思い出させずにはいられない。彼女はセリーヌ・ディオンを敬愛するが、もう彼女とは比べてほしくないと言う...。
あなたのセカンドアルバムは『À chacun son histoire』というタイトルですね。あなたの経歴(histoire)を聞かせてもらえますか...
私はヌーボー・ブランシュヴィック州の北部にあるバトュルスト出身です。歌はほんの幼い頃から始めました。8歳のとき歌の先生が舞台に参加するように提案して下さったんです。公演回数はだんだんと増えて、地元を公演して回るようになりました。14歳のときフランス語圏へということでケベック州に出発しました。2つの事務所が私を見出してくれました。15歳のときファースト・アルバム『Emergence』を発売しました。でもプロデューサと仕事に対する見方が違っていました。契約を打ち切るのに一年半もかかったんです。その期間にバカロレア(訳注:大学入試資格試験)に合格することができました。それからギィ・クロティエと出会ったんです。ルネ・アンジェリルとともにセリーヌ・ディオンを見出した人物です。そして2枚めのアルバムを出しました。間もなくギィは私にリュック・プラマンドンを紹介してくれました。そこから今につながっています。
まさに『ノートルダム・ド・パリ』で見出されたというわけですね。でもあのミュージカルに出演できたのはひょんなことからだったとか...
あっという間で実感がありませんでしたよ!リュック・プラマンドンに出会って10日後にはもうケベック公演ですよ。ジュリー・ゼナッティがアルバム録音の準備のために、予定より早くフランスに帰らなければならなくなりました。ある日の午後のうちに、フルール・ド・リ役を練習しました。いままででいちばんプレッシャーを感じました。舞台の上であんなに緊張したのは初めてでした。
そんな経験の中で何が印象に残っていますか。
とてもいい思い出と、とてもいい友人たちのことです。たとえばガルーのような。すばらしいアーティストたちと出会いましたし、歌について多くを学びましたし、いろんな人たちと出会うことができました(訳注:des gens du milieuの訳し方不明)。
ガルーのツアーではフランスの観客にどんな風に受け入れられましたか。
とても熱狂的でした。何を期待していいのかわかりませんでしたが、公演をしたすべての都市でスタンディング・オベーションでした。
フランスは最近ケベック出身の歌手に熱を上げているようですね。イザベル・ブーレ、リンダ・ルメ、ガルー...。この現象をどう説明しますか。
そういう好みは昔からあって、また繰り返しているだけだと思います。ロベール・シャルルボワ、ファビエンヌ・ティボー、ディアンヌ・テルなどの名前をあげるだけでも、フランスで成功しているということがわかります。フランス人とケベックの人たちの間には美しい兄弟愛がずっと続いています。フランス人は昔からカナダ人の感受性や作品を評価してきました。
よくもう新生セリーヌ・ディオンだと言われますね。そう言われて満足ですか、うれしいですか、それともいらだちますか。
ものすごくうれしいです。私は彼女の声とカリスマ性、彼女が歌にかたむけるエネルギーや誠実さを素晴らしいと思っているからです。でも同時に恐ろしいという思いもあります。私のことを単なるコピーだと軽蔑されるのは嫌なんです。私たちの似通ったところだけでなくて、違いもわかってもらえたらと思います。
これほどの力強さと説得力で愛を歌い上げるには、恋愛感情を経験する必要があるのではないですか。
必ずしもそうではありません。今のところ恋愛はしていませんし。恋愛感情を表現するために、アーティストは何よりもまず、自分の感情と想像力に語らせる必要があると思っています。
あなたはどんなタイプの女性ですか。
感情のままに生きる、とってもシンプルな人間だと思ってます。音楽やスポーツ、読書が好きですし、気分によってすることを変えます。家族や友だちともとても親しいです。1年に二度は海岸沿いにある実家に帰ります。自分が海辺を必要としている感じです。海辺が好きで、海辺にいるとリラックスできるからです。」

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier声の変遷

■ご承知のように、この「愛と苦悩の日記」でナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)がユーロビジョンで4位入賞した2001年当時の雑誌記事を翻訳していると、セリーヌ・ディオンのことがよく話題になっている。ナターシャ自身、セリーヌ・ディオンのような歌手を目標にしているところがあったようだ。
今年に入ってから発売されたニューアルバムを聴くと、全体にマイナーでやや暗めの曲が多く、あまり彼女をセリーヌ・ディオンの明るく突き抜けるようなボーカルと比較しようという考えが起こらないが、先日、セカンド・アルバム『À chacun son histoire(人それぞれの物語〔恋愛〕)』をMP3サイトからダウンロードして聴いてると、なるほどこれはセリーヌ・ディオンだと納得できた。
このアルバムは1曲目に彼女がユーロビジョン・コンクールで歌った『Je n’ai que mon âme』が収録されているが、三連符による4拍子のいわゆるロッカバラードで、歌い始めはささやくように静かなヴォーカルが、終曲に向かって徐々に盛り上がり、最後は「エーイエー!」と力いっぱいの声量で歌い上げる。
2曲目のアルバム表題曲『À chacun son histoire』もイントロはいきなり無伴奏のささやくような歌声から始まるが、こってりしたペンタトニック・スケールのエレキギターがうなるブルースで、ナターシャのヴォーカルもブルージーなフェイクを織り交ぜながらうなっている。
3曲目の『Laisse-moi tout rever』にいたっては、セリーヌ・ディオンの域を超えて、ホイットニー・ヒューストンばりのたくましく伸びる声を響かせている。セリーヌ・ディオンはいくら声を張っても「うなり」はあまり目立たず、透明に響き続けるけれども、ナターシャの声はこの曲のラスト近くでちゃんとうなっている。
最新アルバムで聴けるようないかにもフレンチポップスっぽい「ささやき」型のヴォーカルから、セカンド・アルバムに顕著なホイットニー・ヒューストン並みに「うなる」ソウルフルなヴォーカルまで、この表現の幅を聴くとナターシャの表現力はすでにセリーヌ・ディオンを超えていると言えるのではないか。
ただ心配なのは、元S.E.Sのバダにも同じことが言えるのだが、20代半ばを過ぎると制作側の意向で不必要に大人びてしっとりした曲ばかりを歌わされるようになってしまうのではないかということだ。
S.E.S時代のバダは韓国の伝統芸能パンソリを色濃く受け継いだ「うなる」ようにソウルフルな声を聞かせてくれていたが、最近のアルバムでは「ささやき」型の妙にセクシーな曲ばかりでややうんざいさせられる。ナターシャ・サン=ピエールも今後同じように「ささやき」系セクシーヴォイス路線に入ってしまうのではないかと危惧する。
最新アルバムでナターシャの本来の声量が聴けるのは、辛うじて『À l’amour comme à la guerre』のサビくらいで、この曲はR&Bではなくフォークなので、力強い「うなり」は期待すべくもない。女性歌手が本来もっている表現の幅を保持したまま作品を発表し続けるというのはそんなに難しいことなのだろうか。

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23)『Cine Tele Revue』誌記事

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)
参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER
―2001/05/23 ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)関連記事。
『Ciné Télé Revue』誌
ケベックのテレビ番組でセリーヌ・ディオンを敬愛していると宣言したことでいろいろと言われていますが、どういう状況だったんですか。
『De toutes les couleurs』というバラエティー番組に呼ばれたんです(訳注:en dire de toutes les couleurs à~ という熟語で「~をこきおろす」と言う意味。おそらくゲストを呼んで質問攻めにする感じの番組ではないかと思われる)。まだアルバムは録音していませんでしたが、そのとき既に名前は知られていました。15歳で2つの事務所と契約して、ファースト・アルバムを出しました。18か月の間はそれでうまくいっていましたが、彼らの仕事の進め方が好きではなかったんです。スタッフを変えたかったのですが、契約期間がまだ残っていたので一年半続ける必要がありました。途中解約ができなかったのです。バカロレア(訳注:大学入学資格試験)に合格して、16歳の頃に歌手になりたいんだと自覚しました。その頃まで歌は単なる趣味でした。契約交渉のため歌をやめざるを得なくなって、初めて歌が自分にとっていかに大切かが分かったんです。
セリーヌ・ディオンがあなたのお手本なんですか。
ええ。だって彼女の声は素晴らしいですから。それに彼女は地に足をつけて歩むことができる人です。性格も素敵だし、優しくて、誠実で。あくまで自分らしいし、あれだけ成功しているのに、そういう人はめったにいません。正直に言うと、彼女のようになりたいと思っています。
ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』でロマンティックな少女役を演じていましたね。純真無垢な作中人物は、あなたと近いですか。
50%はそうですね。フルール・ド・リは情熱的な少女です。彼女はとても感情的で、周囲で起こるすべてのことに心を動かされます。彼女はまた決意の固い人物でもあります。ここまでは私に似ていますね。でも私はマキャヴェリのようになるほど頑固じゃないですよ!(笑)
あなたのアルバムは愛の言葉を思わせますが...
愛は私たち全員に関係することです。私は今のところ恋愛はしていませんが、とても感傷的な性格なんです。愛の感情を表現する方法はたくさんあります。だから歌えるということは幸せなことです。
恋愛経験はありますか。
ええ。『ノートルダム・ド・パリ』の公演中も恋愛をしていました。とてもいい恋愛でした。残念なことに二人の間がうまくいかなくなって、終わってしまいましたが。そのとき私は『ノートルダム・ド・パリ』を演じていて、ケベックではアルバムの録音で忙しかったんですが、恋愛をする時間を見つけ出していました...。
あなたに歌の仕事をさせてくれるような男性に惹かれるんですか。
特に関係ありません。私たちの仕事上の要請についてお互いに理解できるので、ときどき助けにはなります。この仕事にはいろんなことが必要ですし、会社員と私とでは優先すべきことが違いますから。
恋に落ちやすい方ですか。
いいえ。自分から声をかけたりしませんし、極端に内気なんです!だから思い違いをしないように、確認するためにじっくり時間をかけるんです。
ユーロビジョンが近づいてきましたが、どんな心境ですか。闘志や勝ちたいという気持ちですか。
自然な気持ちです。戦いに行くわけではありませんから。私らしく、ベストを尽くしたいと思っています。ユーロビジョンではとりわけ好みが問題になりますから。私の声が気に入られるかどうか。とにかく私らしくありたいです。」

ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴(2001/05/23)『Cine Tele Revue』誌インタビュー記事

■(ナターシャ・サン=ピエールNatasha St-Pier経歴つづき)
参照元:Le site de référence sur NATASHA ST-PIER
―2001/05/23 ナターシャ・サン=ピエール(Natasha St-Pier)関連記事。
『Ciné Télé Revue』インタビュー記事
『私は20歳だけれども、20歳が人生で最も美しい年だなどと誰にも言わせない』。これは哲学者でも作家でもあったポール・ニザン(1905~1940)の引用だが、ナターシャ・サン=ピエールには全く当てはまらない。満20歳のナターシャは、話題の絶えないセカンド・アルバム(ただし欧州では最初のアルバム)『À chacun son histoire』を発売したばかりだ。彼女の物語(histoire)はカナダ北東部の英語圏にあるヌーボー・ブランシュヴィックに始まる。ナターシャは幼い頃から抑えられないほど歌に引かれていることに気付いていた。ケベック州では15歳の頃から歌手として有名になり、ミュージカル『ノートルダム・ド・パリ』では若くしてすでにジュリー・ゼナッティの代役を演じた。それからフルール・ド・リ役という肩書きを得て、英語版アルバムの録音に参加。今ではソロシンガーとして活躍している。ついに、と言ってもこれが最後ではないが、先日12日土曜日、ユーロビジョン・コンクールでフランス全土が彼女を後押しし、『Je n’ai que mon âme』という曲をフランス代表として歌った。つい数年前まで生物学者になることを夢見ていた、この未来のスターとのインタビューである。
カナダの輸出産業の中では、女性歌手はメープルシロップと並ぶシェアを占めているとか。あなたも流れ作業で生産されたんですよね。
(笑)違うわ、私の知る限りではね!実際には波があるんじゃないかしら。1970年代には、たくさんのケベック人がヨーロッパで有名になったし。ロベール・シャルルボワ、ディアンヌ・テル、ファビエンヌ・ティボー、ディアンヌ・デュフレーヌ...。今また波が来たのよ!
一定の知名度の他に、あなたが『ノートルダム・ド・パリ』の経験から得たものはなんですか。
実際はフランス、ケベック、英国すべての『ノートルダム・ド・パリ』公演に参加しているの。だからものすごくたくさんのことを学んだわ。リシャール・コキアントやリュック・プラマンドン、演出家のジル・マウーとの出会いだけじゃなくて、それぞれに違っていた3か国の公演での共演者たちからもね。共演者のほとんどが年上の人たちだったから、なおさら学ぶところが多かったわ。
正確にはどうやって出演者に選ばれたんですか。
(やや興奮して)あらら。ほんと、誰も私を信じてくれないんだから!1999年にケベック州公演のためにリュック・プラマンドンが開いたオーディションに合格したの。ケベック州での公演はフランス公演の後に予定されていて、私はフルール・ド・リ役をもらったというわけ。ところが、私が代役をしたジュリー・ゼナッティはケベックを去って急遽フランスに戻らなければならなくなったの。突然、舞台にフルール・ド・リがいないってことになってしまった。そこである日の正午、私が呼ばれて、『ノートルダム・ド・パリ』公演に予定よりも早く出演準備をして欲しいと言われたの。私が「はい。で、いつからですか」ってたずねたら、「今晩から」ですって!私はモントリオールのサン・ドニ劇場に駆けつけて、パトリック・フィオリ、ジュリー・ゼナッティとその日の午後、役の練習をしたのよ!歌は覚えていたの(フルール・ド・リは劇中で3曲、途中から歌に入るものも含めると4曲しか歌わない)。だって、オーディションに合格したばかりだから。でもそれだけ。何の準備もなかったから、私の身長に合った衣装さえなかったのよ。その晩8時に舞台は始まって、8時半には舞台に上がっていた。あれは人生でいちばん緊張した舞台と言ってもいいわ。
午後の練習だけで十分でしたか。
そうするしかなかったの!舞台上での立ち位置の移動とか、役についてのすべてのことを午後だけで覚えたの。その後2年間、ずっとその役を演じ続けているわ。時が経つにつれて、確実にフルール・ド・リの演じ方は少しずつ変わってきている。
その舞台では間違えませんでしたか。
ええ。すべてがうまく行ったわ。きっとビギナーズ・ラックってやつね。最初の公演が完璧だってことは、たまにあるわね。二回目はほどほどで、三回目は安定してきて。でもあのときの二回目と三回目がどうだったかはよく覚えてないけど...。
英語版でもその役を演じることに問題はありませんでしたか。
逆にうれしかったわ。だって英語で歌うのは好きだから。それから、おかげでジル・マウーと仕事をすることができたし、舞台に変化をもたらすこともできたし、自分の役柄を見直すこともできたし...。同じ役を400回やったとしても、常にその役にまで自分を高める必要があるの。それがミュージカルでいちばん難しいところね。実際、同じ役をやっていると疲れてしまうし、自分の体をいたわろうとしてしまうし。でもそうすることはできないの。劇場の観客には、初めてその役を演じたときの驚きを伝えなければいけないから。だからものすごく集中力が必要だし、エネルギーも必要ね...。
米国版の『ノートルダム・ド・パリ』を見たことはありますか。
いいえ。私が見損ねたのはラス・ヴェガス公演ね。ちょうどそのとき私はケベックと英国にいたから。どちらにしてもそれほど興味を引いたかどうか。歌手としては、私はヨーロッパとカナダを目指して始めたの。たぶん米国にも行くかもしれない。国際的なキャリアを積みたいから。でも、今のところその必要はないと思う。それに、ギャンブルの街で上演される『ノートルダム』はほぼ半分にカットされているし、最初のバージョンを400回以上演じた後にそこへ行っても、あまり幸福じゃないでしょうね。
15歳の頃にすでに『Emergence』を録音しているので、『À chacun son histoire』はセカンド・アルバムですよね。『Emergence』のときは批評家や一般の人たちはどんなふうに受け入れてくれましたか。
とっても、とっても良かったわ。ラジオでもたくさん成功したし、それにモントリオールではあのアルバムの曲をいろんなラジオ局で何度も耳にしたし。売上も良かったわ。ただ、当時私がいっしょに仕事をしていた人たちは、私とは違った見方をしていたみたい。だからスタッフを変えたいと思って、5年契約でまだ3年間契約が残っていたんだけれど、裁判に一年半かかってしまった。その期間は歌うことができなかったから、すごく長く感じられたけど、改めて本当に私は歌手になりたいんだって分かったの。
今のようにヨーロッパで活躍したいと思ったのは何がきっかけですか。
幼い頃の夢がかなった、というわけではないの。だってこんな日がいつか来るなんて夢にも思っていなかったから。でもそれが現実になってとってもうれしいわ。これは一つのチャンスだと思うし、きっとこのチャンスをつかんでみせる...。
ケベック出身の女性歌手が何人もヨーロッパで成功しているので、むしろ良い前兆だと思いませんか。
たしかに私も夢が持てるから!今のところケベック出身の女性歌手はヨーロッパで大活躍しているし。でもそれぞれに違いがあるというのは確かね。たとえばリンダ・ルメは私よりもずっと詩的で、素晴らしい作詞の才能を持っているわ。私たちはお互いにアドバイスできることはあっても、それぞれが自分らしさを証明しなきゃいけないと思ってる。
もしケベック出身の女性歌手ベスト10を選ばなければいけないとしたら誰ですか。
あらら!だって私まだこんなに若いのよ。ケベック出身のフランス語で歌う女性歌手を全員あげることさえできないのに...。でも順番に言うとすれば、セリーヌ・ディオン、ララ・ファビアン、イザベル・ブーレ、リンダ・ルメ、フランス・ダムール、それからナンシー・デュメかしら。
まだ6人しかいませんよ!
他にもいるはずだけど、英語の音楽もたくさん聴くから!英国に6か月滞在して、今はヨーロッパを走り回っているから、ケベックの音楽については、だんだん分からなくなってきてるの、正直に言うと...(苦笑)。
じゃあ、その10人の中に自分を入れるとしたら、何位になりますか。
たぶんフランス・ダムールとナンシー・デュメの間!
生物学者になりたかったそうですが、後悔はしていませんか。
ええ。確かに最終学年で、この夏から研究室での研究を始めなければいけないの。でも自分のやっていることをとっても愛しているから。それに大学に戻ろうと思えば後からでも戻れるし...。」