月別アーカイブ: 2005年12月

最初で最後の恋

■今日、モスバーガーでお昼を食べていたらかなり面白いことがあった。となりの席に向かいあってすわる、大人しめのファッションの15歳高校一年生の女子ふたり。ひとりが、たまたま同じ体育係になった先輩の男子によせる思いを語る。「ほんと。なんていうか。気づいたら好きになってたっていうか。こういう感じって、今までなかった感じで。何て言ったらいいのかわかんないんだけど。これって何なんだろうね」。するともうひとりが、その告白を聞いて興奮をおさえられない様子で言う。「それって運命だよね。だって体育係にならなかったら、出会ってなかったわけだし」「すごい。ほんとだよね。もし中学のときに出会ってても、たぶんこんな気持ちにならなかったと思うし」。
ひとりの告白を、もうひとりが盛り上げるうちに、ふたりの妄想はエスカレートしていく。「ねぇ、何歳ぐらいに結婚すると思う?っていうか、何歳に結婚したい?」「わかんないけど、30歳までには結婚したいよね」「あのさあのさ、もしその人に『高校卒業したら結婚してくれ』って言われたらどうする?」「『うん』」「うわぁ~」「もうこんな気持ちになることって、ないかもしれない」「それって初恋って言うのかな」「たしかに今までも気になる人はたくさんいたけど、こんな気持ちは初めてだし」「初恋だよね」「うん。最初で最後の恋かも」
他人の会話をとなりの席で高橋源一郎『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(集英社)を読みながら盗み聞きし、書きとめるというのは、あまり上品なことと言えないかもしれないが。

とりとめもなく書きとめる

■男はかつて、頭にふと浮かんだことをよく文字として書きとめたものだった。しかし近ごろでは、そうしたとりとめのない考えは文字どおりとりとめもなく流れ去り、気づいたときには、たしか何かを考えていたはずだという、痕跡のようなものしか残っておらず、書きとめようにも書とめることができないのだった。

Apache+Opensslバイナリサイト復活

■今日、何となくネットサーフィンをしていたら、SSL付きのApache2.0.XがダウンロードできるWebサイトが復活していた。ぜひ今後も継続してSSL付きのApacheバイナリを提供して欲しいものだが。
ちなみになぜここまでSSL機能付きのApacheにこだわるのかというと(ここから先は分かっている方には分かりきったことなので読み飛ばして下さい)、Unix系のOSでApacheを使っている人は、Apacheもmod_sslも自分でコンパイルするのがどうやら常識らしいので、ソースコードさえダウンロードできれば何の心配もない。ところがWindows上でApacheを使っている人は、僕も含めてソースコードを自力でコンパイルするスキルのない人が少なくないので、コンパイル済みのバイナリファイルをどこかから入手する必要がある。そういう理由なのだ。

聖夜にVisual Studio 2005 Beta版と戯れる

■このブログ「愛と苦悩の日記」ではなく、親サイト「think or die」のコンテンツのレイアウトをそろそろ変更しようと考えて、Visual Studio 2005のベータ版で久しぶりにVisual Basicをつかったアプリケーションを開発していた。
やることは単純で、既存のHTMLファイルから題名や作成日付、本文などを切り出して、ローカルのSQL Serverのテーブルに保存し、今度は保存した結果を、別途作っておいたテンプレートにあてはめながらHTMLファイルとして書き出すという処理だ。
各ページに同じカテゴリのすべての記事へのリンクをつけ、いちいち目次にさかのぼらなくても、同じカテゴリの記事にワンクリックで移動できるようにした。これはデータベースからHTML文書を自動生成するのでなければできない一括処理だ。
しかしVisual Basic.NETということで、データベース更新部分のコーディングの勝手が非.NETのADOとはずいぶん違った。TableAdapter経由のデータ更新は、ODBC接続してADOで更新するよりも効率が良いのか悪いのかよく分からなかった。まぁでも、Visual Basicがお手軽で、ろくに設計もせずにいきなりプログラミングを始められる easy going なツールであることには変わりない。

少子化に戦争の比喩

■今日の日本経済新聞朝刊の「人口減と生きる」はまるで大本営発表の戦意高揚プロパガンダだ。
「出生減の連鎖をくい止め、反転上昇につなげることを国家目標に位置づけねばならない」「手綱を緩めれば私たちの世代は次世代、次々世代から恨みを買う」「国や自治体、企業経営者、家庭や地域社会が総力戦で立ち向かうときだ」
何なんだろうか、この事大主義は。読者数が減る新聞社にとっては死活問題なのかもしれないが、明らかに煽り過ぎの文体に強い違和感を抱くのは僕だけでないはず。
そもそも少子化と国力を直結させるこの発想こそが、個人に犠牲を強いることで結果として少子化を進行させているのだが、経済成長至上主義の編集部に洗脳されてしまっているのか、大林尚という記者は、そのことに気付いているふしはない。
何が問題かといって少子化が絶対悪であるかのような、バランスを欠いた議論だろう。いやがおうでも出生率を反転させなければならないという強迫神経症のような論調のことだ。
社会のレベルでの危機感をあおればあおるほど、個人は考えにゆとりを失って生活防衛に走り、少子化はさらに進む。マスメディアとしてとるべき効果的なスタンスは、むしろ少子化の利点を取り上げることではないか。
少子化対策をよびかけなければならいのは、主に都市部の二十代、三十代だが、少子化によって都市部の過密が緩和されるとか、地方の過疎化が進むことでムダな道路やハコモノに税金が浪費されずにすむとか、少子化のメリットを訴求すればいい。そうやって世の中に対する悲観的な考え方をとりのぞき、子供を産もうと思える希望を抱かせることこそ正しい少子化対策なのである。
ところが最近の日本のマスコミは、米国型の危機感ばかりをあおる報道姿勢にすっかり感化されてしまって、少子化問題についても、まるでこのままいくと日本中が不幸のどん底におちいるかのように書き立てる。そんな不幸な将来へ誰が子供を送り出そうと思うだろうか。
日本経済新聞の記事は少子化を解決しようとして、まったく逆の効果を生み出している。この皮肉な結果から、今のマスコミの根っこにある問題、事大主義と煽動というスタイルが浮き彫りになる。