月別アーカイブ: 2004年12月

新藤兼人『縮図』

■新藤兼人監督『縮図』(1953年)を観た。溝口健二監督の薫陶を受けているにもかかわらず今まで一本も観たことがなかったので、レンタルビデオ屋にずらりと並んでいた新藤監督作品のDVDから、初期の作品を適当に選んだのがこの作品だった。
監督第四作で、原作は貧しい靴屋の娘が身売りされ芸者として身も心もズタズタになりながら家族を支えるために力強く生きぬくという徳田秋声の自然主義小説、主演は靴屋の娘・銀子役で乙羽信子、その父親役が宇野重吉、銀子を身請けする役で山村聡、山田五十鈴も出演している。
こんなにカメラがよく動く映画は久しぶりに観た。前半、芸者になったばかりの銀子が客とじゃんけん遊びをするシーケンスで、人物に寄っていくカメラがゆっくりねじを回すようにねじれていく動きや、人物の上からカメラがかぶさって乗り越えるような動き。ねじれる動きはスムーズなので機械的な機構だろうが、人物を見下ろしながら乗り越えるカットは手持ちらしくカメラが揺れる。今ならステディカムででも使うところなのだろうが、そんなものがない時代にこういうカメラの動きを要求した先進性には驚く。
もう一つ印象的だったのは、芸者の弾く三味線のアップだ。よくロックバンドのギタリストの華麗なフィンガリングをクローズアップにするため、ギターのネックの先にCCDカメラを固定して、遠近法の奥行きを効かせてフレットを撮っている絵があるだろう。新藤監督はあれを三味線でやっているのだ。もちろんあの時代に小型カメラなどないので、三味線の棹の先にカメラを固定する代わりに、おそらくカメラに三味線の棹の先を固定して、そのまま演奏させていると思われる。
本作は脚本が自然主義小説だし、新藤監督はリアリズムの作風だとも言われるが、宇野重吉演じる父親が作業している様子を、広角レンズをつかって俯瞰でとらえる奇妙に丸っこい絵なども、絵はかなり意図的に作り込まれている点が印象に残った。

欲望の陰画としての夢

■単位が足りなくて大学が卒業できそうにないという夢を、ここ数年、数か月に一度は必ず見るようになってしまった。卒業できなければ大学院への進学も、就職もできなくなってしまう。一体どうすればいいのか、という生々しい切迫感が、夢から覚めてもしばらく残っているのだ。大学を出てからもう十年経っていて、そんなこと心配する必要などまったくないのに。しばらくしたらきっとまた同じ夢を見るだろう。最近気づいたのだが、この夢は永遠に卒業したくなかったという欲望の陰画かもしれない。

au新端末Webブラウズ定額制対象外

■今年の春、京セラ製のPHSにOperaブラウザが搭載され、内臓されているメモリ容量が許す限りでパソコンと同等のネットサーフィンができるということで話題になったが、結局、KDDIから2004/12になって発売されたCASIO製の端末に同等の機能が付いてしまった。ただしWebブラウズのパケット料金は、WIN端末のパケット定額制の対象外だ。通信速度はPHSより高速だが、通信料の点ではまだPHSが優位になる。携帯コンテンツ業者に気をつかった結果、何とも中途半端なau端末になってしまった感は否めない。(注:この記事はもともと、au新端末はWebブラウズも定額制の範囲内だと書いてありましたが、読者の方からのご指摘で、別料金であることが分かりました。そのため内容を変更させて頂きました)

放火と遵法精神の喪失

■ドンキホーテがまた放火されて二階部分がほとんど焼けたようだが、ああいう物販店は普通に考えればスプリンクラーが作動して初期消火できるはずだ。埼玉の店舗で放火があった直後にこんなことが起こる理由は二つ。埼玉の犯人が検挙されていないことと、ドンキホーテの消防法違反の疑いだ。最近検挙率は下降の一途らしいが、罪を犯しても検挙されないなら放火でも何でもやり得だ。そしてドンキホーテのような成長企業のラディカルな実力主義は、本社の監督のゆき届かない現場で法規軽視の風土を産みがちだ。消防署も臨時の立ち入り検査はするが、指導するだけで、時限の営業停止など思い切った措置に一向に踏み切らない。どちらも存在するだけで実効力をもたない法律が背景にある。

フィットネスクラブを退会した理由

■予想されたことだが、10月に入会したばかりのフィットネスクラブを退会した。1週間を通じて20時前後以降の時間帯しか利用できない会員種類で入会した。入会まもなく仕事が忙しくなって通えなくなったこと、時間的に家の外で夕食を摂ってからジムに入り、帰りが22時を過ぎてしまうこと、いちばん通いたい金曜日が施設の休館日だったこと、ジムの雰囲気があまりに体育会系すぎてちょっと気おされたことなど、理由を挙げればいろいろあるが、根本的な理由は単純で、運動が嫌いな人間に運動は長続きしないということだ。フィットネスクラブが退会率を下げようと思えば、つねにこの単純な理由に立ちもどって考える必要がありそうだ。ジムに落ち着いたクラシックかジャズが流れていて、スタジオレッスンのにぎやかな音楽が漏れてこなければ、ジムでのトレーニングを「癒し」のイメージで売り出すこともできるのではないか。最近のフィットネスクラブにはアロマテラピーやリフレクソロジーのサロンが併設されているところが多いが、「癒し」を拡大解釈して、ジムのエリアも落ち着いて、マイペースで運動できる空間として提案することもできるはずだ。筋肉ムキムキの男が気合の叫び声を上げながらトレーニングしている横では、マイペースで運動したくてもできやしない。「サロン」としてのジムエリアという考え方で新しい顧客層を開拓するという戦略、どうだろうか。