月別アーカイブ: 2004年11月

BADA再発見

■このWebサイトのサイト内検索につかわれたキーワードを、Webサイト管理者である僕は参照することができるのだが、先日なんとなく検索キーワードの履歴をみていたら「S.E.S」というのが見つかった。そういえばまだ名古屋にいた1999年ごろ、僕はこの韓国人女性歌手3人のHIP&HOPグループ、S.E.Sのファンだった。
なつかしくなってインターネットで「S.E.S」をキーワードに検索したところ、「S.E.S. Fan Club in Japan “Hana”」というサイトが見つかった。いまだに日本にもファンクラブのWebサイトが残っていたのだ。1999年当時は「S.E.Sペッキム」という非公式ファンサイトがあって、韓国スポーツ紙のS.E.S関連記事が日本語に訳されていたりしたのでよくおとずれていたが、こちらはすでに閉鎖されているようだ。
僕は3人のなかでもパンチのある歌唱力がずばぬけているバダのファンだったのだが、もうあれから5年、彼女もすっかり表舞台から消えてしまったのだろうと思ったら、韓国では2004/09にバダの2枚目のソロアルバムが出たばかりだというではないか。さっそく「セトネット」というWebサイト経由で韓国に1,500円で注文したCDが、今日とどいた。CDの歌詞カードがミニ写真集のようになっているのだが、これを見てびっくり、韓国の化粧品メーカとのタイアップCDになっていて、そのメーカから「BADAコレクション」としてルージュなどが発売されているらしい。
日本でS.E.Sとして登場していたころは、残りの2人、ユージンとシューが「ルックス担当」、バダは「歌唱力担当」だったような記憶があるのだが、すっかりイメージが変わっている。興味のある方は韓国のレコード会社plyzerのこちらのページでご確認いただきたい。歌番組やインタビュー番組の動画までたっぷり掲載されているところが、ブロードバンドが日本よりも早くから普及している韓国らしいが、ずいぶんS.E.Sのころとは印象が変わっている。
しかしこのレコード会社のバダのページ、当然ことながらすべてハングルなので、何が書いてあるのかさっぱりわからないのが残念。また勉強し直そうかという気になってきた。2枚目のソロアルバムについては明日から携帯MP3プレーヤーでじっくり聴きたいと思うので、レビューはまた後日。

武田國男氏批判の反響

■武田國男氏の「私の履歴書」を批判したことに対して、2人の読者からほぼ同じ反論メールがとどいた。どうして彼のような生き方に共感できるのか理解に苦しむ。
連載の第一回目に、氏の兄が死んだとき、氏が父親から自分の存在を否定されるようなことを言われたという下りは僕もちゃんと読んでいる。しかし、だからといって親のスネをかじりながら、親の期待にそむくという矛盾した生き方を、社会人になってまで続けていいということにはならないだろう。
せいぜい大学生までなら、若者らしい反抗期とでも言えるが、会社から給料をもらってなお遊びほうけるなど、単なる無責任な大人としか言いようがないではないか。そんなに商家の厳格な家庭が嫌だったなら、親からの独立を決意して家を出るなりすればいい。そうでなければ、いつか父親を見返してやるぞと決意して、黙々と努力すればいい。
そのどちらにも踏み切れずに、親の経済力に頼りながら親に反発しつづけるという矛盾した生き方のどこがまっとうな生き方なのか。こんな生き方にどうして共感できるのか僕にはまったく理解できない。
以前ここにも書いたかもしれないが、僕も「自分はこの世に存在してもいいのだろうか」という疑問を抱きながら生きてきた種類の人間だ。しかしそういう疑問を抱いているからこそ、自分の存在理由を何とか見出そうと、さまざまな努力を積み重ねるのではないか。それが倫理的に生きようとするということではないのか。
もう一度書くけれども、世の中には経済的な理由で大学に行けない、留学ができないという人がたくさんいる。そのような人たちの境遇を考えれば、武田國男氏の生き方は徹底して自己中心的、自己陶酔的である。

武田國男氏の「私の履歴書」を連載中止に

■今年の正月はインフルエンザで死ぬ思いをしたので、この冬は二度とゴメンだということで、昨日、予防接種をしてきた。インフルエンザの予防接種なんて小学生のとき以来じゃないかと思うのだが、皮下注射した後のにぶい痛みの感覚がなつかしい。注射する直前に病院で検温したらなぜか36.9度もあったので、「くれぐれも発熱したら風呂に入らないでくださいね」と医者に念を押され、インフルエンザの症状が出たらどうしようとドキドキしていたが、結局、小学生のときと同じでなんともなかった。これでこの冬は、たとえインフルエンザにかかっても今年の正月みたいな重症になることはないだろう。
■ちょっとおもしろいことを思いついた。武田國男氏の「私の履歴書」をthink or dieの読者でこぞって連載中止にしてみましょう、という企画だ。もちろん数十人がメールを送ったからといって、連載中止になることはないんだけれど、おもしろいと思った方は日経新聞のWebサイト管理者あてに意見を送ってみよう。
とある読者の方からは、武田國男氏に同情的なメールを頂いたのだが、どの経営者も僕らのようなフツーの会社員にくらべて、並大抵でない努力をしているのは当たり前のこと。今後の「履歴書」でいろんな苦労話が出てくるのは当然で、そんなものは読まなくったってわかっている。
問題はそれまでの過程にある。世の中には経済的な理由のために、大学進学や留学をあきらめなければいけない人がたくさんいるのに、親の金で甲南大学に進学しては遊びほうけ、入社してからも会社の金でフランス留学させてもらったクセに勉強もしない(留学先の学校にちょっと表彰してもらったくらいが何だというのだ)。そんな人物が「私の履歴書」で、まるでサラリーマンのお手本であるかのような扱いをうける資格はまったくない。連載中止の要望を送った結果、何か返答がかえってきた人は筆者あてにご一報を下さい。

武田國男氏「親の七光り」

■日本経済新聞朝刊の「私の履歴書」、今月は武田薬品工業会長の武田國男氏なのだが、とにかくヒドい。ヒドすぎる。親の七光りさえあれば、バカでもなんでも経営者になれちゃうんだということがよくわかる。
大学時代までまったく勉強せずに遊びたおして、社会人になってからもろくに仕事をせずにフラフラしていても、それでも親が社長でさえあれば経営者になれるという理不尽さ。このエッセーを進学塾に通っている子供たちが読んだら、「このおじさんは何の努力をしなくても社長になれているのに、いっしょうけんめい勉強してるぼくら(わたしたち)はいったい何なの」と思うに違いない。
こんな下らない人物に「私の履歴書」など書かせないで欲しい。「私の履歴書」を書くというだけでも、まるで武田國男氏がひとかどの人物であるかのような錯覚を、世間の人々にあたえてしまうではないか。ほんとうにヒドい。ヒドすぎる。

『Good Luck』ベストセラーもう一つの理由

■『Good Luck』という本がベストセラーになっている理由だが、もう一つ、こちらの方が真実に近いんじゃないかという理由が見つかった。それは、名作が読まれなくなったことだ。
『Good Luck』に書かれているような教訓は、偉人の伝記を一冊でも読めば十分学べると思う。昔で言えば三木清とか亀井勝一郎とか(ちょっと古すぎるか)、もっと昔で言えば武者小路実篤とか、その手の人生についてのいわゆる「名作」がまったく読まれなくなっていることが本当の理由ではないか。
『Good Luck』のような「自己啓発系」の書物は、名作が読まれなくなった現代にあって、名作のお手軽な代役を果たしているのだ。『Good Luck』も別に妙なことが書いてある分けではなく、人生論としては極めてまっとうだ。ただ、たった一つの教訓を言うために丸一冊の本を費やすのは森林資源に優しくない。『Good Luck』を読んで感動した高校生くらいの人たちには、ぜひ小林秀雄の『考えるヒント』とか、そのあたりの名随筆も読んで欲しいものだ。