月別アーカイブ: 2004年6月

アンリ・マンソンジュ『文化行為としての性交(フォルニカシオン)』

■会社の昼休みに大型書店の哲学書コーナーをぶらぶらしていたら、今さらながらといった感じでデリダ特集の棚があった。「あった」と書いたが実は数週間前に訪れたときからすでにデリダの棚はそこにあったので、「まだあった」と書くのがより正確だ。
その棚にはデリダの解説書(もっともデリダに対する注釈というものが可能だとしての話だが)や伝記(もっともデリダは自らの伝記的事実が事実であること、ましてその「事実」に自らの思想の起源を見出しうることについて異議を唱えるだろうが)も並べられており、その中にアンリ・マンソンジュによる『文化行為としての性交(フォルニカシオン)』という書物があった。
デリダの解説書として文化人類学風の書名が並んでいることに違和感を覚えて手に取り、しばらく立ち読みしてみたのだが、確かに脱構築の書であることに違いはなく、デリダの著書に隣り合っていることが納得された。ちょっと立ち読みしただけなのだが、この本はあらゆるものが脱構築されている中で、なぜセックスだけは脱構築されないままなのか、セックスだけが依然として現前する記号として存在するのはなぜか、ということを論じているらしい。
ジャック・ラカンの『セミネール』からすっかり精神医学関係書に脱線したままなので、久しぶりに脱構築の書でも読んでみようという気になった。どうやらこのアンリ・マンソンジュという思想家(?)について、マルカム・ブラッドベリという英国人が書物を一冊書いているようなので、いつも訪れる近所の図書館でまずはそちらの方を借りて読んでみたい。その書物は『超哲学者マンソンジュ氏』という題名で、柴田元幸という人が翻訳している。

タイPOPの歌姫パーミー

■毎週月曜日夜23:00からNHK FMでAsian Popsの番組があるのをご存知の方は少ないと思うが(もっともこのページの読者のうちご存知の方の割合は全日本人に占めるこの番組を知っている日本人の割合よりは高いと予想されるが)、今週放送分にタイで最も人気のある女性歌手Palmyが出演して、豪州留学で仕込んだ流暢な英語でインタビューに答えていた。
Palmyのことは以前タイのポップスを日本に紹介する日本のレコード会社の社長が何かのテレビ番組で取材されていたものを偶然目にしたときに、彼が今まさに日本で売り出そうとしている歌手として登場したことから知っていた。
詳しくは新宿にあるタイ音楽専門店「サワディーショップ」のWebサイト内の彼女についてのページを参照して頂きたいが、タイ人とベルギー人の両親の間に1981年に生まれ、偶然にも王菲と同じくCranberriesが最もお気に入りらしい。先日2004/06/10渋谷での日本で初めてのライブでは洋楽のカバーとしてBring Me to Lifeを歌ったところからすると、この年齢になっても、ことPopsに関してはミーハーなままに留まっている僕と趣味が似通っていることが分かるが、へそピアスと鼻ピアスが気にならないと言えば嘘になる。
NHK FMに登場した彼女の英語は豪州で学んだわりに明瞭で通訳なしでも十分聞き取れたが、いまだに「私らしさ」が音楽家としての自己主張になるところは、さすが発展途上国タイという感じがした。王菲同様コロコロ裏返る美しいファルセット、楽曲によって雰囲気がガラリと変わる七色の声は魅力的で、曲調は邦楽で言えばLove Psychedelicoをもっと軟弱にした感じ。
NHK FMで数曲聴いて、この軟弱かつ軽薄な反復こそPopsの王道だと気に入ってしまい、今日、新宿高島屋の上にあるHMVで2004/03に日本で発売されたCD『パーミー』を購入した。タイで発売された一枚目、二枚目のアルバムから計18曲を収録した日本向けの製品。
同封の歌詞カードには、タイ語、タイ語の英字表記、日本語訳と3通りの表記で18曲すべての歌詞が記されている。タイ語入門のWebサイトを少し探ってみたが、子音と母音、文字の煩雑さから、すぐにタイ語の勉強はあきらめた。前職では国際テレビ会議でタイ人の同僚とも毎月顔を合わせていたのだが、こんなことならその時にタイ語を勉強しておけば良かったと今さら悔いても仕方ない。ご興味のある方はAmazon.co.jpでどうぞ

岩手県自民党の被害妄想

岩手県の選挙管理委員会の作成した参議院選挙向けに有権者に投票を呼びかけるポスターに、地元の自民党会派がクレームをつけたため、撤去が決まったようだ。「どうして岩手の人は不満があるのに何も言わないの?」「投票しなきゃ変わらない!」というコピーの背景にタレント、セイン・カミュの写真があるというポスターだが、自民党がクレームをつけた理由は、現状を変える必要があるということを前提とした内容になっているからだということらしい。
僕は自民党がクレームを付けた結果、このポスターが撤去されたという事実そのものが、選挙管理委員会に対する自民党の不当な介入、というより、ほとんど言いがかりであって、大問題だと考える。このポスターにある「現状を変える必要がある」というメッセージを、自民党会派は「自民党以外の政党に投票する必要がある」と解釈したことになるのだが、これは曲解もいいところだろう。
「現状」の中には普通に考えてふがいない民主党や、つまらないスキャンダルでマイナー政党に落ちてしまった社民党、いつまでたっても共産主義の看板をはずせないでいる共産党も含まれているのであって、自民党だけが攻撃対象になっていると解釈するのは、岩手県自民党会派の被害妄想としか言いようがない。むしろ選挙管理委員会に対してそれほど強力な圧力をかけることができ、実際にかけてしまったという事実こそ、政権党としての自民党の横暴であり、ほとんど言論弾圧ではないか。まったくおかしな話だ。

家族主義経営のウォルマートで性差別訴訟

■家族主義的な経営で有名な米ウォルマートで百万人以上が原告となる雇用上の性差別訴訟が起こったようだ。かなり意外な感じがしたのだが、以前の企業イメージが非常に良かっただけに、今回従業員から訴訟を起こされたという事実だけで、訴訟結果の如何に寄らず、同社の社会的な評判(reputation)はかなり悪化するのではないか。

学歴こそが新卒学生評価の最適な指標

■とある読者の方から一風変わったメールが届いた。以前このページのエッセーで、こと就職・転職活動に関する限り日本では依然として高学歴が有利に働いており、とくに新卒学生の能力を判断するにあたって学歴こそが最適な指標であると書いた。
たとえ経営学部や経済学部の出身であっても、そもそも新卒の学生が実業界で役立つ知識や経験を持っているとは考えにくい。大多数の学生については基本的な勤勉さや理解能力・論理的思考力でその能力を判断するしかない。それらの能力を判断するために、学歴、つまり学校での勉強の成績以上に客観的な指標があるだろうか。学校で学ぶ内容に価値はなくとも、勤勉に学んだという形式的な事実そのものは、社会人になった後でも具体的な実績につながると考えてよい。そういうわけで僕は就職・転職活動で客観的な指標として学歴と成績は重視されてしかるべきだと書いたのだ(なお、たとえ有名大学を卒業していても在学中の成績が悪いのは論外である)。
それはさておき、その読者はメールの中で具体的に出身大学として有名な私立大学の名前を書いておられ、この大学は社会人になってから、少なくとも学歴差別の対象にならないかどうか、4度も転職している僕に確認したいとの主旨である。この読者は理系出身であるため、文系出身の僕は確からしい助言は残念ながらできない。申し訳ないがこれが回答になってしまう。
しかしあえて付言すれば、この読者の出身大学が学歴差別の対象になることは考えにくいのではないか。もし大学院卒業後に就職を目指しておられるのであれば、大学名については心配することなく、むしろ進学先の大学院で説得力のある研究成果を残すことに専念されるのがよいと考える。