月別アーカイブ: 2004年2月

日欧の業務改善手法の根本的な違い

■業務プロセスの標準化とはプロセスの途中でいつ、どのような成果物を作成しなければならないかを定義することだが、これはふつう「どのように」業務を行うかを意味するプロセス(=過程)を、「なにを」産み出すかという成果で置き換えていくことに他ならない。
それまでそれぞれの人が自分なりのやりかたでバラバラに進めていた仕事の過程について、その途中で「なにを」作成しなければならないかを定義し、その作成を強制することによって過程が標準化される。
別の言いかたをすれば、仕事の過程をいくつかの段階に区切り、それぞれの段階の最後に産み出されるべき結果を定義する。そうすることで誰がその仕事をやっても、同じ過程をたどるようにする。それが業務プロセスの標準化ということだ。
日本人会社員の多くは、業務を改善するために業務プロセスの標準化ではなく、業務プロセスに習熟する方法を選択しがちである。日本人会社員が単に「業務改善」と言われたときには、その業務に習熟する努力によって、そのプロセス(過程)を迅速に処理することを目標にしがちだ。
ところが欧米から輸入された業務改善は業務プロセスの標準化によって、つまりプロセス(過程)をいくつかの結果に置き換えることで、人による方法の多様性をなくして業務改善を実現しようとする。「日本風」の業務改善は過程を過程のまま、それに習熟することで改善しようとすることで、つまり、「どのように」を洗練させることで業務改善を実現しようとするのに対して、「欧米風」の業務改善は過程を複数の結果に変換することで、つまり「どのように」を「なにを」に置き換えることで改善しようとする。
そのため、新しい「どのように」を求めている日本人が、そのかわりにいくつかの「なにを」すべきかを与えられると、期待が裏切られることになる。そしてこんどはその成果物を「どのように」作るのかという問いに対する答えを求め始める。
しかし一つの仕事の過程をいくつかの段階に区切って「なにを」に置き換えるということは、その区切られた一つひとつの段階がそれ自体がまた一つの仕事の過程になるということだ。その「なにを」を作るためにはまた「どのように」を問わなければならないことになり、欧米人はそれに対してさらにそれをふくすうの「なにを」に分割することで改善しようとする。このようにして業務プロセスの成果物による微分が際限なくつづくことで、業務プロセスは徐々に精緻に標準化されていく。
日本風の業務改善は逆に、過程を過程のままで習熟によって改善しようとする。業務改善になじみのない読者は僕が何を言っているのかお解かりいただけないかもしれないが、これは業務改善における文化的差異に関するごく短い試論だ。僕がいちばん問題にしたいのは、このような文化的差異の存在に気づきさえしないまま、「欧米風」の業務改善手法を日本人の組織に適用している日本企業が山ほどあるということだ。

日本のプロジェクト失敗の真の原因

■新しいプロジェクト管理手法の導入によってプロジェクトの成功率をあげようという発想は、間違いかもしれない。
ここ数年、日本のIT業界にプロジェクト管理の必要性が叫ばれているが、日本企業のITプロジェクトが失敗するのは本当にプロジェクト管理手法のまずさが主因なのだろうか。僕はむしろ、処理できないほどのプロジェクトを一度に走らせようとするマネジメントのまずさが主因ではないかと考える。
つまりたくさんあるプロジェクトのうち、どれが本当に最優先のプロジェクトなのか、その優先順位づけを経営陣ができないので、重要なプロジェクトも重要でないプロジェクトも実現しようとする。その結果、人員が不足して、プロジェクト管理の必要性はわかっているのに、十分な管理ができない。プロジェクト管理のスキルが完全に不足しているわけではなく、プロジェクト管理をしている余裕さえまったくない状況なのだ。
It might be a wrong idea to increase the number of successful projects by introducing a new project management methodology. Since several years, it is said that Japanese companies need to introduce appropriate project management methodologies in order to make IT projects more successful. But I think that the main reason of IT project failure is not a bad project management methodology but bad management of managers. Since the managers can’t prioritize IT projects, both critical projects and trivial projects are started at the same time. As a result, the capacity necessary for realizing the IT projects always exceeds the total capacity of IT department. IT people recognize the necessity of introducing appropriate project management methodology but simply they have no time to think about it. It’s not because they are reluctant to introduce a new project management methodology but simply because they don’t have enough time to be motivated to introduce the new methodology. This is the mismanagement of managers.

ブロイアー、フロイト『ヒステリー研究』

ちくま学芸文庫で新訳が出たブロイアー、フロイト著『ヒステリー研究』を読んだ。上巻の症例報告はまさに精神分析が産声をあげる瞬間の記録といった感じで、非常に興味深く読めた。精神分析の基本的な技法が実際の症例での試行錯誤の中でどのように産まれたかがよく理解できる。すでにフロイトの著作に親しんでいる人にも、おすすめの一冊だ。

ふたたびお勧め『虚妄の成果主義』

■高橋伸夫著『虚妄の成果主義』だが、今日の日本経済新聞の書評欄で取り上げられていた。同じ紙面にあった八重洲ブックセンターのビジネス書ベストセラーでは何と6位にまで食い込んでいる。より多くの人がこの書物を読んで、節操なく米国の経営手法を輸入することの愚かさ加減に気づいてほしいものだ。
高橋氏の著作の中でも、日本的経営と欧米型経営の評価が十年ごとに入れ替わるような、経営学の無節操さが再三にわたって批判されている。高橋氏自身、日本の経営学界で一顧だにされなかった論文が英訳で日の目を見た経験を、苦い思い出として書いている。学界でさえ健全な批判機能を欠いているのだから、ましてそれをお手本にする実業界は言うまでもない。もちろん実業界の人々に「批判精神」など期待できないのだが、そのために犠牲になるのは生身の人間なのだ。

ジャック・ラカン『セミネール』英訳

■最近は米Amazon.comから入手したJacques LacanのSeminaireの英訳をぼちぼち読んでいる。『エクリ』に比べれば格段に分かりやすいし、現場の雰囲気が生々しく伝わってくるところも面白く読めるのだが、それでも想像界、象徴界、現実界を凸面鏡の前に置いた花瓶の実物と花束の虚像の例えで説明してもらってもまったく理解できないのだ。今読んでいるのは英訳で出版されている第一巻Freuds Papers on Technique (Seminar of Jacques Lacan (Cloth), Bk 1)で、フロイトの技法論が主題になっているため、図書館でフロイト全集の該当巻を借りてきているが、ここには通称ラットマン、シュレーバー氏、通称ウルフマンの3つの症例が記述されている。セミネールの中で受講者が発表する事例を読むにつけても、精神分析にとって症例研究がいかに重要かが痛感される。彼らには目の前の患者を治療するという第一義的な目的があり、あくまでそのための技法であり、理論なのだ。ラカンからネオアカ受けするポストモダン思想の上ずみだけをすくいとることに不遜さを感じてしまう。一人のパニック障害患者としての情緒的感想かもしれないが。