月別アーカイブ: 2003年12月

ドイツ語字幕付きDVD映画はないか

■今年も残るところあと一日となりましたが、ところで日本でふつうに売っているDVDでドイツ語字幕つきのものがまったくないわけではない。比較的最近制作された『es[エス]』というドイツ映画のDVDにはドイツ語字幕がついているようだ。少し前からこのことは知っていたが、この映画は実際に行われた「監獄実験」と呼ばれる心理学の実験を映画化したもので心理的な恐怖映画らしいので、僕にはぜったいに観られない。心理学に関係しているからフロイトの「es」というタイトルがついているのかもっとふつうのドイツ映画をドイツ語字幕つきで発売してもらえないだろうかと思った。
ただ、ふつうのドイツ映画なんて日本ではぜったい売れないだろうから、こんなヘンな映画しかドイツ語字幕つきで出てこないのは仕方ないか。だったら、フリッツ・ラングの『M』とか、昔のドイツ名作映画を字幕つきで出したらどうだ。いくら映画好きだからって、誰もドイツ語字幕で観たい映画マニアはいないか。

年の瀬の珍事件、Amazon.comの誤配

■玄関のモニタフォンが鳴ったので受話器をとると、画面には二十代らしき女性が映っており、「郵便です」と告げた。おそらくAmazon.comに注文していた英独対訳のドイツ語短編小説集が届いたのだろうと予想はついたが、それにしても郵政公社は経費節減のために、年賀状の配達だけでなく、ふつうの小包の配達にも学生を、それも女子学生を雇うようになったのかと玄関の扉を開けたら、ダンボールを抱えているのはやはりどう見ても女子大生で、それは安っぽいがセンスのいいモノトーンの服装でわかるのだが、郵便配達ならせめて制服の上着くらいは貸してやったらどうかと思っていたら、手に抱えているダンボールの口がすでに開いている。
「わたしもアマゾンに本を頼んでいたんで知らずに開けたんですけど、よく見たらこちらのあて先になっていて、まちがって配達されたみたいなんですけど、郵便局に連絡するよりもってきたほうが早いと思ってもってきました。かってに開けちゃったんですけど、中身はだいじょうぶですか」。
はぁ、そういうことですか。中身はちゃんと僕の注文したペンギン・ブックスの『PARALLEL TEXT : Deutsche Kurzgeschichten 1』と、ドーヴァー出版社の『Five Great German Short Stories : A Dual-Language Book』が入っている。納品書にはたしかにうちの住所が印刷してある。推測するに、郵政公社の職員は配達先を間違っていなくて、おそらくAmazon.comの倉庫から出荷されるとき、出荷作業をしたアメリカ人には、この女子大生の住所とうちの住所の区別がつかなかったため、ひとつのダンボール箱にまとめてしまい、表面には女子大生の住所を貼り付けてしまったのだろう。
みなさんもAmazon.comに注文した洋書がなかなか届かないときは、わずか一、二日の差で、たまたまあなたの近所に住んでいる人がAmazon.comに本を注文し(本以外の商品なら別の方法で梱包しなければならないので、同じ出荷担当者が一つの箱にまとめてしまう間違いは起こらないだろう)、そちらの住所にまとめて配達されてしまっているという可能性を考えた方がいい。年の瀬に起こった珍事件だった。

3時間ぶっ通しで独りギター弾き語り

■今日は無性に歌いたくなったので、家でひとりで楽譜を見ながらアコースティック・ギターの弾き語りで3時間ぶっ通しに歌い続けてしまった。たまにこういう日があって、歌い出すと本当に止まらなくなってしまう。使った楽譜が今年のヒット曲集だったので、たまたま最近のヒットばかりになった。それぞれの曲を2、3回ずつ繰り返して歌っているのでこれだけで3時間になってしまう。カラオケに行ったらおそらくもっと気分がのって体力の限界まで歌い続けてしまうだろう。

ドイツ語字幕つきDVDをAmazonで購入

■懲りずにAmazon.deからドイツ語字幕つきDVDを3枚取り寄せてみたが、今回は1枚が大成功、1枚がまずまず、残り1枚が失敗だった。
大成功だった1枚はKleine Haieというドイツのコメディ映画(1992年)で、難聴者用のドイツ語字幕が物語の要約ではなく、脚本とぴったり一致している。まずますの1枚は27 Missing Kissesという2000年のグルジア映画(ちなみにグルジアとはトルコの北隣の国、グルジア映画といえばパラジャーノフだな)で、ドイツ語吹き替えと字幕は80%程度一致しているので、まったく勉強にならないということはない。
失敗だったのはヴィム・ヴェンダース監督のAm Ende der Gewalt(『エンド・オブ・バイオレンス』1997年)で、Amazon.deの「このDVDについての技術情報」のページには確かに「字幕:ドイツ語、英語」とも「字幕:なし」とも書いてある。注文するときには「字幕:ドイツ語、英語」の方だけしか見ていなかったので、てっきり字幕があると思って購入したが、実際には「字幕:なし」の方が本当だった。ただヴィム・ベンダースなので英語で楽しむことにする。
結論としては、もともとドイツ語で制作された比較的新しい映画で、難聴者用のドイツ語字幕がついているDVDを購入すれば、PAL形式対応のDVDプレーヤーでドイツ口語の勉強ができるということになる。ドイツ口語の勉強をしている方(いったい日本にどれくらいいるのかわからないが)はご参考にどうぞ。

保坂和志の哲学に関する記述の稚拙さ

■保坂和志と小島信夫の往復書簡集『小説修業』を読み終えたのだが、どうも保坂和志の哲学についての論述は素人くさくて読んでいるこちらの方が恥かしくなってくる。哲学についての記述があまりに稚拙なので、この書簡集でも保坂氏のせっかくの小説論が台無しだ。
たとえば、一人の人間が生まれる前にも死んだ後にもこの世界は存在し続けているのだということは、それほど繰り返し力説するようなことだろうか。自分の生まれる前と死ぬ後に世界は存在しない、自分の見ているものがすべてだと信じているような人が、果たして世の中にどれくらいいるだろうか。むしろ自分とは独立して世界は存続していると信じている人のほうが多いのではないか。
保坂氏はこんなことをやっきになって肯定したり否定したりする必要はまったくないのに、どうしてこうも同じことを繰り返し書くのだろう。元会社員としての保坂氏の周囲にあまりに凡庸な人間が多すぎたということだろうか。それとも保坂氏は生まれてから小説を書き始めるまで、いちども自己と世界の問題について考えたことがなかったというのだろうか。
たとえば科学の発展について保坂氏は、宇宙には人間とは別の原理がある、などと書いているが、その原理がどんなものであるにせよ、原理と呼ばれるからには人間が宇宙に勝手に与えたお荷物のようなもので、宇宙がもともと持っていたものではなく、人間の産物ではないか。
なのに保坂氏は宇宙の原理というものが、人間とは独立して存在するなどということをあっさりと書いてしまうのだ。本当に保坂氏のいうように、宇宙をふくめた世界全体が人間のあるなしにかかわらず独立して存在しているなら、宇宙にとってみれば、自分に原理があろうがなかろうがどちらでもいいことで、わざわざ人間が原理といったものを自分の中に発見して、そう名づけてくれるのは、大きなお世話だろう。
逆に人間が宇宙の中に発見する原理に価値があると保坂氏が言いたいのなら、宇宙の存在は人間のあるなしに関係ないとは言えないはずだ。科学や哲学について論じたところでボロを出すだけなので、保坂氏は小説を書くことに専念してほしいものだ。