月別アーカイブ: 2003年3月

正岡子規、廣津柳浪、宇野浩二

■ああつまらない。昨日は正岡子規の短編小説『花の枕』と廣津柳浪『變目傳』を読んでいた。今日は同じく廣津柳浪『雨』と、図書館で新たに借りた宇野浩二の作品集で『蔵の中』を読んだ。ついでにゴーゴリの『外套・鼻』(岩波文庫)も借りてきた。いずれも先日読んだ後藤明生の小説入門にあった作品だ。そういえば島田雅彦がEPSONのテレビCMなんかに出てるし。
ああまったくつまらない。パソコンで斎藤緑雨の『油地獄』をテキスト化していたが、今日、筑摩書房の明治文学全集、斎藤緑雨の巻に序、小説評註の部分も含めて収録されているのを知った。テキスト化することに大して意味はなく、じっくり読むついでにキーボードで文章をなぞっているようなものだ。
この「小説評註」とは、緑雨自身が擬古文体、漢文体、言文一致体の小説をそれぞれパロディで一編ずつでっちあげ、さらにそれぞれの序まで作って、それらを引用しながら註をつけていくという少々凝った作りの序文だ。擬古文体のが『初嵐猫毛衣』、漢文体のが『塞翁馬』、言文一致体のが『あんま針』。言文一致体は「です・ます」調で山田美妙っぽい。「太陽は今まさに没します、没すれば日は暮れます、暮れれば地球の半ばは夜です」。くだらなすぎて笑えるというのはこのことだ。

廣津柳浪『今戸心中』

■廣津柳浪『今戸心中』をようやく読んだ。明治文学全集はそう気軽に通勤に持ち歩ける重さでないので、寝る前の枕元でしか読めないのだ。芸妓と男が心中に至るきっかけとなる一夜は事細かに描写され、そこで芸妓の心境の変化を納得させてしまう心理描写こそ柳浪の真骨頂。そこから心中までは周辺人物を伏線にして省略法で一気に雪崩れ込む。これが柳浪のリズムであり、スピードだ。

国立国会図書館の近代デジタルライブラリー

国立国会図書館の近代デジタルライブラリーはかなり使える。文庫版の『あられ酒』を図書館で読みさしてから斎藤緑雨にはアレルギー気味だったが、オンラインで『油地獄』を読み始めたらくだらなすぎて止まらなくなった。何がどう下らないのかはそのうちご紹介できると思う。それまで待てない方はご自身でアクセスしてほしい。

ドイツ語のレベルチェック面接テスト

■明治文学にばかりうつつを抜かしているというわけでもなく、先日、来月から始まるドイツ語研修のレベルチェックのために15分間の面接テストを受けた。初級テキストをとびとびにめくりながらいくつかドイツ語で質問されたが、Wie heissen Sie? / Wo wohnen Sie? / Was essen Sie jeden Morgen? あたりは答えられたし、面接時間中にfernsehenという分離動詞も一つ覚えた。ただ道順の説明もできなかったし、Abendessen(中)に食べる物は「日によって違う」ということも言えなかった。語彙の不足を痛感。本日128MBのSDメモリを増設したMP3プレーヤが通勤電車で大活躍しそうだ。

宮武外骨『明治奇聞』

■先日神保町に出かけたときの収穫3冊のうち未読だった最後の1冊、宮武外骨『明治奇聞』(河出文庫)を読み終えた。
本書の序文で編者の吉野孝雄氏が背景を説明している。「震災による大火災で、貴重な文化遺産が失われたことに危機感をもった文化人たちは、それらの文化遺産を後世に伝えるにはどうしたらよいかを真剣に考えはじめていた。こうした機運のなかで生まれたのが(中略)外骨たちにより大正十三年に創始された明治文化研究会であった」。この流れで外骨が発行した『明治奇聞』『奇態流行史』『明治史料』『明治演説史』『震災画報』からの抜粋によってこの文庫本は編まれている。
外骨らしい際物エピソードが満載だが、それでも『震災画報』の抜粋部分からは被害の甚大さが生々しく想像できてシリアスだ。本書でしばらく笑いが止まらなかった「奇聞」をひとつ引用したい。
「大正5年七月の末に、東京市外千駄ヶ谷辺のある家に生まれた子供は、毎晩一定の時が来ると、四十ばかりの女の声で「去年の今夜を覚えているか」と恨めしそうに叫ぶので、親たちは気味悪がって、その子供に二千円の金を付けて、他家へやったが、もらった家でも毎晩『去年の今夜』を叫ばれるのが畏ろしく、その子供ともらった金を返してくるので、またほかへやると同じく返してくる。その子供には生まれながら上下に歯が生えそろっている、などいう妄説が行われて、それが二、三の新聞紙上にも出たので、評判になったが、その子供よりは金をもらいたい連中が、わざわざ千駄ヶ谷辺を尋ね回ってもその家が判からない、あるいは下渋谷の八幡前だというので、そこへ行ってみても同じく要領を得なかったそうな、など一時俗間に言いはやされたが、それをアテ込んだ小冊本ができ、また見世物にも仕組まれたそうである。」