月別アーカイブ: 2002年6月

会社員の給与は基本的に仕事内容や企業のリスクの高さに比例するのではないかという気…

■会社員の給与は基本的に仕事内容や企業のリスクの高さに比例するのではないかという気がしてきた。実力主義や成果主義で社員の給与が決まるという会社は、給与原資の配分方法を変更する必要に迫られているからには、何らかの意味で「転換期」にあり、将来の業績の予測可能性が低くなっており、つまりは事業リスクが高くなっている、そのために給与が高くなる(可能性がある)ということかもしれない。会社の事業そのものがハイリスク・ハイリターンの場合は社員の給与も高くなる傾向はあるのではないか。また外資系のコンサルタントなどは「up or out(昇進するか辞めるか)」というリスクに常にさらされているので給与が高くて当然とも言える。たとえ事業のリスクが低くても、その会社に組織運営上のリスクや事務処理上の(オペレーショナル)リスクがある場合も、やはり給与は同業他社に比べて高くなるのではないかと思う。これはあくまで思いつきの仮説なので何の根拠もないが、定職においてどれだけのリスクを取れるかが給与に連動しているというのは、人生においてその人がハイリスク・ハイリターン型を求めるか、ローリスク・ローリターン型を求めるかという大きな分岐点だと思う。

「韓日交流祭」展示の日本語誤植の多さ

■ちなみにK-POPのアーティストに関する日本語の情報としては、掲載アーティスト数と週間チャートやニュースなど最新情報の充実の点でこちらの『韓国情報発信基地!Innolife.net』が充実している。
■昨日分の日記で書き忘れたが「韓日交流祭」についてどうしても書いておかなければならないのは、展示に添えられた日本語のひどさである。漢字がすべて旧字体であるというのは、そもそも日本の現在の漢字は日本が勝手に作った省略体であるから仕方ないとしても、パンフレット類などわけのわからない誤植や落丁が多すぎる。
韓国で展示資料類を作成するときに日本語のネイティブチェックを行う日本人がいないのだろうか。普通日本企業が海外向け展示会に出展するときなどネイティブチェックは必須だと思うのだが。多少間違っていても通じるからという費用対効果を見越した手抜きなのだろうか。日本人の見学者としてあまり愉快でないことは確かだ。

「韓日交流祭 KOREA SUPER EXPO 2002」

BoAの日本語アルバムを通勤電車で毎日聴き、S.E.Sの韓国語アルバムを購入したばかりだからというわけではないが、幕張メッセで2002/06/19~23まで開催されていた「韓日交流祭 KOREA SUPER EXPO 2002」に行って来た。日本側の主催はNHKと朝日新聞社。
伝統文化の紹介ということで韓国の伝統的な婚礼の儀式を日本人の若い夫婦が新郎・新婦役で参加しておこなっていた。韓国人のおじさんが日本語で「新郎を表す色は『陽』の赤、新婦を表す色は『陰』の青」などの解説を差し挟みながら、来場客の取り巻きの中、なごやかな雰囲気で儀式は進んだ。
フィナーレとして韓国の音楽専門チャンネル「M.NET」(第一製糖という企業が出資する放送局)主催のコンサートが開かれた。ジャニーズの「嵐」を思わせる男性5人組アイドルグループ「BLACK BEAT」の歌唱力はかなりのものだったが、衣裳がマイケル・ジャクソンの『スリラー』そのままでいかにも時代錯誤だったのはご愛敬。しっとりバラードを聴かせる「隣愛」は五輪真弓『恋人よ』のカバーを歌った。現代風のスマートなアレンジに嫌みは無かったが、背後の大画面に流れていたプロモーションビデオは韓国風こってりメロドラマでこれもご愛敬。
コンサートの司会をつとめたのは日本でデビューして韓国で活躍している女性3人組の「TOYA」(トゥ・ヤ)。S.E.Sの二匹目のドジョウっぽいが歌唱力はそこそこ。日本デビュー曲を日本語で歌っていたが残念ながら僕は聴いたこともなかった。それから日本全国をライブで回っているということでTBSの何かの番組で取り上げられたという男性3人のラッパー「DRUNKEN TIGER」は他の出演者と違って気取りのないお兄ちゃんたちで聴衆を乗せるのがいちばんうまかった。
そして今回のFIFAワールドカップの開会式に出演したという実力派R&B女性シンガーPark JungHyun(ニックネームは「LENA PARK」)。確かに2曲目の『Desperado』で聴かせたフェイクの歌唱力は抜群だが、声質が幼く、背も小さく、容貌も中学生のように愛らしいのに無理やりブロンドに染めたソバージュとしっかりメイクで大人っぽく見せようとしているのがやや痛々しかった。あと、失礼ながら名前は忘れたが最初に登場した「セクシーお姉さん」歌手はベタベタのユーロビート。
一人だけ日本人アーティストとして元X-JapanのYoshikiプロデュースの「shiro」が登場したが、ステージ衣裳があまりに普通のカジュアル・ファッションで、ルックスも非常に地味。「スター」を絵に描いたような韓国陣との落差が激しかった。
内省的かつ自閉症的な日本人アーティストに比べて、K-POPのアーティストたちは、それぞれの曲は典型的なR&Bであったり、典型的なユーロビートであったり、典型的なラップであったりするが、聴衆に対するサービス精神旺盛でまさにエンターテインメントの王道を行っている。単純に楽しめた「KOREA SUPER EXPO 2002」」だったが3回目の今年で最終回とのこと。この文章に含まれる韓国人アーティストへのリンクをさがすのにどれだけ骨を折ったかを考えると、韓国大衆文化と日本の交流はまだまだなのだが、「KOREA SUPER EXPO」は一定の役割を果たしたと言うことだろうか。

今日は上司に説教してしまった

■今日は上司に説教してしまった。成果を出すことが求められる仕事の場では、あえて人間の愚かさに不寛容にならなければならないのだが、やはり気持のいいものではない。「何をしたらいいのか分からないから何もしない」というレベルの判断力しかない人間を部長に据えた上に、管理職向けの教育も行わないとは、残酷で理不尽な会社だとつくづく思う(この会社の実名はこのページで近日中に明らかにされる可能性が高い)。能力のない人間にプレッシャーをかけてこの会社は何が面白いのか。GEのジャック・ウェルチだったか、日本経済新聞連載の自伝に「首切りは本人のためにするのだ」という主旨のことを書いていたが、まさにそのとおり。仕事をするだけが人生ではない。能力不足の人間は地味な仕事をこなす幸福な人生もある。能力不足の人間に相応の選択肢を用意することで、活躍したい人には機会を与えることができる。そうすればみんなが幸福ではないか。無理に年功序列にこだわるから、無理に部長職をやらされる人、無能な部長の下で仕事がしにくい部下、そんな部長と部員では部門としてもまともな成果がでず、結果的に会社全体が不幸になるだけなのだが、それに気づかない愚かな経営者が会社を経営しているのだから仕方ない。
■ひさしぶりにCDショップに出かけた。銀座HMV。購入したのは次の3点。S.E.Sの韓国語による第5弾アルバム、Duran Duranの『THE GREATEST HITS』、X-PRESS 2の『MUZIKIZM』。S.E.Sについてはこのページでも何度か出てきているのでご存じの方が多いだろうが「韓国のSPEED」と言われながらSPEEDよりもやや年上の3人の女性ボーカルグループで、SPEEDよりも長く続いており、今回のワールドカップの名誉親善大使みたいなこともしている。メンバーの一人であるシューは最近日本の舞台で女優としても活躍した。僕が好きなのは圧倒的な歌唱力のパダ(SEAとも呼ばれる)だが、この第5弾では彼女のフェイクがそれほど目立たないのでやや不満。僕が以前ヘビーローテーションで聞いていたのは日本で発売された日本語アルバム『REACH OUT』だが、やはり韓国向けのアルバムと日本向けのアルバムは作りが違うようだ。韓国向けのせいかこの第5弾はポップス色が強く、R&B色が弱い。さて、Duran Duranのベスト盤だが、これは衝動買い。最後の方に収録されている90年代後半のものは例外として、通して聴くと涙がちょちょ切れる懐かしさ。思わず風呂場で『Reflex』を歌ってしまう。最後のX-PRESS 2は英国プログレッシブ・ハウスの3人組。あのデヴィッド・バーンがなぜか3曲目にボーカルとして参加している。Talking Headsとハウスはプリミティブなリズムということでつながらなくもないが、一体どういう人脈なのかはよく知らない。どなかたご存じの方はメールでフィードバックして頂きたい。ハウスのアルバムは久しぶりに購入したが、実はこの手のミニマルな音楽を聴けるようになったのは「パニック障害」がほとんど完治してきたからなのだ。おそらく心の病には反復の多い無機的な音というのは良くない。

銀行システム障害で日経の的外れな批判

■金融庁によるM銀行に対する業務改善命令が出たが、これに関する日本経済新聞の社説がやや的を外している。「システム障害を起こした原因で最も深刻なのは、システム管理担当者が真の情報を経営陣に伝えていなかったことである。都合の悪い情報がトップに入らなければ、経営のかじ取りは不可能だ」とあるが、真の情報が経営陣に伝わらなかったのは果たしてシステム管理担当者の責任だろうか。今回の処分でもCIOが辞任したが、これは単なるトカゲのしっぽ切りではないだろうか。
形式的にはシステムに障害が出たのだからシステムの最高責任者が責任を取るのは一見まっとうだが、今回のシステム障害はそもそもそうしたM銀行内の既存の職制による責任分担に限界があったからこそ起こった障害だ。つまりシステムの責任はCIOが取るものであり、経営陣は我関せず、といった既存の職制が今回のシステム障害の原因であり、その原因を除去しない限り問題の根本的な解決にはならない。
にもかかわらずM銀行の処分も日経新聞の社説も、その観点は既存の職制の枠内にとどまっている。上記の社説は正しくはこう書かれるべきであった。「システム障害を起こした原因で最も深刻なのは、経営陣がシステム管理担当者の報告の信憑性をチェックできる監査体制を事前に作っていなかったことである。監査体制がなければ都合の悪い情報がトップに入らないのは当然だ」。
企業統治では社外取締役などのチェック機能が大きな問題になるくせに、システムについてはCIOに対する監査は不要だというのだろうか。M銀行の処分や日経の社説の背後にある、こうした情報システム軽視の考え方こそ問われているのだが、どうやらM銀行も日経新聞もそのことには気づいていないようだ。