月別アーカイブ: 2001年12月

この冬はデロンギのオイルヒーターを買おうと電器量販店に出かけたが暖かくなるまで1…

■この冬はデロンギのオイルヒーターを買おうと電器量販店に出かけたが暖かくなるまで1~2時間もかかるというので電気ストーブとガスファンヒータと併用する例年どおりの姿に落ち着いた。立ち上がりに時間がかかるのはタイマーで24時間運転することを前提としており生活サイクルに合わない。
元はと言えば昨年の冬、ある人物がエアコンやらファンヒーターやら風で空気を温める暖房は効率が悪い、オイルヒーターのような輻射熱暖房は実はとても暖かいのに日本で普及しないのは解せないという持論を展開していたので今年こそはと思ったのだが、日本で輻射熱暖房が普及しないのは単なる一般的日本人の不明のせいだろうかと考えてみた。
核家族化の進んだ日本家庭は昼間無人か、主婦が一人で過ごすことが多い。一人だけを暖める暖房として立ち上がりに時間のかかるオイルヒーターは効率が悪いし性能が過剰である。電気ストーブかこたつで十分。老人は一日在宅としてあの細かい爪をスライドさせるダイヤル型タイマーは非常に使いづらい。日本家屋はマンションでさえ間仕切りが引き戸になっていることが多く気密性の低い空間になっている。欧州に比べると気候が温暖でガラス窓が断熱のための二重構造になっている住居がほとんどない(防音のための二重窓はあろうが)。また、できるだけ窓から採光しようと壁に対する窓の面積が広く、その上天井高が低い。輻射熱を反射するための壁の面積が狭いのだ。
朝晩家族が集まる短い時間にこのような空間を効率よく暖めるには、輻射熱のように直接対象物を暖めるより、石油ストーブのように高カロリーの化石燃料を燃やしたり、ファンヒーターのように暖気を強制的に押し出して対流によって空気を暖める方が適している。僕らは案外合理的に石油ストーブやファンヒーターを選択しているのだ。
■年末休みの暇にまかせてテレビを見ていると荒川区の31階建て高層マンションの建設反対運動がレポートされていた。この手のレポートは日照を奪われる住民の不利益ばかりがクローズアップされるが、このマンションに入居できるおかげで100世帯以上もの家族が1時間以上の通勤地獄から解放され、ゆとりのある生活を送れるようになるのだ。
しかもマンションの北側に住む人は日照のない生活をする点で反対派と同舟。彼ら反対派に新たに荒川区に引っ越してくる人たちのゆとりある生活を否定する権利はないはずである。こういうとき日本人はどうして現状維持の方向で利害調整しようとするのか。
細分化された土地にせいぜい3階建ての一軒屋が建ちならび、それら「選ばれた住民たち」が荒川区から都心への快適なアクセスを享受している状態と、彼らの土地をまとめて高層マンションを建築し、一人でも多くの人が23区内に住む便利さを享受するのと、どちらか首都圏全体として見たときに望ましい状態だろうか。

社内情報システム部門の仕事が性にあっているのはそれが中立的な存在だからだろう

■社内情報システム部門の仕事が性にあっているのはそれが中立的な存在だからだろう。社内の情報システム部門は純粋なコンピュータ技術者ではない。社内に情報システム部門が存在する意味はその企業特有の事情と世間一般の情報技術を結びつけることにあるためだ。かといってもちろん純粋な業務部門でもない。情報システムの構築・企画は特殊なスキルが必要な専門職だからだ。さらに情報システム部門は社内のすべての部門を平等に見て全体最適を考える必要があるし、全体最適を考えることのできる部門である。業務部門偏重でも現場部門偏重でもいけない。それだけに社内SEの資質として党派性が強くてはいけない。派閥を作って他の派閥を陰で非難したり、特定の開発ツールや開発思想にこだわることは許されない。そのときそのときで明確な方針を打ち出すことは必要だが、その方針が「正しい」ものだと考えてはいけない。要は何が正しくて、何が間違っているかという議論に巻き込まれてはいけない。そんなことは一人ひとりの人生全体において考えるべき課題であり、会社の仕事で考えるべきことではない。どの党派にも組せず、偏らず、あえて言えば経営者の意思をうけて全体最適を考える境界性が社内情報システム部門の存在意義だ。ベンダー側のSEは少なくとも自社の技術やサービスを売りこむ必要があるので完全な中立というわけにはいかない。社内情報システム部門は中立的でなければならない。

『日経ビジネス』の戦後住宅政策記事

■珍しく店頭販売している本屋が見つかったので久しぶりに『日経ビジネス』を購入して読んだ。『マイホームが危ない–住宅政策3つの大罪』という特集記事がお目当て。
政府による戦後住宅政策を「持ち家政策の罪」「景気対策活用の罪」「新築偏重の罪」の3つに分類し、住宅金融公庫の甘い貸出基準が新築住宅の価格を吊り上げることで住宅業界を利する一方、一般消費者をローンで苦しめている矛盾を指摘している。
公庫を廃止して民間金融機関に住宅ローンの貸出を競争させれば、供給量に見合って住宅の価格も下がるという議論には納得だ。ただしそのおかげで庶民が持ち家を購入しやすくなれば逆に「持ち家主義」が強化されることになり、この点で同誌の記事は矛盾をきたしている。
むしろ公共部門は家族向け賃貸住宅を供給することに集中したらどうか。それにしても戦前まで当たり前だった借家住まいから一転して政府の持ち家主義プロパガンダにあっさり洗脳されてしまう日本人っていったい何なのだろうか。
特に同記事で最初にとりあげられている会社員の自己破産事例を読むと、住宅政策の罪というより「男の沽券」など実にくだらない価値観を信じこむあまりの自業自得という気がする。それが自業自得でないなら日本人の持ち家主義は経済の問題ではなく文化の問題だ。「一国一城の主」的な家父長制的信仰を相対化できれば住宅金融公庫だってこれほど「うまく」機能することはなかっただろう。