月別アーカイブ: 2001年11月

日本版Amazonで洋書を買うなかれ

■同じくECサイトへの文句。日本のamazon.co.jpサイトから日経日曜版の書評で見つけた『Corporate Irresponsibility』という洋書を注文したのは先月の28日。サイト上には注文後2週間程度で発送と書いてあるが、3週間経っても「未入荷」のサインが出たままなのでついにキャンセルした。
同じ本を米国のamazon.comで検索したところ、同書の古本のエントリーが書評つきで2件もある。日本サイトでの販売価格が約3,000円に対し、米国サイトの古書は$14.00と倍違う。日本のamazon.co.jpはいっそ洋書の販売などやめてしまたらどうか。

インターネットの独自性の過小評価

■先日、インターネットをやらない人がインターネット広告の営業の求人に応募しようとした話を聞いた。上記のECサイトもしかり、インターネットを日常的に使いこなしてさえいない人がネット上の事業に関わろうというのは、インターネットが実世界とどれだけ異なる体験かを知らずにその独自性を軽視するからだろう。
老舗百貨店がインターネットの独自性を軽視するのに反比例してそのECサイトが使いにくいのは無理からぬこと。ECサイトの改良といってもアイコンの位置を変えたり、英語を日本語にしたり、重箱の隅を突つくような小改善にすぎないが、Webブラウザの限られた画面がインターネットに向かうときの唯一のインターフェースなのだから、微細な部分にこそこだわる必要がある。
今後ブロードバンドが普及してコールセンターがリアルタイムの電子会議システムで直接家庭につながるようになれば話は別だが、ECサイトと電話や対面販売の差異の認識を誤れば事業が失敗するのは当然である。

使いづらい阪急百貨店のECサイト

■歳暮を阪急百貨店のWebサイトから贈ろうとしたが、わざわざ会員登録までして商品をバスケットに入れたものの、送り先を指定する箇所以降の操作がまったくわからず断念した。捜査中にPHPがOracleへの接続エラーを吐き出したり、金をかけずにフリーの開発ツールを使うのはよいが単位時間あたりトランザクション数の見積もりが甘かったのか。
代わりにYahoo!ショッピングで同じ商品を同じ阪急百貨店に注文したら、こちらはスムーズに進んで決済まで完了した。『日経コンピュータ』だかに、サイトデザインを少し改良するだけでECサイトの売上が数割増となった事例がいくつも紹介されていたが、阪急百貨店も専門のコンサルタントに改良を依頼してみてはどうか。やはり「餅は餅屋」。百貨店が自社サイトでいくら頑張ってみたところで、Yahoo!のナビゲーションの良さには勝てないのだから。

連休で飼い主の不在なせいか

■連休で飼い主の不在なせいか、朝隣の家の犬が吠えやまない。吠え方に特徴があり、3つずつまとめて吠える。妻の説によれば休日に惰眠をむさぼる僕を起こそうとするのだそうだが、こちらは遅い朝食を終えているのにまた3つずつ吠えだす。以前も同じような発作を起こしたときは主人がよしよしとなだめる声とともにすぐにやんだが、止める人がいないので際限なく吠えつづける。すると声がかれて裏返ったようになる。それでも吠えようとするので喉の奥がひきつれて胃を吐き出しそうな勢いだ。ちり紙交換の拡声器にこたえて遠吠えするのは、狼の本能が残っているので仕方ないとして、泥棒が忍び込むのでもないのに吠えつづけるのはいったいなぜだろうか。不在の主人を呼び戻そうとするのかもしれないが、はるか遠くの人間に自分の声が届かないことがわからないほど犬はバカではあるまい。主人が餌を残し忘れて空腹で吠えるのかもしれないが、吠えればなお腹が減ることくらいはわかりそうなものだ。あれこれ考えた挙句、僕はひとつの結論に達した。あの犬は精神に異常を来たしてしまったのだ。犬が吠えるのには必ず何かしらの意味がある。人間が言葉をつかうところを、言葉というものを知らない犬は自分の意志を仲間や人間に伝えようとして吠える。つまり普通の犬は意味もなく吠えるということをしない。ところが隣の犬は自分が吠えることに意味をもとめない。吠えるために吠える。ただ吠えるのである。それは犬の仲間からの根本的な決別だ。己は犬の姿をながら他の犬とは違って何の意味もなく吠えてしまっている。そうした孤独感が犬をしてさらに吠えさしめる。吠えれば吠えるほど己の吠え声だけが虚しく初冬の朝の乾いた空気の中に響く。その虚しさと孤独を埋めるためにはなお吠えるより他ないのだ。ワン、ワン、ワン。その吠える声が耳につきささる。

相反する2つの考え方が自分自身の中で衝突している

■相反する2つの考え方が自分自身の中で衝突している。一つは猛烈なキャリア指向。職場でほとんど猥談に近い同僚の雑談を耳にすると「君たちはいったい会社に何をしに来ているんだね」と思わずにいられないクソ真面目な心持ちだ。35歳までには大きな基幹業務系のシステム構築にたずさわり、さらにコンサルティング・スキルやプロジェクトマネージャとしてのステップアップを目指す。仕事で華々しい自己実現をはたすというシナリオがある。もう一方は数十億年の地球の歴史の中で一介の会社員として果たせる役割のあまりの小ささに、胃壁をすり減らしてまでたかがシステムエンジニアという狭い世界での階段を登りつめたところで何になるかという考えだ。もちろんその背後にはいくら落ちぶれても餓死するには到らないという気味の悪い「余裕」があることは否定しない。一介の会社員として広尾に100坪の大邸宅を構えるなどということは宝くじでも当たらない限り土台無理な話なのだから、毎日深夜残業を繰り返したところで、手に入れられる幸福はせいぜい良くても通勤時間1時間半の郊外にある規格建築の一戸建て。そのために半分神経を病むような苦痛に毎日耐える価値が果たしてあるだろうか。宇宙の彼方から針の頭のようなちっぽけな自分の存在を俯瞰している自分がいる限り、人はいったいどうして小市民としての幸福のために身を削ることができるのだろうか。そんなことをふと考えてしまう。