月別アーカイブ: 2001年9月

『笑う犬の冒険』のテレビならではの冒険

■表現方法の姑息さというテーマにからめて言えば、僕の最近いちばん気に入っているテレビ番組は『笑う犬の冒険』だ。昔からお笑い系のバラエティー番組が大好きなのだが、その理由はテレビ番組なんて作り物で低俗だという自虐を、うすっぺらな教養や教訓でごまかさないからだ。
例えば本当に歴史学や栄養学を学びたいのなら、専門書に直接あたって本物の知識を得るべきであって、テレビ番組の中で下手にダイジェストされたコンテンツで満足すべきではない。本当に人間の真実を考えたいなら、ヤラセとわかっているテレビのドキュメンタリー風バラエティーを面白がっている場合ではない。
そんな中でテレビというメディアの持つ皮相さや低俗さをごまかさず、あえてそこに向かって突き進むお笑い系バラエティーは、テレビを媒体として使う表現者として最も誠実な表現手法ではないだろうか。低俗なお笑いはテレビでしか得られないのだから、テレビはその低俗さやお下劣さを真摯に追求すべきなのだ。
本来なら専門書や純文学に求めるべき真実や真理といったものをテレビごときで満足させようというのなら、いっそのことテレビなど見ない方がいい。つまりテレビ番組の中でテレビを通じて視聴する価値のある番組は純然たるバラエティー番組だけなのだ。

大岡昇平『俘虜記』

■もう9月。とうとう『俘虜記』を秋に持ち越してしまったが、やはり面白いことには違いない。対象とする時代にかかわらず僕は歴史小説やテレビの時代劇が大嫌いだ。理由は過去を通して現代を描こうという迂遠な修辞法が、表現者の選択する表現方法としては姑息としか思えないからだ。
現代の問題を描きたいなら現代を舞台にすればいい。客観的な歴史(そんなものがあるとしての話だが)を描きたいなら小説やドラマ仕立てにせず、教育番組的なつくりで十分だ。人気の役者を配して過去を「現代的な再解釈」で描くなどというNHKの大河ドラマ的な手法は表現としては唾棄すべきものだ。
その点『俘虜記』は一般的に言われる「戦記もの」ではなく、日本人捕虜収容所という特殊な状況下での冷淡な観察記録で、観察者自身の偏見をも自己反省的に記述に含めている意味で、ルポルタージュについてのルポルタージュといういわば「メタ・ルポルタージュ」になっている点が非常に面白い。