月別アーカイブ: 2001年4月

『どんとこい民謡』に元T&Cボンバー小湊さん

■暇な日曜日は発見することもつまらない。NHK総合『どんとこい民謡』に、司会のアシスタントとして元T&Cボンバーの小湊さんが出演していた。ASAYANのテンションとはまったく違う見事にNHK的にこじんまりまとまった決して司会の峰隆太より出しゃばらないアシスタントぶりに、やはりこの人は民謡を歌うささやかな幸せが似合っているのだろうかと感じる。その「民謡」さえない他の3人は、今何をしているのだろうか?ルルとか。

まじめに仕事をすることがバカらしくなってくるような職場環境っていったい何なのだろ…

■まじめに仕事をすることがバカらしくなってくるような職場環境っていったい何なのだろうか。ここでいう「まじめに」の定義はシステムエンジニアとして利用者部門の要求にそった品質・納期でシステムを開発することだ。この環境に適用してまじめに仕事をしないことに慣らされてしまうということは、市場価値の低い人材になり下がってしまうということだ。そうなってしまうことは僕の自尊心が許さない。

情報システム導入が情報技術の問題ではなく政治の問題だという一昨日のテーゼだが

■情報システム導入が情報技術の問題ではなく政治の問題だという一昨日のテーゼだが、要するにいかに効率よくプロパガンダをするかという一点につきる。新しい情報システムの本当の価値を理解している人は組織の中の一握りで十分だし、そもそも本当の価値を短期間で理解できる人もごく少数だ。仮に全員に理解させようとすれば何十年あっても足りない。そもそも会社員は限られた年数しか会社に所属しない上に、環境の変化に応じて消化すべき価値観の変化が多すぎる。それらすべてをすべての社員が理解するなどということはそもそも不可能だ。全員が心から理解するなどということは理想論にすぎず、いかに効率よく理解した気にさせるかが方法論として重要になる。投下した資本を何年も使われぬまま眠らせるわけにはいかないからだ。つまりはプロパガンダだ。心からの理解の前に、理解したと思わせること。結局のところ僕らの日常生活も多くは「理解したと思わせられる」ことで成り立っている。僕ら自身もプロパガンダを浴することで理解するプロセスの困難さから解放されているのだ。もし僕らがマクドナルドのハンバーガーのおいしさや、日産シーマの性能の良さを本当に心から理解しなければ生活できないとすれば、僕らにとって考えるべきことが多くなりすぎて、とてもじゃないがまともな生活を送れないだろう。そんなことを考えなくてもすむように、僕らは広告や下らない雑誌に自らすすんで洗脳されるのだ。一企業がいかに新しい情報システムを効率よく定着させるか、それはキャンペーンの打ち方しだいであって、誠意をもって説得することはその手段のひとつにすぎない。

僕は大学生の時、コンビニはカトリック教会だというテーマで小説を書こうとしたことが…

■僕は大学生の時、コンビニはカトリック教会だというテーマで小説を書こうとしたことがある。これからコンビニに銀行のATMが次々設置され、その名のとおり買い物からチケットの予約から現金の引出しまで何でもできる便利な場所になりつつある。でも実はコンビニはそうした経済効果だけでなくて、都会に住む孤独な人たちの心のよりどころとしても機能しているのではないか、というのが学生の頃からの僕の仮説だ。都会のひとり暮らしはとても孤独なものだ。これは経験した人でないと絶対に分からない。ただ「下町人情」なんてものが死語になった現代でも何とかひとりで暮らしていけるのは、家に帰る寂しい道を真昼のような明かりで照らすコンビニがあるからじゃないかと思ったりするのだ。どんなに孤独に打ちひしがれて帰ってきても、何を買うでもなくコンビニに入るだけでどこか心が安らぐような気がする。コンビニがあるおかげで自殺をまぬかれている都会の孤独な魂というのも、けっこうたくさんあるかもしれない。

情報システムの仕事に深入りすればするほど

■情報システムの仕事に深入りすればするほど、情報システムの導入がほとんど情報技術に関する問題ではないということが分かってくる。もちろんある仕様を実現するための技術は最低限身につけている必要があるが、いくらご立派なシステムを構築したところで使われなければ無意味だ。システム構築の設計・開発・運用の三段階でもっとも決定的なのは運用段階である。プロジェクト管理の教科書に沿えばシステム導入プロジェクトの成否の8割は計画の段階にかかっているが、設計・開発・運用の3段階をそれぞれ独立した個別のプロジェクトと考えれば、やはり最も重要なのは運用段階のプロジェクトだろう。システムの運用、言い換えれば、新しい情報システムがちゃんとその組織に定着するかどうかは、組織の構成員の一人ひとりがいままでの思考様式から抜け出せるかにかかっている。情報システムの導入は初めから終わりまで思考の変革の問題なのだ。世の中のあらゆる情報システム導入プロジェクトは、この点をあまりに軽視しすぎているのではないか。しかし、このことが真実だと認めるなら、かなり絶望的な立場に追い込まれることになる。いったい人の考えなどを変えさせることができるだろうか。それも相手は頭のやわらかい子供ではなく、すでに生活習慣の固まった大人だ。考えを根本的に変えさせることができないとすれば、結局問題の解決は「政治的」な手法に求められることになるだろう。つまり情報システムの導入は終わりまできたときには政治の問題になる、ということだ。