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サンケイビズ、再生可能エネルギーに対するトンデモ反論記事

産経って本当に読者をバカにしたような記事を書く新聞だ。
『原発の発電コスト、政府試算で最低8.9円』(2011/12/14 05:00 サンケイビズ)
このサンケイビズの記事、例によって後半は産経グループの原発推進の立場から、再生可能エネルギーの欠点をあげつらっている。しかし論点がまったく見当違いで、笑える。
例をあげてみよう。

「(再生可能エネルギーを)原発に代わる安定電源と位置づけるには、立地場所の確保など課題が多い」

いやいや、立地場所の課題が多いのは、誰がどう考えても原発の核廃棄物の最終処分場の方だろう。また原発は、すでに立地している自治体から、新型炉への改造工事の合意を取りつけるのも難しいはずだ。

「ただ、風の強い風力発電の適地は、日本では北海道や東北地方などに多く、立地地域は限られる」

だから、立地地域が限られるのは原発も同じだ。
地盤が強固で自身の影響が少なく、炉心冷却のための大量の海水を採取できる海辺で、かつ、大きな津波があっても電源が喪失の事態にならず、立地自治体の合意が得られるような地域。
ところが地盤と津波については、福島第一原発事故の後、専門家たちがあっさり過去の予測の甘さを認めている。今回の津波の規模は「想定外」だったとか、実は活断層が近くにあった等々。
しかも、これまで原発を建設できたのは、立地地域の自治体を補助金という「麻薬」づけにして、経済発展の幻影を見させるという、かなり姑息な方法を使ったからではなかったのか。

「(再生可能エネルギーの)試算には発電量が天候に大きく左右される再生エネに不可欠な系統安定化費用も盛り込まれておらず、コストはなお膨らむ可能性が高い」

それを言うなら、今回の原発の試算には、福島第一原発事故でまだ顕在化していない補償費用や、復興費用が盛り込まれていない。だからこそ最低8.9円で、コストは事実上「青天井」であることが報告書でうたわれたのだ。
再生可能エネルギーのコストが多少ふくらんだところで、コストがどれだけふくらむか予測もできない原発に比べれば、まだ再生可能エネルギーは「計算可能」である。

「期待の洋上風力も漁獲高への影響が懸念され」

福島第一原発事故が東北の太平洋沿岸の漁業に、何の影響も与えなかったとでも言いたいのだろうか。いったん放射能漏れが起これば、上述のような理由でいずれも海岸線に立地している原発の方が、地元の漁獲高に与える影響が大きいことは言うまでもない。
しかも、事故なく運転したとしても、大量の冷却水を海に戻すことによって、原発付近の海水温は上がり、すでに海洋生態系への影響は出ているのではないのか。
今までは僕自身も含め、原発に大きな疑問を持たない国民がほとんどだったので、そういった調査が本格的に行われていないだけの話だ。

「(再生可能エネルギーの)導入拡大には関係者の理解が不可欠で、将来の見通しはなお不透明だ」

記事の最後のこの一文は、そのまま今後の原発にあてはまる。
この記事全体が再生可能エネルギーに対する反論として、これっぽっちの説得力もない。こんな記事を平然と載せられる産経系のメディアは、やはりどうかしている。

更年期障害の原因が夫にもあるという、おバカな記事

ニュースリーダでいろんな記事を読んでいると、ときどき恐ろしく下らない記事があるものだ。
「更年期障害の原因が夫にもあるという大胆説」(2011/12/07 16:43 読売新聞)
これもその一つ。
戦後の高度経済成長期から現代まで、日本の典型的な核家族は、夫が定職につき、妻が専業主婦という男女の性役割分業にもとづいて成立していた。
そのため、性役割分業を支えていたロマンティック・ラブという、欧米のキリスト教的倫理観に由来する幻想が維持できなくなったとたんに、男性が自分自身の経済的な優位性を盾にとって、経済的に自立していない妻に辛く当たるというのは、必然的な帰結である。
ちなみにロマンティック・ラブというのは、男性と女性が一定期間の恋愛を経て「愛し合って」結婚するという虚構のことだ。
これが単なる虚構であることの何よりの証拠は、恋愛小説、恋愛映画、恋愛ドラマといった、恋愛にまつわる作品があとからあとから、途切れることなく作られていることだ。このようにして、民衆の息つくヒマもなく、次々と恋愛作品を生み出さないことには、「恋愛結婚」という虚構はとても維持できないのだ。
それでも先進諸国の社会が成熟し、価値観が多様化するにしたがって、異性間の恋愛結婚こそが市民としての幸福のもっとも良い形である、という虚構を維持することに無理が出てくる。
フェミニズムのような女性の市民としての権利を取り戻そうとする運動や、LGBT(ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダー)といった性的少数者の権利主張が出てきたのは、異性間の恋愛結婚を近代市民の家族の模範とする虚構が、もはや維持できなくなっていることを示している。
しかし、先進諸国の中でも例外的に儒教の影響が根強い、日本と韓国では、いまだに性役割分業が社会制度に残っているので、人々の考え方が比較的自由になってきているのに、人々の行動は社会制度にしばられてしまう。
女性は経済的に自立したいと思っても、税制や各企業の明文化された制度や、暗黙の制度がそれをゆるさない。
そうした社会制度に抵抗することに、大変なエネルギーを使うくらいなら、夫に経済的に従属することになっても専業主婦になろう、という選択は、合理的な選択である。
ただし、女性の側は自分のその選択を自分自身に納得させるために、恋愛結婚の虚構をここで再び持ち出さざるを得なくなる。夫というものは自分のことを死ぬまで愛してくれるはずの存在だ、というふうに。
しかしここで持ち出された恋愛結婚の虚構は、望まない現実を正当化するための、自分自身に対する口実に過ぎず、当然、現実の夫がそのとおりの存在であってくれるわけではない。
夫は夫で、専業主婦としての妻は、社会に出てストレスフルな仕事をして家に帰ってくる自分を、優しく包んで支えてくれるはずだという、やはり恋愛結婚の虚構を持ちだす。
ともに虚構に頼って、それとは全く異なる現実を正当化しようとしているのだから、無理が出てくるのは当然で、無理が出てこない夫婦は、単に恋愛映画や恋愛ドラマといった古くさい情報宣伝活動に、あっさり「洗脳」されているだけのことである。
なので、夫婦がともに恋愛結婚という、とっくの昔に破綻した虚構に、ふたたび「洗脳」されさえすれば、更年期障害の原因の一つがなくなるといった、冒頭の新聞記事のような考え方は、ずいぶん市民をバカにしている。
まあ読売新聞なんて、その程度の新聞なので、仕方ないわけだけれども。

「センカクモグラを守る会」って冗談なんですよね

今日いちばん笑ったのは、「センカクモグラを守る会」設立会見を取り上げた産経新聞の記事。
『【集う】「センカクモグラを守る会」設立会見(7日、東京・霞が関の環境省)』(産経新聞 2010/10/26 07:51)
喜多由浩という記者が、これは尖閣諸島に上陸する名案だ、日本人を覚醒させる突破口になるだろうかと絶賛しているのだが、何を考えているのか。
この「センカクモグラを守る会」の発起人の一人である、アルピニストの野口健は「これが『日本の領土内』で起きている問題だ。竹島のようになってからでは遅い」と、設立会見の場でしゃべってしまっているではないか。
本当にこの「センカクモグラを守る会」が、日本が尖閣諸島を実効支配する足がかりを作るための「名案」なら、発起人たちは徹頭徹尾、領土問題など存在しないかのように振る舞い、純粋に絶滅の危機にさらされている生物を調査する科学的目的による上陸でだという演技を続けなければならない。
それでこそ、対中国の強かな市民レベルの行動と言える。
それを設立会見で、一部の記者から「政治的意味があるのか」と質問されて、早速ネタばらししてしまった野口健は、やはり救いようのないほど素朴な人物であるようだ。
野口健という人物のおめでたさには、完全に失望した。素晴らしいアルピニストであり、山の環境保護活動家としての野口健に対する尊敬の念は、この記事で完全に吹っ飛んだ。
喜多由浩という産経新聞の記者も、逆に売国奴と罵られても仕方ないだろう。野口健がうっかりばらしてしまったネタを、記事にすることでさらに拡散させておきながら、「なるほどこれは『アイデア』ではないか」と賞賛するという、完全に矛盾したことをやっている。
それでいて、その矛盾に全く気付いている様子がない。こちらも救いようのない素朴な人物である。
この程度の人物が産経新聞で右寄りのことを書き立てている限り、日本の平和は安泰だよ、まったく。
念のために書いておくと、僕個人は「センカクモグラを守る会」に賛同しているわけでは全くないので、野口健が見事にボロを出してくれたことは、感謝に耐えない。
また、右翼言説をになう産経新聞の記者が、かくもおめでたい人物であることも、感謝に耐えない。

日本経済新聞なんて購読する必要ナシ!

今日、日経ITProの、ふだん読まないコーナーを何となく読んでいたら、SEとしてスキルアップして不況を勝ち抜こう!などと、頭の悪いことが書いてあった。

失業率の増加は、言うまでもなくマクロの問題だ。
直接的には、昨年の金融危機。間接的には、小泉首相の誤った新自由主義のせいで、政府が小さくなったのに、セーフティーネットになるべき社会を大きく育てる政策をとらなかったこと。
そんな中で「スキルアップで生き残れ!」なんて、まるで、気合いでガンを治せ!と言っているようなものだ。
先日来ここで批判している「パンデミック対策の事業継続計画」もしかり。日経BP社の記事は劣化が著しい。
実は大阪に引っ越してから、日本経済新聞をとるのをやめた。
理由は生活費を節約するためだったが、まったく困っていない。
ビデオニュース・ドットコムの「マル激トーク・オン・ディマンド」さえ見ていれば、十分、世の中のさまざまな論点を相対化できる。
記者クラブ制度で、大本営発表しか報道しない新聞など、最初から購読する必要はなかったのだ。

『日経ビジネスオンライン』の行き過ぎた読者コメント選別

『日経ビジネスオンライン NBonline』のコメントは信用ならない。編集部による選別が厳しすぎるからだ。
僕のコメントの採用率はほぼゼロに近いのだが、『日経ビジネスオンライン NBonline』のコラムにコメントを書き込むときは、感情的な負荷のない中立的なな単語を使うようにし、話し言葉でしか使わないような単語は避け、結論を先に、その説明を後にという、論理的な展開に注意しつつ、規定の500字以内にまとめている。
また『日経ビジネスオンライン NBonline』のコラム筆者や読者を誹謗中傷するような内容も避け、コラム自身の論理的な矛盾や不整合、偏向を指摘するようにしている。
それでも僕のコメントの採用率がほぼゼロである理由は明白で、僕のコメントのほとんどが、コラムとは違う、もう一つの考え方を示唆するものだからだ。
編集部にとってこの種のコメントが不都合なのは当然だが、異なる意見の対立からさまざまな考え方の可能性を提示するのもまた、メディアの責任であるはず。
その意味で『日経ビジネスオンライン NBonline』の読者コメントに対する選別は、行き過ぎていると言わざるを得ない。