日本サラリーマンの「要素還元主義」という限界

中途半端に「論理派」のサラリーマンは、「大きな問題は小さな問題に分割して一つひとつ解決していくことで解決できる」と本気で考えている。西洋哲学をまじめに勉強した方はご承知のように、これはいわゆる要素還元主義というやつだ。

要素還元主義とは、大きな全体は、小さな要素に分割しても、本質は変わらない、という考え方のこと。

これは人間が生きている社会を、無機物だととらえる間違った考え方である。

無機物はたしかに、大きなかたまりを、小さな断片に切り刻んでも、性質は変わらない。たとえば大きな鉄の塊を、小さな鉄くずに切り刻んでも、鉄としての性質は変わらない。(厳密に言えばやっぱり性質は変わるけれど)

生物のような有機物は、例えば人間という大きな一つのかたまりを、細かく切り刻むと、残念ながら大量に血を流しながらぐにゃぐにゃになって死んでしまう。

当たり前すぎるほど、当たり前のことだ。

人間が構成している社会や組織も、基本的には生き物であり、有機物である。だから小さな断片に分割すると、変質してしまう。

つまり、人間が構成する組織やその問題は、要素に還元できない。要素還元主義が通用しないのである。

でも日本の大企業が、日本経済全体が低成長期に入ってから、世界経済で存在感を示すことができなくなった理由の一つは、たぶん日本のサラリーマンのほとんどが、この要素還元主義を持ち続けているからだろう。

日本のサラリーマンの要素還元主義は、おそらく製造業の品質管理運動(QCってやつですよ)から来ている。

主に無機物を相手にする製造業は、たしかに大きな全体を細かい部品にバラしてから、部品一つひとつの問題を解決し、部品レベルの品質を高めていくことで、製品全体としての品質も高められる。

しかし、人間が営む組織や社会は有機物なので、細かい要素にバラバラにすると、元の全体が抱えていた問題とは別の問題に変質してしまう。

自分が属する組織の中で、何か大きな問題が起こったとき、それを組織別に分けたり、地域別に分けたり、とにかく何かの単位で細かく分けて、この問題はこの問題、あの問題はあの問題というふうに、一つひとつを別の問題として解決しようとするのは、あきらかな間違いである。

組織の一部に小さな問題が見つかったとき、それは組織全体が持っている大きな問題の「症状」にすぎないのであって、その小さな問題に問題の本質はない。

ところが日本のサラリーマンは、いまだに問題を細かく分けて、小さな問題にして、一つひとつ解決していけば、最後には問題全体が解決するという、かなりナイーブな要素還元主義にいまだにとらわれている。

まあでも、大量生産式(マスプロダクション式)の高等教育を受けてきた日本のサラリーマンが、要素還元主義を乗り超えるのは、まずムリだろう。

そういうわけで、必然的に日本企業はどんどん世界という「全体」の中で相対的な地位を低めていくことになる。

日本のサラリーマンの皆さん、毎日たいへんお疲れ様ですが、皆さんの思考法は基本的に間違っているので、問題全体を根本的に解決する能力はありません。皆さんが米国式のプラグマティズムにとらわれているのだとすれば、なおさらそうです。

皆さんが、要素還元主義や米国式のプラグマティズムを合理的に批判したり、相対化した書物を読んで、理解した経験がない限りは。