多様化する世界における日本企業の「生え抜き」経営層の弊害

おそらく日本の大部分の企業のように、管理職にMBAのような技術的な専門性をもとめない企業は、今後世界市場でますます後退するだろう。

世界市場で一定の利益をあげつづけられる日本企業はひとにぎりだけになり、その他の純日本的な社風の日本企業は、たとえ海外へ出て行って利益をあげようと思っても、すでに海外進出している日本の大企業にしがみつくことでしか生き残れないだろう。

そして、例えば日本の大手家電メーカーのように、海外で凋落し始めた大企業にしがみついていた日本企業は、その道連れになって凋落するしかなく、日本以外の国から世界に進出している企業と手を組むことは難しいだろう。

それらはすべて日本企業の組織内で、経営層を育成するシステムが、高度経済成長期の旧態依然たるシステムからほとんど変化していないからだ。大部分の日本企業の経営層は生え抜きで、その企業の組織文化に最適化された経営手法しかもたない人物ばかりになってしまっている。

そしてその企業の組織文化そのものが、高度経済成長期からほとんど変わっていないので、結果として第三次産業が日本国外でまったく競争力を持たないのは言うまでもなく、第二次産業の加工輸出品も競争力を失っている。

その理由は、戦後、日本が高度経済成長期だったころまでは、世界中のモノの消費の背景にある文化にはお手本があった。それはアメリカだ。

戦後アメリカの核家族の生活様式が、欧米を目標に経済成長していた日本を含む世界各国のお手本になっていた。マイホーム、白物家電、マイカー、テレビ、週末のレジャーなどだ。

そのため、日本のような原料輸入、加工品輸出型の第二次産業に依存して経済成長していた国であっても、とりあえずアメリカの生活様式に沿った製品を輸出していれば、欧米や新興国のどの国でも普遍的に一定の市場を得ることができた。

ところが、冷戦の終結によって、資本主義対共産主義というイデオロギーの対立がなくなったため、アメリカの生活様式がより世界に浸透するのではなく、逆に、イデオロギーの下に隠れていた、各国独自の文化、民族、宗教、政治体制が表に現れ、より優位になってきた。

そうすると、第二次産業であっても、完成した加工品が輸出先の国の独自の文化、生活様式、宗教などに適合しないと、その国で市場を得られなくなってしまう。

このことに日本企業は気づくのが遅すぎた。その典型は日本の消費者向け電気製品メーカーの凋落だ。アメリカ式のライフスタイルというお手本がなくなったあと、輸出先の各国の文化の多様性に、いちはやく製品を適応させることができなかった。

その理由は、日本という国が移民を受け入れず、文化的、民族的な多様性がほとんどない国だからというマクロな原因が一つ。

そしてもう一つのミクロな原因は、それぞれの日本企業の組織の中をのぞいてみても、それぞれの組織文化に最適化された人物だけが「生え抜き」で経営層に上り詰めることができるという、経営層の育成システムの「失敗」にある。

本来、世界市場全体がアメリカ核家族文化をお手本にしていた時代が終わり、各国独自の中間所得層が現れ、各国独自の文化が前面に出てくるにつれて、日本企業は世界各国の文化の「多様性」を組織の内部に取り込むべきだった。

ところが日本企業の大部分は高度経済成長期の成功体験にしがみつき、同調圧力の強い日本社会に最適化された組織運営をつづけ、経営層の育成についても自社の文化に最適化された「生え抜き」を重んじつづけた。

世界はアメリカ核家族文化の覇権から、文化的民族的多様性へと大きく変わったのに、日本企業は相変わらずアメリカ核家族文化をお手本にした高度経済成長期の組織文化をそのままにし続けたのだ。

それはたとえば、いまだに日本のサラリーマンが当たり前と思っている「マイホーム主義」だったり、「専業主婦」という男女の役割分業だったり、「マイカー主義」だったり、ビジネスに関連したレジャーという意味での「ゴルフ主義」だったり、専門知識を軽視する「ジェネラリスト志向」だったりすす。

アメリカでホワイトカラーがマイホームを購入する合理性があるのは、リバースモーゲージなど購入した不動産を担保に消費余力を獲得できるからだ。日本でマイホームを購入しても、もはやキャピタルゲインは得られないのだから、まったく経済合理性がない。

それでも日本の会社員が「マイホーム主義」にこだわるのは、自分の父親世代の高度経済成長期のサラリーマン文化がもはや世界の状況に適合しない事実をわかっていないからだ。

このように日本企業の大部分は、アメリカ文化が世界的に覇権を持っていた高度経済成長期の組織文化を引きずったまま、いまや多様性(ダイバーシティ)へと方向転換している世界市場にますます適合できなくなっている。

日本の各企業の組織文化に最適化されてしまっている経営層は、いざ国外に向けて何らかのプロジェクトを立ち上げようとするときに、まず自分が自社の組織文化に最適化されてしまっていることを自覚できない。

それでも、仮に日本企業の組織文化が反対意見を戦わせることで、合理的な意思決定をするような文化であれば問題ないのだが、日本は企業に限らず、すべての組織が「あうんの呼吸」という同調圧力の文化である。空気を読み、空気が意思決定する文化である。

そのため、本来は論点であるはずの問題がきっちりと検討されず、生え抜き経営層の方針が、いくら突拍子もないものであっても、周りの社員がその意志を推し測り、忖度し、尊重するという、暗黙のプロセスで意思決定がなされる。

本来、現在の日本企業の「生え抜き」の経営層は、過去の日本の高度経済成長期の組織文化に最適化されてしまっており、いわばもっとも「井の中の蛙大海を知らず」状態、別の言葉で言えば「ガラパゴス状態」であるにもかかわらず、そのもっともガラパゴスな意思決定を修正する手続きが、ほとんどの日本企業の組織には組み込まれてないのだ。

その結果、本来は各国の多様性への適用が必要になる場面でも、いまだにアメリカが世界のお手本になっていた高度経済成長期の考え方で、一定の規則による標準化、規格化が無条件に正しいという判断ミスをおかす。

もし日本企業の大部分が、日本語のできない外国人従業員をホワイトカラーをして受け入れてきた歴史があれば、「生え抜き」経営層の狭い価値観が、議論によって修正されずにそのまま会社としての方針になるような、愚かなことは起こらないだろう。

しかし実際の日本企業は、均質的な従業員からなり、意見の対立ははっきり言葉に出した議論ではなく、根回しなどの裏側の力関係で調停され、経営層の方針が本当に合理的なのか、妥当なのかを検証するきっかけを、組織の意思決定プロセスに組み込むことができなくなっている。

実際の世界は「多様性」の方向へ動いているのだから、こうした均質的な日本企業の組織文化の中で、その組織に最適化された「生え抜き」経営層はこれからも誤った判断をくだし続けるだろう。

それを避けたいのであれば、まず自分の組織の内部に多様性を導入すべきなのだ。

似通った価値観、つまり日本の高度経済成長期のライフスタイルである、マイホーム・マイカー主義、週末のレジャー、定時後の飲み、ずるずる残業の常態化といったことに、何の疑問も持たない従業員ばかりであるのは「問題だ」と気づくべきだのだ。

ただ、残念ながら経営層が「生え抜き」であればあるほど、世界の多様性の正反対を行く日本の企業組織の「均質性」に疑問を持つことができず、組織内で「出る杭は打つ」ということを平気でやってしまう。

そのような大部分の日本企業は、やはりゆっくりと凋落していくしかない。