都議会のセクハラやじは日本組織の治療不可能な体質の単なる一症状

東京都議会のセクハラやじの件だが、発言者を特定したところで問題解決にならないことは言うまでもない。

ただし僕がそう思うのは、この方の意見とも違う。

『ヤジの主が誰かわかったところで、何か解決するとは思えません』(Yahoo!ニュース 梅田カズヒコ)

この方の意見では、ヤジが生まれるのはそれを許容する議会全体の体質の問題ということだが、その前に忘れてはいけないのは、これらの議員を選挙で選んでいるのは有権者ということだ。

有権者は投票するという積極的な行動を通じて、あるいは棄権するという消極的な行動を通じて、こういうヤジを飛ばすような資質の人物を国会や都議会や、その他さまざまな議会に議員として送り込んでいる。

なぜそういう人物が有権者の支持を集めてしまうのかについては、日経ビジネスオンラインの小田嶋隆氏のコラムが的を射ている。

『美しきニッポンの本音』(日経ビジネスオンライン 小田嶋隆)

つまり日本人は「『露悪的な人間ほど信用できる』という倒錯」にもとづいて、リーダーを選ぶというどうしても抜きがたい傾向があるのだ。

それを証明する事例は、今回のセクハラやじだけでなく、橋下徹大阪市長や、NHK会長の籾井氏の「失言」など他にいくらでもある。

そして会社員をやっていると、ほとんどの日本企業でも日々同じようなことが起こっているはずだ。

ぶっちゃけて本音を言える男性の方が、キレイ事ばかり言っている男性よりも、より多くの人の支持を得る。それが日本の男性中心の組織の「治療不可能な体質」のようなものである。

この日本の男性中心の組織の「治療不可能な体質」がなくならない限り、議会から下品なヤジはなくならないし、日本のほとんどの企業で女性の正しい意味での管理職登用が進むはずがない。

今回の都議会のセクハラやじの問題を厳しく追求することで、日本の組織全体を覆い尽くしている「治療不可能な体質」が少しでも変わると思っている人は、楽観的過ぎる。絶望が足りなさすぎる。

そんなことは、一般的な日本企業でいくつか勤務してみれば、日々どうしようもなく体感できることだ。

男性中心組織の「露悪的な人間ほど信用できる」という暗黙の価値観こそ、声の大きい男性ほど出世し、キレイ事や正論ばかり言う人間が嫌われる日本のほとんどの組織文化の基礎である。