alanの涙は整形疑惑女性タレントの悔し涙と同レベルでは?

alanが2007年で日本デビューしてから2011年に帰国するまで、百度貼吧の達瓦卓瑪掲示板に出入りするなど深く彼女の活躍をフォローしていた僕としては、この「ちべログ@うらるんた」というブログの「alanの涙」という記事を読むと、とっても複雑な気持ちになる。

alanが日本で活動している間、マネジメントをしていたエイベックスは彼女の活動から政治色を消し去ることに腐心していたと思う。ただその政治色とは彼女が中国人であることであって、チベット民族であることではなかった。

美人谷出身という謳い文句は、チベット族としてのアイデンティティーの主張ではなく、どこか知らない異国の地に美人のたくさん生まれる秘境があるといった、非常に漠然としたイメージでしかなかった。

alanは日本での活動中、チベット民族の衣装を着ていたわけでもないし、デビュー曲と『懐かしい未来』以外にチベットフェイクを積極的に取り入れているシングル曲はないはずだ。彼女のプロデューサだった菊池一仁氏の作る曲は基本的に純粋なJ-POPだった。

にもかかわらずalanの活動に政治色が持ち込まれてしまうとすれば、中国人がJ-POPを歌うことへの違和感や反発であり、彼女がチベット族だからではなかった。

alanの活動が低調になり、2011年に帰国することになったのも、2010年秋の中国漁船衝突事件以降、日中関係が回復しなかったからであって、彼女がチベット族であることと関係はなかった。例えば中国政府のチベット民族統治政策を日本政府が非難したとか、そういう背景は全くなかった。

alanが中国に帰国してしばらくの間も、チベット族としての出自を前面に押し出すようなプロモーションはなかった。楽華娯楽と契約した後、第一弾の中国語アルバム『Love Song』も、ビジュアルイメージも含めて普通のC-POPアルバムだ。

北京の鳥巣のショーに出演したときも、短編映画に出演したときも、『舞林大会』という芸能人ダンス大会的な番組に出演したときも、チベット族の出自が強く打ち出されることはなく、「日本で活躍して映画『レッド・クリフ』主題歌でフェイ・ウォン(王菲)を超えるオリコンランキングの実績を残した歌姫」という売りだったはずだ。

ところが冒頭のブログで紹介されている「中国藏歌会」でalanは母語を奪われたチベット族としての自分を訴求し、涙を見せたため、そのメッセージがチベット語に翻訳されて中国国外のチベット族同胞にまで拡散されることになったようだ。

だがalanは中国人民解放軍の大学で音楽を学んだ、完全に中国政府側の歌手であり、本人も解放軍芸術学院卒であることを誇りに思うとツイートしたり、発言したりしている。

現地のalanファンも当たり前だが、alanをあくまで中国の支配下にあるチベット自治区の異国情緒を体現するチベット族美人歌手としてしか見ていない。チベット族の中国政府の圧政からの解放の象徴とはまったく見ていない。

alanがチベット族ではないのでは?という疑念は、中国国内では単なる芸能スキャンダルだ。日本で言えばアイドル整形疑惑くらいの重みしかない。

ところがそれが中国国外に伝えられ、さらにチベット語にまで翻訳されてしまうと、alanがチベット族の代表として遠回しに中国政府を非難しているかのように解釈されるおそれがある。

これは全くalanの本意ではないし、ぶっちゃけて言えば、alanの知的水準はそこまで高くない。彼女がかなり短気で、しばしば中国ツイッターで20代後半の大人とは思えない幼稚な失言をするのは、現地ファンの間では周知の事実だ。

なので以前alanファンだった僕としては、alanの今回の発言がチベット語に翻訳され、中国国外のチベット族に一定範囲で流布したと聞くと、それは全然alanの本意ではないのにと複雑な気持ちになるのだ。

alanが口にする「歌に国境はない」とか「世界平和」とかいった言葉は、ほぼおとぎ話のレベルで、真剣に取り合う必要はない。

ただ、中国国内のalanファンは、チベット族が中国政府のおかげで経済的に豊かになったと信じているので、alanの理想論を真剣にうけとめているだろうと思う。中国政府の少数民族宥和政策の成功は、alanが世界平和を口にしていることからも証明される、と現地ファンは考えているかもしれない。

この番組「藏歌会」で流したalanの涙には、中国政府の圧政に苦しむチベット族同胞に何もできない自分の無力といったような、高尚な苦悩は含まれていない。

単純に、整形疑惑のある女性タレントが「私は整形していません」というのとほぼ同じレベルで、「私はチベット族です」と悔し涙を流しただけ、というのが真相・・・これが少なくとも僕の解釈だ。

でないと、彼女が一貫して自分が解放軍芸術学院の出身であることを誇りに思っており、かつ、四川省の金持ち地方官僚の娘であることと矛盾する。

なので、alanが今後仮に日本で活動する機会があったとき、僕が心配なのは、日本人が「いよいよalanがチベット族としてのアイデンティティーを主張し始めた」などという誤解をしつつ彼女を歓迎することだ。

あるいは、僕が以上に書いたことはすべて間違いで、alanは本気で中国政府の圧政に苦しむチベット族同胞に手を差し伸べられない自分が悔しくて涙を流したのだろうか?

もしこの僕の記事を読んで不愉快に思ったalanファンがいたら、どちらの方向に不愉快なのか自問自答してほしい。

alanが心の中では中国政府の対チベット族政策に本気で反対しているとあなたが考えるから不愉快なのか、それとも本気で支持しているとあなたが考えるから不愉快なのか。

そしてこの2つのうちどちらかが真実だとあなたが考えるなら、実際に新浪微博でalanにアットマークをつけて質問してみるといい。(きっと間もなく削除されると思うが)

僕はこの2つのどちらもが間違いで、alanは単純素朴な歌手であるという3つめの選択肢が真実だと思っている。