alanの中国語ニューアルバム『Love Song』を聴いてみた

alanの中国帰国後、初のアルバムが2012/06/18発売されたので、1曲ずつ感想を書いてみたい。完全なクレジットが手元になく、純粋に個人的な感想ということでご容赦を。
日本からもyesasiaの下記ページなどから台湾版が購入できる。台湾版なのでおそらく歌詞カードが繁体字になっていると思われる。
alan 『Love Song』 (台湾版)
まずアルバムの冒頭に収録されているインストゥルメンタル曲「水晶蓮 intro」は、ほぼ意味不明。
チベットの雰囲気を出したいという意図はイヤでも伝わるが、『Love Song』という甘いタイトルのアルバムである。しかもこのアルバムを通して、alanはチベット色を前面に押し出しているわけでもない。
なのに、なぜこれほど民族色の強烈なオープニングなのか、ほぼ意味不明なのだ。これが薩頂頂のアルバムならまったく問題ないのだが。
以降の収録曲と推定のテンポ(bpm)は下記のとおり。
1. 鳳凰 93bpm
2. 以愛相宜 70bpm
3. Love Song 82bpm
4. lan lan 82bpm
5. 長大 92bpm
6. 我回来了 63bpm
7. 孤独的天分 140bpm
8. 経過南青山 60bpm
9. 窓外 95bpm
10. BABY BABY 101bpm
11. Love Song きっともう一度 82bpm
ほぼミドルテンポかスローテンポというやや退屈なアルバム全体の構成の中で、異彩を放つのが「孤独的天分」だが、果たせるかなペギー・スー(許哲珮)の作詞・作曲。
他に台湾のアーティストが提供した曲を探すと8曲目の「経過南青山」が作詞・方文山、作曲・袁惟仁というなんとも豪華なペア。東京の地名が日本語の発音のまま登場する。
しかしこの「経過南青山」、明らかにシンセサイザーと分かる安っぽいチェロが全編にわたって鳴る編曲に、袁惟仁は納得したのだろうか。解説文にはalanが初めてイギリスのライトロックを試みたとあるが、曲は良いのに編曲がいただけない。
さて、1曲目にもどって「鳳凰」。
先行して短編映画のメイキングがPVとして公開されていたが、この曲はいい。
大陸のC-POPには珍しくAメロ、Bメロ、Cメロ(サビ)がそろっていて、転調後のCメロはチベットフェイク風のコーラスをともなってブリッジっぽくアレンジされており、曲の構成も端正だ。
2曲目は「以愛相宜」。
同じ事務所・楽華娯楽の先輩男性歌手、胡彦斌が提供した楽曲。alanがCMキャラクターをつとめるイノハーブ社(相宜本草)のタイアップ曲であることが、すぐにわかる曲名。曲想はとても真面目なので、タイトルがあざとすぎるからといって笑ってはいけない。
イノハーブ社がスポンサーになっている、東方衛星テレビの『舞林大会』という芸能人社交ダンス大会的な番組がある。
その番組にalanが出演したとき、決勝回の最後にこの曲を歌った。社交ダンス大会という西洋風な番組内容とあまりに不釣り合いな中華風メロディーライン。
中国大陸のテレビ局が制作する時代劇の主題歌にはピッタリだけれど、個人的にはあまり興味のない曲。
3曲目はアルバムタイトル曲の「Love Song」。
ツイッターでもつぶやいたが、この曲自体の問題ではないけれども、PVになっている短編映画の脚本がひどすぎた。
おたがい思いあって婚約した恋人どうしだが、alan扮する女性の方が、両親に強くすすめられたお見合いを請けてしまい、結局別れるというお話。
1950年代松竹大船調の時代錯誤のストーリーを、ゆりかもめ線の東雲駅など、現代の東京を舞台に柿本ケンサク氏が監督したPVで、ほぼ意味不明。
それほど強く思いあっているなら、見合いなど断ればいいだけ。中国大陸では自由恋愛がまだまだ許されていない、という社会背景があるわけでもない。
まだ、ヒロインが不治の病で死別するという紋切り型のストーリーの方が、「Love Song」というタイトルの曲のPVとしては説得力があるだろう。
ただし、「Love Song」の曲そのものは良い。1曲目の「鳳凰」と同じく、Aメロ、Bメロ、Cメロ(サビ)がそろっていて、最後のサビのリフレインはボーカルのアレンジが少し変えられ、やはりブリッジっぽくなっている。
そういう意味で1曲目と3曲目は曲全体の構成がほぼ同じ。サビを使い回してブリッジっぽい部分を作り出すというアイデアが同じである。
4曲目は「lan lan」。
まず、曲名が適当すぎる気がする。曲想とアレンジは「你喜欢不如我喜欢」という曲の時代のフェイ・ウォンの影響を強く受けすぎているように思う。聴いたことがない方はぜひ聴き比べて頂きたい。裏声のコーラスのアレンジまでそっくりだ。
ただし、完全に別メロディーのブリッジ、いわゆるDメロがちゃんと存在し、6分12秒におよぶアンビエントな雰囲気の曲で、個人的には嫌いではない。
この曲はこの曲として、alan風のフェイ・ウォン曲として全然ありだが、alanの独自性がないのは確かだ。
上述の「経過南青山」の作曲家である袁惟仁は、まさにフェイ・ウォンへの楽曲提供で有名なアーティストだ。
やはりこの『Love Song』という帰国第一弾アルバムで、楽華娯楽は中国大陸出身アーティストとして、日本のオリコンチャートでフェイ・ウォンの『Eyes On Me』(ファイナルファンタジーVIIIの主題歌)の順位を初めて上回った「歴史的快挙」を意識しているのだろうか。
5曲目は「長大」。
中国語で「成長」という意味。女性アーティスト崔迪の作詞・作曲。
洗練されたR&B曲で、やはり別メロディーでRAP風のブリッジがちゃんと存在し、最後のリフレインが転調するというC-POPとしては凝った構成。崔迪はジェーン・チャン(張靚穎)に楽曲を提供しているとのことで、激しく納得する。
明確なリズムとハープの分散和音の対比、分厚いコーラス、R&Bフェイクのちょい使いなど、完成度がとても高い。
にもかかわらず、最後の最後でなぜか素早いフェイドアウトでガクッとくる。R&B曲がフェイドアウトするなら、ボーカルがフェイクを歌いながらというパターンが必須ではないか。
6曲目は「我回来了」。
中国語で「ただいま」の意味。alanが帰国して新事務所の楽華娯楽と契約したあと、最初に発表した曲。
バラードなのに4分間弱で、Aメロのあとすぐにサビが来て、二度目のAメロは半分だけで、大サビで最高潮になる、典型的なC-POPバラードの構成をもつ。
この曲も袁惟仁だが、これはこれでアリな曲。しかしそれ以上の感想は特にわいてこない。ある意味、使い古された感のあるパターンの、あっという間に終わってしまう紋切り型のC-POPバラード。
7曲目は「孤独的天分」。
これはメロディーラインで使われている音階が独特で、特筆すべき個性をもった佳曲。オープニングの「水晶蓮intro」とは正反対で、良い意味で粒が立っている。最初に書いたように、ペギー・スー(許哲珮)の作詞・作曲。
コンパクトな曲だが、「長大」のようにぞんざいなフェイドアウトをせず、最後までていねいに編曲されている。
それにしても最後のラララの部分のalanの歌い方だが、末尾の音程がキュッと上がる歌い方は、ある時期のフェイ・ウォンを明らかに意識している。正確には、The Cranberriesのボーカルの影響を受けたフェイ・ウォンを意識している。
この『Love Song』というアルバム全体に、ある時期のフェイ・ウォンっぽさを強く感じてしまうのは僕だけだろうか。僕が昔、フェイ・ウォンのアルバムを聴き過ぎたせいだろうか。
8曲目は「経過南青山」。
「南青山を通り過ぎて」という意味。エイベックスの本社は南青山にあり、日本での経歴を示唆していると思われる。
この曲は冒頭に書いたように、とにかくなぜチェロを生音にしなかったのかが不明。そのせいで全てが台無しになっている。予算の関係で演奏者を雇えなかったのだろうか。
9曲目は「窓外」。
作詞・作曲は曲世聰とのことだが、なぜか何度聴いてもジェイ・チョウの曲にしか聞こえない不思議な曲。たぶんジェイ・チョウが歌うとサマになるが、alanが歌っているのであまりピンと来ない。
10曲目は「BABY BABY」。
個人的にまったく良いと思わない。どうしてこんな曲を作ったのか分からない。リズムはロックなのにメロディーがロックではない。イントロのシンセの音色もロックでないし、ベースラインも単純すぎる。
サビのメロディーもありきたりで、何らキャッチーさがない。最後、サビが転調する前の間奏の「ヨーヨーヨー」というコーラスも意味がわからない。個人的には完全に捨て曲。ここにアップテンポな曲を持ってくるなら、もっと速いテンポでロックというよりエレクトロ・ポップな曲を使うべきだと思う。
11曲目は3曲目のタイトル曲「Love Song」の日本語版。
バックトラックは同じもののように聴こえるが、ボーカルのミックスが3曲目と全く違う。3曲目のalanのボーカルはくすんでいるが、こちらのalanの歌声はキラキラ輝いている。
たぶん日本語版のミックスには、中山邦夫さんがガッツリ参加したせいではないかと思う。同じ曲なのに、3曲目と比べると笑えるほどミックスが良い。バスドラムのズドン!という響き方もまったく違う。
そしてこちらには男声コーラスが入っている。日本語の歌詞を歌っているので、中山邦夫さんが自ら録音に参加したのではないかと勝手に想像している。また、間奏部分には、3曲目にはないalanの日本語による語りが入っている。ロマンティックなアレンジだ。
さらに、間奏後の「あなたの手に/くるまれてる/はなさないで/影はひとつに/映ってるのに」の後、「What could I say?」というフレーズとの間に、3曲目にはない2拍のブレイクが入っている。
しかもその「What could I say?」にエコーが強めにかかるという具合に、アレンジがとても繊細に作りこまれている。この同じ部分は、3曲目ではきわめて平板で、最後のリフレインの印象が一変している。
さらにアウトロ部分には、日本語版の方だけalanのR&Bフェイクが入っている。
とにかく3曲目と同じ曲なのに、コーラスやアレンジ、ミックスの完成度が、まるで別の曲かと思うほど全然違う。
日頃からエイベックスの新人売り出しについて、いろいろ文句を言っているけれど、音楽制作の技術と作品の完成度の高さという点では、やはり楽華娯楽のクオリティーと、エイベックスのクオリティーには、天と地ほどの差があるということだろう。
そしてalanは中国に帰国することで、菊池一仁さんや中山邦夫さんを含めて、そのハイクオリティーな音楽制作のスタッフを失ってしまった。
3曲目の中国語版「Love Song」と、11曲目の日本語版「Love Song」をヘッドホンで聴き比べると、その悲劇がはっきり分かる。
そういうわけで、いろいろな意味で聴き終わりに悲しさを残す、中国語ニューアルバム『Love Song』なのであった。