芸能一家の離婚騒動に反応する遙洋子は情報弱者である

高嶋家で離婚騒動がもちあがっているらしいが、僕にとっては100%ど~でもいい。
『なぜ自分の手でブランドを叩き壊すのか~まるで「逆セルフプロデュース」の高嶋離婚騒動』 (遙洋子 日経ビジネスオンライン:遙なるコンシェルジュ「男の悩み 女の嘆き」)
この日経ビジネスオンラインのコラムで、遙洋子は離婚騒動で高嶋家のイメージが丸つぶれになったことを、企業のブランドのセルフプロデュースの反面教師の事例として分析している。
が、そもそも高嶋家にそんなにブランド力があったのかどうか。それ以前に、芸能界で高嶋家にブランド力があるかどうかに、それほど社会的な重要性があるのか。さらにそれ以前に、高嶋家って誰?という話がある。僕はたまたま高嶋家のことを知っているけれども。
遙洋子は、この種の下らない芸能スキャンダルに反応し、かつ、上記のコラムを読むかぎり、テレビのワイドショーで離婚騒動の情報をかなり熱心に集めており、かつ、自分の本業で大マジメにネタとして使ってしまっている時点で、彼女は自分の論点とは正反対に、高嶋家のセルフプロデュースの成功を認めてしまっている。
芸能人は、好かれようが、嫌われようが、注目されてなんぼ、である。その意味で、この離婚騒動が遙洋子の関心の的になっている時点で、セルフプロデュースとしては大成功だ。
で、僕がここで書きたいのは、遙洋子のコラムが下らないということや、高嶋家の離婚騒動ががどうでもいいということではなく、僕自身が最近、民放のお笑い番組や情報バラエティーをほとんど見なくなったなぁ、なぜなんだろうなぁ、ということだ。
以前は、食事の後、そのままダイニングに残って、惰性で『お試しかっ!』『踊る!さんま御殿!!』『ナニコレ珍百景』『ぐるぐるナインティナイン』『王様のブランチ』『サンデー・ジャポン』などの番組を見るのが日常だった。
それが最近では、食事が終わるとすぐにPCに向かい、ツイッターやニュースリーダー、ニコニコ生放送などで時間をつぶすようになった。
お笑い番組や情報バラエティーが、この年齢にしてはミーハーなほど好きだった自分が、いったいなぜピタっと見なくなったのか。自分でも不思議なくらいなのだ。
一つは、福島第一原発事故の報道を通じて、僕自身も意外なほど、マスメディアに対する不信感が決定的になったことがある。
その代わりに、インターネット上のメディアや草の根情報を、はるかに重視するようになった(それらを信頼するようになったわけではない)。
それまで、選挙制度改革、財政再建、金融政策といった政治的なテーマについて、『サンデー・ジャポン』のような情報バラエティーで、芸人だか専門家だかわからない有象無象が、適当なことをくっちゃべっているのを見ていても、それほど不愉快に感じなかった。
しかし、原発事故とエネルギー政策について、そうした有象無象が脱原発であれ原発推進であれ、本人は真摯であるつもりなのだろうが、明らかにバイアスのかかった意見を語っているのを、イヤというほど目にした結果、ただ不愉快でしかなくなった。
では、バラエティー番組全般を見る気が失せたのはなぜか。
こちらは、まず一つめの理由は、同じネタの使い回しが目に余ることだ。
例えばネットの動画投稿サイトから借用した「おもしろ動画」を、各局のバラエティー番組があちこちで使い回し、例によってワイプとよばれる小さな囲み画面の中で、ゲストたちが紋切り型の反応をする。
二つめの理由は、番組フォーマットそのものの使い回しが目に余ることだ。
『シルシルミシル』と『リアルスコープZ』といった工場見学モノ。『Qさま』のように芸能人が、大したことのない雑学を競い合うクイズ番組。
ひな壇にすわったゲストたちを、司会者のお笑い芸人がいじる番組。逆に、ひな壇にすわったお笑い芸人たちが、ゲストをいじる番組。
池上彰の『そうだったのか!学べるニュース』のように、世の中のニュースを分かりやすく伝えるのはいいが、あまりに単純化して重要な論点をあっさり切り捨てて平気な番組。
そして明石家さんまやナインティナインなど、人気お笑い芸人がメインになっている番組。お笑い芸人がメインだと、その芸風が番組フォーマットを決定してしまう。明石家さんまと、引退済みの島田紳助がその典型だ。
この種の一定のフォーマットをもつバラエティー番組で、見ていてまだ面白いのは『モヤモヤさまぁ~ず』くらいだろう。その理由は、さまぁ~ずの芸風が固定化されたフォーマット自体を茶化す芸風だからだ。
三つ目の理由は、たかが芸能人やアナウンサーが識者ぶる様子が見苦しいことだ。
例えば、ビートたけし、爆笑問題、みのもんた、そして正確には芸能人ではなくプロデューサだが、テリー伊藤。関西では、上岡龍太郎、やしきたかじん、正確にはアナウンサーだが、辛坊治郎など。
こうした芸能人たちの知識人的ふるまいの見苦しさと言ったら、反吐が出そうなほどだ。
まず、スポンサーによるバイアスのかかった民放の報道バラエティーを見る時間があれば、インターネット放送で極右や極左の、自主検閲のない極論を聞いたり、書籍でじっくりモノを考える方が、多様な意見についてよほど正確な理解を持つことができる。
次に、バラエティー番組だが、視聴者の趣味嗜好が細分化し、東日本大震災クラスのニュースを除いて、最大公約数的なニュースバリューのある出来事がなくなっているにもかかわらず、例えば、最初にあげた高嶋家の離婚騒動のような、ほんとうにど~でもいいニュースを各局横ならびで伝え続けている時点で、すでに終わっている。いわゆる「オワコン」化している。
そんな無価値なニュースを伝える番組を見るくらいなら、やはりインターネット上で、自分自身の趣味嗜好にピンポイントで合致する情報を収集する方が、有意義な時間が過ごせる。
自分の趣味に合わないことがらについても、インターネット上ならちゃんと賛否両方の情報や意見を収集できる。AKB総選挙のように、テレビのどのチャンネルも否定的なことを伝えないという、うす気味の悪い状況は、インターネットでは起こりえない。
要するに、日本のマスメディアは多様性を自ら失うことで、ゆるやかに自殺している。
対して、インターネット・メディアは、今のところ多様性を失わずにすんでいる。もちろんその多様性の中には、僕のブログも含めて、大量のゴミが混じっているけれども、多様性がないよりはるかにましだ。
すでにこういう状況になっているにもかかわらず、いまだにテレビというマスメディアに依存した生活を送っていると、最初にあげた遙洋子のコラムのように、高嶋家の離婚騒動にような、全くニュースバリューのないニュースを、大マジメな企業戦略分析で引き合いに出すという、かなり見苦しい姿をさらすことになる。
テレビの芸能ニュースを熱心に見て、それを日常生活で話題にすることは、「自分は情報弱者です」と宣言しているようなものだ、ということを自覚したほうがいい。
もちろん、僕のブログのような下らない文章を読んで、「なるほど~」なんて思ったとしても、決してそれを口外してはならない。たかが、一会社員がヒマにまかせて書いた文章を話題にすることも、自分が情報弱者だと宣言しているようなものだ。
それにしても、これほど短期間に、自分から見える世界の様相が一変してしまったことに、個人的にはただ驚くしかない。