AKB総選挙は倫理的か、と問う必要は本当にないか?

この「愛と苦悩の日記」に、AKB48総選挙を非難するブログを最初に書いてから、もう2年になるのかと思うと、2年間で大して成長のない自分自身に愕然とする。
『AKB48総選挙は秋元康による若年層の搾取である』 (2010/06/11 愛と苦悩の日記)
『AKB48利権の幻想装置と若年層の相互寄生』 (2011/05/31 愛と苦悩の日記)
2年前と1年前のこれらの文書さえ、現在の僕にとっては、すでにほぼ意味不明なので笑ってしまうが、要点はこういうことだろう。
AKB48というアイドルグループ事業を継続するには、運転資金が必要である(当たり前のことだ)。
アイドルグループはCDやコンサート・チケットの売上によって、その運転資金をまかなっている。
アイドルグループのファンは、CDやチケットを購入することでさまざまな便益を得ており、その対価に見合うことを納得した上で、CDやチケットの価格分の金額を支払っている。
「AKB総選挙」は、投票権を、CDというかたちで、お金で買うことができる仕組みである。
ファンの中には、自分が応援しているメンバーが上位になるように、より多くの投票権得るために、同じCDを数百枚、数千枚と購入する人がいる。
そのファンは、自分の応援するメンバーが上位になる、という便益を得る対価として、数万円や数十万円の金額は妥当だと、自分の意思で判断している。
僕が問題にしているのは、このような仕組みをもつ「AKB総選挙」に、本当に倫理的な問題がないのかということだ。
問題点を一点にしぼるとすれば、AKBの運営者側が、「AKB総選挙」の投票権を有料していることに、本当に倫理的な問題がないのかということだ。
例えば、運営者側が、1票の金額を定額ではなく、たくさんの票数を買えば買うほど、1票あたりの単価が安くなるようにし、より多くの票(=CD)を購入するインセンティブをファンに与えないのはなぜか。
「AKB総選挙」というスキームを利用すれば、運営者側はもっと効率的に売上を増やすことができるにもかかわらず、あたかも節度や倫理観をもっているかのように「偽善的」にふるまっているのはなぜか。
なぜ、「AKB総選挙」の投票権を、CD販売と切り離して無料にしないのか。あるいは1人1票になるような工夫を、なぜ意図的に避けているのか。
例えば、ファンクラブ会員に対して、入会時に登録した電話番号1つに対して1票など、できるだけ1人1票になるように、つまり、ファンクラブの年会費さえ払えば、誰もが1票ずつ投票権を得られ、かつ、1票しか投票権を得られないような仕組みに、意図的にしていない理由は何か。
もっと言えば、「AKB総選挙」に数万円をつぎこんでいるファンは、ソーシャルゲームの「コンプガチャ」に数万円をつぎこんである利用者と、何が本質的に異なるのか、それとも本質的には同じなのか。
ソーシャルゲーム内のアイテムを、オークションなどで現金化することを禁止できたと仮定すれば、ソーシャルゲームを「クリア」することで利用者が得られるのは「満足感」や「優越感」といった実体のないものだ。
「AKB総選挙」で自分の応援するメンバーが上位になるのも、同じく実体の無い「満足感」や「優越感」だ。
ソーシャルゲームでは、何円使えばゲームをクリアできるかを、利用者があらかじめ知ることはできない。「AKB総選挙」でも、何円使えば自分の応援するメンバーが、自分の望む順位になるか、あらかじめ知ることはできない。
ソーシャルゲームでは、ゲーム運営会社がゲームをクリアできる確率を調節し、利用者がもっとお金を使うように誘導していたことが分かっている。
「AKB総選挙」で事前に流される順位予想が、ファンにもっとCDを買わせるように働かないとは断言できない。もっと言えば、票数が操作されていないとは誰も断言できない。
顧客が自由意思によって金を払い、その金に見合う満足感を得ているのであれば、サービスを提供する側は、それ以上のいかなる倫理的配慮もする必要がない、という考え方は、本当に適切なのだろうか。
AKBシステムのような「ドル箱」を、マスコミが自らつぶすような議論を展開するはずがないので、来年もまた「AKB総選挙」は行われるのだろうけれども…。