大学を卒業しそこねる夢

その後もひきつづき、自分が大学に通っている夢を定期的に見る。
都心の広大な敷地にある大学で、僕は入学したばかりなのだが、ことごとく単位を取りそこねていて、卒業はほぼ絶望という状況におかれている。いくら頑張っても卒業できそうにないことは確実なのだ。
なぜかと言えば、まず自分が出席すべき講義がおこなわれている教室を、講義が終わるまでに見つけることができない。やっとのことでたどり着いたら、すでに講義は半分以上終わっていて、教室に入ることがためらわれる。
そういう基本的なミスを、夢のなかの僕は、信じられないことに全ての講義について犯している。
まるで潜在意識で、講義を聴くことを拒否しているかのように。夢そのものが潜在意識が僕に見せるものなのに、さらにその潜在意識とは僕の内部の何を指すのか。そういう問題は別として。
この夢を素直に解釈すれば、永久に大学を卒業したくない、大学生のままでいたい、という欲望の表現ということになる。
たしかに大学時代は、つねに行動をともにするような恋人も友人もおらず孤独だったし、自由に使えるお金もなかったけれど、日々自分の意に反する何かに追われることなく、漂うように生活できたという点で、居心地のいい時間だった。
であれば、永久に卒業できそうにない喜びをかみしめるような夢になってもいいはずだ。なのに夢のなかの僕は、卒業できないことに強い不安を感じている。
一つ思いついたのは、この夢は大学にとどまりたいという欲望の表現ではなく、実は僕には大学を卒業する資格や能力がなかったという、心の奥底にある自分自身に対する評価の表現かもしれないということだ。
日本の大学は、少なくとも僕の年代までの大学は、入学するのは難しいけれど、卒業するのは簡単、という性格のものだった。でも僕は大学で学ぶべきことを十分学ばず、ほんとうは卒業する資格などなかったと、自分を評価しているのかもしれない。
あるいは、大学を卒業した後、民間企業に就職して働き始めたわけだが、ほんとうは社会人になる資格などなかったと、自分を評価しているとも考えられる。
この最後の解釈が、いちばん納得がいく。
夢のなかでは、いくら努力してもどうしても単位を取りそこねるという表現になっているが、じっさいには大学を卒業して社会人になる適正を欠いていることを意味しているのだろう。
だとすれば、僕はこれからもたびたび同じように大学を卒業しそこねる夢をみつづけるに違いない。