バブル世代管理職の能力の限界

数日前の話になるが、会社の創業記念日ということで、会議室をぶちぬきにしたホールで社長からありがたいお話があった。この五月なかばという中途半端な時期に記念日はめずらしいが、うちの会社の創業記念日は株式会社として登記した日ではなく、創業者が商売を始めた日らしい。
社長は比較的若いが、頭の良さと品の良さが語り口から伝わってくる人物なので、サラリーマン社会一般を嫌悪する僕でも、この人が社長ならまあ安心だと思わせてくれる。
それに引きかえ、というと言葉は悪いが、いま一定規模の日本企業の成長をはばむ要因になっているものが複数あるとすれば、その一つは間違いなく、バブル時代に楽勝の就職活動をして、いま管理職になっている年齢層の社員だろう。
ちょうど僕くらいの年齢以降、就職氷河期は氷河期を脱したことがない。バブル時代に就職活動をしていた管理職の部下たちは、平均値をとれば、上司よりも確実に優秀である。
たとえば最近は、僕の所属する会社もそうだが、一定規模以上の日本企業ならTOEICの点数で「足きり」するくらいだ。
なので、バブル世代の管理職が英語をひとことたりとも話せないくせに、管理職然としてすましている一方、ある新入社員が入社してひと月ちょっとで、英語の電話対応をこともなげにこなしている姿を見かけたりする。
バブル世代管理職は、自分の能力の限界を自覚すべきだろう。
学生時代はろくに勉強もせず遊びほうけて、就職活動も引く手あまたのなか、僕がいま働いているような、決して大企業とは言えない規模の企業にしか入社できなかったバブル世代管理職が、ここ数年間で入社してきた新入社員より、基礎能力ではるかに劣っているのは当然だ。
にもかかわらず、多くのバブル世代管理職は、自分自身の能力の限界について、認識が不足している。
なので優秀な部下たちの優れたアイデアを無自覚にスルーする。彼らには、優秀な部下のアイデアが「優れている」という事実すら認識する能力がないのだ。
...などということを頭の中でぐるぐる考えているうちに、ありがたい社長のお話は僕の左の耳から右の耳にほとんど抜けていってしまった。
でも僕はありがたい社長のお話を軽んじて聞き流したわけではない。この社長がいれば大丈夫と安心しているのだ。
バブル世代の管理職たちがいかに無能であり、自分の無能さを自覚できないほど無能であっても、創業記念日で、スピーチの言葉の端々に聡明さと上品さをにじませるあの社長がいる限り、まあ、この会社は大丈夫だと安心しているのだ。