いまだに自分たちが「主流」だと思い込んでいる情報弱者

昨年、宮台真司や東浩紀などがしきりと『魔法少女まどか☆マギカ』というアニメ作品を絶賛するので、同作品を観てしまって以来、私生活がアニメモードになってしまっている。

この年齢になってベタにアニメに没入することはできないので、しばらくの間はアニメモードになった自分を楽しむ、という程度のハマり具合に過ぎない。
以前にも書いたけれど、小学生のときは池沢さとし作『サーキットの狼』単行本のヘビーな読者だったり、松本零士のアニメ作品にどっぷりハマっていたり、当時としては一般的なレベルの漫画、アニメファンだった。
中学生になってからは、周囲が初代『ガンダム』にリアルタイムで熱中するのをよそに、漫画、アニメと完全に無縁になった。
ゲームも当時親に買ってもらった8ビットパソコン用の『Road Runner』や『ゼビウス』『DOOR DOOR』など、ごく単純なゲームしかやらず、『ブラックオニキス』などのRPG系ゲームに夢中になることはなかった。そして、そのうちゲームそのものをやらなくなった。ファミリーコンピュータ、その他の家庭用ゲーム機も全く購入したことがない。

その結果として、今のオタク文化を構成する3大要素(アニメ、漫画、ゲーム)と全く無縁な生活になった。
なので、もともと僕はオタクでも何でもなく、一般的なレベルのアニメファンといった程度だし、今でもオタクを自称できるほどアニメ、漫画、ゲームについての知識や素養は豊富ではない。
中学生当時に交際していた彼女は、『キャプテン翼』や『聖闘士星矢』の同人誌に「やおい小説」(今ならBL小説)を書き、萩尾望都作品や鈴木慶一のバンド「ムーンライダーズ」に夢中だったが、当時の僕には正直ピンとこなかった。
僕がオタクになり切れない(ならなくてもいいのだが)最大の原因は、ゲームをまったくやらないことだと思う。
アニメ単体なら、社会人になってから『新世紀エヴァンゲリオン』を観て、久しぶりに動画の快楽を思い出した。
学生時代に蓮實重彦の映画ゼミなどに出ていたせいで、アニメに限らず、映像作品は単純にストーリーを楽しむことができず、フレーミングやカット割りなど、批評的な観点でしか観られなくなっている。

『新世紀エヴァンゲリオン』以降も、没入できるのは批評的なアニメ作品だけで、ベタなアニメには意識的にハマったようなフリをしてハマることしかできない。
漫画について、ためしに先日、少年漫画週刊誌を買ってみたが、何が面白いのかさっぱり分からなかった。とくに『スラムダンク』や『ONE PIECE』のような少年漫画の、熱い友情的なストーリーは、あまりに素朴すぎて全く感情移入できない。
はっきり言って物語の単純さという点で、これらの「熱い」少年漫画は、ヤンデレ美少女が登場する恋愛シミュレーション物語より、偏差値の低い人たち向けだとさえ思っている。
ゲームについても、やるやらないは個人の自由だが、僕としてはゲームをやっている時間があれば、映像作品の批評的な鑑賞法でも勉強したらどうかと思う。
オタク文化の3大要素のうち、漫画とゲームに全く無知で、アニメにだけ時期限定ながらも没入できるのは、そもそも僕の感性が総合芸術としての映像作品にしか反応しなくなっているからかもしれない。
とにかく、3大要素のうちアニメにしか没入できな僕は、どこまで行ってもオタクにはなり切れない。
ただ、これら3大要素のすべてに通じているオタクの人たちも、非自覚的に没入している人はごく少数だろう。ほとんどのオタクは自覚的に、かつ、自虐的にオタクであるはずだ。
ちょっと難しい言葉でいうと、再帰的にオタクであるはずだ。つまり、自分がオタクであることを、一歩引いた視点で見ているもう一人の自分がいる状態でのオタクであるはずだ。
そうした再帰的なオタクに比べると、メインカルチャーである全国ネットのバラエティー番組や音楽番組などが主流だと、非自覚的に、ベタに思い込んでいる一般人の方が、よほど情報弱者だと言える。

現実には、島田紳助がプロデュースしていたようなバラエティー番組は、いまやメインカルチャーでも何でもなく、偏差値が低い一般大衆向けのサブカルチャーでしかない。渋谷109ファッションや原宿ファッションが、それぞれ別個のサブカルチャーであるように。
このことはオリコンのシングル・アルバムチャートを見てもわかる。
これを書いている時点で最新のオリコンシングル週間チャートを見ると、AKB48系、ジャニーズ系、その他アイドル系、エイベックス系、韓流系、オルタナロック系、ビジュアルバンド系、アニメ系、昭和青春系(竹内まりやや小田和正とかね)、演歌系などなど、サブジャンルがあまりに細分化されすぎていて、日本を代表するメインカルチャーなどというものが、すでに幻想というか、いまだに全国ネットのバラエティー番組を楽しんでいるような種類の人たちの、単なる思い込みに過ぎないことがわかる。
これだけサブカルチャーが細分化されている日本社会では、メジャーであること、つまり、全国ネットの民放で高視聴率を獲得する番組を楽しむこと、イコール、一般市民として適切な「趣味」であると思い込むこと自体が、情報弱者である何よりの証拠になってしまう。
今の日本社会では、もはや誰もが特定のサブカルチャーの島宇宙の住民であることしかできない。無数にある島宇宙のうち、どれが多数派であるか、どれがより優れているか(一体どういう意味で?)、などという議論は無意味だ。
むしろ、できるだけ多くの島宇宙を、身軽にわたり歩けるだけの情報処理能力を獲得することが、今の日本社会で最も適切な文化面の行動スタイルと言えるのではないか。
なんだか趣旨のよく分からない記事で申し訳ない。