リスコミに言及しつつもリスコミに失敗している啓蒙主義者たち

福島第一原発事故による放射線量について、厳密に科学的な情報発信をする人物と、科学的に厳密ではないが「共感的」な情報発信をする人物と、どちらがより多くの一般市民の賛同を得られるだろうか。僕はたぶん後者だと思う。
原発事故に関するリスク・コミュニケーションについて、池田信夫のブログに下記のページが引用されていた。とても興味深かったので皆さんにもご紹介したい。
山口浩『「ゼロリスク幻想」とソーシャル・リスクコミュニケーションの可能性』 (2011/04/19 23:17 SYNODOS JOURNAL)
この文章の中でも興味深いのは「リスクのとらえ方の差」という章だ。リスクマネジメントの専門家と一般人とで、リスクのとらえ方がどれくらい違うかが書かれてある。
内容については直接この文章をお読みいただくとして、ここ数日、僕がブログで言いたかったことが、とても簡潔に書かれていた。
人々がものごとに対する態度を決定するとき、十分な分析による方法(=システマチック処理)と、情報発信者への信頼や接触する情報量など周辺的な要素による方法(=ヒューリスティック処理)の二種類がある、らしい。そして…

「このうち前者を行うには、めんどうな手間を厭わない程に強い動機づけとそれを行う能力が必要であり、それらを持ち合わせない場合には、より簡便な後者に頼ることとなる。ある分野の専門家であれば、当該分野に関する重要な判断の際にはシステマチック処理を行うであろう。しかし一般の人々、あるいは専門家でも専門以外の分野については、手間のかかるシステマチック処理をわざわざ行う動機もなければ、そのために必要な知識もないことが多いから、自然とヒューリスティック処理に頼ることが多くなるだろう」(上記、山口浩氏の文章から引用)

まったくもってその通りだ。したがって…

「ヒューリスティック処理を行う一般の人々とのコミュニケーションは、詳細な情報よりも、共通の価値観をもつと思われる相手への共感を通じて成立する。難しいことはわからないがとにかく『安全・安心』なら受け入れるという人々へのもっとも効果的な回答は、『ゼロリスク』でも『リスクは10-7 件/台以下』でもなく、『自分たちは信頼に足る』というメッセージだ」(同引用)

…ということになる。これもまったくその通り。
つまり一般人に対しては、客観的な分析に依存せず、「自分たちは信頼できる」というメッセージを伝えることに成功しなければ、リスク・コミュニケーションとしては失敗になる。
その意味で、一般人の反原発派までを積極的に敵にまわして、自らの論理的正しさをブログやツイッターで主張し続けている池田信夫は、一部の「自分はインテリだ」と信じているネットユーザの支持は得られるが、多くの一般人からは無視されるか、「原発推進派」というレッテルを貼られ、全く信頼されないだろう。そのようにレッテルを貼られることに対しても、池田信夫は論理的な反論しかしないのだから。
ちなみに上記の山口浩氏の文章は、一般人への適切なリスク・コミュニケーションについて「啓蒙」から「共感」へ、というふうにまとめている。
池田信夫のような「共感」的コミュニケーションが全くできない人物は、実は日本全体の原発事故をめぐるリスク・コミュニケーションにとっては、百害あって一利なしかもしれない。
また、中川恵一氏のように「福島県では原発事故によるガンは絶対に起こらない」と「ゼロリスク」を断言してしまう専門家も(なにしろ『放射線医が語る 被ばくと発がんの真実』の帯にデカデカと書いてあるのだから)、いくら著書の中で被災者に共感的なメッセージを書いていても、リスク・コミュニケーションにおいて成功しているとは、とても言いがたい。
山口浩氏が上掲の文章で、2011/04の段階ですでに警告していたことを、池田信夫も中川恵一氏も実践できていないのだから、原発事故についての日本社会のリスク・コミュニケーションが決定的な成果をあげられないのは当然だと言える。