続・中川恵一氏の原発事故に関するコミュニケーション戦術のまずさ

中川恵一氏が著書『放射線医が語る 被ばくと発がんの真実』に書いてあった、ECRRのクリストファー・バズビー氏がいかがわしいサプリメントを販売しているという「噂」だが、噂ではなく、英『ガーディアン』紙のウェブサイトにちゃんと記事があった。
Post-Fukushima ‘anti-radiation’ pills condemned by scientists (2011/11/21 16:59GMT)
というか、僕がちょっとネットを探せば簡単に見つかるような記事があるなら、中川氏は著書の中で引用すべきだろう。
自身のツイッターでリスク・コミュニケーションが大事だ、大事だとくり返し言っておきながら、中川氏は「反原発カルト」に「洗脳」されている市民に対する最低限の配慮さえ欠いている。
だから僕は、中川恵一氏がコミュニケーション戦術を間違えていると言っているのだ。
中川恵一氏は、自分自身が池田信夫などの「客観的で中立的な科学的事実のみを信じる人々」の一員であることに、あまりに無自覚である。
池田信夫が「放射脳」と蔑称する人々にすでに「洗脳」された市民から見れば、池田信夫や中川恵一氏は、残念ながら、また別の「カルト」にしか見えないのだ、ということを中川恵一氏は自覚すべきである。
その自覚がなければ、まともなリスク・コミュニケーションなどできるはずがない。
英国の『ガーディアン』紙が中道左派であり、日本で「反原発カルト」に「洗脳」されやすい人々寄りのメディアであることを紹介し、その記事でECRRのクリストファー・バズビー氏の高額なサプリメントが、複数の学者によって効果を疑われていること。
それを説明するのに、注としてでもいいので、以下のような一文を『被ばくと発がんの真実』に付け加えるだけで、どれだけ説得力が増すか。
「ECRRのリーダーであるクリストファー・バズビー氏は、日本向に高額な放射線防護のサプリメントを販売していますが、中道左派のイギリス『ガーディアン』紙は2011年11月の記事で効果はないと非難しています」
中川恵一氏は、本当に福島県民に対するリスク・コミュニケーションの具体的な戦術を真剣に考えているのだろうか。
本当に考えているなら、ECRRが信用できないという主張を補強するのに、自分の言葉だけでは効果が薄く、欧米のメディアなど、第三者を援用する必要があることくらい分かりそうなものだ。
結局のところ、池田信夫にしてもそうだが、中川恵一氏の著書も、自身の正しさについての確信が言葉の端々に露骨に現れ、結果的に反対の立場の人々への軽蔑が行間ににじみ出てしまう。
その時点で、池田信夫や中川恵一氏には「反原発カルト」に「洗脳」された市民を「脱洗脳」することはできない。批判を先鋭化させればさせるほど、自分で自分の言説の説得力を弱めることになる。
別の表現をすれば、とくに池田信夫のような人物は、自身の言葉づかいについて、「心理学的」配慮を欠いているどころか、「心理学的」に逆効果の言説によって、反対派から感情的に嫌われるだけに終わっている。
僕は単なる会社員で、このブログは誰かを説得するためではなく、自分で考えたことをまとめるために書いているだけだ。
しかし中川恵一氏は自身のツイッターではっきりと、飯舘村民や福島県民へのリスク・コミュニケーションが重要であり、自分はそれを今後もやって行くと書いている。だから『被ばくと発がんの真実』という書物を執筆したのだろう。
氏のように他人の考え方を変えたいと思っている人間が、著書の中でガーディアン紙の引用をする程度の配慮ひとつできないのでは、有効なリスク・コミュニケーションなどできるはずがない。
P.S.
ちなみに、結局お前は中川恵一氏の意見に賛成なのか、共産党員の肥田舜太郎の意見に賛成なのかというツッコミが入りそうなので、現時点での回答を書いておく。
どちらが正しいかを判断するための基礎的な科学知識がないので、愚かな一市民としては、リスク回避的な思考にならざるを得ない。つまり、より放射線の危険性を強調する言説に、便宜的に、あくまで便宜的に賛成せざるを得ない。これが現時点での僕の意見である。
このような僕の意見を、バカだ、臆病だと罵倒するのは結構だが、どちらが正しいか確信が持てない以上、よりリスク回避的になるのは、無知な一市民として「心理学的」には当然だと思う。
池田信夫はこういう態度を、「文学的」と呼んで軽蔑するだろうが、そのように軽蔑する限り、池田信夫が「文学的」な人々を説得して考えを変えさせることは絶対に不可能だろう。
この意味で、池田信夫のように徹頭徹尾「科学的」であろうとし、「文学的」な考え方を徹底して非難する態度は、科学的にはまったくもって正しい(=真である)としても、倫理的に正しい(=善である)かどうかは、議論の余地があると僕は考える。
中川恵一氏にも同じことが言える。科学的に正しいことを相手に納得させるためには、場合によってはあえて「文学的」に語らなければいけない。それを中川恵一氏は、あまり分かっていないように見える。