日本人のジョブズ崇拝と非合理的な英雄史観

今日は日本人の、合理性を装いつつ実は非合理的なスティーヴ・ジョブズ崇拝について、誠 Biz.IDの記事を題材に検証してみる。
『2011年を振り返る:ジョブズはすごかった、で終わらせないための組織論』 (2011/12/29 11:30 誠 Biz.ID)

iモードの凋落は単なる日本の「自滅」

この誠 Biz.IDのスティーヴ・ジョブズ崇拝記事は、スティーヴ・ジョブズの成功を日本が米国に「敗戦」したことに例えている点で興味深いが、その分析が的外れである点に、米国に対する劣等感が驚くほど素朴に表現されていて、さらに興味深い。
このコラムの問題提起は、次のとおり。

「ウォークマンを生んだソニーやiモードを生み出したNTTドコモは、なぜiPhoneのようなイノベーションを起こすことが出来なかったのだろうか?」

iモードは技術的には携帯電話網とインターネットの間にゲートウェイを作っただけであり、技術革新(イノベーション)ではない。既存の閉鎖網とオープンなインターネットの間にゲートウェイを作る発想は、すでにパソコン通信とインターネットの相互接続などの前例があり、新規性がない。
iモードの成功は技術革新ではなく、日本の内需の大きさを活かした市場戦略にある。
iモード登場当時、まだ情報技術に詳しい一部の人しか使っていなかったインターネットを、携帯電話を通じて一般消費者に開放し、着メロ配信などしきいの低いコンテンツ事業に仕立てた点が、iモードの市場戦略上の成功だ。
iモードだけでなく、多機能なガラパゴス携帯の製造も含めて、日本国内だけで事業として成功したのは、十分な内需があったからだ。
この携帯電話についての健全な内需をつぶしたのは、小泉政権時代の「誤解された新自由主義」に基づく政策だ。コラムの中で元NTTドコモ執行役員が、トレンド転換の理由の2点めとしてあげている、販売奨励金の廃止がまさにこれだ。
つまり、iモードとガラパゴス携帯は、iPhoneに敗れたのではなく、「誤解された新自由主義」的政策により、デフレ基調のマクロ経済下で携帯電話のハードウェアを実質値上げしたため、自滅したのである。
この「誤解された新自由主義」的政策は、小泉・竹中が米国の年次改革要望書にあっさり乗っかった結果であることを思い出しておこう。
現にコンテンツ事業者はGREEやDeNAといった大手を頂点とする二次、三次請け構造に統合されはしたが、スマートフォン登場後も生き残っている。(もちろんアイテム課金の事業モデルに対しては倫理的な非難はあるが)

コラム筆者の対米敗戦についての大きな誤解

このあたり、コラムの筆者のとんでもない誤解は、コラムの中の下記の部分にはっきり現れている。

「その経緯は、かつて太平洋戦争の開戦当初、圧倒的優位を誇った零戦を徹底的に研究し尽くし、その弱点(機動性は良いが装甲が弱かった)を突いた戦闘機(F6Fヘルキャット)を開発した米海軍とも重ね合う」

まず正しい日本語は「重なり合う」だが、太平洋戦争は開戦前から敗戦の見込みであることは日本政府の中枢がすでに知っていた。
にもかかわらず対米戦争に突入したことについて、戦後のA級戦犯の軍事裁判で「空気」という言葉が出てきたことから、山本七平が『空気の研究』などで、日本組織の意思決定の奇妙さを批判的に書いたわけだ。
つまり、太平洋戦争でも、iモードなどのガラパゴス携帯でも、日本は米国に敗れたのではなく、米国の戦略にまんまと乗っかって自滅しただけなのである。
このコラムの筆者は、太平洋戦争の歴史的事実に対する誤解にもとづいて、日本のiモードやソニーがiPhoneに「敗戦」したかのように書いているわけだが、その理由はコラムの筆者が21世紀になってもいまだにアメリカ・コンプレックスを持っているからなのである。この時代錯誤ぶりにはあきれる他ない。
実際には米国の戦略にひっかかって自滅しただけなのに、それを米国のスティーヴ・ジョブズという天才に敗れたかのように分析している。米国の戦略を批判するどころか、米国の素晴らしさを賞賛し、日本の負けを喜んでいるかのようだ。
曰くスティーヴ・ジョブズは「100年に一度とも言える『天才』」などなど。

日本人の非合理的な「英雄史観」

スティーヴ・ジョブズの死後、このコラムと同じようなジョブズ崇拝の言説が日本に掃いて捨てるほど広まっている。その多くは、ほぼ何の論拠もなくアップル社の成功をジョブズ個人の「天才」に結びつけている。
しかし、iPhoneの成功にしても、現実にはiPodの成功の延長線上にある。ではiPodの成功の要因は何かと言えば、もちろんMacintosh同様の製品自体の魅力もあるが、音楽の著作権者である大手レコード会社を説得して、合法的な1曲100円のシンプルな音楽のネット配信モデルを確立したからだ。
さらにその背景には、旧ナップスターのような「違法」な音楽配信サービスに対する、米国大手レコード会社の危機感があった。
そのような米国の社会的背景も含めて、iPodが成功し、その延長線上でiPhoneのような先進的な端末が、大きな抵抗なく米国の一般消費者に浸透したのである。
日本が米国と戦うまでもなく自滅したのは、このコラムの筆者のように、米国の「勝利」を特定の個人や組織に結びつけ、その背後にある米国社会の仕組みを軽視しているからだ。
そういう日本人は同時に、日本の改革を小泉・竹中のような特定の個人に結びつけ、日本社会の仕組みをも軽視している。日本社会の仕組みが実は人為的に作られており、場合によって年次改革要望書のような米国の政治的圧力によって作られていることも軽視している。
そもそも日本人は、歴史の大きな変化を特定の人物に帰属させ、そこで思考停止することが多い。その典型が、戦国武将や幕末の志士を英雄視する通俗的な歴史観だ。そういえばこのブログを書いている今も、街の映画館では『山本五十六』なんていう映画が上映されているし。
社会の仕組みを見ずに、英雄の活躍に酔って思考停止するような人々が事業を主導している時点で、すでに日本は米国に負けているのだ。

最後に凡ミスを一つ指摘

ついでにこのコラムのつまらない間違いを一つ指摘して終わる。間違いの部分をそのまま引用する。

「『Stay hungry, Stay foolish』というフレーズは、ジョブズ氏のスピーチの一節として余りにも有名になった。だが、iPhoneが生まれるまでの経緯、その投入タイミングを見るにも、ハングリーであったとしても決して愚かではないことが良く分かる。(余談だが彼に限らず、著名人のコメントは自らの本質を隠す方向で表出することも多いので、注意が必要だ)」

ここでコラムの筆者は、わざわざ「余談」として「著名人のコメントは自らの本質を隠す方向で」云々の不要な注釈を付けているが、ジョブズは「謙虚であれ」という意味で「Stay foolish」と聴衆に呼びかけたわけではない。
「Stay foolish」は「つねに自分の知能や認識は不完全だと自覚せよ」という意味で、古代ギリシア哲学で言えば「無知の知」(=自分がいかに無知であるかに対する自覚)のことだ。「脳ある鷹は爪を隠す」的な謙虚さの美徳を表現しているのではない。
個人の知能や認識がどこまで行っても不完全であることを自覚しなければ、知能や認識の進歩はあり得ないという、きわめて本質的なメッセージである。
それを、iPhoneの投入タイミングのような、戦術レベルの賢さだと解釈してしまうあたりに、このコラムの筆者が、いかにスティーヴ・ジョブズの背景にある米国の社会の仕組み全体を捉えそこねているかが現れている。