厄払いを勧められたときの完璧な反論法

忘年会で起こった、ちょっとおもしろい出来事について。
同じ職場に来年本厄をむかえる社員が複数名いることが話題になり、管理職が酒も入って半分冗談で「初詣で厄払いしておいた方がいいよ」と話した。
単なる酒の席での笑い話なので、真面目にツッコミを入れる話題ではないのだが、僕個人としてはここ数年間でもっともひどかったのは一昨年、単身赴任先で本格的なうつ病に罹ったことだ。
最新の抗うつ剤(SNRI)のおかげで、1年前の自分が信じられないほど寛解に向かっているが、酒が飲めない僕はその場で、その管理職に向かって「じゃあ僕の一昨年のうつ病は何だったんでしょうね」と意地悪なツッコミを入れたくなった。
なので僕は個人的に「厄年」などというオカルトはどうでもいいし、職場の忘年会で、いまだうつ病の治療中である社員のいる席で、まさに来年2012年に「本厄」を迎える僕に対して、管理職がうかつに口にすべき話題でもないと思う。
一般的な日本人の半分冗談、半分本気の非合理性、非科学的態度というのは、この程度のものなので、そもそも一般的な日本人とは、彼らは合理性をあえて忌避しているのだという前提で雑談した方がいいのだ。
その意味では宮台真司・大塚英志の『愚民社会』という書物も、日本の市民に対する理性による啓蒙に、幾分かの希望を見出している点で、まだまだ楽観的すぎるのかもしれない。
そもそもこの『愚民社会』を、たまたま書店で手にとって勢いで購入したとしても、僕の職場にいる人間にはちんぷんかんぷんで、完読できるはずがない。
ルーマンの社会システム理論、フッサールの現象学、ルソーの社会契約論みたいなものは、日本の高等教育では一切まともに教えないのだから、参考文献からして既に日本のふつうの会社員にとっては意味不明なのだ。
ところで、それでも「本厄(前厄)なんだから厄払いしなさい」と言われたら、次のようにさらっと反論しておくのがいい。

「厄払いしないで悪いことが起こったら、あなたはきっと『厄払いしなかったからだ』と言うでしょう。
厄払いして悪いことが起こったら、あなたはきっと『厄払いしたからこの程度で済んだんだ』と言うでしょう。
厄払いしないで無事過ごせたら、あなたはきっと『運が良かっただけだ』と言うでしょう。
厄払いして無事過ごせたら、あなたはきっと『厄払いしたおかげだ』と言うでしょう。
結局、来年がどんな年になっても、厄払いしたかしなかったかとは、全く無関係だということを、あなた自身が証明することになるということは、すでにわかっています。
なので、厄払いなんてものにムダな金をかける必要はないですよ」

そういうわけで、初詣で厄払いするよりも、自分の愚かさに対する自覚を掘り下げることに時間とお金をかける方が、よほど有意義な一年を送れるというものだ。
こういう合理的な判断のできない人間が管理職になっても、日本企業はつぶれずに回るのだから、一般的な企業に見られるマックス・ウェーバーの本来の意味での官僚制組織というのは、よくできた社会サブシステムだと実感する。
つまり、僕自身も含めてバカが集まっても、そのバカさ加減が最悪の結果を生み出さないような自己保存機能がはたらくように出来ているのだ。
そういうふうに社会というものは、誰かの作為によって設計され、維持されているということを自覚していないからこそ、ふつうの会社員は「厄払い」といったオカルト主義を平気で口にできるのであり、マスメディアにあっさり「洗脳」されてしまうのだ。
フリージャーナリストの上杉隆が、昨日のニコニコ生放送で、来年2012年はきっとマスメディアが、福島第一原発事故を忘却し、復興のために前向きにがんばろうというキャンペーンを張るだろうと予言していたが、たぶんそうなる気がする。
前向き、ポジティブ、こういった言葉にいとも簡単に感染してしまうのが、ほとんどの一般的会社員だから。