鬼束ちひろの10年ぶりのライブ参加報告

鬼束ちひろ10年ぶりのライブに行ってきた。
神戸、名古屋、東京の3公演のうち、最終回、2011/12/17東京国際フォーラムホールAの公演。正式なタイトルは『鬼束ちひろ CONCERT TOUR 2011 「HOTEL MURDERESS OF ARIZONA ACOUSTIC SHOW」』。
なお、今回のライブを収録するDVDはこの東京公演の模様なので、ご興味のある方はDVDをご覧いただきたい。

鬼束ちひろの過去のライブはDVDでしか観たことがなく、実際に参加したのは初めてだ。
2011/07/24北海道での夏フェス「JOIN ALIVE」に出演したときは、エキセントリックな歌唱の模様がネットニュースで伝えられたり、その後のニコニコ生放送のレギュラー番組でのぶっ飛び具合が、ナインティナインのオールナイトニッポンでも話題になったり、正直どんなライブになるか心配だった。
先行予約で入手したチケットは二階席だったが、直前にミクシィで一階席10列目という良席を定価でお譲りいただき、やや舞台下手よりだったが、ほぼベストな位置で観ることができた。
公演時間は1時間半とコンパクト。伴奏は彼女の『DOROTHY』のプロデューサーでもある坂本昌之氏のピアノ演奏のみ。
以前ここで取り上げた彼女の自伝エッセイ『月の破片』にもあったように、ライブの舞台は彼女がパニック障害を発症した場所でもあり、10年ぶりのライブがこれだけコンパクトでシンプルだったのは、慣らし運転ということだろう。
慣らし運転のためにプロのアーティストが6,500円もとるなよ、という意見もありそうだが、彼女のファンはライブの対価としてではなく、彼女が音楽活動を続けるための投資としてチケットやグッズを購入しているのだから、外野はとやかく言う必要はない。

ちなみにこのあたりは、ローレンス・レッシグの『Free Culture』や、岡田斗司夫と福井健策の対談本『なんでコンテンツにカネを払うのさ? デジタル時代のぼくらの著作権入門』を参照のこと。
開演前、東京国際フォーラムホールAは、フランツ・リストの『ラ・カンパネラ』がリピートされていた。(ピアノソナタやショパンの夜想曲ではないのでご注意を)
会場が暗転し、最小限の照明の中、坂本昌之氏の前奏が静かに始まると、舞台前方の大きなアートフラワーっぽいオブジェの後ろ、おそらく床にすわってスタンバイしていた鬼束ちひろが、客席に背を向けたまま、ゆっくりと立ち上がる。
その衣装は意外にも光沢のある翡翠色のロングドレス。裾の長さはアンコール前の退場のときに初めて分かったが、彼女の背丈と同じくらい床に伸びていた。
七分袖の肩は高くふくらみ、両方の袖口から三日月のような形の飾り布が垂れ下がっている。デコルテは四角く開いていて、胸ぐりの縁にきらきらと輝く丸ボタンが等間隔で付けられていた。
背中の中央、縦のラインにも同じ丸ボタンが、胸ぐりより密な間隔でならんでいて、髪は腰までとどきそうな長い黒髪。メイクは高貴なロングドレスにほどよくつり合っている。
異界の王女とでも形容したい、美しくも妖しい姿に、まったく不意を突かれてしまった。
セットリストは他のファンの方がブログに書かれているので、ここには書かない。
一曲歌い終わるたびに、ロングドレスのひざのあたりを両手で少し持ち上げ、上手、中央、下手の順に、客席に向かって微笑み、ちょこんと腰を落としてお辞儀をする。まるで貴族の舞踏会で、婦人たちがそうするとされているように。
開演してから数曲、静まり返った客席は、ただ彼女の歌に聴き入っていた。
3曲目あたりだったか、さすがに彼女自身、少し居心地が悪くなったのか、背を向けて次の曲の準備をしながら「何か言ってよ」とマイクにつぶやいた。それ以降は曲間にファンから声がかかるようになった。
ややリズムのはっきりした曲では、前奏や間奏の部分でドレスを持ち上げて回るように踊ったが、多くの曲では、マイクを持たない左腕の表現が印象に残った。過去のライブ映像で見るような、力強く大きな動きではなく、指先までたおやかで、目の前にある透明でこわれそうなものに、そっと触れるような動きだ。
歌唱については他のファンの方がブログに書いているように、声量を抑える部分で音程がやや不安定だった感は否めない。一方、サビなど声量が大きくなる部分は、声の伸びも表現力はすばらしい。
ただ、『蛍』の間奏直後のサビのリフレインにはハッとさせられた。ささやくようなファルセットは鳥肌が立つほど透明感があり、美しく響いた。
そして舞台前方のオブジェは、見間違いなら鬼束ちひろ本人に申し訳ないが、歌詞が表示されるモニターを客席から隠す役割もしていたと思う。歌唱の途中、ときどき彼女はそのモニターがあると思われる方向に視線を落としていた。
プロの歌手なら自分で作詞・作曲した歌の歌詞ぐらい丸暗記しろよ、と言いたくなるかもしれない。しかし、これはあくまで僕の勝手な推測だが、ベンゾジアゼピン系睡眠薬か安定剤を長期服用していることによる、記憶力の低下のせいではないか。
彼女の自伝エッセイ『月の破片』を読めば、彼女が『月光』でブレイクした後の最も多忙な頃から今にいたるまで、不眠症に悩まされていることがわかる。なので、10年近く、何らかの睡眠薬か安定剤を服用し続けているはずだが、彼女はパニック障害の診断もあるので、ベンゾジアゼピン系の薬のはずだ。
僕自身、ベンゾジアゼピン系安定剤を10年以上服用しているが、加齢による記憶力の低下より速いペースで記憶力が落ちていると実感している。認知能力には全く問題ないし、日常生活に支障をきたすレベルではない。
だが、ただでさえ過剰な緊張症の彼女が、リラックスできないライブの舞台の上で、カンペなしで歌詞を完璧に歌うのは、まず無理だと思う。舞台に上がる前に緊張をほぐすために、安定剤を服用しているかもしれないし。
誰にも「持病」というのはあるので、歌手にとっては客観的にはプロ意識を疑われるかもしれないが、そのあたりは多めに見るべきではないかと個人的には思う。
最後の『Beautiful Fighter』は、坂本昌之氏のピアノ伴奏はサブで、鬼束ちひろ自身のギターの弾き語りだったが、ギターの腕は確実に上がっている。右手のカッティングはグルーヴ感を出すには程遠いけれど、左手のコードの間違いはほとんどなかった。
彼女は気まぐれだけれど、根が真面目という印象があるので、ギターだけでなく、ヴォーカルの方も本調子にもっていくべく意識的にトレーニングを続ければ、全体のパフォーマンス・レベルは確実に上がるはずだ。
曲間のMCで観客との掛け合いがあり、舞台と客席の距離が近いと感じたのも、アンコールでスタンドマイクを舞台中央に持ってきたのが、鬼束ちひろの実の妹さんだったのも、ライブの舞台をパニック障害を発症したときのような場にしないための、彼女なりの工夫かもしれない。
今回のライブで「致命的」な失敗をしないための彼女の神経のつかい方は、はたから見ている以上に実は大変だったに違いない。
『Sweet Rosemary』の歌詞じゃないけれど、人生は長いのだろう、彼女がアーティストとして活動する時間もまだまだ長いのだろう。今回のライブはそのリスタートの第一歩にすぎない、と考えるべきだろう。