モーターショーで「リア充」がカメラ小僧を見くだす風景について

東京モーターショーはじめ、自動車関連の展示会は、いわゆる「リア充」の人たちが展示内容を楽しむとともに、「非リア充」を見下してスッキリする場でもある。
恋人や奥さんを連れて来場している若い男性は、言うまでもなく「リア充」、つまり現実の生活が充実している人たちだ。
彼らはあくまで車を目当てに来場しているのに、コンパニオンの女性のまわりに、「非リア充」の典型であるカメラ小僧が群がっているのを目にすると、嫌悪感をいだく。
そして決まって、車を見に来てるのにアイツらがじゃまで見えねえだろ、など、「非リア充」のカメラ小僧たちについてボソッと悪態をつく。横にいる女性も「かわいそうだよね」とか、「キモい」とか、同調してカメラ小僧たちを軽蔑することもある。
カメラ小僧たちが血眼になって、大きな一眼レフカメラでコンパニオンを撮影してまわっているのを見て、「リア充」のカップルが気分を害するのはまあいい。価値観は人それぞれだ。
彼ら「リア充」がカメラ小僧に向ける侮蔑の眼差しは、いわゆるオタクに対する侮蔑の眼差しと同じ種類のものだ。
ただ、倫理的に考えると、そこにあるのは価値観の違いだけで、「リア充」の方が「非リア充」より正しいとか、優れているなどといった上下関係はない。上下関係を持ち込んで優越感にひたろうとする「リア充」は、他人を見下さなければ自分のプライドさえ保てない点で、褒められた人種ではない。
それはいいとして、「非リア充」のカメラ小僧たちとイベント・コンパニオンの関係をよくよく観察してみると、「リア充」の人たちには理解に苦しむコミュニケーションが成り立っているのが分かる。
カメラ小僧が撮影した写真をコンパニオンに見せて談笑していたり、コンパニオンが自分を取りかこむカメラのレンズに向かって、順番にポーズをとったりしている。
つまり、コンパニオンはカメラ小僧に写真を撮られることを、決して嫌がっているわけではない。逆に、カメラ小僧が群がっているコンパニオンのすぐそばに、一人ぽつんと取り残されているコンパニオンは、所在なさげにしていることさえある。
展示会に参加しているイベント・コンパニオンにとって、明らかにカメラ小僧に写真を撮られることは、テレビや雑誌などのメディアの取材を受けることに劣らず、仕事の一部になっている。
やや大げさに言えば、カメラ小僧にとってイベント・コンパニオンは、AKB48のような「会いにいけるアイドル」と同じくくりになっている。
そしてコンパニオンはコンパニオンで、カメラ小僧から自分がそう見られていることを意識しており、コンパニオンによっては、それが仕事のやりがいになっている場合もある。
コンパニオンは一見華やかだが、OLとは程遠いスズメの涙のような低賃金で、さまざまな展示会やイベントの出展社に派遣されている。
モーターショーのような展示会は、コンパニオンの仕事のなかでは最も華やかな部類で、一方では郊外のパチンコ店の開店イベントや、同じく郊外のロードサイドにある自動車用品店の特売イベントなどに駆り出されることもある。
コンパニオンによっては、写真愛好家が数千円単位で参加する撮影会モデルの仕事をする人もいる。
コンパニオンは、そのような仕事をすることで収入を得ているわけであり、アイドル歌手がファンなしに成立しない職業であるのと同様、イベント・コンパニオンもファンなしに成立しない職業だ。
さまざまな展示会の出展社や「リア充」の観客が、カメラ小僧をウザいと思うなら、メディア関係者以外による撮影を全面禁止し、警備員による監視を強化すればいいだけのことだ。
しかし、それによってイベント・コンパニオンの中には、コンパニオンという仕事に対するモチベーションが劇的に下がってしまう人がいることを知っておくべきだろう。
世の中には様々な職業があって、展示会のイベント・コンパニオンはパンフレットを配布したり、来場者から名刺を受け取ったり、漫然と立っていることだけを動機づけにして成立している職業ではない、ということだ。
カメラ小僧がいるからこそ、イベント・コンパニオンという仕事を続けている人たちもいて、そういう女性がいるからこそ、一定規模のコンパニオンという職業の市場が成立しているわけだ。だからこそスズメの涙であれ、彼女たちが一定の収入を得ることができている。
「リア充」の人たちが目ざわりなカメラ小僧を排除すれば、その結果は一定層の若い女性から仕事を奪うことになるのである。
社会というのは、自分が個人的に目ざわりだと思うものも含めて、そのようにお互いに関わり合いながら成立しているという事実を、忘れるべきではないだろう。