更年期障害の原因が夫にもあるという、おバカな記事

ニュースリーダでいろんな記事を読んでいると、ときどき恐ろしく下らない記事があるものだ。
「更年期障害の原因が夫にもあるという大胆説」(2011/12/07 16:43 読売新聞)
これもその一つ。
戦後の高度経済成長期から現代まで、日本の典型的な核家族は、夫が定職につき、妻が専業主婦という男女の性役割分業にもとづいて成立していた。
そのため、性役割分業を支えていたロマンティック・ラブという、欧米のキリスト教的倫理観に由来する幻想が維持できなくなったとたんに、男性が自分自身の経済的な優位性を盾にとって、経済的に自立していない妻に辛く当たるというのは、必然的な帰結である。
ちなみにロマンティック・ラブというのは、男性と女性が一定期間の恋愛を経て「愛し合って」結婚するという虚構のことだ。
これが単なる虚構であることの何よりの証拠は、恋愛小説、恋愛映画、恋愛ドラマといった、恋愛にまつわる作品があとからあとから、途切れることなく作られていることだ。このようにして、民衆の息つくヒマもなく、次々と恋愛作品を生み出さないことには、「恋愛結婚」という虚構はとても維持できないのだ。
それでも先進諸国の社会が成熟し、価値観が多様化するにしたがって、異性間の恋愛結婚こそが市民としての幸福のもっとも良い形である、という虚構を維持することに無理が出てくる。
フェミニズムのような女性の市民としての権利を取り戻そうとする運動や、LGBT(ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダー)といった性的少数者の権利主張が出てきたのは、異性間の恋愛結婚を近代市民の家族の模範とする虚構が、もはや維持できなくなっていることを示している。
しかし、先進諸国の中でも例外的に儒教の影響が根強い、日本と韓国では、いまだに性役割分業が社会制度に残っているので、人々の考え方が比較的自由になってきているのに、人々の行動は社会制度にしばられてしまう。
女性は経済的に自立したいと思っても、税制や各企業の明文化された制度や、暗黙の制度がそれをゆるさない。
そうした社会制度に抵抗することに、大変なエネルギーを使うくらいなら、夫に経済的に従属することになっても専業主婦になろう、という選択は、合理的な選択である。
ただし、女性の側は自分のその選択を自分自身に納得させるために、恋愛結婚の虚構をここで再び持ち出さざるを得なくなる。夫というものは自分のことを死ぬまで愛してくれるはずの存在だ、というふうに。
しかしここで持ち出された恋愛結婚の虚構は、望まない現実を正当化するための、自分自身に対する口実に過ぎず、当然、現実の夫がそのとおりの存在であってくれるわけではない。
夫は夫で、専業主婦としての妻は、社会に出てストレスフルな仕事をして家に帰ってくる自分を、優しく包んで支えてくれるはずだという、やはり恋愛結婚の虚構を持ちだす。
ともに虚構に頼って、それとは全く異なる現実を正当化しようとしているのだから、無理が出てくるのは当然で、無理が出てこない夫婦は、単に恋愛映画や恋愛ドラマといった古くさい情報宣伝活動に、あっさり「洗脳」されているだけのことである。
なので、夫婦がともに恋愛結婚という、とっくの昔に破綻した虚構に、ふたたび「洗脳」されさえすれば、更年期障害の原因の一つがなくなるといった、冒頭の新聞記事のような考え方は、ずいぶん市民をバカにしている。
まあ読売新聞なんて、その程度の新聞なので、仕方ないわけだけれども。