遅すぎて全く無意味な日経ビジネスの原発関連記事

昨日(2011/10/18)日経ビジネスオンラインに、全く無意味な原発関連の記事が掲載された。下記の記事だ。
『日本の「被曝限度」は厳しすぎる~私が「月間100ミリシーベルト」を許容する理由』(日経ビジネスオンライン 2011/10/18)
「オックスフォード大学で、40年にわたし、素粒子物理学を研究、指導してきたウェード・アリソン名誉教授が急遽、来日」(p.1)し、「現在、日本が採用している放射線に対する安全基準は厳し過ぎるだめ、被害が拡大している」(p.2)というメッセージを伝えるために、フリーライターの山田久美氏のインタビューに答えた、とのことだ。
僕が、全く無意味だと言っているのは、アリソン氏の意見が全く無意味だということではない。
そうではなく、このタイミングで、今さらのように、「日本が採用している放射線に対する安全基準は厳し過ぎる」と発言することに、全く意味がない、ということである。
外部被ばく・内部被ばくの安全基準について、無数の意見が飛び交う中で、一般市民がどれを信じていいのか分からず、自分たちの身を守るためには、とりあえずいちばん厳しそうな基準を前提に行動するしかない。
日本国民は、すでにこういった状況に置かれてしまっている。
それに加えて、九州電力や北海道電力の「やらせ問題」を筆頭に、原子力発電そのものへの不信感が増幅されており、原子力発電について「言うほど危険じゃないんだよ」という意見が出てきても、一般市民は、とりあえず信用できない前提で行動するしかない。
日本国民は、すでにこういった状況にも置かれてしまっている。
つまり、福島第一原発事故の後、時計の針はすでにかなり進んでおり、それとともに日本国民の原子力発電所に対する信頼は、大きく崩れてしまっている。
この状況を、ニュートラルな状態、ゼロベースの状態と言ってもいいが、そういう出発地点、事故が起こる前の状態まで巻き戻すことは、残念ながらもう不可能である。
したがって、いくらアリソン氏が説得力のあることを話したところで、アリソン氏の意見に飛びつくのは、いわゆる「原発推進派」だけである。
原発推進に反対する人たちは、当然ながらアリソン氏の意見も信頼しないだろうし、積極的反対でも積極的賛成でもない人たち、態度を決めかねている人たちも、アリソン氏の意見によって行動を変えることはないだろう。
つまり、コミュニケーションは、その内容に説得力があるか、正しいかどうかによって、社会に受け入れられるかどうかが決まるのではない。
コミュニケーションが行われた状況によって、社会に受け入れられるかどうかが決まるのだ。
アリソン氏は、ご自身は科学者なので、社会というものは、任意の現象について常に中立的な立場にあるという仮定のもとで、ご自身の意見をとうとうと述べている。
ところが、大勢の人間が形成する社会というものが、原発なら原発など、あることがらについて、中立のままの状態で静止することなどあり得ない。
社会においては、常にさまざまなコミュニケーションがなされている。
原発推進派からのコミュニケーション、原発反対派からのコミュニケーション、原発問題とは直接関係ないコミュニケーションなどなどだ。
こうした、絶え間なく流れるコミュニケーションによって、社会の状態というのは、あることがらについてつねに流動的である。
なので、科学者であるアリソン氏の意見を、科学者のように中立的な耳で聞く日本国民など、ほとんど存在しない。日本の社会はすでにそういう状況になっている。
アリソン氏の意見は、あらゆる意味で手遅れである。科学的に正しかろうが正しくなかろうが、日本社会においてはすでに手遅れである。
ところで、アリソン氏がこういう意見をもともと持っていたなら、なぜもっと早い段階で来日しなかったのだろうか。まさか、福島第一原発事故が少し落ち着いてきて、日本国内の放射性セシウムによる汚染状況が、それほどひどくないことが分かったから、来日したのではあるまいね。