TOKYO FM『TIME LINE』宮台真司の『まど☆マギ』論要約

今日2011/10/13東京FMの『TIME LINE』で宮台真司が「『魔法少女まどか☆マギカ』に見る3.11以降の日本の物語」と題してしゃべっていたので、文字おこしではなく、要約してみる。

(要約ここから)
アニメはだいたい15年ごとにエポックメイキングな作品が出ている。今回の前は1995年10月オンエアーの『新世紀エヴァンゲリオン』。さらにその15年前、1982年には『風の谷のナウシカ』。
それぞれ、それまでになかったアニメで、大変な人気を博し、時代診断的要素を含む。
『まどか☆マギカ』について少し整理する。モチーフ自体は大して新しくないものが詰め込まれている。伝統的なものでは「魔女っ子」もの、世界を救う「救済系(サルベージもの)」。これらは以前からアニメで反復されてきたもの。
ところが2つ新しい、2000年以降反復されてきたモチーフとして、「空気系(日常系)」と言われる同性だけの平和なまったりした空間が描かれるものと、美少女ゲームの「ループ系」。美少女ゲームの中で、美少女の側は、ゲームを何度も繰り返す中で、選ばれたり選ばれなかったりということを体験する。
この「ループ系」は海外のSF映画でも描かれ、ループからの脱出、システムからの脱出という契機を含んでいる。
この世界は僕らは唯一の世界のように思っているが、何度も反復されたもの、あるいはシステムが構成したものに過ぎず、騙されたり錯誤に陥っているのではないか、という提起。
古くさかのぼるとフィリップ・K・ディックがくり返し描いてきたものだが、20世紀末からSF作品に目立つようになってきたモチーフ。
このアニメは以上の4つのモチーフに対して「ずらし」をやっている。
「魔女っ子」ものは変身してもとに戻る。可逆性にポイントがある。ところが、まどかは最後の最後になるまで絶対に魔女にならない。実はこの作品は「変身もの」ではなく「翻身もの」、つまり一回変わるともとに戻らない。
この点で「魔女っ子」ものの中では「翻身(alteration)」を描くという非常に変わった展開をもつ。
「空気系」については、さやかは思っている病気の男の子というかたちで異性の要素が入って来くる。しかも、さやかが男の子の病気を治すことを条件に魔女になる契約をするが、病気が治ると男の子はさやかのことを忘れてしまう。
また「空気系」は学校の教室が舞台になり、家族が描かれないが、まどかのキャリアウーマン型の母親が描かれるなど、「空気系」に対する差異化もある。
「ループ系」については、震災後ということとも関連してくる。本作は美少女ゲーム的ループの構成を使っているが、なぜ主人公がループから脱出しようと思うかというと、ほむらが魔女になるときの望みとして、何度も過去をやり直したいことを願う。その理由は自分の大好きなまどかが、死んでしまう世界を、そうではない世界に変えたいから。
ところが、何度過去をやり直しても、そのたびに何度もまどかは死んでいる。そのくり返しのうちに、まどかにはカルマが蓄積され、莫大な潜在力が蓄積されるという設定になっている。
そしてほむらにとっては最後の世界、まどかにとっては最初かもしれない世界の最後に、ほむらが何度もくり返しまどかを助けようとしながらも、まどかの死を見てきたという事実を、まどかは知る。
まどかはそのほむらとの絆を知ることで、そのような世界は許せないと思い、この世から全ての魔女を消し去ることを条件に魔法少女になることを決意する。
魔女とは魔法少女が戦う敵だが、実は魔法少女が自意識的に崩れていったなれの果てであり、魔女を消し去ることを願うということは、つまりは、ほむらのような存在が出てこなくてもいいように、世界の全体を作りかえることを望むことになる。
そしてその望みがかなう、というところで終わる物語。非常に倫理的なループ脱出になっている。
「救済系」については、『エヴァンゲリオン』では承認されたいから救済するという動機づけ。主人公の碇シンジの最終目的は周囲に、父親に認められることだった。
しかし『まどか☆マギカ』におけるまどかの救済は、自分自身が消え去ることで世界全体のルールを変えることが目的になっている。ルールの変わった世界では誰も自分のことを覚えていないという結末になる。
時代との関連で言えば、15年前の『エヴァンゲリオン』はその前のオウム真理教の事件と関連しており、自己意識を保とうとするために「救済」するというとんでもない事件だったことがわかってくる。
碇シンジもそうで、自分が承認されたいから世界を救うというむちゃくちゃな話になっている。これは後に「セカイ系」と呼ばれる。
当時は「承認」が主題になっていたということを、アニメの作者が意識的あるいは無意識的に作品のモチーフとして組み込んでいる。
『まどか☆マギカ』も全く同じで、たしかに美少女ゲームの「ループ」というものがあったが、最近では映画『インセプション』も「ループ脱出」もの「脱システム」ものになっている。
これらは、システムの中で自分たちが入れ替え可能な存在として翻弄されているという強い意識が背景にある。にもかかわらず、そのままでは希薄になってしまう絆や、他者への強い思いを相対化してくる強力なシステムと徹底して闘うという意思も描かれる。
こうしたモチーフはやはり多く映画を観ると、どんどん高まってきていることが分かり、時代とシンクロしていると言える。
『まどか☆マギカ』のラストは、世界が作り替えられ、まどかが消える。まどかが消えた世界にほむらがいる。まどかはいないが、まどかの家族、父親、母親、弟はいる。初めから3人家族という設定になっている。
ただ、その弟の移行対象として、まどかの存在がほのめかされ、観ているものは、まどかが存在しないはずの世界に、まどかのかすかな痕跡が残っているという、その「奇跡」によって救われる非常に優れた物語になっている。
僕らはこの人生がもしかすると何度目かのくり返しではないかと思うときがある。そういう思いと「夢」がこのアニメの中では結びついている。
何度もやり直している人生とは「入れ替え可能性」だが、「夢」とは「入れ替え不可能」な思いである。入れ替え可能な自分の存在と、入れ替え不可能な思いを両立させるにはどうすればいいか、という課題を『まどか☆マギカ』は提示している。
(要約ここまで)

TOKYO FM『TIME LINE』宮台真司の『まど☆マギ』論要約」への1件のフィードバック

  1. 愚樵空論

    合理性は人間を「入れ替え可能」にする

    またもや『魔法少女まどか☆まぎか』 ネタを。
    宮台真司氏も『まどか』について語っているようだが、
    『まどか☆マギカ』はおじさんが見ても意味のある作品―宮台真司 (月刊SPA!)
    13日にもラジ……

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